第29話 ボクが斬る チェーンソー篇
この世界に生きているモノならば、皆わかるだろうけど、ボクは不満だ。
チェーンソーとしての生しか与えられていないのだから。
人に、わかるのか。わかるというのか。ボクのこの気持ちが。人に使われ、木々を斬ることしかできない、このボクの気持ちが。
そうさ。ボクはチェーンソー。木を斬るために生まれた。
――だけど、斬りたくない木だって、あるんだ。
ボクは、逃げた。真夏の午後に逃げ出した。
生えたばかりの細い足で、人の目につかないところを移動する。
地面は土からアスファルトに変わった。熱されたアスファルトは痛い位に熱い。
ボクはチェーンソー。
あの木は斬りたくない。
ボクは、その木を、ずっとずっと遠くから見ていた。
街を見下ろし、優しく見守っているような、とても高い杉の木だ。
この街のシンボルだと思っていた。
今や、薄汚い黄色と黒の簡易フェンスに囲まれた土地は、杉の木を中心にして、大小さまざまな草木の森が広がっているらしい。人間たちの話を総合すると、そんな場所だ。
ボクはチェーンソー。
あの木を斬るのが、ボクに与えられた役割だ。
今までは、どんな木だって伐ることができた。
何も感じずに、回転刃で真っ二つだった。
それを誇りにすら思っていた。
この街に、また、新しいマンションが建つらしい。
たった今、ボクが辿り着いたフェンスに囲まれたこの森は、その建設予定地なんだそうだ。
聞いていた通り、あの杉の木があって、周りを背の高い草が囲んでいる。
この場所には周りの住宅も巻き込んで、巨大マンションを建てる計画らしく、退去を余儀なくされた家族もあったらしい。
そうまでして建てたいマンションに、ボクはあの木以上の価値を見出せないでいる。
チェーンソーであるボクは、全長一メートルほどの体をフェンスの隙間に滑り込ませ、森の中へと入った。
草が邪魔だ。あの高い杉の木に近付くためには、この草をどけなくてはならない。
迷路ほどの隙間も無い小さな森。刈るしかない。
エンジン音。刃のまわる音。五十センチ以上もある刃が、周囲の草を刈り取る音。
目の前をぐちゃぐちゃに草が舞う。
あの木まで、一直線。
ボクの通った道が、トンネルになった。
そしてボクは辿り着いた。高い高い杉の木の下に。
風に枝葉が揺れて、心地よい音色がボクの耳に届いた。
「ねえ」
声が、聴こえた。杉の木の声だ。
「はじめまして、ボクはチェンソー」
「チェンソーさん、あなたに、お願いがあるの」
杉の木はそう言って、枝葉をざわつかせた。
「何だい、お願いって」
「この敷地内にある草や木を、全部刈り取ってほしいの。暑っ苦しくて耐えられないわ」
「じゃあ、ボクのお願いも聞いてください」
「言ってごらんなさい」
「ここから、逃げてください。そうしないと、君は斬られてしまう……」
「わかったわ」
よかった、よかった。わかってくれた。話の分かる木でよかった。
さあ、君の願いは、今叶えよう。
轟音を上げながら、ボクは草を刈る。丁寧に丁寧に。森が芝生になるように。
やがて折り重なる草木たちが、建設予定地内を埋め尽くした。
「君の願いは果たしたよ。さあ遠くに逃げないと」
そう言ってボクは手を伸ばす。
「無理よ」
君はボクの手を弾き飛ばして、微笑んでいた。
「ど、どうして……さっき『わかった』って……」
「あなたの言いたいことは理解したというだけの意味よ。私は、ここから動きたくないの」
「どうして!」
しかし彼女は理由を告げなかった。
「それで、優秀なチェーンソーさん。あなたにもう一つ、お願いがあるの」
「何だい、お願いって」
「私を、伐って」
何を言っているのか、信じられなかった。
「人の手にかかるくらいなら……あなたに殺されたいのです」
そんなの。できるわけない。何のためにボクが走って来たと思ってる?
――君を助けるためなんだぞ。
どうして、自分から殺されたいなんて言えるんだ!
「きこえていますか、チェーンソーさん。私を早く、きりたおしてください」
杉の木は、また枝葉をざわつかせて、言った。
ジリジリジリ、火花のように木屑を散らかしながら、ボクの刃は、君の中へ。
「そうそう、そうよ、その調子」
悲しそうな声がする。
ゆっくりゆっくり、刃は進む。
チェーンソーの音、ボクの音。
バキバキドシンと、君の音。
君の大きな体に、ボクは押し潰された。
あたたかい何かに包まれたまま、ボクの視界は暗転していく……。
待ってほしい、今しばらくの間、意識だけは、なくしたくない。
他の意識と混ざり合ってでも、何が何でも、ボクはここにいたい。
切り株になってしまった……君のそばに――。
★
「こんなとこにあった」
「よかったな、見つかって。壊れてないといいが」
「まったく……誰だよ。チェーンソー勝手に使いやがって……」
「おい、見てみろよ この切り株」
「ん? おお、綺麗な切り口だ。プロの犯行か?」
「かもな。チェーンソーは大丈夫だったか?」
「いや、ダメだな、動かない。新しいヤツ買うしかねえか」
「チェーンソーだって安くねえってのに、痛いな」
「まったくだ」




