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カノンソング  作者: 黒十二色
終わりなき歌
37/48

第37話 死んだ街 初美・ユウ篇

 おれは久しぶりに、里帰りした。


 昔住んでいた街は、あまり以前と変わらないと思った。


 それで、実家に帰る前に、ちょっと思い出深い「あの場所」に行ってみようと思いつき、進むはずだった道をそれた。


 あの場所も、変わっていなかったらいいな。


 ありえないことだとは思いながらも、どこか変わらないものをさがしてしまう。


 先に進めない子供っぽい自分を軽く蔑みながら、あの場所の前に立った。


「え……嘘。本当に変わってない?」


 タイムスリップしたような気分になった。


 工事現場にある黄色と黒のフェンスも、ピアノから逃げた日の、あの時のまま。


 今は二月の半ば、草木はほとんど枯れていて、そういう変化は少しだけあるけれど、風景としてはほとんど変わっていなかった。


 いつも座っていた切り株も、そのままあった。


「うそだろ……十年以上も昔なのに……」


 まさか変わらない姿で残っているとは思わなかった。


 引っ越す前に、ユウくんとよく話した空き地。


 隣にある建設途中のマンションまで、そのまま廃墟になって残っている。


 違う世界に迷い込んだような感覚を抱きながら、フェンスの隙間を通り抜け、切り株の前に立った。あの夏の日と違うのは、気温と、飛行機雲がないことと、おれの体の大きさくらいだ。


 おれは、昔と同じように切り株に座ると、雲一つない青空を見上げた。


 人は変わっていく。街も変わっていくはずだ。


 だけど、この街の青空は、まるで時間が止まってしまっているようだ。


 晴れの日の空にだって、ほんの少しの雲があれば何かが変わっていくのに、この街は変わらない。雲ひとつない晴天ばかりが続いているのだろうか。


 だとしたら、それは、いいことなのか……悪いことなのか……。


 おれが考えても、しょうがないことだとは思うけど……。


 切り株に座りながら、しばらく空を眺めていると、雲を欲したおれの心に応えるかのように、「人」という字のような雲が現れた。少しずつ右から左に流れていく中で、「J」の字に変化した。バナナみたいな形。ゆっくりとした動きだけど、その事実になんだか忙しさを感じた。


「おれに見られてることに気付いて、慌てて人であることを隠そうとしたわけか」


 誰も何も言わなかった。周囲に人の気配はないのだから、当たり前だ。


「なに言ってんの、おれ」


 自分でツッコミを入れてみる。


 最近、小難しいことばかり言う友人や、文学に取り組む友人の影響で、変な事を言うようになってしまった。


 一度前を向いた。誰も居なかった。


 再び空を見る。


「J」の字は、また「人」に戻っていた。かと思ったら、また崩れて「J」になった。


 まるで同じ時をループしているみたいだ。


 さて、そろそろ行こうかな。このままじゃいつまで経っても家に帰ることができない。


 立ち上がろうとした時、


「初美くん」


 おれを呼ぶ声が、きこえた。


 振り返るとそこには、


「やっぱり、初美くんだね」


 別れたあの日と変わらない少年の姿で、ユウくんが立っていた。


  ★


 あまり記憶力のよくないおれだけど、ユウくんのことは、よく憶えていた、おれのこれまでの人生の中でほんの数回しか会っていない存在。だけど、仲の良かったヒロが引っ越した時と同じくらいの時にいなくなったから、よく憶えているんだ。


 ユウくんがこの姿でいたのは、十年以上も前のことだ。


 なのに、その時と同じ少年の姿でここにいる……ということは……。


「ユウくんはやっぱり、そういう存在なんだね……」


 彼は頷いた。


「初美くんは、ずいぶん変わったね」


「そうだな。背は伸びた」


「僕たちも、本当は変わってゆくはずだった。でも、それができなくなった」


「どういうこと? 何を言ってるの?」


「この街の時間は、止まってしまったんだよ。僕と君が別れたあの夏の日、誰かがフタを閉めたんだ」


「フタ? 何を言ってるんだか、わからない……」


「フタを閉めたのは……レンジ」


「え?」


「そう。初美くんもよく知っているあのレンジ、だよ」


「レンジって。どうして、そんなこと……」


「さあね……」


「え、わかんない。本当にわかんない。全然意味わかんない。どういうことなの?」


「ここはね、忘れ去られてしまった街なんだ。変わるのは季節だけ。人やモノは何一つ動くことができない。衰退もしないけれど、固定された変化を繰り返すだけ。何一つ、発展も変容もしない……。そういう、とても悲しい街」


「え? でも、だって、ずっとおれ……あの後も、この街で暮らして……」


「あのとき初美くんが暮らしていたのは、ここじゃない。隣の街だ。だから何の問題も起きなかった。初美くんが『最初から居なかったこと』にも、ならなかった」


 わけが、わからなかった。


「大丈夫。初美くんなら、すぐにわかるよ。つまりね、初美くん。この街の存在を記憶しているのが、今、世界でたった一人、君だけだということなんだ」


「おれ……だけ……?」


「そう、この街が死んでも、君はこの場所を忘れなかったから」


「何を、言っている?」


「ここは本来、人には見えない世界。それぞれの街に、時間を動かしたり止めたりするカギがあるんだ。たとえば、人のカラダの時間を握るカギが心臓であるようにね。条件が満たされなくなれば、街は死んだも同じ。人に見えない世界へとスライドさせられる。街そのものが認識されないんだ。


知らない間に街そのものが死んだ状態になってしまっていることなんてよくあることで、だけど、できるなら、誰かに気付いてほしい。生き返らせてほしい。皆、そう思っている」


「皆……?」


「たとえば、この街に取り残されたまま動けないでいる人とか」


「てことは、街ごと、人も……?」


「そうだよ。街が動かなければ、そこにいた彼らも死んだままだ。人だけではなく、あらゆる動物、植物が身動き一つできないままだ。人のカラダと違って、街のような大きなものが朽ち果てるまでには、それなりに時間がかかる。でも、そろそろ、その限界がやってくる」


「限界を迎えてしまったら?」


「崩壊する。そこに街など最初から無かったことになるし、そこで生きていた人々も、最初からいなかったことになる」


「そんな。どうにかしないと」


「カギを探すんだ」


「カギって何なの?」


「この街を動かす心臓……カギ……それは……音楽」


「音楽……?」


 その時、もしかしたら、幼いころにピアノをやめたおれのせいでこの街が停滞しているんじゃないかという考えが浮上した。あの夏の日以来、おれはピアノを弾かなくなったから、それでこの街が停滞したんじゃないかという疑惑だ。


 でも、ユウくんが言ったのは、


「ここではない、どこか遠くの街に箱がある。それを開けるんだ。この街のみんなで作った鍵をわたしておく。箱が開いている限り、人にはきこえないメロディが流れ出すんだ、その音色で、この街は生き続ける」


「どこにあるんだよ、それ!」


 その時、不意に、地震のような、ひどく激しい揺れが襲った。


 おれは、悲鳴を上げて、座っていた切り株から落っこち、枯れ草の上に倒れた。


「…………」


 揺れがおさまる。


「ああ、崩壊が近いね。もう時間が無いんだ、はやく、箱を! さがし出して!」


「ユ――」


 風船が弾けたような音が、耳の奥で鳴った。


「っ!」


 思わず目を閉じ、次に目を開いた時には、おれは、いつの間にか見覚えのある家の前にいた。


 実家だった。


 白昼夢だろうか?


 いや、そんなわけない。現実だった。


 でも……『開かない箱』なんて、どこにあるのか。


 家の扉が開いて、


「初美! おかえり。久しぶりね!」


 母親だった。また少し年をとった。しばらく会わないうちに、シワと白髪が増えたようだ。玄関の前に立ち尽くしていたおれを見つけて、外に出てきたらしい。


 おれは、挨拶を後回しにして、まず訊いた。


「お母さん……うちに、開かない箱って、ある?」


「何のこと?」


 おれは、いつの間にか手の中に握り込んでいた、金色の小さな鍵を見つめた。




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