ガラルホルン家の娘たち・1 アイシアとデューテ
ぱちん、ぱちん、と駒を打つ音だけが響く。
「……」
ガラルホルン家第一公女アイシアは、無言のまま駒を動かす。
ここはガラル公国の北部に位置する、森林の中。
国境付近を荒らす反政府組織を討伐するためにアイシアが派遣されていたのだった。
すでに武装組織は壊滅。
あとは帰るだけという状態の中、戦に来ていた騎士や兵士たちの表情は明るい。
「姫さまの策謀……冴え渡るばかりだな」
「ああ、まったく苦戦しなかった」
ひときわ豪華な陣幕の前を通り過ぎた騎士たちが、開いたままの入り口から一瞬だけ見えたアイシアの姿に、うっとりとしている。
「あのご敗北はきっと、なにかの間違いであったのだ」
「そうそう、悪い夢でも見たにちがいない」
彼らは笑いながら、その場を離れた。
ダレンガルトで遭遇したシント・アーナズに『剣棋』でも戦闘でも敗れたアイシアは、一時の間、半ば廃人と化していたのだ。
見かねた父オフトフェウスは、気晴らしにでも、と不穏な動きをしていた武装組織の壊滅を命令し、今に至る。
策を弄し、追い詰め、一人の犠牲もなく完勝。
指揮は鋭く、時には前線に出て戦う。
兵士たちはみな、アイシアを戦の女神だと改めて思った。
しかし――
「シント……」
アイシアの心はわずかにも晴れない。
負けた時のことを思うと、胸が軋み、頭を締めつけられるようだった。
「なんで勝てないの~……何度やってもだめ~」
盤の上に突っ伏して、駒を弾き飛ばす。
仮想の対局相手としてシントをイメージし、駒を動かしていたが、彼女は一度も勝てていない。
(シント……シント……)
久しぶりに会った彼はだいぶ背が伸びていて、顔つきも少し大人びていた。
魔法が使えるようになっていて、恐ろしく強い。
そんな少年の顔がちらついて、頭から離れないのであった。
いつ間にか眠り込んでいたアイシアは、ハッとして起きた。
もう夜になっていて、暗い。
「なんで誰も声かけないのよ~」
誰も入るな、と自分で言っていたせいなのだが、彼女はそれを忘れている。
そろそろ食事や風呂にしたいアイシアは、公女お付きの護衛兼侍女を呼ぼうとする。
「そういえばいないんだったわ~」
戦場の近くに町村がない場合はいつも連れてきているのだが、今回に限っては本宅に置いてきた。
しかたがないので騎士たちに風呂の用意をさせようとしたその時――
ピカッ、と刹那の閃光が走る。
【神格】神剣『水姫』に手を伸ばしかけたところで、誰かがぶしつけにも陣幕に入って来た。
「邪魔するぜ」
「……誰?」
「誰、はねーだろ。イングヴァルだよ。ラグナ家の」
「はあ~?」
勝手に入って来たことや態度のデカさに殺意がわく。
たしかにラグナ家三男イングヴァル公子とは面識があるものの、アイシアの印象は薄かった。
「それって『剣棋』だろ? そういえば強いんだっけ、おまえ」
今度はおまえ呼ばわり。
公子だとしても斬る、と動いた。
「待てよ。シントの話だ」
「シントがどうしたっていうの~」
神剣『水姫』を手に取った瞬間、イングヴァルがニヤリとする。
「おまえ、あいつに負けたんだってな」
「……」
「復讐すんなら、手伝うぜ」
復讐、と聞いてもアイシアの心は動かなかった。
したいのは復讐ではない。
「クズと話すつもりはないわ~ 消えて~」
「おいおい、クズ呼ばわりかよ……≪縮雷≫!」
ごくごく小さな、それでいて極めて高い魔力を凝縮した雷の球が炸裂。
不意をつかれたアイシアは防御するも、焼かれ、痺れる。
「かっ……」
「声も出せねーか?」
「な、なにを……」
「おまえを連れて来いって言われてんだよ。≪縮雷≫」
さらに追撃がなされ、意識が飛びかける。
「さっすが【神格】の所有者だぜ。タフすぎんだろー。≪縮雷≫」
「ぐっ……!?」
「なあ、おまえら姉妹はさー……ウチに来るとおれら兄弟を下に見てよー、さんざん調子こいてたよなあああああ?」
イングヴァルが、アイシアの青い髪を掴んで持ち上げる。
「調子でも悪ぃのかあ? 【神格】をまともに使えねーじゃん」
口をふさいで声を出せないようにし、≪縮雷≫を連発。
およそ十五発放ったところで、アイシアは気絶してしまった。
「こんなもんか……【神格】持ってても使いこなせねーんじゃな」
敷いてある絨毯でアイシアを巻き、肩に担ぐ。
「おっと、こいつもだ」
神剣『水姫』を手に取った瞬間、柄から無数の水針が飛び出して、イングヴァルの手を貫いた。
「……っ!? ぐあ! な、なんだ!」
所有者以外の邪悪な者が触れた場合、【神格】はそれを拒絶する。
なにも知らないイングヴァルは手が血まみれになり、激痛で悶絶した。
「くっそが! 手に穴が空いたじゃねーかよ!」
直接触れないように魔力で抑えながら、布をかぶせてアイシアと絨毯の隙間に突っ込む。
「ちいっ! さっさと終わりにしねーと。もう一人いるんだからな」
彼は文句を言いながら、陣幕を突き破って空へと飛翔したのだった。
★★★★★★
ガラル公国の山中――
「仕留めたー!」
小柄な影が地面を走り、獣道を疾走する鹿に迫る。
だが、振るわれた大剣は盛大に空振りだ。
「うー……なんか調子悪い」
ガラルホルン家の第五公女デューテが、サイドに結った髪をほどく。
やってらんない、という様子だった。
彼女はフォールンでシントに敗れ去った後、生きる気力すら出なかった。
父に言われるがまま公国に戻ったのだが、なにもやる気がおきず別荘で休養をしている。
「なんで勝てなかったんだろ……」
【神格】を持たない者が、持つ者に勝利するなどありえない。
それが世界の常識であり、事実のはずだった。
神剣を手にした時から勝利が約束された人生。
逆に言えば、敗北すれば居場所などない人生。
「だめだ。頭の中ぐちゃぐちゃ……」
近くにあった大木に拳を叩きつける。
どこまでも肉体を硬くする【金剛変】の才能が発揮され、大木がへし折れる。
シントの顔が頭から離れない。
神土兵という切り札まで使ったのに、負けた。
惜しくも敗北、ではなく、完璧に負けたのだ。
彼女はそれが許せない。
(シント……なんだかすごく大人っぽかった。わたしのパンチも受け止めたし)
生まれつきの特異体質により、筋肉密度が常人の数倍もあるデューテの拳を受けて無傷の者など、この世には存在しないはずだ。
しかしシントはぴんぴんしていた。
アイシア、ウルスラ、フランヴェルジュといった姉たちとは違い、デューテは異常な腕力から、腫物扱いされてきた。
話を聞いてくれるのは、彼女が『おじいちゃんたち』と呼ぶ、公国の元将軍たちだけだ。
母である公妃はすでに亡く、世話係の侍女も恐れて近寄らない。
戦うための類まれな才を持ちながら、デューテは孤独そのものだった。
しかし、久しぶりに会ったシントは違った。
一緒に遊んだ時のような態度で普通に話せたのだ。
彼は差別をしない。
だから連れて帰ろうとしたのに、失敗した。負けたのだ。
「苦しい……また、胸がずきずきする……」
行き場のない怒りを大岩にぶつけようとしたその時だった。
雨雲もないのに稲妻が走り、人間が空から降りてくる。
割と大柄な、貴族の服を身に着けた男だ。
「よう、久しぶりだな」
「え、誰?」
「おまえもかよ……ラグナ家のイングヴァルだ。昔何度も会ったろ」
短めに切りそろえた赤髪と鍛え上げられた肉体。
シント以外に興味がないデューテは本気で知らなかった。
「なんの用? しにたいの?」
「うおっ!」
いきなりの突撃。
固く握りしめた拳でもって飛びかかる。
イングヴァルが瞬時に障壁を展開。
雷の障壁にひびが入った。
「……なにそれ? 【神格】?」
「ああ、そーだ。【神格】神雷ソー」
「ふーん。で? それがなーに?」
「話くらい聞けよ。シントのことだ」
ぴくり、とデューテの体が震える。
「おまえさ、シントに負けたんだって?」
「……」
「あいつは才能も持たねーただのゴミだ。けどよ、ほんとうはそうじゃねー。あの野郎はたぶんバケモンなんだ」
シントが化け物、と聞いて心が激しく揺れた。
自分と同じだと、彼女は思う。
「あいつに復讐するんだろ? 手伝うぜ」
「……」
「バケモン退治といこーじゃん」
「はあ? なに言ってんの? ばかなの?」
復讐ではなく、ただ会いたい。デューテはそう思う。
「話が通じねーな、クソガキ」
「さっきから目ざわり。殺す」
神剣シャルウルを構えた瞬間、雷撃が背後から襲う。
ただの雷ではない。【神格】の一撃だ。
「いっ……!?」
「話の途中でしかけておいた。それでも【神格】の所有者かよ。ぜんぜん気づかねーでやんの。≪招雷≫!」
「きゃっ!」
激しいまでに稲妻がイングヴァルの手から放たれ、デューテに直撃する。
内側から焼かれる感覚が、彼女の意識を一瞬飛ばした。
「う……」
神剣を杖代わりにして、耐える。
しかし、意識は朦朧とし、膝に力が入らない。
「さすがにタフだな。まーいいけど。≪招雷≫!」
「うう!」
「さっさと倒れろよ! ≪招雷≫! ≪招雷≫! ≪招雷≫ぃぃぃぃぃ!」
十発目の雷で、デューテは気絶した。しかし、立ったままだ。
「やっとかよ」
小柄なデューテを軽く担いで、神剣を手に取る。
「ぐわっ!」
神剣シャルウルは、イングヴァルに触れられた瞬間、地面から鋭くとがった杭を生み出し、彼の足裏から甲までを貫いた。
「ふ、ふざけんな! この……クソ神剣がっ!」
学習しないイングヴァルは、水姫に続いてシャルウルにも逆襲をくらう。
重く鈍い痛みにむかつき、彼は悪態をつきまくった。
「いてーんだよボゲ! ぶっ壊すぞ! はあ……はあ……どいつもこいつも」
上着を脱いで神剣にかぶせる。
直接触るのは危険だと、ようやく理解したのだった。
「まあいい、これでヤツの望みどうりだぜ」
任務を完了したイングヴァルは、気を失ったデューテを抱えたまま、飛翔するのであった。




