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ファミリアバース 22 アイシアとの対局

 話は決まった。

 ガラルホルン家の第一公女アイシアとの勝負だ。


「さあ~ 表に出なさ~い。けちょんけちょんにしてあげるんだから~」


 アイシアが席を立とうとしたので、それを止めた。


「待ってくれ。勝負の方法を決めてない」

「なに言ってるの~ 戦闘に決まってるでしょ~」

「いいや、それは違う」


 俺は立ち上がり、お店のカウンターに向かおうとした。

 彼女のお供たちが剣を抜く。


 さっき声を出せなくしたから、だいぶ警戒されているようだった。

 しかし気にせず店のお姉さんへ話しかける。


「ここに『剣棋(けんぎ)』の盤はありますか?」

「え、ええ……そこにありますけど」

「ちょっとお借りします」

「あ、あのー……」


 不安そうなお姉さんに笑いかける。


「だいじょうぶ、すぐに帰らせますので」


 帝国で広く普及している盤上競技だ。どこにでもあると思った。

 盤をテーブルの上に置くと、アイシアの表情が変わる。


「なんのつもり~?」

「これで勝負だ」


 『剣棋(けんぎ)』は大将、中将、少将、戦車、騎兵、歩兵、計六種類合計32個の駒を使う遊び。大将を討ち取れば勝ちだ。


 すると、お供の四人が笑い始めた。


「くくっ……なんと愚かな」

「姫さまに『剣棋(けんぎ)』で挑むなど、身の程知らずも(はなは)だしい」

「公女殿下の勝ちだな~」


 ああ、知ってるさ。アイシアが『剣棋(けんぎ)』の猛者だってことくらいはな。

 十三歳で当時の『剣棋(けんぎ)』名人を負かしたことはもはや伝説だ。


「正気~? 言っとくけど~ ハンデなんてあげないわよ~」

「もちろん」

「なにをするかと思えば~ あなたわたしに一度も勝ったことないのに~」


 思い出が蘇る。

 ラグナ家とガラルホルン家は姻戚関係にあって、年に二、三回ほど『互いの繁栄を祈る会』という宴をする。


 当然、ガラルホルンの公女たるアイシアとその妹たちもラグナ家に滞在するのだけれど、彼女は決まって俺のところに来て、無茶なことを言ってきたり、【神格】の実験台にしてきたりした。


 いつだったか、突然『剣棋(けんぎ)』盤を持ってきて、十時間くらいは付き合わされたかな。

 その後はことあるごとに『剣棋(けんぎ)』で負かされた。


 そう、俺は一度も勝ったことがない。

 だからこれは、今までを覆す戦いだ。


「じゃあわたし先手ね~」

「いいよ、譲ろう」


 またしてもお供の四人から笑いが漏れた。

 アイシアは先手番が得意だから、俺に勝ち目がないと思ったんだろう。


「ルールは、待ったなし、ハンデなし、持ち時間もなくていいよね」

「それじゃ行くわよ~」


 彼女がさっそく駒を動かし始めた。騎兵を動かすために道を空ける。攻めを重視する得意の戦型『飛竜(ひりゅう)』だ。

 対して俺は、大将を動かすために道を空ける。守りと持久戦に特化した戦型『虎穴(こけつ)』である。


「ふ~ん……」


 アイシアの目つきが変わった。

 『飛竜(ひりゅう)』と『虎穴(こけつ)』がぶつかった場合、わずかに『虎穴(こけつ)』が有利だと言われている。

 きっと彼女はいま、数十手先まで読もうとしているのだろう。


「だったら~」


 戦型を変えてきたな。騎兵をよく使う『飛竜』から、戦車をメインにする『車懸(くるまがかり)』だ。この派生は対局でよく見られるもの。

 俺はこのまま『虎穴』でやらせてもらう。


「……」

「……」


 対局が進み、十分、二十分と経つ。

 彼女の苛烈で変化に富んだ攻めは、かろうじて防ぐのが精いっぱいだ。


 だが、お互いに駒を消耗している。決着まではそう長くない。

 

「……」


 対局を始めて三十分が過ぎようとしていた。


「……読み切ったわ~ ここよ~」


 アイシアの一手が急所を突く。


「ふふふ~ わたしの勝ちよ~ 投了しなさい~」


 どうかな。

 諦めるにはまだ早いと思うけど。


「そういえばアイシア。君って新聞は読む?」

「新聞~? たまに読むけど~」


 この分じゃまだ知らないな。

 ならば――


 さきほど奪った騎兵の駒を、とある地点に打つ。

 その瞬間、アイシアの動きが止まった。


「……え?」


 彼女は駒を凝視して動かない。

 

「……う、うそ……うそよ」


 口調が変わった。明らかに動揺している。


「まさか……新手?」

「ご名答」


 定石(じょうせき)から外れた過去に前例のない手。それを新手という。


「先月に行われた名人対棋聖の対局で指されたんだ。この戦いはほんとにすごくて、新聞を何度も読み返したよ。これって――」


 彼女が指を立てた。


「黙って。考えさせて」


 思考の邪魔をするのはマナー違反。口を閉じよう。

 それから彼女は髪をかきむしったり、爪を噛んだりして自分を落ち着かせようとしていた。

 美しい髪が乱れている。


 お供の四人も、盤上でなにが起きたかを遅れて理解したようだ。

 言葉を失くして、たたずんでいる。


 待つこと三十分あまり。

 アイシアの顔に光明が差した。


「やっぱり……わたしの勝ちよ~」


 バチン、と音を立てて歩兵を置く。


「新手には新手よ~!」

「おお! さすがは姫さま!」

「公女殿下に敵はなし!」


 盛り上がってるな。

 確かに彼女が指した手は、新手に対するカウンターだ。新手返しともいう。

 俺が打った新手は劣勢を覆し、有利にしただけのもの。詰みにはまだ遠かった。彼女はそれを見抜いたのだ。


「ふふふ~ とどめよ~ 終わりだわ~」


 ああ、終わりだ。

 ()()()()()()()()()()


 新手返しをさらに返す。

 歩兵を彼女の急所に打ち込んだ。


「はあ!?」


 またもや止まる。


「これで詰みだ」

「……な、なんですって~!」


 がばっと身を乗り出して駒を見る。


「さっきの話には続きがあってね。名人が『虎穴』。碁聖が『飛竜』から『車懸』に変化したんだけど、名人が新手を打った後、碁聖が新手返しをした。()()()()()()()()()()()

「な……」

「そこで名人は投了。けど、俺はその先も考えてみた。そうしたら、この手が浮かんだんだ」


 アイシアは駒を見続けながら、停止している。

 やがて顔を上げ、俺の顔を見て言葉を失くした。


「じゃ、じゃああなたは()()()()()()()()()()()――」


 その通りだ。アイシアへの絶対的信頼。彼女ならその場で新手返しを編み出すだろうと予測していた。だから俺は新手返しをさらに返したのだ。


「子供の頃、君に一度も勝てなかった。だからずっと、君と対局してたよ」

「なに……言ってるの?」

「俺はあの小屋で一人だったからね。いつか君に勝ってやろうってずっと、ずっと考えてた。時間が空けば盤の前に座って、イメージの中のアイシアと」


 想像上の彼女は最強だった。結局一度も勝てずじまい。

 叔父上の捨てた新聞にはたまに棋譜が載っていたから、研究もしてみた。


 そして今、それは成った。


「俺が虎穴で行けば、車懸で詰みにくるのはわかっていたんだ。でもさすがは君だ。棋聖が編み出した新手返しをここで思いつくなんて」


 アイシアがわなわなと震えだす。彼女の明晰な頭脳はもう敗北までを読み切っている。

 チェックメイト。これ以上の打開策はない。


「こんなの……なにかの間違いよ……こ、こんなことが……」

「約束は守ってもらう。ゼロセブンさんは死んだことにしてくれ。あと、もう俺に関わらないように」


 返事がない。

 混乱している。

 絶対の自信が砕け散り、力が抜けているようだ。


「……」

「アイシア、返事は?」

「……あっ! 見て~! ラグナ家先々代のジンク様が来てるわ~」


 はあ!? 

 なんでおじい様が!


 そんな馬鹿な、と振り向く。そこにいたのはおじい様じゃなく、店内の事情を知らない普通のお客さんだった。


 くっ! こんなアホな手に引っかかるなんて!

 

「アイシア、こんな時に――」


 盤を見て絶句する。

 駒が全て床に落ちていた。


「ねえ、これは?」

「さあ~ 超局地的な地震でもあったんじゃな~い」

「……」


 そうか。なかったことにする気なんだな。

 あまりにもひどい。打ち手として最低の行為でしょう、それは。


「シント~ こんな勝負じゃ決着はつかないわ~」

「つまりは戦えって?」

「そうよ~」


 結局はこうなるか。

 わかった。やろう。

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