セブンスターズマジックバトル ラグナサイド 6 兄と妹
ラグナ大公カールがようやく脱出した頃――
本会場のバトルコートでは、一万人以上の観客が固唾をのんで見守る中、アンドレアス・テラグリエンの独壇場が繰り広げられている。
『ラグナの民よ! 私はここに約束する! 本家以上に公国の繁栄を! 新たな世界を築き! 帝国を凌駕する永遠の楽土をもたらすと!』
歓声はない。
ただただ静かだ。
集った民たちの思いは一つだった。
――恐怖だ。
もっとも偉大なる魔法士、先々代ジンク・ラグナが動けないという事実が、得体のしれない感情を呼び起こしている。
『先々代はもはや最強ではない! みなも耳にしているだろう! 敗れたのだ! 名も知れぬ者に!』
ドラグリアでの一件は公表されなかった。
だが、噂は噂を呼び、先々代が敗北したという話が出てきている。
それは事実と違う。シントとの魔法戦は饗団の横やりが入ったことで、引き分けとなったのだ。
とはいえ、ジンク本人が負けを認めているので、少々複雑な話になっている。
『ラグナを統べるのは最強の魔法士! それはこの私、アンドレアス・テラグリエンである!』
それでも観客は反応できない。
ふっと鼻を鳴らしたアンドレアスは、バトルコートに降り立った。
着込んでいた外套を外し、身に着けた金色の鎧をあらわにする。
「え、ちょっとあれ」
それを見たラナが、声を出す。
他のメンバーも気持ちは同じだ。
アンドレアス・テラグリエンは、どうしてか反魔法の領域に入っても平然としているのだった。
鎧のせいか、あるいは彼自身の力か、誰にもわからない。
「どうなっていますの?」
マリアは美しい形をした眉をしかめる。
なにかしかけがあるのは間違いないだろうと思った。
『ならばいまここに証明しよう! 私のこの手で先々代を倒し、最強であると!』
アンドレアスは笑いもせず、険しい顔のまま、アテナの張るシールドへ近づく。
表情こそないものの、感じさせる余裕は勝者そのものだった。
マリアは一度目をつむり、開けた。
このままにさせておくことはできない。
「アテナ、障壁を一部解きなさい」
「いいえ、いけません。マスターの命令があります」
「いいのよ。シントもきっとわかってくれますわ」
「しかし」
マリアの決意に満ちた表情は、有無を言わせない迫力があった。
「待て、マリア」
「お父さま、なにも言わないでちょうだい」
「なにをするつもりだ?」
「だからなにも言わないでって言ってるのに」
まったく人の言うことを聞かない父に呆れるばかり。
「アテナ、開けないと無理やりこじ開けますわ」
「ンーフ、それはまずいと判断します。ですが、できません」
「そうですよ! マリア様! シントが戻るまで――」
「ミューズ、わたしは公国を代表する人間として、戦わなくてはいけませんわ。それが責任よ。あなたは取締役になったのでしょう? 覚悟がないとだめだってことはわかるはずですわ」
「そんな……」
表ではかっこいいことを言っているが、本心は別だ。
シントのギルドのメンバーたちは飲み友達である。
せめてそれだけでも守らねばと、心から思う。
正直、ラグナなどどうでもいいのだ。
国などいつかは滅びる。永遠不滅なものなどない。
しかし、そこに生きる人間は別。
国がなくとも、生きていく。
守るのは人なのだと、彼女は考えた。
(シント……あの子もそう思っているんでしょうね)
甥はきっと戻ってくる。
魔法の【才能】がなくとも【神格】を凌駕する男を信じるのみだ。
戻るまで少しでも時間を稼ぐこと。
マリアの狙いはそれだった。
「アテナ」
「……わかりました」
決意の硬さを読み取ったアテナは、己に課したものを曲げて、障壁を一部開く。
とたんに反魔法が流れ込んでくるが、それすらも防いだ。
マリアが障壁の外側に出ると同時にまた閉じる。
一方でマリアは、強烈な脱力感に襲われた。
(これは……いけないわね。吐きそう)
必死に立ち、アンドレアスと対峙する。
「なにをしている」
「見てわからないかしら」
「まったく……おとなしくしておけばいい」
「あなたこそ、やめなさい」
「後戻りができるような段階はとうに過ぎた」
見知ったはずの男が、別人に見える。
魔力とは別の、恐ろしい力が辺りを覆った。
ほとばしる力の正体がなんなのか、マリアにはわからない。
「先々代は負けた。ラグナ家は終わりなのだ。それとも君が最強に名乗りを上げるか?」
「殿方は嫌ね。誰が最強だのなんだのと。興味がありませんわ」
「女には理解できないだろう。最強の価値がなんなのかをな」
アンドレアスの圧が増す。
マリアは耐えた。耐えたが――すでに限界は近い。
「アンドレアス……あなたの……野望なんて」
「野望がどうしたと?」
意識が遠のく中、マリアはまだ立ち続ける。
「意味のない、ことだわ」
「なんの話だ?」
ついにマリアは屈した。
魔力は尽きかけ、膝をつき、四つん這いの恰好となる。
観客席から悲鳴が上がった。
レディ・ラグナが殺されると、誰もが思ったのだ。
「最強は……お父さまじゃ……ないんですもの」
「なに?」
ここで初めてアンドレスの顔色が変わる。
その時――
「アンドレアスーーーーーーーーーーーーーーー!!」
大声を上げてバトルコートの出入り口から現れたのは、カール大公だった。
★★★★★★
「カールか。どこにいるかと思えば」
選手待機室から現れた大公は憤怒の表情で、バトルコートに歩み出る。
バトルコートはすでに反魔法術の領域だ。
なのに、カール・ラグナの歩みは一向に止まらなかった。
「ふん……気力だけでなにができるというのか」
しかし、アンドレアス・テラグリエンはカール大公がすでに限界ぎりぎりだということを見抜いていた。
「いまさら出てきてどうするつもりだ? 大公よ」
「なにがいまさらか。貴様の息子は倒れたのである。観客席にいる者どもも、せいぜいが二千人程度。ケリをつけてくれよう」
「アルフレートめ、しくじったか」
吐き捨てながらも、アンドレアス・テラグリエンは表情を変えない。
まるで、息子が敗れるのは想定済みだとでも言っているかのようだ。
「カール……おまえは棚に置いてあった菓子をたまたま手に取っただけの男だ。ジークには遠く及ばない。玉座には相応しくない男」
「そのようなことは百も承知である。だが、貴様よりはマシだ」
カールは逆上しているように見えて、冷静さを保っていた。
今にも倒れそうな妹に視線を送り、逃げるよう促す。
だが、マリアは動けない。強烈な反魔法領域の中心にいてしまっている。
「……ぐおっ!?」
重苦しい一撃。
アンドレアスの長身から放たれるボディブローが、大公のどてっぱらにめり込んだ。
会場にいる者達は呼吸をすることすら忘れた。
大戦を勝利へと導いたジンク、カール、マリアの三人が、なすすべなく封じ込められ、倒されようとしている。
『Sword and Magic of Time』のメンバーも、うかつには動けない。
いま出て行っても、無駄に命を散らすだけだとわかっている。
シントが必ず戻ると信じている。信じてはいるが、アテナのシールドもそろそろ限界だ。
焦る気持ちに、全員が拳を握った。
「姐さん……このままじゃ」
「リーア、飛び出したらだめさ」
「でも!」
今にも出て行きかねないリーアをカサンドラがたしなめる。
そこへ、ディジアとイリアがそっと腕をつかんだ。
「リーア、わたくしたちにはわかります」
「ディジア」
「うん、なんかこう……ぞわぞわしてきたの」
「どういうこと?」
二人はうなずくのみだ。
だが、状況は予断を許さない。
アンドレアス・テラグリエンは身動きの取れない大公を容赦なく攻撃し続ける。
その拳はあまりにも重く、速く、鋭い。
力が入らず、魔力が練れず、意識も飛びかけるカールであったが、それでもなお倒れなかった。
息子がされるがままを見ていたジンク・ラグナは、もはや終わりが近いであろうことを予感した。
最後の手を使うしかあるまいと、心に決める。
「アテナよ、合図をしたら障壁を解くがよい」
「ンーフ、なにをする気なのかと、問いかけます」
「この会場ごとやつらを焼き払ってくれよう」
【神格】神火アグニを用いた魔法をぶっ放すと言っている。
さすがにメンバーたちは止めにかかった。
特にディジアとイリアは気絶でもさせようかと目を光らせる。
だが、状況がまた変わった。
「がはっ……」
限界を超えるダメージを受け続けた大公は、ついに両膝をついたのだ。
「カール、大公の座を譲ると言え。そうすれば楽に殺してやろう」
「まっぴらご免である。殺して奪えばよかろう」
「それではだめだ。譲るのがおまえの役割だということを知れ」
「他のどんな者に譲ろうとも、貴様にだけは譲らぬ」
朦朧とする意識の中、きっぱりと断言する。
「ならばしかたあるまい。ここで大公家の者全てを始末しよう。おまえの息子たちもだ。それで私は……最強となる。最強の、魔法士……いや、神の右手に!」
「……我らを始末したとしても、最強などにはなれぬのである」
この一言に、アンドレアス・テラグリエンは眉を寄せた。
マリアも先ほど同じことを言ったのだ。
「貴様は大きな勘違いをしている……それを今から、知るであろう……」
カールの視界の一番奥で、変化が起こっている。
それをはっきりと確認した彼は、心の中で愚痴った。
(遅いのである……不遜な甥め……)
そこでカールの意識は途切れるのであった。




