第25話 再会に関する話 ヒロ篇2
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自分の名前というものに対して抱く感情というのは、マイナスなものの方が多い。
僕の名前がありきたりだからだ。
誰もいない待ち合わせの場所の教室で、大学の講義の復習をしていた。
その中で色々な名前の人々が登場する。
面白い名前の人がいたりすると、羨ましいと思ってしまう。
僕の名前。ヒロという名前。
こんな普通の名前が好きだという人も多くいるとは思うが、少数派になってでも、「気に入らない」と言い切ってしまいたい。もちろん、親がつけてくれた名前だ。全面的に嫌いというわけにはいかないのだが、大して珍しくもない、ごく平均的な名前に思えるから、どうも好きになれない。
いや平均的といったが……それは気に入らない理由としては少し違うのかな。僕はたぶん、個性が無いように思えてしまうから嫌なんだ。
まあ、恋人でもいて、毎回この「ヒロ」という名前で呼んでもらえるようになったら、この名前を好きになれるのかもしれないけど。
だけどね、だけど、あいにく、モテたことなど一度も無いんだよ。
昔からの親友は二人とも女子に人気があったってのに、僕の存在はそんな二人の影に隠れてしまって、存在を認識すらされていなかった気がする。
東京に来る前に時好きだった女の子、初美という女の子なんだが、その子にも彼氏がいるらしい。
僕ばかりが取り残されてしまっているみたいだ。
大事なのは心だとは思うが、やはり容姿も重要だろう。
とはいえ、僕だって身長も日本人の平均身長くらいはあるし、太っているわけでもない。
顔だって、良くはないけど悪くはない。
肌のハリだって年相応だと思う。
ファッションセンスだって普通くらいだ。
頭も悪くはない。
もしや、僕の親友の一人であるエーイチのように、メガネを掛けているというのが良いのか。メガネに限らず、そういった小さなアイテムがかなりポイント高いのではないだろうか。
いや、どうだろう。そんなの大して関係ないのかな。
まず……彼氏や好きな人がいる女の子を好きになってしまうのがいけないかもしれない。ずっと片思いを続ける運命にあるんだとしたら、それはさすがに不幸だと思う。
季節は、もう春そのものだが、僕に春が来ることはあるのだろうか。
「おい、ヒロ」
初美の声。誰もいない教室に入って来たらしい。
「あ、おはよう」
返事をした僕の目には、初美とメガネを掛けた男が映った。
「おはようって、お前、もう昼だぞ、こんばんはだ」と初美。
「まだ昼なら違うだろ」と僕は返す。
「ははっ、そうだ、こんにちは、だな」
「ああ。それで、えっと、そっちの人は……?」
初美が連れているメガネの男。まさか、彼氏だろうか。
「ん? うん。これおれの友達。エーイチっていうんだ」と初美。
「エーイチだって?」
初美の友達は「ん、おまえ、まさか」と言った。
僕は、座っていた椅子から勢いよく立ち上がり、ヒザの裏を強打し、悶えた。
「いってぇ……ッ!」
「大丈夫か? ヒロ」と初美。
「おいおい、頭おかしいんじゃないのか、ヒロくん」とメガネを光らせてエーイチが言った。ニヤニヤしていた。
「おい、エーイチ。初対面の人にいきなりそれはないんじゃないか。ちゃんとごはん食べないからそんなこと言うようになっちゃうんだぞ」
初美はエーイチに向かって渋い顔をした。
僕は、確信していた。このエーイチという男は、中学を卒業して以来、しばらく連絡が取れなかったあの親友のエーイチであると!
だから、僕はこう言ってやった。
「エーイチ、こんな三流大学で何してるんだ?」
「ん? いや、オレが通ってるのは近隣にある一流大学だが?」
鮮やかに返された。
「ていうか、なんで初美と知り合いなんだよ」
「バイト先が一緒でな、彼女には大変お世話になっているのだ」
初美は、戸惑いながら、僕たちの顔を交互に見つめていた。
「えっとぉ、知り合い……かな?」
「ああ、少しな」とエーイチ。
「少しじゃないだろ。親友だ」
「そうだったな。オレたちは一緒に怪談話をするくらいの仲だ」とエーイチ。
「え、怪談? どんな話? 面白そうだな」初美。
「いや、僕がした話は、大昔に初美にも話したことあるやつだよ。『閉まらずの箱』の話だね」
「エーイチのは?」と初美が訊くと、
「いや、オレは怪談を科学的に解明したがる男だ」エーイチが答えると、
「何だよ、つまんないヤツだな」口を尖らせていた。
「つまんないヤツとは何だ!」
冷静なようでいて昔からアツくなりやすいエーイチだったが、初美は無視して、
「それで、ヒロの怪談話って、何だっけ? 箱の、なに、開かずの箱?」
「ちがうちがう。『閉まらずの箱』だって。小学校の七不思議のさ」
「おかしいだろそれ。箱が恐怖を誘うのってさ、中が見えないからだろ? 中身が見えるくらい開いてる箱で、何がこわいの?」
「本当に忘れたの? たしかに、初美く……さんは、昔も僕の話で怖がったりしたことなんか一度も無かったけどさ」
「全然おぼえてない」
「何か僕のことで印象に残っていることとか無いの?」
「宿題を写させてもらったのは感謝してる」
「くっ、そんなどうでもいいことばかり……」
考えてみると、初美はけっこう忘れっぽいかもしれない。昔から、人の名前とか結構あっさり忘れてしまうようなやつだった。
あれ、そう考えると、僕の名前は忘れられていなかったわけだから、今後、かなり美人に育った彼女と仲良くなれるチャンスもあるのかな、なんて、淡い期待を抱かざるをえない。
まぁ、それはともかく『閉まらずの箱』についての話をしようか。
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「夜の学校から、不思議な音が響くんだよ。耳に響く音じゃなくて、頭に響く音っていうのかな。それが何なのか、正体を確かめに行った人がいるんだ。幽霊なのか、未知の生物なのか、それとも人間の仕業なのか……。
その人は、ドキドキと早鐘を鳴らし続ける胸を押さえながら、音のする方へ急いだ。校舎に近付くにつれて、少しずつ頭に響く音が大きくなっていった。校舎内に入ると、もっと大きくなった。音のする方へと、導かれるように歩いたその人は、やがて一つの箱を見つけたんだ。場所は、図工室だったらしい。
どうやらその箱から音が発生しているようだったから、閉じれば音が消えると思った。その人は箱を閉じようとした。でも、箱は閉まらない。何故か閉まらないんだ。ふと、急に後ろに気配を感じて振り返ると――」
「薔薇をくわえた男がいたんだっけ」とエーイチ。
「違う! それはあのバカな男がした話だろ! 台無しにするなよ!」
「何、どうしたの、何がいたのよ」と初美。
「顔が焼け爛れた女が『返せ』『返せ』と呻きながら近寄ってきて、こわくなって逃げたんだってさ」
僕は言ったが、
「何だ、普通の怪談だな。面白くない。明日には忘れてんな」初美は呆れて酷評した。
そしてエーイチも初美に同調して文句をつけてきた。
「そうだな。その箱を探しに行った人は自己暗示による不安から少し精神に異常をきたしていたんだろう。面白くない話だ」
「おれはさ」初美は人差し指を立てながら、「なによりも薔薇をくわえた男の話が気になる」
「聞いても全く面白くないぞ。ただのバカな話だ」エーイチ。
「ああ、あれはバカな話だよね」僕も同意。
「そんなこと言われると逆に気になるじゃんか。ていうか、バカって誰なの。興味出て来ちゃったじゃん」
「そういや、あのバカ、今何してるんだか……」
「また女の子と遊んでるんじゃない? 二股とかかけてさ」
僕が言うと、エーイチは軽く笑った。
「よくわかんないけど、最低の男なんだな、そいつ」と初美。
「まぁ、良い奴なんだけどな。憎めないっていうか」エーイチ。
「年がら年中、心がお花畑で、面白い奴であることは間違いないよね」
僕は、笑いながら、そう言った。
「おれのカレシとは大違いだな」
その言葉を聞いて、僕の笑顔は、ほんの少しだけ、曇ったと思う。




