第3話 探偵社のお仕事 健一篇
健一の職業は探偵である。
探偵といっても、難事件を華麗に解決に導いたりする派手な種類のものではない。
多くは、世の中で起きている心霊現象と思われるものの調査だ。
といっても、彼に霊能力的なチカラがあるわけでもなく、ただ現場で目撃した事実だけを報告して健一の仕事は終わる。
そんな霊能力を持たない者の仕事の中で、時々あるのがストーカー調査。
ストーカーの正体が霊である可能性が比較的高いからだ。
その日も、事務所に女性がやって来て、彼に調査を依頼してきた。
「誰かに見られている気がするんです」
ストーカーの正体を見極める仕事が始まった。
正体が霊ならば、霊能力のある上司を呼ぶ。
正体が人間ならば警察に通報するか、場合によっては現行犯逮捕する。
霊なるものの仕業でもなく、人間の仕業でもない場合は、残念ながら依頼者のほうに病院に行ってもらうことになるであろう。
「……他には? 何かストーカーがいるんじゃないかって疑わしい出来事は?」
「えっと、ゴミ捨て場に捨てたゴミが、開けられた形跡があったり……」
「なるほど」
「警察に言っても、相手にしてくれなくて! だから、お願いします。一緒にいて下さい!」
「それはできません。私は外から見張らせていただきます」
「わ、わかりました……。犯人を捕まえてください。お願いします! このままじゃ、落ち着いて暮らせません」
「わかりました。では明日から、あなたの周辺を見張らせていただきます」
「はい! よろしくお願いします」
女はそう言って、去った。
話を聞く限りでは、霊的なものの仕業ではなさそうだが、霊が人間を装っている可能性もゼロではないだろう。彼は自分の想像を超えたものが存在する可能性を頭の隅で考えていた。
ともかく、健一は、女の家に張り込んで調査を開始することにした。
女の住むマンションの隣の屋上から見張っていたところ、さっそく不審な男が網に掛かった。建物の屋上から見ているとウロウロと何度も女のマンションの周囲をうろつき、エントランス近くのゴミ捨て場に入っていった。
その後、しばらくして充実した表情で出て来たかと思ったら、周囲をキョロキョロとうかがい、二メートルほどの高さの塀に素早くよじ登った。かと思えば、電柱にとりついて頂上に立った。絶妙なバランス感覚を見せ付けるかのごとく電線渡りを開始した。
電線の上を走っていく。
「あいつは……忍びの者か何かなのか?」
彼は思わず感心したような声を漏らす。しかし感心しているような場合でもない。電線は彼女の部屋方面へと延びていたからだ。のぞきか強盗でもするつもりに違いないと思い、建物を降りて、その男を捕まえに行く。
ゴミをあさって、女の住む部屋へと向かったのだから、もはやこの男がストーカーだと判断していいだろう。彼はそう思い、音を立てないようにして走る。塀を飛び降りバスルームの窓の前に立つ。
ストーカーの姿が見えた。バスルームから漏れる黄色い明かりで、ストーカーの横顔がよく見えた。意外にも、悪そうな顔ではなかった。誠実そうな顔立ちの男である。
格子を外そうとしている。
窓からは、エコーのかかった鼻歌が響いてくる。柔らかで緩やかな、春を思わせるような音色である。たしかこの曲は……おそらく誰もが聞いたことがあるであろう、パッヘルベルの『カノン』だ。その曲の始めの部分が、バスルームから響いている。
少しずつ豊かになっていく旋律に呼応するように、ストーカーの息もハァハァと荒々しくなっていく。
名曲を汚すとはけったいなことだ、と健一は思った。
ストーカーは集中しているのか、探偵の接近には気付かない。
格子が外された。特殊な道具でも使ったのか、あっという間に鍵が開けられた。
ストーカーの手が、窓枠に触れた。
そこで探偵の手が、ストーカーの肩に触れた。
ストーカーは目を丸くして、逃げようとしたが、逃がさない。しっかりと男の手を掴み、背中に押し付けて拘束し、動きを奪った。
「現行犯逮捕だ。なんの罪か、わかるよな?」
「いやぁ」
黄色い明かりの下で、ストーカーは膝をついた。
★
捕まえる瞬間には人間に化けた霊なるものの存在を疑い、健一はひどく恐ろしがったが、ストーカーの正体は、やはり人間だった。
「ありがとうございます。本当に、ありがとうございます!」
依頼人の女は彼に何度も頭を下げた。
警察がやって来て、男を連行する。
「ちくしょう! お前! 呪ってやる!」
ストーカーはそんなことを言っていたが、健一にはそんな言葉は通用しない。何のおそろしさも感じはしない。
――悪霊の呪いの根源的おそろしさを、俺は知っているのだから。
この事件がきっかけになり、彼は依頼人の女性と付き合うようになり、やがてエリカという名の可愛いくて仕方がない娘を授かることになるのだった。
人生、どこで何が起きるか分からないものである。