第五話 戯びびは最強ギャンブラーですか?
サークレの中でも一等きらびやかな区画。そこには魔石発掘が不発に終わったひとりの金欠冒険者──戯びびが狙いを定めたカジノがある。
「……あれ?」
カジノ入口に立つびびは辺りを見渡し、首を傾げた。普段ならば繁盛している時間帯にも関わらず、客の姿がほとんど見当たらなかったからだ。スロットにポーカー、それからルーレット。場内を一周してみても客よりもスタッフの数が目立っている。
「おっかしいな、こんなガラガラなんて……」
びびが腕組みで考え込んでいると、口ひげを蓄えた紳士風の出で立ちのオーナーがバックヤードから現れた。疲れた顔をしていたオーナーは、びびに気づいて表情を和らげる。
「ちょっとオーナー。どうしちゃったの、これ。お客さん全然いないんだけど」
「そうなんだ。実は困ったことになってね……」
「困ったこと?」
「……びびちゃん、ちょっと耳を貸してくれるかい」
オーナーはここだけの話にしてほしいと声量を落とし、カジノの現状をびびに打ち明けた。カジノの場内ではスリが相次いでいるせいで客足が遠のいている上、よそから流れ着いた盗賊団の影響もあり治安の悪化が深刻だという。
「もう商売あがったりだよ……近くの食堂も潰れたし、うちもいつまで営業できるか……」
馴染みのカジノに訪れた最大の危機を前に、びびが黙っていられるわけがなかった。
「じゃあさ、私がスリを捕まえるよ。そうすればお客さん戻ってきてくれるかもでしょ」
「気持ちはありがたいけど、びびちゃんに迷惑かけるわけには」
「気にしないでいいって。てか、ここがなくなったら困るのは私のほうだし」
最新の設備が揃っているわけではないものの、街の片隅にあるカジノをびびは気に入っていた。今までにも数えきれないほど稼がせてもらった──その分、大負けもしたが──恩義もある。まだ返答を迷っているオーナーに、びびは明るく笑いかけた。
「大丈夫、私こう見えても結構強いんだから」
目元を赤くしたオーナーが「よろしく頼むよ」と鼻をすすった。
オーナーの了承を得たびびは、スリが発生するまで場内に張り込むことになった。怪しまれないよう一般客を装ってルーレットやスロットに興じつつ、周辺の様子を伺う。夜が更け、酒場帰りと思しき赤ら顔の客がぽつぽつと増えてきた頃。目深にフードをかぶった細身の男が来店した。その瞬間、びびの第六感が囁いた。
「……あの客、なーんか怪しいな」
それはびびのシーフとしての勘に他ならない。
細身のフード男の行動をロックオンし、足音を立てないように背後につく。いくつも立ち並ぶスロット台から更に奥。場内の中央に位置するカードゲームのテーブルには、バニーガール衣装のディーラーを相手にひとりの客がポーカーをしている。テーブルに向かうポーカーの客は、細身のフード男には気づいていない。細身のフード男はびびが睨んだ通り、ポーカーの客に接近し──素早く財布を抜き取った。
「そこの人、今財布盗ったよね」
足早に立ち去ろうとする細身のフード男の行く手を塞ぐように立ちはだかるびび。あくまで無言を貫く細身のフード男に、びびは果敢に立ち向かう。
「ポケットの中、見せて」
無理やりに逃走を図ろうとする細身のフード男の手首を掴んだ。長い袖に隠された手首は細く、びびの握力でも捻り上げることは容易だった。細身のフード男が苦痛に呻く。その隙にびびはポケットに手を突っ込む。
「ほらやっぱり盗ってた。もう観念して──……って、えぇっ!?」
男からはらりとフードが脱げる。露わになったその姿は、まだ年端もいかない少年だった。
「うっそ、まだ子どもじゃん」
「ガキで悪いかよ!」
犯行が露呈したことで無言を貫くのは諦めたのか、少年は食い気味に反論してきた。
「別に悪くないよ。ただ、なんでこんなことしたのかなって」
「ほっとけよ! なんだっていいだろ!」
少年は口汚く吐き捨て、びびから顔を背ける。荒んだ目つきに痩せこけた頬。野良猫さながらの風貌だ。追い詰められている割に、その瞳の奥には縋るようなものが覗いている。
びびは財布を手にしたまま少年に目を合わせるように屈んだ。
「何かを盗むときってさ、理由があるものでしょ? 君は遊ぶ金ほしさ──って風には見えないんだけど」
長い沈黙が落ちる。少年はびびからそっぽを向いたまま顔を歪めた。
「やっぱ何か訳があるんだね」
「……」
まだ幼さを残した少年の目元からぼろぼろと涙があふれだした。異変に気付いた客の好奇と動揺が入り混じった視線が集中する。びびはまだ泣き止まない少年をバックヤードへと連れて行った。丸椅子に薄く積もった埃を払い、窓を開け換気をしてから少年を座らせる。
「母さんが……母さんが病気で、だからどうしても金が必要で……」
泣き腫らした真っ赤な目をした少年はぽつぽつと身の上を語り始めた。
少年は肺を病んだ母親の薬代を稼ぐために盗賊団に入った。下っ端として街に繰り出してはスリを繰り返す。儲けの三割は少年の懐に入るという取り決めだった。
「スリはうまくいってたよ。薬も食べ物にも困らなくなった。でも、母さんにバレてめちゃくちゃ叱られたんだ。で、ようやく気付いたんだよ。俺、とんでもねーことしちまった、って……」
「事情は大体わかった。だったら盗賊団を抜けちゃえばよかったんじゃない?」
少年は力なくうつむいたまま首を横に振る。
「足抜けしたら命はない、それが掟だってお頭に言われてんだ。俺、母さんひとり残して死ぬわけにはいかねーから……」
胸が圧し潰されそうなほどの罪悪感と後悔。それは少年がひとりで抱え込むにはあまりにも重く、だからこそ誰かに聞いてほしかったのだろう。しかし無事にスリを捕まえたとはいえ、根本的な解決には至っていない。このままでは今後も第二、第三のスリが出没するだけだ。
「ううぅ~~ん……盗賊団さえいなけりゃこんな悩むこと……ん?」
腕組み考えていたびびは、自らの発言でピンとひらめいた。すべての元凶を叩く。それがカジノを救う近道であることに。
「そうだよ、盗賊団をブッ潰しちゃえばいいんだ!」
「潰すったって、お姉さんひとりで? いくらなんでもそれは無謀ってもんじゃ……」
「あ、そっか。じゃあ他の手を考えないと」
今は少しでも情報がほしい。びびは心細い顔をした少年に目を合わせると、変に気取らず普段通りの調子で話しかけた。
「私はびび。戯びびって言うの。盗賊団のこと、お頭のこと……なんでもいいから教えてくれる?」
少し迷うように黙り込んでから、少年は小さく頷いた。
「……なるほど、お頭はギャンブル好きの女好きね」
少年から聞き出したお頭の個人的な趣味嗜好は、びびにとってプラスに働くものだった。ギャンブルと女。これだけわかっていればお頭と1対1の勝負に持ち込める可能性が高い。びびは脳内で組み立てたばかりの計画を少年に伝える。
「君には当日、お頭をカジノまで誘導してほしいんだ。できるだけ自然にね。誘導さえしてくれたら、あとはこっちで全部やるから」
「わかった。やってみるよ」
少年を裏口から帰してから、びびはオーナーに計画を打ち明けた。
二つ返事で了承したオーナーの元、びびは打倒盗賊団に向けた計画──その名も謎の天才美女ギャンブラー来店イベント企画──の準備に取り掛かった。一週間後の夜、謎の美女ギャンブラーが来店すると街に噂を流す。釣られて来店したお頭に、謎の美女ギャンブラー役のびびが勝負と挑むというものだ。
準備は滞りなく進み、遂にやってきた週末の夜。あとはお頭の来店を待つだけとなった。
「今まで準備はしてきたけど、ギャンブラーが来店するってだけで、あちらさん来てくれるかね」
緊張した面持ちのオーナーが落ち着かない様子で入口にちらちらと目をやっている。
「来るよ、絶対」
「すごい自信じゃないか。なんで言い切れるんだい?」
「ギャンブラーの勘ってやつかな」
会話が途切れたとき、入口のガラスに大柄な男の影が映った。深くかぶった中折れ帽と仕立てのいいグレーのオーバーコート。どこからどう見てもカタギではない。大柄の男の斜め後ろには付き従っているのは、先日びびが協力を仰いだ少年だった。
「来たみたいだね。オーナー、あとは手筈通りに」
案内はオーナーに任せ、びびはルーレットテーブルまで移動した。少し遅れてびびの前に大柄の男もとい盗賊団のお頭が現れる。ここまでは狙い通りだ。
「美女ギャンブラーってのは嘘じゃねえらしいな」
「それはどうも」
品定めするようなお頭の視線がびびの全身に注がれる。それならばとびびは色っぽい微笑を送り、テーブルについた両腕をわざと寄せて少しだけ身を乗り出した。すると黒の衣装に包まれたびびの下乳の谷間が普段よりも強調されるという寸法だ。
「ねえ、せっかく来てくれたんだから、今夜はとっておきの勝負をしようよ」
「とっておきねぇ。聞かせてもらおうじゃねえか」
「お互いの全部賭けるんだ。お金じゃなくたっていいよ。たとえば身体とか、ね」
だらしなく鼻の下を伸ばしたお頭の下心丸出しの眼差しを引きつけつつ、びびはテーブルの端に腰かけて軽く片足を上げてみせた。短いスカートに張り付いたむき出しの太ももから覗くガーターベルトをこれみよがしに指でなぞっていく。
「そっちが負けたらこの街から出ていくの。どう? 盛り上がりそうでしょ」
お頭の締まりのない笑顔がぴくっと引きつった。
「何言ってんだ、俺はただの客……」
「スリのちっぽけな儲けよりずぅ~っと割のいい稼ぎだと思うけどなぁ」
テーブルから降りたびびがルーレットに手をかける。返事を待つまでもなくお頭は頷いた。
ルーレット勝負でびびはことごとくお頭に勝った。圧勝と言っても差し支えない。負けがかさむにつれお頭からは余裕が失われていき、遂にはテーブルに身を乗り出した。
「っふざけんじゃねえ! こんなのイカサマだろ!」
怒りに顔を赤くしたお頭がびびに腕を伸ばす。びびは難なく避け、フードに忍ばせたコインを指で射出した。コインを用いた指弾は一度では終わらない。びびの手持ちのコイン10枚。立て続けに撃ち込み、最後にはお頭の足元の床を射抜いた。
「私、弱い男って興味ないんだよね。もっと強くなって出直してきて♡」
とどめとばかりに妖艶に微笑むびび。崩れ落ちたお頭はわなわなと唇を震わせる。その頬は赤いが、怒気は抜け落ちていた。
「……腕っぷしまで強いとはな。そういうの嫌いじゃねえぜ、お嬢ちゃん」
数日後、盗賊団は街から撤退した。ひとりのギャンブラーに圧倒されたからか、お頭がびびと交わした賭けに従ったかは定かではない。
平穏が戻った歓楽街の一角。昼下がりの開店にはまだ早い時間帯のカジノには、すっかり生気を取り戻した少年の姿があった。盗みを働いたことをオーナーに深く詫び、従業員として働くことになったらしい。
「本当にありがとう! びびさんは俺の恩人だよ」
「恩人なんて大げさすぎ。私は私の居場所を守りたかっただけだよ」
カッコよく答えたびびであったが、その夜にはスロットで有り金をきれいさっぱり溶かしてしまい、しばらく金欠に喘ぐ日々が続くのだった。