立ちはだかる者 3 【炎の貴公子】長男ユリス・ラグナ【ラグナを継ぐ者】
「貸した金は返せない、と?」
大都市フォールンのとある場所。
広い工場の中の一室で、ラグナ家当主の長男であるユリスが向かい合う相手をにらみつけた。
「そうは言っておりません、公子さま」
頬に傷のある強面の男が、冷や汗まじりに返答する。
「もう少し待っていただきたく」
「返済の期限は過ぎている。それにだ。回収に向かわせた者を追い返したそうだが、それは本当か?」
「いえいえ、そのようなことはいたしません。なにかの手違いでしょうな」
ラグナ家は大都市フォールンでも大きな影響力を持つ。
主に金融機関、土木工事を中心に、カジノ、飲食店、学校まで経営している。
現当主カール公の長男であるユリスは若干二十歳でそれらを任され、おおいに収益を上げていた。
今回の件もその一つ。貸した金を自ら回収しにきている。
「では返済を」
「……」
「どうした?」
「いえ……少々金利が高すぎないか、と」
一瞬、ユリスの見事な赤髪が逆立ったように見えた。
「契約時に条件は確認したはず」
「そうでしたかなあ……」
男は金を返さないつもりだ。
ラグナ家の長男は考える。
超名門の大貴族を敵に回しても潰されるだけ。
つまり、この男の背後には大きな勢力がある。
「返さないのなら、この工場をいただこう」
「……なんですと?」
「聞こえなかったのか?」
「ふむ……工場を渡せと」
頬傷の男は、返事のかわりに指を鳴らした。
すると、隣の部屋に控えていた戦士達が入ってくる。
「これは?」
ユリスはソファーに座ったまま微動だにしない。
「けっ! 下手に出てりゃあ図に乗りやがって! 利息が高すぎんだよ! てめえんとこは!」
「この私に逆らうつもりか?」
「バカなヤツだ! 一人で来るなんてな!」
ユリスは自分の髪を撫でた。
「貴様はなにもわかっておらぬ」
「ああん?」
「背後にいるのはどの家だ? ガラルホルン家か? シュトロイゼル家か? 話せ。さもなくば死ね」
「う、うるせえ! やっちまえ! 殺しちまえ!」
「愚かな……≪フレイム・アロー≫」
小さな炎の矢が生み出される。人の指くらいのサイズだ。
部屋内の荒くれ者たちが武器を振り上げたところに、炎の矢が突き刺さる。
「ぐわああああああ!」
「あ、熱い! 燃え――」
その炎は周りに飛び火せず、荒くれ者たちだけを焼き尽くした。
一瞬で五人。
部下たちが灰と化し、頬傷の男は椅子から転げ落ちる。
「いひいいいいいい!」
「そういえば……一人で来るのはバカだと言ったな」
ユリスは手を向けて、魔法の発射体勢に入る。
「逆だ。一人でも十分すぎる」
男は床に腰を下ろしたまま、ごくりと息を呑んだ。
一言でも喋れば、たちまち殺されてしまう。そんな気がした。
「で? 金は返すのか? 返さないのか?」
「か、返す! 返します!」
「この工場は?」
「差し上げますううううううう!」
ユリスは、ふっ、と鼻を鳴らして、その場をあとにする。
工場の外に出ると、そこには百人からなるラグナ家の私兵たちが待っていた。
「ユリス様、ご無事で」
「うむ。工場は差し押さえた。逆らう者は始末しろ。そうでない者は捕らえて鉱山に送れ」
「ははー!」
彼の指示で私兵が一斉に動き始める。
「戻るぞ」
「は!」
側近だけを連れて、彼はフォールンにあるラグナ家の邸宅に戻った。
★★★★★★
ユリスはもはや自分専用としている当主用の座に体を預けて、息を吐く。
全ては順調。
フォールンに別宅を持つような力ある貴族との関係を強化し、事業を拡大、成長させて、今日もああして敵相手に魔法を放つ。
政治、経済、戦。なにもかもが自分を祝福しているかのような感覚に、ユリスは酔いしれている。
「ユリス様、お食事はどうなさいますか?」
そばに控える眼鏡をかけた男性がそっと耳元で囁く。
「まだいい。それよりもフリット。例の場所の進捗はどうだ?」
「鉱石の出荷はまずまずです。しかし、目的のモノはまだ見つからないとのこと」
フリット、と呼ばれた長身の美男は、ユリスと同い年の側近だった。
頭脳明晰、容姿端麗、魔法の腕もある。ラグナ公国において、もっとも有力なアルラグナル家の跡取りだ。
「そうか。急がせろ」
「は」
「精神向上薬の後始末はどうだ?」
「滞りなく終了いたしました」
弟のマールから送られてくるはずの薬は、彼が行方不明になり、かつ工場が破壊されたことで台無しとなっている。
そのおかげで売人を全て始末する羽目になった。
祖父と父には知らせず、極秘で進めていたプロジェクトだっただけに、ユリスはこれ以上ないというほどのしかめっ面を作る。
成功していれば、帝国本国をも蹂躙できる、モンスターによる軍隊を作れたはずなのだ。
「使えんな、まったく……愚劣な弟めが」
「しかしながら、アレがなくともユリス様のご才覚により収益は倍増しております」
「わかっている。二年前に来た時はごちゃごちゃして汚い街としか思えなかったが……世界一の人口だけあって、金回りはいい」
彼が来るようになってからのたった二年で、ラグナ家はおおいに潤っている。
やり方はどうあれ、それは確かだ。
「女を用意しろ。数は……三人ほどでいいか」
「よろしいので? 公子の相手に足る女はもはや」
「奴隷で構わん。壊しても問題にならんしな」
「かしこまりました」
政治、経済、戦、そして色ですらも、彼はナンバーワンにならなくてはならない。
ラグナ家の当主となるには、全てを極める。それが彼の、己に課したものだ。
「他に報告はあるか?」
「ございません」
「では――」
今日はもう休め、と言いかけた時、誰かが許可もなしに入ってくる。
「兄上、来たぜ」
現れたのは末弟のイングヴァル。
重さを感じさせない動きで、ユリスの対面に座った。
「イングヴァル、なにをしに来た」
「そうにらむなよ。急いで来たから疲れてるんだ」
へらへらする弟。
ユリスは殺したくなる衝動を抑える。
「なにをしに来た、と聞いている」
「それよりも水くんね? 喉カラカラ。酒でもいいけど」
「……イングヴァル」
「わかったわかった」
弟は勝手に水をグラスに入れて飲み始める。
「マール兄上が見つかって、戻った」
「……なに?」
「大河に浮いてたところを漁船に救助されたんだと。ウケるよな?」
笑うイングヴァル。
大陸を南北に二分する大河は、マールが消えた農園からはかなり遠い。
「なぜそのような場所に?」
「知らね。兄上、すげえ痩せてたし、顔色も普通じゃなかった。言葉も喋れねえし」
「あいつが痩せていて顔色が悪いのいつもだが……言葉が喋れないとはなんだ」
「なにかにずっと怯えててよ。近くに寄っただけで叫ぶんだぜ? 哀れすぎて笑うしかねーわ」
よほどひどい目に遭わされた、と考えるのが順当だろう。
しかしユリスは、『無価値』だと信じ込んでいるいとこのシントがやったとは考えていない。
「会いに行くか?」
「……やつは野良魔法士などに敗北したクズだ。会う必要を認めぬ」
「違いねー! ぎゃはは!」
品のない笑みに、ユリスは頭痛がした。
「話はこれで終わりか? ならば帰れ」
「おいおい、ひでーじゃん、兄上。それにまだ話は終わってねー」
「なんだと?」
「むしろこっからが本題。マール兄なんてどうでもいいっつーの」
いったい何を話すつもりなのか。
猜疑心が異常に強いユリスは、密かに身構えた。
「ガラルホルン家が動き出してる。フォールンに第二公女ウルスラが向かってるんだと」
「ウルスラが……?」
ラグナ家とガラルホルン家は姻戚関係にある。ユリスとイングヴァルは当然、第二公女ウルスラの顔を知っているし、幼き頃は一緒に遊んだこともある。
しかし今は【神格】神剣『インドラ』を持つ超人。
敵とするには最悪の相手だった。
「しかも『シント』っていう冒険者を探してるってさ。兄上、どう思う?」
ユリスはシントの名を聞いて硬直した。
「やばくね? あいつ、ガラルホルン家の血も引いてるしよー、もしも身柄を奪われたら厄介だろ」
「その『シント』があのシントとは限るまい。それにだ。もしもあのシントだとしても、無価値。なんの戦力にもならぬ」
「ほんとにそう思うか?」
「イングヴァル、なにが言いたい」
弟は両手を挙げて首をかしげた。
「別に」
意味ありげな言葉に再びユリスの魔力が膨れる。
「あー、おれもう行くわ。カジノで遊ぶんだ」
「貴様」
「じゃあな、兄上」
イングヴァルは逃げるようにその場を去った。
「ユリス様、いかがなさいますか?」
「……今の話、密かに裏を取れ。その後、賞金をかけて追い詰めろ」
これで裏社会の殺し屋が動く。
「もしもシント・アーナズなる者があの無価値なシントなら……」
ユリスの目がすっと細くなる。
「殺す」
ラグナ家が放つ炎の刃がシントに迫ろうとしていた――




