第6話 漫画クラブだ エーイチ篇 秋
エーイチたち小学生四人の間には、気まずい空気が流れていた。
なぜかといえば、普段接点の少ない四人が、小学校のクラブ活動という形で集まっていたからだ。とても何かを話せる雰囲気ではない。
それでも、普段はクラスにおいてリーダーを気取っているエーイチだ。小学生ばなれした落ち着きを見せると評判であり、彼のことを二番目に好きな女の子は非常に多い。
彼はトレードマークのメガネを持ち上げながら、この場を仕切ることができるのは自分しかいないだろうと考え、歩み出る。
「みんな! 最高の作品を描くぞ!」
エーイチが三人に向かって、必要以上の大声を出して言ったのだが、しかし、最高の返事はなかった。それどころか、誰一人として乗ってこなかった。空回りというやつである。
「おい、仕切りメガネ」
「何だその呼び名は。オレにはしっかりエーイチって名があるんだぞ」
エーイチをメガネと呼んだ男。エーイチにとっては隣のクラスの男子で、レンジという名だ。女子に人気があることで有名な不良ぶってる男で、絶対にこいつとは気が合わないとエーイチは思っていた。
「ちょっとやめなよ……レンジくん……」
そう言ったのは、『泣き虫のあかり』という二つ名を持つ女子であった。その名の通り、泣いてばかりいるのだ。
あかりとレンジは幼馴染で同じクラスだった。
「ところで、これ何のクラブだっけ?」
とぼけた発言で場を凍らせたのが、エーイチと同じクラスの天然系女子、ケイコだ。
「漫画クラブだ!」
エーイチはメガネを光らせて、そう言った。
★
「やっぱり、夢のある話がいいよねっ。うん。そういうのが良い」
ケイコがそう言ったので、
「それはどういう種類の夢だ? 幻想的なやつか? それともドリームか?」
詳しく引き出そうとするエーイチであったが、
「んー……わかんない」
ケイコは天然ボケのきらいがあるようだ。
「しかしまあ、『夢』というのはテーマにしてもいいかもな。このクラブを担当する先生は、展覧会に出した漫画をタイムカプセルに入れて、桜並木の下に埋めさせるという企画を考えているらしい。
夢をテーマに名作を生み出し、未来の自分が見て恥ずかしくない漫画を作るのも意味があることだと思う。将来の夢が叶っているかどうかを未来に掘り起こすわけだろう。つまり、未来へのメッセージだ。そういうのも悪くない」
「私はそういうエーイチくんみたいにおカタいやつじゃなくて、やっぱり恋愛――」
と、あかりが言いかけたとき、レンジが、
「ダメだ。恋愛は描くもんじゃねえ。するもんだ」
あかりの提案を、言い切る前に捻り潰したレンジである。
「ひどい……ぅぅ……」
あかりは予想通り泣き出して、レンジはそれを「またかよ」といった目で見ていた。
これは、幼いころから、二人の間ではお約束の流れなのだった。
だが仕切り屋のエーイチとしてはたまったものではない。初めての活動だというのに、いきなり四人がギクシャクしているようにしか思えなかったからだ。
何としてもまとめなければとエーイチは椅子を膝裏で突き飛ばして立ち上がる。
「おい、この四人で、ひと月後の展覧会までに漫画を一つ完成させないといけないんだぞ! 特にレンジ! いきなり仲間を泣かすとは――」
「呼び捨てしてんじゃねえよ、メガネ」
「なっ……」
「だいたい、俺があかりを泣かしたんじゃなくて、あかりが勝手に泣いたんだ。俺にはどうしようもねえだろ」
「ひどいよレンジくん……う……」
また、泣いていた。
確かに、思い返してみると、レンジの言うとおり、あかりが何でもないようなことで泣いていたかもしれない。
「じゃあレンジ。お前はどんな漫画を描きたい?」
エーイチの問いに、レンジは自慢げに答える。
「そうだな。サッカーだな。主人公が栄光の10番を背負うんだ。詳しく言うとだなぁ――」
レンジは漫画の設定をすらすら語ったが、
「ちょっと待て」
「なんだよ」
「そういう漫画をな、オレは読んだことがあるぞ……」
「ああ、俺もあるぜ」
「じゃあ同じの描いちゃダメだろう。ぱくりっていうんだぞ、そういうの」
「たしかに」
「レンジ、お前バカなのか?」
「かもな」
馬鹿と言われるのは、なぜだか嬉しいようで、レンジはへらへら笑った。
「あ、じゃあこういうのはどう? とびっきりこわいやつ!」
そう言って割って入ってきたのはケイコ。
「こわいやつか。悪くねえな。あかりのアイデアよりずっといい」とレンジ。
「もー、そんなこと言わないの。あかりちゃん泣いちゃってるよ?」
「あと、ケイコって言ったか? そのマフラー、いい色だな。明るくって、なんかケイコらしいよ」
「あ、じゃあ外そうっと」
「なんでだよ。俺が褒めてやってんのに」
寒かったのか、よほど気に入っているのか、ケイコは一日中、黄色いマフラーをつけたまま過ごしていた。
レンジなりの不器用なやり方で場を和ませにかかったのか、とエーイチは感心しかけたが、レンジがケイコを見つめる姿を見て、すぐに考えをあらためた。
――こいつ、どうみても女好きだ。
このままでは、レンジに場を荒らされて、漫画クラブの活動が満足にできないのではないかと焦らざるを得ない。
なんとか軌道修正
「恐怖を感じさせる作品ということは、ホラーというジャンルを想像しているのか?」
「ん? 何の話?」
「ケイコさんが提案した漫画の話だ。こわいと言っても色々あるだろ? どういう風にこわいんだ? 何となく精神的にこわいのか、思いっきり視覚的にこわいのか」
「メガネくん、わかる言葉で喋ってよ」
エーイチはあからさまにイラついた顔をした。
そこで泣き止んだあかりが、
「あのねあのね、私はね、恋愛のなかでも――」
「それ描いてても絶対つまらんぞ」
またしてもレンジが阻む。
「ひどいよ……」
そしてまた泣いた。
エーイチは、心の中で嘆くしかない。
――不良に、泣き虫に、天然。こんな連中が、どうやってまとまるんだ……こんなんで一つの作品を創り上げる事ができるのか、果てしなく疑問だ。
★
数十分後。
まだどんなものを描くのか決まっていなかった。
決まっていないどころか、何一つ有力な案が出てこない。
しばらくするとレンジが手を叩いた。
「あ、そうだ、ちょうど四人だしさ、四コマ描こうぜ。四コマ」
意外とマトモであった。というか、それは良いアイデアだとエーイチは素直に思う。
四コマとは、四つのコマで全てを表現する高度な漫画である。しかし、描くのは四コマだけで良く、起承転結をシンプルに表すことができるから、トレーニングになるに違いない。それぞれの画力も判断せねばならないし、とりあえず描くという意味で、四コマはベストに近いチョイスと言えた。
「よし、とりあえずそれでやってみるか!」
エーイチは、定規を使って、ノートに四つの長方形を描いた。
「じゃあ」とレンジが仕切り出す。「俺が最初のコマ描くから、次がケイコ。その次あかりで、四コマ目がエーイチな」
エーイチとしては勝手に仕切られるのは気に入らないが、四コマを提案したのはレンジなので、ここはおとなしく従うことにする。
不良レンジは、エーイチの手からノートを奪い、すらすらと一コマ目を描き終えた。
「ほい、次ケイコ」
「うん」
天然ケイコは受け取り、描いた。
「はい、あかりちゃん」
「うん」
泣き虫あかりもスラスラと三コマ目に何かを描き、
「はい、メガネくん」
「エーイチだ」
「ご、ごめんなさい……うぅ……」
「あー大丈夫、泣かなくて良いからっ!」
エーイチは、三人の手を経由して戻ってきたノートを受け取り、目を落として唖然とした。
レンジの一コマ目は、サッカーボールを蹴っている人が描かれていた。とはいえ、ヘタクソすぎてそれが人なのかどうかもわからない。そして、口に何か花らしきものをくわえている。
ケイコの二コマ目は、ピースだかチョキだかの形の手がコマ全体を使って描かれている。
あかりの三コマ目に至っては、男女が口づけをしていた。
あまりにも一貫性がなさすぎる。起承転結を完全無視している。
どうにもならないので、レンジの描いた人間みたいなものの放ったシュートがゴールに入ったということにして、ゴールネットにボールが突き刺さるシーンを描いた。
無理矢理な完結。
「何だ……これ」レンジ。
「ひどいね……」あかり。
「意味わからん」エーイチ。
「深いわ……」ケイコ。
深いとは、エーイチにとっては意外な言葉だった。赤い花を口にくわえた男がサッカーをして、いきなり全画面にピースサインが出て、突然現れた男女がキスして、ボールがゴールネットにドシュウと突き刺さる。意味がわからない。それを深いとは何を言っているのか。一体何の電波を受信したというのか。
「まぁ、四コマはムリだということがわかった……というか、全員絵が下手ってどういうことだ、これ……」
エーイチが呆れを混ぜながら言うと、ケイコは不快そうに反発した。
「大事なのは技術じゃないよ、メガネくん。ハートが重要なんだよ」
「レンジには、そのハートすら無いんじゃないかと思うんだがどうだろう」
「おい、ゴアイサツだなあ。俺ほどのアツい男に向かって」
「うん、そうだよね。レンジはすぐアツくなっちゃうもんね」
「なんだと、あかり。ばかにしてんのか?」
「うぅ……」泣いた。
「ったく」レンジはまた呆れていた。
エーイチにとっては、これまで経験したことのないような、一筋縄ではいかない連中との絡みである。それでも、エーイチは何とかまとめようと仕切ってみる。
「おい、三人とも。とりあえず、四コマを描いてみて、今、必要なものがわかったぞ。やっぱり絵の上手い人間が必要だ。ちゃんとした絵がないとイメージも固められないってことだ。オレたちの幻想を紙の上に表現できる人間がいないと発想もその翼を広げられず、ゆえに空に羽ばたいていけないというわけだ!」
「メガネくん。わかる言葉で喋って」とケイコ。
「よく意味がわかんなかったぞ」とレンジ。
「私の絵……そんなに下手かな……」とあかり。
手ごたえがない。とことんエーイチに付いて行く気はないらしい。
「つまり、絵を描ける人間が必要だということだよ」
エーイチが言うと、
「なんだ、それを早く言えよ。心当たりがある」
レンジがそう言って、自信ありげな表情をした。
★
次のクラブ活動の日、レンジが一人の女の子を連れてきた。
「えーと……名前は?」
「エリカ」
突き放すような口調で名乗った。
「っていうか、レンジくん……エリカちゃん、別のクラブだったんじゃ……」とあかり。
「茶道クラブだったけど、やめさせてきた」
「おいおい、そりゃ、いくらなんでも強引すぎないか?」
「何言ってんだ。エーイチが言ったんだろ。絵の描ける人間を連れてこいって。まして、そこで完成した漫画をタイムカプセルに入れて未来に託すとしたら尚更だ」
「あの……あたし、どうすれば」
不安そうなエリカに向かって、レンジは言う。
「もう俺たちの仲間だ!」
「仲間……」
エリカは小さく呟いた。
「ねえねえエリカ。絵見せて、絵」
はしゃぐケイコ。
「絵? こういうの……かな」
エリカはスラスラと上手に、ケイコの似顔絵を書いて見せた。
「おー。すげー」とレンジ。
「上手~」とあかり。
「これ私? すごい、きれい! まるで私そのもの!」とケイコ。
「エリカ、バラとか描けるか? バラ」レンジ。
「え、バラ? こう、かな」
エリカはすらすらとバラの絵をいくつも描いた。ケイコの似顔絵の背後に散りばめられ、ケイコがバラ背負っているみたいになった。
「おぉ、うめー。いいバラだな」
「でも、なんでバラなのよ」
「ケイコはなんか黄色い花が似合うけど、エリカはなんか赤いバラが似合う女だよな」
「レンジくん、だっけ? 質問に答えてよ。っていうか、結局ここは、何をするクラブなのよ?」
エリカが助けを求めるような視線と共に、エーイチに向かって言った。
エーイチは、メガネを光らせて言う。
「漫画クラブだ!」
エリカが仲間になった。