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カノンソング  作者: 黒十二色
カノン進行
22/48

第22話 疑心 リサ篇

「アーアーアーアーアー」


 カラスが五回鳴いた。


 それが妙に耳についてしまって、意識の大半がカラスのことでいっぱいになったから、リサは、今日は何か悪い事が起こるんじゃないかと不安になった。


 だからといって、大学をサボるわけにもいかず、家を出て通学路を歩いていたところ、リサの足元を黒猫が横切った。


 ――大丈夫。黒猫は不吉のシンボルなんかじゃない。むしろ幸運の兆しだっていう話を誰かに聞いた。だから大丈夫だ。


 今日も、いつも通りの日が展開されるはずだ、と思っていた。


 これからも、今まで通りの日々が続くんだ、と強く信じようとした。


  ★


 リサはその日、ずっと落ち着かなかった。


 何となく、誰かに見られているような気がして、何度も背後を振り返ったが、特に何もなく、首を傾げながら前を向くと、また誰かの視線を感じる。その繰り返しだった。


 その日を境に、毎日、どんな時間でも誰かのじっとりとした視線を感じるようになって、そんな日々が何日か続いて、数日すると視線だけじゃなくなった。


 アパートの一階にあるリサの部屋。


 誰も居ないはずの部屋で木の枝が折れるような音や、ドアをノックするような音や、誰かが走り回るような音がしたり、ケータイに知らない電話番号から電話がきて、それをとったら、


《ピィィィィィィィィィー》


 という電子音が鳴り続けたり、無音で切れたり、何度も何度も電話が来て、それがおさまったと思ったら、今度はメール。


『薔薇薔薇薔薇薔薇薔薇


薔薇薔薇薔薇薔薇薔薇薔


薇薔薇薔薇薔薇薔薇薔薇


薔薇薔薇薔薇薔薇薔薇薔


薇薔薇薔薇薔薇薔薇薔薇


薇薔薇薔薇薔薇薔薇薔薇


薇薔薇薔薇薔薇薔薇薔薇


薇薔薇薔薇薔薇薔薇……』


 画面が埋め尽くされていた。


「ひっ」


 悲鳴が出た。


 画数の多い漢字が並んでいるのをみると、あたまがおかしくなりそうだった。


 こんなことをされるなんて身に覚えがなくて、背中に悪寒が走った。


 本当に心からおそろしくて、指先まで震わせながらケータイの電源を切った。


 すると今度は部屋の電気が消えたり点いたりして、おそろしくなって電気を消すと、テレビの電源が勝手に点いて、こわくて、こわくて、こわくて、音楽を聴いて恐怖を誤魔化そうとして、ヘッドホンを装着した。


 ところが、音楽プレイヤーの電源がどうしてかオンにならない。


「あれ? あれ?」


 焦っていると、


《死んで》


 ヘッドホンから、くぐもった声がもれてきて、


 ――何これっ。気持ち悪い。


 何かを言おうとしても、叫ぼうとしても声にならなくて、こわくて、こわくて、涙が出てきて、リサは、布団を被った。


 誰がこんなことをするんだろう、と考えた。


 ――誰が、誰が、誰が、誰が。


 次々と色んな顔が浮かんできて、その全ての顔が悪魔みたいな歪んだ笑いを浮かべていて。こわくて、でもその中で一つだけ、いつも通りに微笑んでくれている顔があった。


 それはリサの恋人の顔。


 でも、すぐに上書きするように、多くの悪魔みたいなおそろしい顔たちで、心の視界は埋め尽くされた。


 ――眠ろう。眠れば、意識を失えば、こんなこわいことに出合わなくて済むはずだ。


 ――薬、クスリだ。


 睡眠薬は持っていなかった。しかしリサは、風邪薬には眠りを誘う物質が入っていると聞いたことがあった。


 暗い部屋、布団から這い出て、救急箱をおそるおそる、しかし素早く開けて、中の錠剤を全て口の中に流し込み、飲み込んだ。五粒ほどだった。


 再び布団に潜って、眠った。


  ★


 悪夢を見て飛び起きた。


 ピンク色の目覚まし時計を見る。


 もう昼過ぎだった。


 室内は暗い。誰かに見られている気がして、それが嫌で、カーテンも雨戸も閉めてあったからだ。


 汗をびっしょりかいてしまって、ひたすら不快だった。


 相変わらず、誰かに見られているような気配がして、寒気が襲った。


 ――もう嫌だ。なんで私がこんな目に?


 誰の仕業なのかと考えて、すぐに思い当たらなかったけど、知り合い皆が、私をおとしいれようとしているんじゃないかって、こわくて、学校にも行きたくなかった。


 ――思えば、以前も住んでいた部屋が放火されたなんてこともあったし、誰かが私の知らない所で、私に付きまとったり監視しているんだ。そうだ。それしか考えられない。


  ★


 しばらくして、来客を告げるチャイムが鳴った。


 ――誰だ、誰だ誰だ。またこわいものじゃなければいいけど。


 のぞき穴の向こうの、明るい世界に居たのは、私の恋人だった。


 リサは安堵の溜息。


 レンジは扉を叩いて、


「リサー。いるんだろー?」


 救われた思いだった。


「はーい!」


 大喜びで扉を開けると、そこには、大量の、赤い、薔薇の花束を持った、彼がいた。


 ――ウソでしょ。薔薇だ……。


 寝る前に受け取った恐怖のメールを思い出した。


 ――つまり、これは、私のストーカーの正体が、彼だということになるじゃないか!


「いやぁ……昨日からリサに何度も電話したんだけどな、繋がらなくてさ、もしかして、お前の気に入らないことしちゃって無視されてんのかなって思ってさ。だから、これ、お詫びだ。俺の好きな花なんだ。気に入ってもらえるといいんだが、薔薇の花束」


 ――そんな、そんな、ウソだ。いやだ。


 彼が何を言っているのか、全く頭に入ってこなかった。視界がどす黒く歪んでいく。


「それでさ、リサ、これから、どこか遊びに――」


「わぁああああああああああああ!」


 叫んだ。


 ――まさか、レンジが。私の恋人が、ただ一人信じ切っていた人が、全ての犯人だったなんて。私にこんな思いをさせた張本人だったなんて!


「うわああああああああああああああ!」


 私は彼の手から薔薇の花束を奪い取り、駆けた。


 扉の閉じる音がした。


 ――思い返せば、ああそうだ。彼と一緒にいるときに、不気味な感覚に襲われることとか、知らない女性ににらみつけられたりだとか、そういうことが多かった。


 春のやわらかい日差しの中、裸足で駆けた。狂ってしまったみたいだった。


 薔薇のトゲに傷つけられて、握り込んだ手から血が出たような気がした。


 すぐ近くの、誰も居ない空き地に立った。


 地面に向かって、何度も花束を叩きつける。


 何度も何度も。


 赤い赤い、花びらが舞う。


「はぁ……はぁ……」


 ――こんなもの、こんなもの、こんなものっ!


 リサは散々たたきつけた後、土を掘った。手をスコップ代わりにして掘った。流れ出した涙で視界が歪む。


 ――こんなおそろしいもの、埋めるしかない。私にこわい思いをさせたものなんて、埋めてしまいたい。


 涙が止まらない。こわかった寝る前のことを思い出した。楽しかった日々のことも思い出した。


「リサ……」


 背後からレンジが、彼女の名前を呼んだ。


「近付かないで! もう私につきまとわないで!」


 背中を向けたまま拒絶した。


「どうしたんだよ、リサ、おかしいぞ。やっぱ俺が何か――」


「別れる! 二度と会わない! ねえ、そうしてよ? もう許してよ」


 散らばった花びらをそのままに、リサは薔薇を埋め終えた。


「どっか、行ってよぉ……ッ!」


 ――こんなこわい思いをさせて、誰も信じられなくさせて、許せない。


「……ああ、そうかよ!」


  ★


 それから、リサは誰かの視線を感じることもなくなった。きこえるはずのない部屋の異音も消え、携帯電話に変なメールや電話が入ることもなくなった。


 いつも通りの生活に戻った。そばに彼がいないだけ。


 冷静になって、後になって考えてみたところ、本当に彼の仕業だったのかどうか、リサには疑わしく思えた。


 彼と別れてから、部屋の電化製品をほぼ全て買い換えたが、どうしてなのだろう、電子レンジだけは何となく捨てられなかった。


 ――今や、彼と一緒だった時のことを知っているのは、この電子レンジだけ。それを捨てたくない、未練がましい、みっともない私。視界の中央にはレンジ。頭上には、不安定になることのない明かり。別れたことを後悔している私。


 だけど、今さら自分から彼に連絡はできないとリサは溜息を吐いた。


 ――それにしても……あの恐怖の一夜がレンジの仕業でないなら、一体誰が?





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