第48話 番外編 村が街に成ること 薔薇の少女篇
「その奇怪な機械は何?」
ある春の日。私は父に訊いた。
「これはカメラというものだそうだよ、ほら、そこに立ってごらん」
その機械はパシャリと鳴いた。
「お父様、何が起きたのですか?」
「写真を撮ったのさ」
「しゃしん?」
「そう。海外製の最新のものを取り寄せたのだよ」
「ふぅん」
機械のことは、よくわからない。「写真」と当り前のように言われてもさっぱりだ。
最近のお父様は、機械を集めるためにお金を使っているみたいだけど、私にとっての珍しい機械の数々は全く価値の無いものだった。カメラとかいう機械はただの四角い箱だったし、車とかいうものも、何だか恐ろしくて、乗る気になれない。
以前は、キレイな絵とか、キレイな箱とか、キレイな服とか、キレイな宝石とか、キレイな彫刻とかを集めていて、私にはそっちの方が素敵に思えるのにな。
私の家はお金持ちだ。
だから、広大な敷地を持っていて、たくさんの花が咲き乱れている。特に、お母様の好きだった真っ赤な薔薇の花は家の一番近くに一番多く咲いていた。赤い薔薇は、私も好きだ。とても鮮やかで、良い香りがする。
私も薔薇たちの真似をするように今日は赤いスカートを着用していた。
薔薇たちは一年中、休む事なく元気に咲き続けている。
大雨にも負けないし、嵐が吹いても大丈夫。
多くの他の植物が枯れていく中、ずっと変わらない姿で、一年中そこにある。
疲れて枯れてしまわない素敵な花たち。
お父様が言うには、これは贅沢なことなのだという。
あまり実感が湧かないけれど。
私の家の食べ物なども他の人に比べると贅沢らしくて、色んな人に羨ましがられる。だけど、私にとっては食べ物が美味しいのなんて普通のことだ。羨ましがる感覚が、よくわからない。
家の形も、他の家とは違って豪華らしい。私もこの白い家は大好きだけど、ここにこれがあって、私が住んでいるのは当然のことなんだ。きっと、これから先も、ずっとそうなんだろう。
この美しい家は、ずっとここにあって、お父様と私の日々が、ずっと変わらず続いていくのだろう。
「お父様、ちょっと私は出掛けてきます」
私はカメラという四角い機械をいじる父に言った。
「おや、どこへ行くのかね」
「ちょっと散歩にです」
「そうかい。でも塀の向こうには行ってはいけないよ」
「もちろん、わかっていますわ」
私は、時々屋敷を抜け出すことがある。
キレイな庭だけど、毎日見ていたら飽きてしまうのは当然だ。
門から出ようとすると見つかってしまうから、こっそり掘ってある抜け穴から出る。
塀の下を何日もかけて掘って作った穴だ。お父様も、使用人たちも、私がここまでして外に出たがるとは思っていないだろう。
短いトンネルを抜けると、別の世界が広がっていた。
――相変わらず美しいな。
一面に広がる田んぼ。
緑色の絨毯。風が吹くたびに、緑が揺れ踊っていて、私のためにこの光景が用意されているみたいだった。
あるいは、私がこの光景を見ないように閉じ込められているんじゃないかという疑惑さえ抱きそうになるくらいだった。
「あ、行かなくちゃ」
もっと見ていたかったけど、ずっとボーっとしていると、抜け出していることをお父様に気付かれて、せっかく掘った抜け道を埋められてしまう。そうなってしまうのは嫌だった。
白いブラウスの胸ポケットから、金色の時計を取り出す。
カチコチと、手の中で時計の音が鳴っている。
時刻は午後二時。一時間で戻って来よう。
私は胸ポケットに時計をしまって、緑の絨毯の真ん中を走る畦道を歩き出した。
私は、この道が好きだ。
緑の中を歩いていく。草のにおいがする。
しばらく進むと、上り坂になった。
外に出たときは、いつもこの丘の頂上まで登ることにしている。
何もない緑の丘。
頂上には小さな神社があって、ずっと昔からの森が広がっていて、私はその場所が好きだった。
そこに祀ってある神様がどんな存在かなんて、よくわからないけど、私が好きなこの場所に居る神様なんだから、私が気に入る神様に違いない。
坂の途中で時計を見る。いつもより、早く着くことができた。
頂上に着くと、鳥居があって、参道があって、厳かな雰囲気の建物がある。
静かな森。この重たい空気が、私は好きだ。
しばらく、神社の建物の階段みたいになっているところに座っていると、一匹の猫がやって来た。
これもいつもの光景だ。
「やぁ、また来たのね、白い猫さん」
「それはこちらの台詞だよ」
その猫は言った。
猫は喋ることができる珍しい種類の生き物だ。
私はこの猫が好きだ。私を甘やかしたり、特別扱いしないから。
猫は毛が真っ白で、不思議なことに左右で目の色が違っていた。
「君は、よほどこの場所が好きなんだね」と猫。
「うん。だって、一番高いから」私は頷いた。
「そうだね。この村を見渡すことができる」
「うん」
私の家も高台にあるけど、こちらの方が高い。
「――今、この村は、変わろうとしている」
猫は、急にそんなことを言った。
「え?」
私はわけがわからず裏返った声を出す。
「いずれ、多くの機械が道を走り、土の地面は黒いもので塗り固められる。空を黒い線が覆い、全ての家に灯りが灯る。僕にはそれを否定することも肯定することもできないし、する気もない。それが村が街に成るということだからね」
「…………」
意味がわからなかった。だから私は猫に、「大丈夫?」と言った。首をかしげながら。
「ああ、平気さ。ただ、僕らは変わらず、今のまま、戦うだけだから」
「戦う? そんな。暴力はいけないわ」
「僕らだって、本当は戦いたくない。もう取り返しがつかないほどに、他のモノに迷惑をかけてしまうものに成り下がったとしても、魂だけの存在になっていたとしても、意志をもった存在であることに変わりはないんだ」
「ちゃんと話し合えばいいのに」
私はそう言ったけど、猫は何も言わなかった。
静かな時間が少し続いた。
私はふと時間が気になって、懐から時計を取り出す。
「…………」
無音。時計は何も言っていなかった。
「あら、また止まってる……」
私は、
キリキリ、キリキリと時計のネジを巻く。こうしなければ動いてくれないなんて、不便な時計だと思うけど、お母様がくれたものだったから、大事にしなきゃいけない。
「レイ、時間は大丈夫かい?」
時計は二時半を指していた。でも、止まっていたということは――。
「わからないわ。でも、もう帰らなくちゃいけないかも」
「そうか。寂しくなるね」
「何言ってるの? 大丈夫よ。また会いに来るわ。それじゃあ、またね」
私は立ち上がり、参道を走って家へと向かう。
下りの坂道を走る。誰もいない坂を、風のように、転がるようなスピードで。
短いトンネルを再びくぐって、家の敷地内に戻った。
今日も誰にも会わずに家の中まで戻り、多くのキレイなものが置いてある倉庫に入った。するとそこには、お父様がいた。
「ああ、おかえり、レイ。散歩は楽しかったかい?」
「あ、ええ。楽しかったです」
私が抜け出していたことは、どうやら知られていたようだった。でも、約束を破られても怒られることはないだろうと私は思っていた。
そういう、どんな時でも穏やかで寛大なお父様が大好きで、私も、そんな底抜けに優しい人であり続けたいと思っている。
「お父様は、何をしてたの?」
「ん? うん。さっきまで現像をしていたんだよ」
「現像?」
「そう。今、できたところだ」
お父様はそう言って、一枚の紙を私に見せてくれた。
「これ……」
私が居た。
永遠に枯れる事のない薔薇の園の前に立って、空を見ている私だ。
私が紙の中にとらわれていた。
色は白黒だったけど、そこには、鏡で見るのと同じ姿があった。
お父様のそばに置かれたカメラの、おおきなレンズがきらりと光る。
「あなたが産んだのですか?」
私は興奮して、上ずった声でカメラさんに話しかけた。でもカメラさんは答えなかった。
「ははは、そんなわけがないじゃないか。機械が生きているわけがないだろう」
お父様はそう言って、私の頭を撫でた。
でも、やっぱり機械も生きているんじゃないかという考えが生まれて、私は少し、機械のことが好きになれた。
カチコチと、胸の時計さんの音が響く。
【カノンソング番外編・終】
ありがとうございました。




