第17話 早朝の神社 エリカ篇
それは、エリカが中学三年になったばかりの頃。
春の、ある肌寒い朝のことだった。
午前四時。まだ真っ暗な世界。外灯の黄色い光だけが眩しい世界。
エリカは、父親と早朝ジョギングをしていた。
「さむいよ~。もう帰ろうよ~」
いつもと同じコースを走る。五キロメートルほどのコースを、時速六キロくらいのスピードで走るのが日課だ。
エリカも今年はもう受験。
父親が言うには……勉強を効率よくこなすためには適度な運動が必要なんだ、とのことらしい。彼女はそれに納得して、早朝ジョギングをはじめたのだが、何だか騙されている気もしていた
根性の足りないエリカは、まだ百メートルも走っていない辺りで、あっという間に弱音を吐いてしまう。
「パパ、つかれたよ」
「――エリカ、好きな人できたのか?」
「えっ? な、なんでいきなり、そんな事」
「もう中学も三年生だろう。周りの子たちは、そろそろ彼氏でもできたりしてるんじゃないのか?」
「まあ」
「いるのか? どんなやつだ」
「…………」
「ま、そうだよな。パパには教えたくないよな。じゃあ、もうパパと街を走るのは嫌か?」
「そんなことない! 好きな人ができたって、パパはパパだもん。世間に出して恥ずかしいパパじゃないから」
「そうか、じゃあ、あと少しだ、がんばろう」
なんだかうまいこと操縦されている気がした。
ジョギングコースはようやく折り返し地点。
ロケット型の滑り台のある公園の横を通り過ぎ、神社へと続く参道をチラッと見ながら、ようやく半分、と気を引き締め直す場所だ。
でもいつもと少し違うことが起きた。
「とりゃああああああ!」
女の子の、叫ぶ声がきこえてきたのだ。
若い声。どこかで聴いたことのある声だとエリカは思った。
エリカは、父の背中を一瞥して、コースを勝手に変えた。鳥居をくぐって参道を走る。
そこで見たものは――!
魔法少女のようなステッキを振り回して、猫に語りかけている人の姿。
――あのセーラー服は、たしか隣町の女子高だ。けっこう優秀な学校のはずなんだけど……。いや、気のせいかもしれない。気のせいだと思いたい。変な人だと決めつけるのは、ちゃんと確かめてからだ。
「今のはどうだった? しゃむ」
「にゃあ」
猫が返事をした。
「何がいけないってのよ……」
「にゃあ、にゃあ」
「弱肉強食? 弱気になったら食われる? 何それ、受験戦争みたいなこと言って」
「にゃあ」
「あいにく私はもう去年受験終わったの。まぶしいキラキラの高校生活が、私を待っているのよ。そう、素敵な殿方との出会いとかね!」
「にゃあ? にゃあにゃあ?」
「女子高で悪かったわね! 出会いくらいあるわよきっと!」
「にゃあ」
やっぱり猫と話していた。
気の毒な人を見るような目で呆然と眺めながら、エリカはその人のことを思い出すことに成功した。
――学年一つ上の先輩……バレー部のカオル先輩じゃないか。何度か話したことがあったはずで、あたしの脳みそは、ただ優しいだけの先輩だったと記憶している。
あたしは、カオル先輩が猫に話しかけながらステッキを振り回す光景を、しばらく眺めていた。
「そもそも私はね、しゃむ。本当はそんな悪霊なんてオカルトに興味ないの。居ると言われても私の目には全く見えないし、倒せって言われたって……どうすればいいのよ?」
「にゃんにゃにゃにゃんにゃ、にゃあにゃにゃにゃんあ」
「考えるものじゃない、感じるものだ……ですって? 猫のくせに何言ってんの。どっかでカンフー映画でも見たの?」
「にゃあ」
「まったく……」
「にゃあ、にゃんにゃにゃニャ!」
「え? ちょ、待って……」
「にゃあ」
「きゃあああああああああ!」
甲高い声を上げて、カオル先輩は急に倒れた。
エリカは駆け寄ろうかどうしようか数秒迷った後、倒れるカオル先輩に駆け寄ることを選択しようとしたのだが、誰かに両肩を引っ張られて止められた
エリカを止めたのは父だった。
振り返ると、小さく首を振っていた。
「ね、パパ……先輩が猫と会話した後に倒れたんだけど……おかしな人だったのかな。それとも、春だからかな」
「なんだ、エリカの知り合いなのか?」
「うん、カオル先輩って人。いっこ上の」
「そうか……まあ、いずれエリカにもわかる日が来るさ」
「え、何が?」
「世界には、色んな人がいて、色んな事情があるんだよ」
エリカは首を傾げた。
カオル先輩は、
「うぅ……しゃむぅ……ちょっとは手加減してよぉ」
「にゃあ」
「……でも、もう一回よ、しゃむ! 今度はちゃんと避けてみせるから!」
なんだか楽しそうだった。
――あたしも混ざりたいな、なんて一瞬でも考えてしまったことは、誰にも言えないな。




