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カノンソング  作者: 黒十二色
終わりなき歌
38/48

第38話 レンジの夢

 それは幼い日の、夏休みのある日のことだった。


 俺、レンジは、あの日、頭の中に響き続ける嫌な音楽がうるさくて、それを止めようと外に出たんだ。


 どこからどんな風に音が鳴っているのか解らなかったけれど、とにかく音の鳴る方へ、灼熱の世界を歩いた。


 すると、中学校に行き着いた。


 当時俺はまだ小学生で、中学というのが妙に大人の世界のように感じていて、足を踏み入れようかどうしようか大変悩んだんだが、どうしても頭の中のおかしな音に耐えられず、勇気の一歩を踏み出した。


 校舎内に続く昇降口の扉は、何故か開いていた。


 真っ直ぐ音の鳴る方へ、導かれるようにして進むと、美術準備室があった。のぞいてみると、美術室よりも、多くの不気味なものが置かれているところだった。


 当然のように鍵が閉まっていたんだが、なんとか冷静になって職員室に行って鍵を取ってくることにした。


 ところが職員室の鍵も閉まっていた。これも当然のこと。冷静になっても、頭の悪さはカバーできなかった。こんなとき、頭のいいエーイチがいればいいのに、なんて思った。


 相変わらず、頭の中の歪んだ鐘の音のような嫌な音楽がうるさくて、頭が痛くなった。吐き気もした。本当に嫌だった。


 どんな方法を使ってでも、校舎の窓ガラスを叩き割ってでも美術準備室の中へ入らなければならないと思った。


 まず、準備室の鍵が本当に閉まっているかどうか、もう一度確かめる。閉まっていた。教室の位置関係から考えて、美術室と繋がっているはずだと思い、美術室の引き戸を開けてみる。


 開いた。


 ちょっとした奇跡のようなものを感じつつ、蒸し暑い廊下から、同じく蒸し暑い美術室へと入った。薄暗い。粘土と絵の具のにおいが混ざったような、変なにおいがした。


 予想通り、美術室と準備室は中で繋がっていて、二つの部屋を仕切る扉は俺を迎え入れるかのように開いていた。


 薄暗い美術室から、カーテンが閉まっていて更に暗い準備室へと進む。


 石膏像が並べられている。


 巨大な定規がある。


 モナリザのレプリカも、いやにおそろしい感じがした。


 だけど、それとは比較にならないくらいおそろしいのは、箱から流れる頭に突き刺さる音色。近くまで寄ったからだろうか、それはもはや音楽と呼べるものなどではなく、叫びにも似た暗く激しい音。テレビの砂嵐ノイズを大音量で聴いているような感覚だった。


 全身によくわからない汗をかく。暑いからだろうか。恐怖からだろうか。両方だろうか。


 俺は赤い箱に手を伸ばす。箱に触れた。氷のように冷たかった。


 真紅の箱には、よく見ると薔薇の紋様が浮かび上がっていて、とても美しいと思った。


 俺は少し躊躇いながら、箱を閉じようとした。


「その箱を閉じてはダメ」


 ――女の子の声がした。


 手が止まる。振り返る。


 白い服を着た少女が立っていた。おそろしさは全く感じなかった。それどころか、実に可憐だった。


「あの、名前は……?」


 俺はそう訊いたらしい。


 この時の、少女に会った記憶が、今の今まですっぽり抜け落ちていた。


 だから……この時に交わした約束も、キレイさっぱり忘れてしまっていたんだ。


「私の名前? そんなもの、忘れてしまったわ」


 とても可愛かった彼女に、俺は恋をしたんだ。


 思い出してみれば、そう、これが、俺の初恋だった。


「……この箱、どうしても閉じちゃダメなのか?」


「そうよ。とは言っても、その箱を閉じることができた人なんて、今の今まで一人も――」


 俺の手が、箱を閉じた。


「うそ」


 少女は呟く。


 俺は、してやったり、という顔でいたのだが、少女の様子が少しおかしい。


 オロオロしている。


 罪悪感に駆られた俺は、慌てて、


「ど、どうしても、ここからの音がうるさくて、本当に気持ち悪くて、だから閉じたんだ!」


「そんなにうるさい音だった?」


 俺は大きく頷く。


 事実、箱を閉じた時から、変な音はすっきり消えていた。


「じゃあ仕方ないわね。でも」


「でも?」


「約束してほしい」


「約束?」


「そう。明日にでも、明後日にでも、とにかくできるだけ早く、もう一度この場所に来て、この箱を開けることを」


「箱を開ける……」


「普通の人には、この箱は開けられないから」


「俺は、普通じゃないのか?」


「あの音色がきこえたのなら、普通とは言えないわね」


「そうなのか」


 普通じゃないと聞いて、幼いころの俺は嬉しそうだった。


「きっと、今日は月が太陽を全部食べちゃう特別な日だったから、音が聴こえ過ぎちゃったのかも」


 その時は、意味が解らず首を傾げるばかりだったが、今なら彼女の言いたかったことがわかる。


 月が太陽を全部食べる日、というのは、皆既日食のことだろう。


 エーイチが話題にも出さなかったことから、その頃のこの街では観測されなかったようだが、世界のどこかで、真昼の夜という現象が起きていたはずだ。どういう仕組みか不明だが、それによって、俺の中に眠っていた不思議な力が強まったということらしい。


「どう? 約束……できる?」


 少女は上目遣い。


「嫌な音が、もう鳴らないなら」


 俺は頷いた。


「大丈夫よ。明日になれば、箱が開いても鳴らなくなるよ」


「じゃあ、明日、また来るよ。必ず」


 清楚な空気を纏った少女をみると胸が高鳴って、毎日でも会いたいと思った。


「そう……じゃあ、約束ね。待ってるから」


「ああ約束だ。また明日」


 校舎を出る。学校の外に出る。


 とても暑かった。


 アスファルトをゆらゆら歩く。


 視界には陽炎。何の音もきこえない。


 その後の記憶は、無い。


 後になって聞いた話だと、熱射病だか日射病かどちらかで倒れ、二日くらい寝込んでいたらしい。次に起きた時に、この日の出来事は忘れていた。


 必ず行くと約束をしたのに、行けなかったのだ。


 中学生になった頃には、美術準備室は開かずの間と言われ、心霊恐怖スポットと化していたし、そもそも美術の授業なんて居眠りしたり遅刻したりして、ひどい時にはサボったりしていたので、卒業するまでの三年間、赤い箱を視界に入れる機会もなかった。


 こんな時になって、ようやく思い出した。


 でも、もう、遅いのかな……。


「遅いわね」


 少女の声と、クスクスと笑い声がした。


 声のした方に振り返ってみる。首を捻って背後を見る。


 あの時のまま、可愛らしい少女がそこにいた。


 背景が……変化した。




「クスクス、クスクス」


 少女の小さな笑い声。


 チカチカと色を変える一面の薔薇畑。


 →→→


 早送りされた古いビデオテープのように視界に横線が入り、目まぐるしく場面が変わる。


 瞬間的な砂嵐ノイズ。


 アロエの森を進むと、トゲだらけの薔薇のトンネル。


「その先に進んじゃダメだ。危ない」


 俺が俺に呼びかける。


 聴こえている。抵抗しようとする。だけど前に進む力が強い。強風に背中を押されながら、身体全体を前に引っ張られるようで、全く(あらが)えない。


 楽しげな歌が聴こえる。


 導かれるように近付いていくと、少女の後姿。


「アハハハハハハハ」


 狂ったような笑い声。少女が振り返る。顔が無かった。焼けて(ただ)れて潰れていた。


 その顔が、近付いてくる。


 楽しげだった歌が、スロー再生されたような、くぐもったおそろしい歌になった。


 ←←←


 巻き戻しビデオテープのように視界に横線。場面の変化に知覚が追いつけないスピードで変わる。


「おそいから、迎えに来ちゃった。アハハハハ! アハハハハ!」


 少女の声。寒気がするような笑い声。


 トゲだらけのトンネルの中に俺は居た。


 痛い。動けない。痛い。


 トゲだらけの薔薇のロープに縛られた。


 首から上のない少女が近付いてくる。


「アハハハハ! アハハハ!」


 声が聴こえる。顔もないはずなのに、どうやって笑い声が出せるのか。


 少女の白い手が、俺の頬に触れる。


 こわい。こわい。何をされる。こわい。


「クスクス」


 少女は俺の体の中に手を突っ込む。


 ずぶずぶと入ってくる。


「うぁああああ! あっ!」


 恐怖で悲鳴を上げる。


 その様子を笑って見ている少女。


 キリキリ←。キリキリ←。


 少女は俺の体内から懐中時計を取り出し、それを巻き戻した。


「クスクス」


 少女の小さな笑い声。


 チカチカと色を変える一面の薔薇畑。


 →→→


 早送りされた古いビデオテープのように視界に線が入り、目まぐるしく場面が変わる。


 一瞬の砂嵐ノイズ。


 アロエの森を進むと、トゲだらけの薔薇のトンネル。


「その先に進んじゃダメだ。危ない」


 俺が俺に呼びかける。


 抜け出せない夢の中。


 動けない。とらわれている。


 どうやって抜け出せば良い?


 誰か、誰か、助けてくれ。


「ねぇ、どうして来てくれなかったの」


「…………」


 声が出ない。


 説明しようにも、もう遅いのだ。


「アハハハハハ! アハハ!」


 何度も何度も、俺を恐怖で満たす笑い声が響く。





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