第36話 気付いてよ レンジ篇
俺の名はレンジ。二十一歳。彼女はいない。
楽な仕事しかないホワイトな職場で働いていて、休日出勤など滅多にない。
だから、この休日にも特に予定もなく、ヒマなので公園のベンチに座って、すっかり冷たくなったホットミルクティを飲んでいる。
さびしくないといえばウソになるが、女の子なら誰でもいいかのように、興味の赴くままに誰とでも付き合うようなロクデナシでもなくなったし、もはや女の子を自分好みにしてしまおうなどと考える束縛男でもなくなった。
なーんていうのは建前で、誰でもいいから女の子とイチャイチャしたい。
世間は今日、バレンタインデーという日らしい。
だが恋人のいない男には虚無の一日だ。日常生活になんら影響はない、ただの日。
もう桁外れの大雨とか降っちゃえばいいよ。「折角のバレンタインなのにね」とかって、部屋で二人でガッカリしてればいいよ。
公園を歩くカップルたちを凝視しながら、そんなことを考えていたが、こんな日に限って雨が降る気配もなく、仲良しを見せつけられ続けたら気が沈んでしまうから、さっさと家に帰って、酒でも流し込みながら、二週間録り溜めていたテレビドラマでも一日中視聴することにしよう。その方が建設的だ。
俺はベンチを後にして、空き缶を道中にあったくずかごに乱暴に放り投げた。
家の前までやって来て、郵便受けを見た時、
「お? なんだこれ」
謎の小包が入っていることに気付いた。バラの紋様がプリントされた包装紙に包まれた何か。
怪しみがらも家の中で開封してみる。
それは、ハート型のチョコレートだった。
「おお」
一瞬、喜びかけたのだが、これは、喜ぶべきことなのだろうか?
まったく喜べないのではないかと思う。
それというのも、俺は最近女の子との接点が極端に少なく、誰かにチョコレートをポストに届けてもらえるような人間関係を築けていないんだ。職場も男だらけだし。
俺が気付いていないだけで、誰かから好意を向けられる可能性はゼロではないが、限りなくゼロに近いだろう。
つまり、ハッキリ言ってしまえば、これは不審物なのだ。
せめて差出人の名前でも箱やチョコ本体に刻まれたりしていないかと思い、よく見てみると、ハート型のチョコレートに文字が書かれていることに気付いた。色のついた飾りつけのように見えていたが、ちゃんと読める平仮名五文字だ。
『きづいてよ』
冷や汗が出た。
ちょっと待て。なんだこれは。何に気付けというんだ。包装紙にもバラの柄があるだけだし、箱にも何も書いていなくて、同封された説明文なんてものも無かった。
「もしかして……」
俺は呟き、ハートチョコを真っ二つに割って中を見た。中に何か入っているんじゃないかと思ったからだ。しかし何も無かった。
バッキバキに砕いてみた。何も無かった。
味を確認……したくはないな。毒でも入っていたらと考えると、そんなことはできない。好意なのかもしれないが悪意の可能性の方が高いと判断する。
と、いうことで、俺はそのチョコレートを燃えるゴミ入れに投げ込んだ。
★
次の日の朝、出勤前にポストを確認する。
『ゆるさない』
そう書かれた紙が入っていた。言葉を失った。
鉄のようなニオイがする。何らかの本物の血で書かれたと思われる五文字。まだ赤く、血が乾いていなかった。
なんだこのホラー。
俺は、まだ近くに犯人がいるんじゃないかと思い、門を開け、左右を確認した。
右を向いた時、黒髪少女の走り去る後姿があって、それが、まるで空気のカーテンに隠されるように消えた。
俺はスーツ姿のまま、少女の気配を追いかけた。会社とは反対方向だった。
白い服を着た少女。どこかで会った事があるような気がする。
少女の気配を追いかける。
感じる。俺を呼んでいる。
走り出す。
車通りの多い街道に出た。
少女が車道の真ん中に立っている。
俺に向かって手を振った。
「あぶないっ!」
走った。飛び出していた。
右からバイクが走って来ている。
間に合え!
手を伸ばす。
届いた!
バイクに背を向けて少女を抱きしめたと思った瞬間――。
少女は、スッと空へと舞い上がった。何かに吊り上げられるように真っ直ぐに、上へ。
「え?」
頭上で、少女は、口の端を吊り上げて笑った。
急ブレーキでタイヤがこすれる音がした。
「――――」
左肩に何かがぶつかった。
思わず目を閉じた。
目を閉じたはずなのに、何が起きているのか、はっきりと見えた。
バイクが中央分離帯の生垣に突っ込んだのが見えた。
俺が倒れて、アスファルトに血が広がっていた。
あれ?
俺は、空を見た。赤い服になった空飛ぶ少女は、笑っていた。
なんだこれ。
痛い――。




