第16話 新月の傷 カオル篇
「カオル、服を着替えなさい」
誕生日の朝に耳に入った言葉は、おめでとう、おはようでもなかった。カオルは、それでガッカリした後にヘソを曲げ、この畳に敷かれた、あたたかい布団から絶対に出ないと決めた。
――反抗してやるんだ。十五回目の誕生日なんだ。このくらいの抵抗はしたいじゃん。
しばらくすると、しゃむしーるという愛猫がやってきた。
白い猫は、布団に潜り込んできて、
「いっ!」
彼女の左肩の辺りをバリッと引っ掻いた。
「いたい……」
起きろ、と言っているようだ。
「えー、なによ。まだ朝の四時じゃないの」
それでも、しゃむしーるにまた引っかかれては、たまらない。仕方なく起き上がることにする。
せっかくの十五歳の誕生日は、最悪の心境から始まった。
「あーあ、誰も祝うとかじゃないんだ。しゃむまで私に逆らうし」
パジャマから普段着になり、自分の部屋を出て階段を下る。
しゃむがぴったりくっついてきた。
「あれ?」
居間には、父親の姿だけだった。
「お、カオル、おはよう。誕生日おめでとう」
「おはよう、お父さん。ありがと。あれ、ねえ、お母さんは?」
私が訊くと、
「ああ、母さんとおばあちゃんは、むこうでカオルを待っているよ。早く行きなさい」
「えー、おなかすいたよ」
「用意しておくから、早く行きなさい」
いつもと違うやり取りに戸惑いながらも、カオルは言われた通り神社に向かうことにする。
カオルの家は、神社だ。
とはいっても、カオル自身は神様なんて信じていなくて、あらゆるオカルトを小ばかにして生きている、と自負していた。そんな娘の気持ちをわかってか、両親もおばあちゃんも、この神社の仕事がどういうものかというのを見せることは少なかった。
「じゃあ、いってきます」
「待て、カオル。そのまま行くやつがあるか。行く前にシャワーを浴びて身体を清めなさい。脱衣所に装束を用意してあるから、それに着替えなさい」
とお父さん。
「えー、めんどくさいー。私、誕生日なんだよ? こんな早朝に起こされて、恥ずかしい巫女の服を着させられて、何しろっていうのよ」
「いいから言うとおりにしなさい。母さんたちに怒られてもいいのか?」
「うっ」
「母さんとおばあちゃんだぞ? 絶対泣くだろ。おれでも泣くぞ。うちは女性が強い家系だからな」
絶対に怒られなくはないカオルは、おとなしくシャワーを浴びた。
「いたたたた……」
しゃむに引っ掻かれたところが、しみた。
「目立つ傷にはならなそうだけど……女の子に傷をつけようとするなんて、最低のオス猫ね。まったく」
巫女服に着替える。
「じゃ、お父さん、行ってきます」
「ああ、気をつけて行ってらっしゃい」
足袋を履いて家を出た。
早朝ということもあり、家から神社までの五十メートルほどの上り坂で、誰とすれ違うこともなかった。
鳥居の先には、母親と祖母がいて、厳かな雰囲気を出していた。
それでカオルはまた、怒られる、と思って身構えたのだが、そんなことはなく、本殿の中へと連れて行かれた。
「脱ぎなさい」
母親がいきなりそんなことを言った。
「え? 何て?」
意図がわからず、訊き返す。
「脱ぐの。服を。全部」
有無を言わさぬ険しい表情に、カオル従うしかなかった。
服が畳に落ちるなり、祖母が彼女の身体を見開いた目でジロジロと見始めた。
――なんか嫌だな。今までこんなことなかったのに。何でおばあちゃんにまじまじと裸見つめられなくちゃいけないのかな……。
「あった」と祖母の声。
「うそっ? どこどこ?」と母の声。
何のことだかわからず、戸惑いっ放しのカオル。
「ほら、見て、ここよ。ここ」
祖母の冷たい手が、カオルの左肩に産まれたばかりの浅い浅い傷に触れた。
「ひぅっ!」
彼女は小さな悲鳴を上げた。
祖母の冷たい手が、私の左肩にあったできたばかりの傷に触れたからだ。
痛かった。
「あら、本当だわ……しかもカオル。これ……新月じゃないの」
「何なの」
すると、祖母と母は、黙って目を合わせて、頷きあった。
「カオル。この傷はいつから?」
「ついさっき、しゃむに引っ掻かれて」
「なるほど、それが、しゃむしーるの意思だというわけね
心底わけがわからないと首をかしげながらも、カオルは再び巫女服を着させられた。
「ねえ、お母さん、よくわからないよ。説明してよ」
すると母は祖母の方を向く。
おばあちゃんが頷いたのを見て、お母さんは語りだした。
「カオル。十五歳になると、この神社の娘は悪霊と戦う運命にあるの」
ぽかんとした。
――何言ってるんだ、この人は。本当に私の親なんだろうか。もう自分が中年だということを自覚した方がいいんじゃないかな。そんな漫画みたいなこと……。
しかし、語る母の目は真剣そのものだった。
「十五歳の誕生日に、身体のどこかに月の形の傷があった時、その者は、戦う運命にある」
「戦う? 何と?」
「悪霊」
「は?」
「カオルは、左肩に新月型の傷があった。つまり、悪霊と戦わなくちゃならない運命にあるということよ」
――新月型だって?
自分の肩にある傷を確認してみる。
どう見てもただの緩やかな曲線だ。
月だと言い張るのは無理矢理すぎると主張したかった。
しかし、言わせてもらえる雰囲気じゃない……厳しく、おそろしい四つの目が、カオルの口をキツく縫い付けていた。
母は続けて言う。
「代々、月の傷を持つ娘は、十五歳になると神さまから武器を授かることになっているの。たとえば、半月型の傷をもつおばあちゃんは薙刀。三日月の傷をもつ私は日本刀。その武器で、悪霊を倒すのよ!
「えっと……私は……」
「さあ、イメージして。武器を。悪霊を祓う力を持った強大な武器を。すぐに武器が生まれるわよ」
――え? 今? 武器が? なにそれ?
「どこ、どこに?」
「落ち着きなさい。すぐにカオルの手の中に現れるわ。さあ、はやく。目を閉じて、イメージを固めて。武器よ。防具じゃなくて、武器。守るんじゃない。戦って、戦って、相手を圧倒して打ち倒す、華麗で優美な自分の姿をイメージして」
「は、はい!」
カオルは思い浮かべた。
――えっと、えっと、武器……武器……どんな……。
そして迷いの中、カオル専用の武器が生まれた。
母も祖母も、無言だった。カオルも言葉を失った。
彼女の手の中にあったのは――。
とっても可愛いらしい、桃色のステッキだった。
「カオル……本当にそれでよかったの?」
それは、子供向けアニメとかでよく見る魔法少女が持っているような、「マジカルなんとか~」とか唱える時に画面いっぱいに映し出されるステッキで、何故こんな武器を想像してしまったんだろうとカオルの心は後悔でいっぱいになった。
「つ、作り直すとか……できないかなぁ……」
片手で顔面を覆いながら、カオルは一応訊いてみる。
「無理よ」
「無理じゃ」
遥か未来、おばあちゃんになっても武器はこれらしい。
「近い未来には、悪霊祓いの仕事をしなきゃいけないってのに……」
母に呆れられてしまった。
「婿と曾孫に期待だね」
祖母には見放されたようだ。
「でもね、カオル。何もなかったところから、あなたの手にその愉快な武器が生まれたことでもわかると思うけどね、あなたが悪霊を倒す運命にあることは、本当だからね」
この神社の娘に生まれたことを、ほんの少しだけ後悔し、そしてそれ以上に、魔法のステッキと一生を共にしなければならないことに、大いに後悔したカオルだった。




