大御所さま
「オユキさん、あれは?」
港に足を下ろした時、まず初めに見えたのはあまりにも巨大な、それこそ昨日に襲われたオオダコよりも大きな魚だ。
たくさんの人が集まって楽しそうにわいわい言っている。
「珍しいことですこと。太陽魚が水揚げされたようですわ」
「太陽魚……はあ~」
「とても美味なのですよ?」
それはぜひ食さなければならないだろう。
「シント、またよだれが」
「ほんとにもー、しょうがないわね」
今度はイリアさんがハンカチを差し出してくる。
いけない。このままでは食いしん坊を通り越して意地汚いと思われる。
「とりあえず宿にいかない? 観光はそれからでも」
「陸地が一番……」
他のメンバーたちは無事ホーライへと到着したことで安堵している。
見慣れない様式の建物が並ぶホーライ国の町並みはまさに異国情緒溢れるようなゾクゾクする場所だ。
存分に眺めたいところだけれど、先に休んだ方がいいだろう。
「オユキさん、これからの予定は?」
「列車に乗って『キョウノミヤコ』に向かいますわ」
また移動。そう聞いてみんなげんなりしている。
「すぐに着きますわよ」
今いる場所は『ワカサ』と呼ばれる湾だ。
ワカサ港は言うなれば大陸におけるメルゼイユ港のようなもの。海運と漁業の中心地であるという。
「さすがは技術大国ですね。各地に列車が?」
「ええ、近年でだいぶ交通網が広がっておりますの」
大陸の蒸気機関車は元はと言えばホーライの技術を参考にアレンジされて作られたもの。
世界の食糧庫たる帝国、魔法大国ラグナ、剣と船の国ガラル。この三大国が情勢をリードしてきた。
そしてホーライは今や工業大国と呼ばれ、三大国に比肩しうる国力を持とうとしている。
港を見ただけ繁栄ぶりを実感するのだった。
「良い国なんですね」
「……そうかもしれません」
わずかにオユキさんの顔が曇る。
どうしたんだろう。言っちゃいけないことだった?
「さあ、みなさま、切符は手配しておりますので駅に行きましょう」
「はーい……」
「水が飲みたい」
「こっちはけっこう寒いねえ」
「姉さん、もっと厚着しないと」
「あんたは着込みすぎさ」
みんな重い足取りで先へ行く。
「ダイアナ、そっちじゃないよ」
「あ、ごめん、なさい」
ラナがダイアナに巻いたひもを引っ張る。
前に言ってたひもで結うの、ほんとにやってたのか。
うーん、幼児じゃあるまいし、とは思ったが迷子になる心配もないからよしとしておこう。
★★★★★★
数時間後。
木の香しい匂いが鼻に届く。
オユキさんの案内でやってきた『キョウノミヤコ』。その一角に建つ『ニジョウ屋敷』は美しい木造建築であった。
大御所さまと呼ばれる人が住んでいるのだからお城を想像していたが、一階建ての風通しが良いところだ。
ゲスト用の別館に部屋を与えられた俺たちは、ここでしばらく長旅の疲れを癒すことになる。
荷物を置き、散歩でもしようかなんて考えているとオユキさんがやってきた。
「シントさん、さっそくで申し訳ありませんが大御所さまにお会いください」
「もちろんですが、いきなり行ってもだいじょうぶなんですか?」
「いえ、到着したらすぐに来てほしいと仰せなのです」
せっかちな人なのかな。
オユキさんとともに廊下へ出る。
そこにもう一人、背の高い細身の男性が待っていた。
帝国風の紳士服を身にまといながらもスタイリッシュに決めている。
ホーライの人だからといって全員がキモノを着ているわけではないようだ。
「あなたがシント・アーナズ様でいらっしゃいますな?」
「はい。そうです」
歳は二十代半ばといったところだろう。
きっちりと撫でつけた髪に眼鏡。知的な風貌をしていた。
「私はマツナガと申します。大御所さまの執事を務めている者でございます」
「ご丁寧にありがとうございます。改めまして、シント・アーナズです」
握手を交わす。
マツナガさんは珍しいものを見る目つきだ。
「どうしました?」
「これは失礼。帝国貴族の方でいらっしゃいますのに、ずいぶんとお人当たりがよいというか、腰が低くていらっしゃるというか」
まずは訂正していただきたい。俺は帝国貴族ではございませんです、はい。
オユキさんをちらりと見る。
彼女は肩をすくめた。
俺の事をどういう風に説明したのか、気になるな。
「マツナガさん、俺は貴族ではありません。一般人です」
「ですが、大御所様の賓客。相応に遇さねば」
なかなかお堅い人のようだった。
マツナガさんの案内で、大御所様の部屋に行く。
ホーライの家屋は土足厳禁。靴下で歩くのはまだ慣れない。
やがて、フスマ、と呼ばれる扉の前で止まった。
「大御所様、シント・アーナズ様をお連れしました」
「うむ、入るがよい」
明るく、ひょうきんそうな声が聞こえてフスマが開く。
中で待っていたのは小柄なおじいちゃんだった。
「待っておったぞ、ユキネの孫よ」
笑顔で出迎えてくれる。少し身構えていたのだが、その必要はなかった。
「このたびはお招きいただき――」
「あいさつはよい。さ、もっと近う」
マツナガさんが外に下がり、オユキさんがその場に座る。
俺は手招きをされて、近くに寄った。
「聞いたぞよ。海賊どもの船を三十隻も沈め、千人をばったばったと薙ぎ倒したそうじゃの! さらにさらにアカシのオオダコをも倒したとか。傾奇よるのう」
めっちゃ話盛られてるな。実際は三隻と百人くらいだ。
あとカブキってなに。
「まさに古今無双、一騎当千。今ベンケイよの。いや、その涼し気な姿は今ウシワカといったほうがよいのー。明日は新聞がよく売れるじゃろう」
ベンケイ? ウシワカ? 誰だろうか。
「はあ、ありがとうございます」
「もっと近う。顔をよく見せてくれんか?」
これ以上近づいたら失礼に当たりそうだ。
ちらりとオユキさんを見る。彼女は小さくため息をしていた。
「ふむ、ユキネの面影がある。アンナともよく似ておるな」
「母さんを知っているのですか?」
「もちろんじゃ。二度ほど、ユキネが連れてきたのじゃよ」
初めて聞く話だった。
俺の祖母と幼馴染とは聞いていたけれど、母さんとも顔見知りだったんだな。
「おばあ様とは仲が良かったんですか?」
聞くと、大御所様は笑った。
後ろからはオユキさんの大きなため息が聞こえる。
「わしはな、ユキネを娶りたかったのよ」
「つまり、結婚を?」
「そうじゃ」
「大御所様、そのお話は後にでも。みなさま、長旅で疲れております」
「なんじゃオユキ、よいではないか」
先代の王様が怒られている。
「長く喋るのもお体にさわります」
「たまにはよいじゃろう」
「これからミヨシ様がいらっしゃいますので」
「む……そうであった」
大事なお客らしい。
大御所様は残念そうだ。
「シントよ。ユキネの孫であれば我が孫も同じ。己の家と思い、くつろぐとよい」
「ありがとうございます。大御所様」
「では晩飯にな」
おじいちゃんが笑顔でそんなことを言う。
にらむオユキさん。
俺はぜんぜん構わないんだけど。
一礼して部屋を出る。
帰りはオユキさんに案内してもらった。
「シントさん、ありがとうございます」
「と言いますと?」
「久しぶりに大御所様の笑ったお顔を見ました」
「それはなによりです」
「ですが」
うん?
「ユキネさまのお話が出たらお逃げください。とてつもなく長いですから」
なるほど。それで話を切ったわけか。
いずれ時間がある時にでもおばあ様の話を聞こうと思う。
しかしながら、大御所様は俺がしていたイメージとはぜんぜん違う人だった。
今でこそ王の座を息子に譲っているが、十年前にホーライ島を統一したことで『天下人』と呼ばれている。
ガラルホルン家の男性みたいないかつい方をイメージしていたものの、むしろ真逆だ。
これから十日間の滞在でいろいろな話が聞けたらいいな。




