第二話 紅麗もあに注文は難しいですか?
数多の冒険者の活動拠点となる新大陸のギルド『サークレ支部』。
冒険者のみならず商人や市民が行き交う大通りに面したカフェの前を、一人の冒険者――紅麗もあが往復していた。何気ない素振り店の前を通り過ぎてはUターンし、再び入り口を目指すが入店はしない。
「うううぅ~、やっぱダメだぁ……なんかめっちゃキラキラしてるもん……」
活気にあふれた大通りを回遊魚さながらに周回していたもあはぐったりと肩を落とした。
次こそはと顔を上げた矢先、二人組の女性冒険者がカフェから出てきた。頭のてっぺんから爪先まで入念に磨き抜かれた宝石のようなまぶしさに反射的に目を奪われつつも、ささっと道を譲る。
「じゃっ、邪魔してごめんなさい! くれいはすみっこでおとなしくしてますんで……」
もあはカフェとは通りを挟んで反対に位置する開店前の酒場にまで素早く後退し、柱の陰に身を隠した。
「なに、今の?」
「知らなーい」
歩き出した女性冒険者たちの不審がるような目つきにもあの胸がズキッと痛んだ。しかし、かける言葉は見つからない。見ず知らずの他人と円滑なトークをするというのは、もあにとってはあまりにもハードルが高い行為だ。
「バカバカバカ! カス! このコミュ障ぼっち~!」
自らを責めるようにポカポカと頭を叩くもあ。
そんなもあが先ほどから繰り返し入店を試みては失敗していたカフェは、白を基調とした外観がいかにも大人っぽい雰囲気で女性客のハートをがっちりと掴んだ。酒場や食堂ではありつけないようなスイーツやドリンクを目当てにもあも店を訪れたのだが、全体に漂うおしゃれな雰囲気にすっかり気後れしてしまい、未だに店の敷居を跨ぐことすらできないという有様だった。
「うっ、やばぁ、マジでお腹減ってきちゃった……」
もあの空っぽの胃が食料を欲してくぅ……と鳴る。カフェ入店は諦めて出直そうとしたとき、頼りなげに辺りを見回す双子の少女が目についた。
「えっなにあの子たちめちゃかわじゃん!」
空腹も忘れて酒場の柱にかじりつき、少女たちを食い入るように見つめる。腰まで届く豊かな金髪に、お揃いの白いワンピース。バラ色の頬が可憐な少女たちは大通りを行く冒険者を選んで声をかけているが、喧騒に飲み込まれてその声は届いていないようだった。差し迫った事情があるのだろう。愛らしい少女たちの顔に不安そうな陰を落とす。
「どうしちゃったんだろ……パパとママとはぐれちゃったとかかな?」
眺めているだけのもあの胸の内にも心細さが広がっていく。
こんなとき、もあは決まって思い出す。緑豊かなヒューマン領に今も暮らす祖母から言い聞かせられた言葉。
『立派な冒険者になるためのクエストだと思うのよ。そうすればなんだってできるわ』
クエストとはいえ幼いもあに出来るのは簡単なお手伝いに過ぎなかったものの、もあを冒険者に駆り立てるには充分だった。
「あんなに困ってるのに黙って見てるなんてできないよ!」
酒場の柱から脱出し、途方に暮れる双子に真っ直ぐ向かっていく。その足取りは迷いなく力強い。
「ねぇっ、どうしたの? 困ってることあるならおねえちゃんが力になるよ」
「おねえちゃん、ぼうけんしゃさん?」
「ぼうけんしゃさん……なの?」
「そうだよ。まだまだ新人だけど……冒険者は冒険者だから!どーんとまかせろり!」
もあが胸当てを叩いてみせると、今にも泣きそうだった少女たちの表情が和らいだ。
「ポチがね、いなくなっちゃったの」
「ポチ?」
「あたしたちのペット!」
「おっきくて、ふかふかで、すごーくかわいいんだよ」
詳しく話を聞いてみたところ、少女たちは散歩中にいきなり駆け出してしまい、はぐれたペットを探して大通りにやって来たということだった。二人がかりでやっと散歩できるサイズの大型犬のため、力になってくれそうな冒険者に声をかけていたらしい。
「ぼうけんしゃさん、いっしょにさがしてくれる……?」
「もっちろん!あ、おねえちゃんの名前は紅麗もあ」
優しく笑いかけて差し出したもあの手を、少女たちがしっかりと握り締めた。
「よろしくね、もあおねーちゃん」
「はうっっ!」
無邪気な笑顔から繰り出される〝おねーちゃん〟呼びは、もあの心を見事に撃ち抜いた。
先ほどまでとは打って変わり、双子の美少女の微笑みの破壊力は凄まじく、行き交う人々の視線を引き寄せている。
「かっ、かっ、かわ……っ」
「かわ?」
こてんと揃って小首を傾げる双子。天然でなければありえない無垢な仕草に、もあはとうとう堪えきれなくなった。
「かわいすぎじゃんねぇ~!!」
天使もさながらのスマイルを至近距離で浴び、限界に達したもあは激しい動悸を覚えた。心拍が尋常じゃないほどに速い。あわや飛びかけた意識を手放しかけたもあを引き戻すように、少女たちが小さな手に力を込める。
「もあおねーちゃん、だいじょーぶ?」
「ぐあいわるい?」
「だっ、だいじょぶだいじょぶ、ぜーんぜん平気!」
「ほんと?」
クエスト開始前に少女たちの顔を曇らせてはならない。昇天寸前で復活を果たしたもあは、邪心を振り払い少女たちに尋ねる。
「あ、そうそう、ポチとはぐれたのはどの辺り? お散歩中だったんだよね?」
「うーんとね……」
少女たちの案内で通りを進んでいく。
ギルドを中心に、冒険者に向けた武器屋や酒場が軒を連ねる表通りではなく、少女たちの手を離れたポチは路地裏に駆けていったという。ポチを見失った裏通りを少女たちも懸命に捜索したものの、どうしても見つからなかったそうだ。
「そういうことかぁ~。裏道ってやたら狭い上に入り組んでるもんね。見つからないのもわかるかも」
「どこいっちゃったんだろ、ポチ……」
「あたしたちのこと、きらいになっちゃったのかな……」
「って、わー! 泣かないでぇ~!」
今にも泣き出しそうに大きな瞳を潤ませる少女たちを宥めるべく、もあはとびきり明るい笑顔を浮かべてみせた。
「お散歩が楽しすぎてさ、ついつい走り出しちゃったんだよ。それにほら、ここからはくれいも一緒だし、三人で探せば絶対見つかる……いやっ、見つけてみせる!」
「もあおねーちゃん……」
ぐっと涙を堪えた双子の頭を交互に撫で、三人で手分けして裏路地を手あたり次第捜索することになった。
「ポチー、ポチー、でーておーいでー。ここかな? てりゃっ」
酒の匂いが染みついた樽や、残飯がこびりついた木箱。犬の鋭い嗅覚が反応しそうな場所を徹底的に漁っていく。
しかしなかなかポチは見つからず、ただでさえ日当たりの悪い路地が段々と薄闇に染まりはじめていた。積み上げられた空き箱を片っ端からひっくり返していたもあの胸中に焦りが生まれる。
「あああ、どうしよこのままじゃ日が暮れちゃうじゃん! ポチー、頼むから出てきてー!」
クネクネと曲がりくねった細い路地を曲がった先の行き止まり。軒下の陰に入っているせいで光も届かないその場所で、生暖かく獣臭い風がもあの頬を撫でた。
「ポチ!? よかったぁ、こんなとこにい――」
呼び声に反応した獣が低く唸る。のっしのっしと巨体を揺らして迫るその姿は、犬というよりはダンジョンに潜む魔獣の類に近い。
「でっか! なっ、なにこれでかすぎない!?」
野性を感じさせる鋭い眼光に、鋭い牙を覗かせた大きな口からはだらだらとヨダレが滴っている。
想像を遥かに超えた出で立ちに、思わず尻込みしそうになったもあだったが、勇気を振り絞って前進した。
「お、おいでー……一緒にかえろ、ポチ」
敵意がないことを示すために姿勢を低くし、なるべく穏やかに語り掛ける。それが功を奏したのか獣は唸るのをやめ、もあの足元に巨体を投げ出した。警戒心が欠片も感じられないヘソ天に、緊張の糸がフッと解ける。
「なぁんだ、きみ、結構人懐っこいとこあるじゃんねぇ。撫でちゃお、うりうりうり~」
すっかり懐いたポチを連れ、待ち合わせ場所のカフェに向かう。もあの姿を見るなり少女たちは競い合うように駆け寄ってきた。
「ポチ! ポチだぁ! もあおねーちゃん、ありがとう!」
「ありがと、もあおねーちゃん!」
「えっへへへ、お役に立ててよかった! それにしてもポチってほんと大きいんだね。くれいビックリしちゃった」
「おっきいけど、すごーくこわがりなの」
「そっか、だからあんなとこに隠れて……」
クエストを無事に達成した開放感に浸る間もなく、くうぅ……ともあの腹が鳴った。腹の虫の音は少女たちの耳にもばっちり届いたようで、おかしそうに笑っている。
「もあおねーちゃん、うちでごはんたべてって」
「おかーさんのごはん、おいしいんだよ」
「ってことはきみたち、そこのカフェの……!」
こうしてもあは人助けの報酬として、カフェのディナーメニューをご馳走になり、心ゆくまで腹を満たすことができたのだった。デザートに五段重ねのパンケーキを頼んだことで、ウェストがサイズアップしてしまったのはまた別の話である。
執筆:七石いちか