呪縛からの解放
叔母上は四つん這いになった状態のまま、打ちひしがれている。
「どうしてそこまで、養子にこだわるんですか?」
戦う前はラグナの未来について語っていた。
しかし叔母上は読めない人だ。他にもなにか理由がある気がしたのだ。
ディジアさんも、思い詰めている、と言っていたし、気になる。
「わたしは……子どもが、いないの」
彼女は二度結婚し、二度離婚している。その間に子どもが生まれたという話は聞かなかった。
「若い時は……そうね。子どもなんていらないと、そう思っていましたわ。でも、やっぱりそれは嘘。血のつながった子どもがいない……それがあまりにも寂しいんですもの」
声に張りはなく、暗い表情だ。
「夫たちに原因があるのか、わたしに原因があるのかはわからない。だけど、二度も結婚して、子どもができなかった。貴族の女性は……子どもを作れなきゃ、価値なんてないのよ」
「だから叔母上も自分に価値がないと?」
そんなの間違っている。
貴族において子孫を絶やさないことはたしかに重要だ。
しかし人格までをも否定されるのは、おかしいだろう。
「叔母上、それは違う」
「いいえ、シント。あなたはまだ子どもだもの。わからないわ」
「ええ、そうです。それはわかっています」
「シント……?」
「俺が間違っているのではなく、そもそも社会の方が間違っていたら?」
【才能】こそが絶対の社会では、特に血統の話がついて回る。
それこそが間違いではないかと、心から思うのだった。
「そうだとしても……わたしには変える力がありませんわ。子どもがいないからそんなことを言うのだと、そう思われるのがオチね」
悲しすぎないか。
人がそこまで醜いなら、もはや言うべきことはない。
「マリア」
「そんなことないわ」
ここでディジアさんとイリアさんが人の姿に戻る。
彼女たちは叔母上のそばに立ち、肩にそっと手を置いた。
「あなたたち」
「あなたは諦めるのですか?」
「……諦めるもなにも、子どもが……できないんですもの」
「シントはなにも諦めませんでしたよ?」
「……!?」
叔母上が顔を上げた。
「【才能】がないと判定された時、一人小屋に移された時、親族の方々にいじめられた時も、家を出て行けと言われた時も、ギルドを作る時だって、彼は諦めませんでした。そして、いまも驚くような最高の魔法を見せてくれた」
たしかに言われてみれば大変だったな。
「ですからマリア」
「子ども作ったら?」
ぶっ!?
いやいや、そうぽんぽん作れるものでは。
二人とも、子作りのことを知っているのだろうか。
しかし叔母上は、なぜだかふっきれた顔をするのだった。
「わたしの……負けね。完全に敗北ですわ」
「叔母上」
「でも、今度はわたしが追放されるかも」
「なんで?」
「だって、【神格】の所有者がそうでない者に負けたのよ。お父さまになんて言われるか……」
おじい様はそういうことに厳しいと聞いた。
だけど、追放にはならないだろう。
「叔父上は今も大公をしているじゃないですか」
「……どうしてカール兄様の話になりますのよ」
もしかして、聞いていないのか?
「五カ月くらい前にホーライで叔父上と魔法戦になりました」
「は?」
「俺を無理やり連れ戻そうとしたので、戦いを」
「……ま、まさか、あなたが?」
「なんとか勝ちましたよ」
ん?
なんか変な音がする。
「この音はなんでしょう?」
「ぎり、ぎり、って聞こえるよ?」
叔母上を見てハッとする。
彼女は見ただけで呪い殺されそうな鬼の形相で歯ぎしりをしているのだ。
めちゃくちゃ怖い。
「兄様ぁ~ あとで~ シメてやりますわ~」
俺が気にすることじゃないけど、叔父上、かわいそう。
「シント! なにが起きたのさ!」
「……てかこれなに? 巨人?」
「えらいことになってるけど、どうしたのよ、ギルマス」
みんなが戻ってきてしまった。
休んでてよかったのに。
「叔母上と魔法戦をちょっと」
「……いやでもこれぇ、ほんとに魔法なんですかぁ?」
みんな新しくできた巨大すぎるオブジェを見上げて、呆れているようだった。
「ンーフ、シミュレートできません。マスター、どのような戦いをしたのか、説明を要求します」
「まあまあ、それは後ででも」
叔母上がかなり疲労している。今は戻って休むべきだ。
ところが、だ。
メリアムさんが俺の隣に来た。
「シントさん、お願いがあって」
「ええ、なんでも言ってください」
「その……ミクリオのところに連れて行ってもらえないでしょうか」
もちろんだ。
行くのは一瞬だし、なにも問題はない。
「今から行きますか?」
「今から……?」
彼女は考えこみ、うなずいた。
「ミリアも連れていっても?」
「はい。行きましょう。あ、でもアレか。叔母上が」
ちらりと叔母上を見た。
彼女は大きく息を吐いて、立ち上がる。
「ドゥンケル男爵でしたわね。ええ、いいですわよ。それについてはラグナの人間がするべきね。あなたにだけ押し付けることはできませんわ」
「すみません。疲れているのに」
「いいのよ。まあでも、ほんと人使いが荒いんですわね。いつもこうなの?」
「いやいや、いつもこうでは――」
メンバーたちを見る。
みんな、あさっての方を向いていた。
え……
誰もフォローしてくれない!?
「ま、まあ、その話はあとででいいでしょう」
じっくりと話し合う必要がありそうだ。
「シント、あなたは疲れているでしょうから、ここはわたくしが」
「すみません、ディジアさん」
「いいのです。それでは――≪闇空ノ跳躍≫」
メンバー全員で大移動。
ギルドへと戻り、フォールンでミリアちゃんと合流する。
「はは、おかえり」
「ああ……ミリア」
「はは?」
メリアムさんが感極まって、娘を抱きしめた。
ミリアちゃんはなにが起きているのかわからず、首をかしげている。
だが、母親の嬉しそうな顔を見れば、なにかいいことがあったのだろうと子どもでもわかることだ。
「全部……終わったのよ。もう全部」
これでもう二人は逃亡生活を送らなくていいのだ。
「さっそく行きましょうか」
「ええ、おねがいします」
「みんなは休んでほしい。ほんとうにありがとう。お疲れ様」
みんなが微笑む中、俺はまた≪空間ノ跳躍≫を発動するのだった。
★★★★★★
一瞬でパララルルナ森林へと到着。
そのとたんに大声が聞こえた。
「おわあああああああああああああ! ななななんだあああああああ!」
俺と叔母上とメリアムさんとミリアちゃんを見て、ミクリオさんが尻もちをつく。
彼はちょうど小屋から出てくるところだったようだ。
「ミクリオ……ミクリオなのね!」
「まさか……セミィ姉さん?」
十年ぶりの再会になるだろう。
二人は互いを信じられない目で見る。
「ああ……ずいぶんとたくましくなったわ」
「そりゃあおれだって十年たてば……って、この子は?」
彼は母の足にしがみつくミリアちゃんに気づいた。
「この子はミリア。わたしとサラディンの娘なのよ」
「兄貴と姉さんの……可愛いなあ……」
「はは、このひとだれ?」
「ミクリオのおじさんよ。ご挨拶して」
「こんにちわ、おじ」
「おじさんって……おれまだ二十一なんですけど!?」
たあいのない普通の会話だ。しかし、彼女たちはそれができる状況ではなかった。十年もの間、ずっと。
「ミクリオさん、全部終わりましたよ。あなたはもう、自由だ」
「シント」
「イシュランはもう二度と、シャバに出ることはないでしょう」
「そう……か。終わったんだな……やっと……」
ミクリオさんは肩を震わせた。
「やべ……くそ……涙がさ……」
「いいのよ。わたしだって……」
二人は抱き合い、涙を流す。
積もる話もあるだろうし、俺たちは男爵に会おうか。
「叔母上、こちらです」
「ええ」
叔母上を連れて、ドゥンケル男爵の小屋に入る。
彼はテーブルの前に座り、ナイフで果物の皮をむいているところだった。
「ドゥンケル男爵」
「おお! 公子さま、また来ていただけるとは」
俺を見て満面の笑みだ。そして、隣に立つ叔母上を見て止まる。
「あ……あなた様は……まさか……まさかマリア様」
「お久しぶりですわね」
ははー、と崩れるかのようにひざまずく。
「私めを覚えていてくださったとは」
「なに言ってますの。あなた、ジーク兄様の隣にずっといたでしょう。覚えていますわ」
「恐悦至極にございます。十年前と変わらずお美しい……ご尊顔を拝させていただき、まこと……」
「いいのよ。顔を上げてちょうだい」
なぜここに叔母上が来たのか、男爵は不思議そうだ。
「ドゥンケル男爵、全部終わりました」
「……公子、それは、ほんとうでございますか?」
「ええ、あなたは自由だ。叔母上がそれを保証してくれます」
「なんと!」
彼は立ち上がり、そして疲れ切ったように椅子へ座る。大きく息を吐き、脱力した。
「ようやく……」
「故郷へ帰します」
「……いいえ、今さら戻ったとしても、私は」
そんなことはない。
ずっとここで父さんの秘密を守り続けていたこの人は、英雄だ。
「ドゥンケル男爵、あなたは大戦の途中で重傷を負い、隊からはぐれた。その後、重病をわずらい、治癒するまで十年もかかってしまった。そしてそれを叔母上が偶然にも発見した。そうですよね?」
隣の叔母上を見る。
彼女は小さくうなずいた。
「それがいいですわ。実際、そういった兵たちもいますもの。戻り次第誰かを派遣して、迎えによこしますわよ。戦争による傷病者基金から年金も下りますし、家もまだあるのですから、生活に心配はないでしょう」
「……ですが」
男爵は頑固だ。顔には『おめおめと帰れるわけがない』と出ている。
「ドゥンケル男爵、本音を言ってください」
「本音……」
「家族があなたを待っています。ですから、本音を」
「……私は……故郷へ……ラグナへ、帰っても、いいのでしょうか?」
「もちろんです。あなたは、英雄だ」
彼は顔を押さえ、嗚咽を漏らす。
父さん――ジークハルト・ラグナがやり残した仕事はこれで終わり。
十年もの間、彼らを苦しめていた呪縛は、消え去った。




