第31話 かわいそうな子 ケイコ篇
駅前のスーパーマーケットで買い物をして、家に帰る。
家に帰るついでに、すっかり変わってしまった街を散歩していたら、知らない道から知っている道になった。それで、昔よく遊んだ公園が変わらずそこにあるのかどうかを確認したくて、ケイコは自分の家へと向かう道を逸れた。
「ランラララララララ~♪」
道行く自転車に乗った女の人が、ノリノリで歌を歌いながら、スーパーの袋を右手に持ったケイコを追い越していった。
首に引っかけたマフラーを風になびかせて、颯爽と走り去った。とても美しく格好よくみえたし、歌も上手かったから、もしかしたら音楽関係の仕事をしている人なのかな、なんて思った。
――それはそうと……あれは、何の歌だったっけ?
忘れてしまった。
郷愁を誘う懐かしいメロディ。ずいぶん昔に、聞いたことがあるような。
だけど、はっきりとは憶えていない。
何の歌だったか、ずっと考えている間に、少し険しい坂道に差し掛かった。
神社に向かう道だ。
「ちっくしょう……」
前方から、そんな男っぽい呟き。
自転車を辛そうに押しながら、さっきの歌ってた女性が坂道を上っていた。
どうやら、後輪がパンクしたらしい。
――まあ、パンクなんてよくあることだ。
ケイコは追い越された仕返しとばかりに、早歩きでその自転車の人を追い越した。どんな目で自分を見ていただろうか。振り返ることはしなかったので、それを確認することはできなかった。
坂を上りきると、小さくて静かな森があって、その中に神社がある。
神社には、お正月にお参りに行くくらいなので、特別な思い入れなどないから素通りした。その横にある公園に足を踏み入れる。
昔は真新しくてペンキ塗りたてだったロケット型の滑り台も、今やすっかり色あせていたけれど、そんな事よりも……ケイコは大量の猫たちを目撃し、目を輝かせた。
十匹、二十匹……いや、そんなものじゃない。五十匹くらい!
パラダイス!
猫大好きなケイコにとって、この場所はまさに楽園!
可愛さに心打たれ、満面の笑みを浮かべながら、
「お近づきのしるしに!」
猫が好きであろう魚肉ソーセージを頭上高く掲げた。
「にゃあー」
それで猫たちが自分の近くに群がるだろうと考えていたのだが……甘かった。
一匹のトラねこが、ケイコの持っていたスーパーの袋を見事に掠め取った。
見事なハンターぶりだった。
そして器用に中身を一つずつ取り出していく。
パックにかかったビニールも爪で器用に剥がす。
刺身、アジの開き、鮭の切り身、サンマ。
魚肉ソーセージを持って立ち尽くすケイコ。
――待って、ダメ。それは私の夕食だ! そして冷凍で保存して三日分くらいのおかずにする予定なんだ!
「ダメぇええ!」
頭上にソーセージを持ったまま叫んだ。
回収しようと走る。
手を伸ばす、ソーセージの無いほうの手を伸ばす。だが届かない。
頭から転んだ。ズザザザァと砂埃を上げて滑りながらも、魚たちを守ろうと必死になる。
「なんですって……」
うつ伏せに転倒したケイコの視界には、中身を吐き出した買い物袋とプラスチックパック。
その向こうに見える猫たちの口には、ちょっと前に買ったばかりの魚たちの無残な姿。
よく見ると、パックには、わさびと大根の細切りにされたやつが残されていた。
「うそぉ……」
ケイコは仰向けになり、顔の前、両手で魚肉ソーセージを握り締めた。
――服が汚れる? そんなのどうでもいいよ。もうバタバタ転がりまわって、坂道の一番下まで行きたい気分。
そして、ついに悲しくなって、泣いてしまった。
すると、数匹の猫が喉を鳴らしながら寄ってきた。
――そう! これよ! こんなふうに可愛い猫たちに囲まれるのを私は夢見てたの!
ケイコの頬に顔を摺り寄せてくる猫。
猫の頭を撫で回す。
気持ちよさそうにしていた。
――ああ、至福の時だ。少し気に入っている私服が汚れるのも、この猫ちゃんたちとの触れ合いに比べればどうでもいいことだ。もうこの際だ、そう思うことにしよう!
ケイコは体を起こし、猫との楽しいひと時を過ごすことにする。
不意に、ソーセージが……ケイコの手から弾かれて、宙を舞った。
「あっ……」
――待って、ダメ。これは、最後の魚肉ソーセージなんだ!
黒い猫が空中キャッチ。
少し離れたところに運び、皆でソーセージを食べ始めた。
「…………」
ガツガツと、すさまじい勢いで噛み千切られていく。
白いレジ袋が、風に飛ばされて公園の外に飛んで行って、見えなくなった。
「くぅぅ!」
ケイコは甲高い声を出し、走った。公園の外に出る。
――こんな猫たち嫌いだ。こんな公園嫌いだ! 昔遊んだ楽しい公園が、嫌な猫たちに支配されてしまった! 絶望だ!
公園を出てすぐ、また歩道のアスファルトに転倒した。
――もう嫌だ。
ケイコは仰向けに寝転がり、じたばたと手足を動かす。
歌でも歌ってストレス解消したい。カラオケにでも行きたい。
さっきパンク自転車の人が歌っていた歌が、脳内再生された。やっぱり何の歌だか思い出せない。
そんな普段なら大したことないモヤモヤも含めて、大きなストレスを感じる。
数分前まで確かにあった猫たちへの愛情は、すっかり憎しみに変わり果てた。
と、そこへ、一人の女性が歩み寄ってきた。
「あの……」
「え?」
急に話しかけられて、びっくりして顔を上げる。そこには、巫女服で、白い箱を持った女の人がいた。大学生くらいかな。ケイコと同じ位の年齢に見えた。
――巫女服……かわいい……神社の人かな。
「大丈夫ですか?」
手を差し伸べてくれた。
「ありがとうございます……」
「いえ、遠くから見てたんですけど、その、すみません、あれ、うちの神社によく来る猫たちなんです」
「あ、そうなんですか……」
「悪い猫たちで、通行人を襲ってからアジを占めたみたいで、すでに何人か被害に遭ってまして」
――遠くから見られてた? あの格好悪い私の姿を!
「それでなんですが、これお詫びにどうぞ。お菓子です。近くに新しくできたお店があるんです。美味しいんで是非……」
巫女さんは、ケイコに無理矢理に白い箱を渡し、その新しくできたお店の方にパタパタと駆けて行った。
「え? あ、受け取れませんこんな――」
言ったとき、もう彼女の耳には届いていないようだった。
深い溜息が出た。
ケイコは、そこから近い別の公園へと歩き、ベンチに座って白い箱を開けてみた。
「わお」
シュークリームが五つ。
「あーでも、こんなに食べたら、太っちゃう」
一口、手で掴んで、食べた。
――なんだろう。ほんのり魚くさい。何のシュークリームだろう、魚っぽい味の正体は、一体……ってこれ、魚くさいのは私の手のにおいだ!
さっき女の人の手を掴んでしまったけど、生臭い臭いが移ってしまったんじゃないかと心配になった。
逆の手で食べたら、本当に甘くて芳しくて、美味しかった。
今度、巫女さんが言っていた新しくできたお店とやらに行ってみよう。
ケイコはあっという間にシュークリーム一つを平らげると、白い紙箱を閉じた。
残りは四つ。
――明日、お姉ちゃんが来るから、その時に出そう。きっと喜ぶ。
ケイコは、元来た道を戻り、家に帰ることにする。
あのロケット公園の前を差し掛かった時、ベンチに素敵なマフラーをした男の人がいた。
「フンフフフフフフ~♪」
また、パンク自転車の人が歌ってた歌が聴こえてきた。
――もしかして、流行り歌なのだろうか。どこかで聴いたことあるような気がするんだけど……。思い出せない。
――このシュークリームも、美味しいのにお店の存在すら知らなかったし……。嫌だ、流行に疎い女になんてなりたくない。
「お、来たな」と男は歌を止めた。
ケイコも気になって足を止めた。自分に話しかけたのかもしれないと思ったからだ。
しかし、黒い服の男性は自分に向かって話しかけてくれたわけではなかった。
「元気か?」と男。
「にゃあ」少し太った白い猫が応えた。
口を開けて眺めていると、男は猫と会話をはじめた。
「なあ、しゃむしーる。カオルちゃんて可愛いの?」
「にゃあ」
「俺に紹介してくれよ、カオルちゃん」
「にゃあ」
「え? おぼえてないのかって、何言ってんだ? 会ったことないだろ。ん、なんだ。もう恋人いるのか、つまんねーな」
「にゃあ」
「なんだよ、やるか? 負けねえぞ」
「にゃあ」
「ふはは、そうか。しかし俺も昔よりだいぶ強くなってるからな」
――とてもアブナイ人だ。まだ若そうなのに。関わらないようにしよう……。
ケイコは家へと歩き出す。
――大人しい猫がいい。襲ってこない猫が欲しい。
――今日の夕飯は、どうしようかな。コンビニでおにぎりでも買おうか。
――それと、イイ感じのマフラー買いに行こう。姪っ子にも私のお下がりをあげようかな。
――昔好きだったあの黄色いマフラーは可愛かったから、喜んでもらえると思う。
――それから、何かシュークリーム巫女さんにお返しするものをさがさなくちゃ。
――渡すときは……神社に行けば会えるわよね。
――やっぱり、甘いものがいいかな。
――あーあ、お魚が食べたかった。
また、思い出して泣きそうになった。




