記号
彼女もなし。二年浪人したのち、東京大学には落ち、どん底のような人生の最中、浮かぶ言葉は青春時代に描いていた今日の自分のそれとは、大きくかけ離れていた。そのかけ離れに苦しむのも、もう飽きた。死にたい。ただ今は、それだけだ。飛び降りるか。首を吊るか。部屋の中のいたるところの隙間をすべてガムテープで塞いで、硫化水素ガスを充満させようか。友達もなし。未だバイト先の社員には頭の出来が悪いの類義語を連発される日々。暇を埋めてくれるゲームにも、漫画にも、アニメにも、お菓子にも酒にもタバコにももう飽きた。死にたい。頑張ってもいない自分は、死ねばいい。家族が死んでくれたら、安心して死ねるのにな。自分はそこのつながりはしっかり繋がれてしまっている。生き地獄だ。生き地獄だよ。お母さん。お父さん。生き地獄だよ。火炎瓶の作り方も、自殺の方法も、知らない人生がよかった。そういう家に生まれたかったよ。なんで、なんで。なんで、望んでもいないのに、僕はこうなったの。生きろなんて、言うなよ。街中どこを歩いても、すべての記号が生きろと僕に叫んでいる気がする。娯楽はすべて「こんなにたのしいものがあるの。だから生きて!」純文学はすべて「こんなにもつらい人がいるの。つらい人生があるの。あなたはまだ生きられる。だから生きて!」歴史はすべて「権力者に振り回され、望まず自らの命を奪われた人がいる。あなたは、生きるか死ぬかを選べる。だから生きて。」時計はすべて「今も時が進んでいる。やがて未来がくる。期待以上の未来が。だから生きて!」食べ物はすべて「あなたのエネルギーだ。喰らえ。そして生きろ!」睡眠はすべて「あなたの精神のエネルギーだ。眠れ。そして生きろ!」セックスはすべて「あなたはこうして生まれてきた。何前何万の精子から選ばれた逸材だ。人の形を成す前に失せたものがたくさんいる。さあ生きろ!」うるさいよ。「生きて!」は公に言葉にして。「死ね!」はそうしないんだ。すごいね。えらいね。
「死んで本望な人間なんているわけないだろ!」
たまたまつけていたテレビドラマの中で、俳優がそう叫んだ。「死んで本望な人間なんているわけないだろ!だから生きろ!」と。そうだ。死んで本望じゃない。もっと、生きたかったさ。生きたい理由はきっと、やりたかったんだろうな、女の子と。大好きな大好きな女の子と、思う存分セックスしたかったんだろうな。そのために食って、寝てきたんだろうな。ゲームや漫画で暇をつぶし、小説や哲学で死を踏みとどまってきたんだろうな。東大に入れば、女の子が寄ってくると思った。そうだ。セックスしたかっただけだ。セックスしたかっただけだ。でも、できない。こんな醜悪な身なりじゃ、できない。こんな足りない頭じゃ、できない。こんなプライドが高くちゃ、できない。
中絶人数は、日本で年間約15万件。乱暴な男のせいで、女が苦しんでいる。女も女で、酔った勢いで中出しなんてさせるから、男を悪者にしてしまう。中絶がフランスで禁止されていた時、女は自分の腹を鈍器で肋骨ごとへし折って胎児を殺した。資本主義社会の中じゃ、金に困って結局共倒れするからだ。生んで捨てるより、生む前に一思いに殺す。こんなこと、残酷でも何でもない、ただの自然だ。そう思えるようになったのは、いつだったろう。身体を売る少女も、非行に走る少年も、みんな愛が足りてないんだ。こんな場面の、愛の定義は、簡単だ。「生きろ!」と思ってもらうことだ。これは、伝わらなきゃいけない。自分は生きてていいんだと、思えること。そこへたどり着くことは、他人抜きでは絶対に為しえない。なのに、最後に必要なのは、自分が生きてていいと思うこと、という主観的な思惟である。難しいのは「生きてていいよ」と言葉にしてはいけないことだ。お母さんに、生きてていいよ、なんて言われたら笑ってしまう。だから今こそ、言うべきだ。あえて、言うべきだ。生きてていいよと、もっとわかりやすく、もっと目に見えるように、もっと弱者を救えるように、というこの世界の風潮に寄り添うように、みんな大切な人に生きてていいよと言うべきだ。
だけどみんな、その逆は平気で言っちゃうんだ。お前なんて生きてる価値ない。生きてる意味ない。邪魔。死ね。死んだ方がいい。平気で言う。自分にだって言う。それぐらい、世界は精一杯生きている。万人に生きろなんて言えるのは、想像力の欠けた、余裕のある人だけだ。目の前の人に、生きてていいよと言ってあげられることが、どれほど素晴らしいことか。本当はみんな、周りに死んでほしくてたまらない。恋人と、世界に二人だけになることを、どこか楽しそうなことだと思っている。誰も彼もが消えた街で、その世界の聡明なアダムとイブになろう、なんて思うとわくわくしてたまらない。みんな、大好きな人以外を殺したくてたまらないのだ。昔、ドラえもんの独裁スイッチという道具の話を読んだ時、僕はそう思った。良くないことを、思った、と思った。