第8話
「…………」
無意識のうちに求めていた?
わたしはそれを聞いたとたん、果てしない脱力感を感じた。
じゃあ、わたしっていったい何してたんだろうって。
わたし、もしかしたら無駄なあがきしてた?
最初からかなうわけないじゃん。
バカみたい、悪女になって、亜矢から真人を奪おうなんて意気込んじゃって。
「君にはすまないことをしたと思う。白状するが、僕は亜矢を抱けないストレスを君にぶつけただけだったんだ」
「そんな、謝らないでよ。抱いてって言ったのはわたしだし、だからってそれをたてに亜矢と別れてとかそんなつもりなかったし」
ううん。
ほんとは少し思ってた。
抱いてくれたってことは、もしかしたら亜矢への罪悪感から彼女と別れてわたしに心が向いてくれるのかも───って。
そういう打算が働いたこと、ほんのちょっとだけでもなかったとはいえない。
だけど───
「でも、なんで? なんで亜矢を抱いてあげなかったの?」
「彼女の夢、というか、貞操観念をね、尊重したいと思ったんだ」
「ああ、結婚するまでバージン守るってやつね」
そうなのよね。
あれにはびっくりしたのよね。
今どき、そんなこと守ろうとする子がいるなんて───
「僕はごく普通の男だよ。好きになったら相手を抱きたいと思うし。けれど、それだからって即結婚と言われても困るという気持ちもあるしね。亜矢のことは確かに好きだが、まだ結婚というところまで気持ちは固まってはいなかったしね。でも、彼女を無理やり抱くのは、とても僕には出来ないと思ったよ」
優しい真人───確かに優しい、本当に。
でも、今はそうは思えなくなっているというのも確か。
真人、それは違うよ。
それは本当の優しさじゃないよ。
彼女の気持ちを大切にしたいのはわかるけれど、何が彼女にとって大事なことなのか、それを考えてないよ。
「真人さん。わたし思うんだけどね。亜矢の考えも尊重したいという気持ちはわかるし、わたしも亜矢の考えも認めてあげたいと思うんだけど、わたしは亜矢とは違う考えなんだ。わたしは好きだったら結婚とかそういうこと関係なしに抱かれたい。好きな人と一緒に気持ちいいことしたい。それが一番の幸せだって思ってる。亜矢の考えもね、立派だと思うよ。きっと亜矢はいい奥さんになると思う。好きな人と結婚したら、亜矢は絶対浮気とかしないだろうし、一生旦那さんのことだけを愛し続けると思うし。けど、それだったら誰とも付き合わずにいなくちゃって。付き合うなら結婚を前提とした付き合いのできる相手としなくちゃって。そうじゃなきゃ、亜矢と付き合う人がかわいそうだよ。実際、真人さんは好きな人を抱けなくて辛い思いをしてたわけだし」
「…………」
「あのね、真人さん。こんなこと言うとすごくえらそうなんだけど。真人さんもね、本当に彼女のこと好きだと思ったのなら、彼女のその考えを何とか変えようと努力したほうがよかったと思うよ。で、それができないのだったら、きっぱりと彼女とは別れたほうがよかったんだと思う」
「貴世子さん……」
「そうじゃなきゃ、彼女だってかわいそうだし、それに真人さん自身もかわいそうだよ。そんなの本当に付き合っているとは言えないよ」
そうだよ。
そんなの本当の「好き」じゃないよ。
本当に相手を好きで好きでたまらなかったら、女は好きな人に抱かれたいと思うものだし、男だって心だけでなく身体も自分のものにしたいと思うはず。
それが「本当の好き」ってものなんじゃないかって、わたしはそう思う。
「はぁぁぁぁ。とはいえ、やっぱ振られちゃったわけだよねえ」
わたしは自分のベッドの上に大の字になった。
天井の模様を意味もなく見つめ、公園で真人と話した夜のことを思い出す。
あれから数日が経っていた。
亜矢からは何の連絡もないし、もちろん真人からも連絡があるわけない。
結局、彼は「それでも僕は何も言えないよ」とぽつりと言っただけだった。
彼は───
それでいいと思っているのだろうか。
変わりたいとは思わないのだろうか。
亜矢は?
亜矢の真人に対する気持ちは?
たった一度の浮気で簡単に無くしてしまえる気持ちだったのだろうか?
わたしは───
わたしはわからない。
思えばわたしって自分に対してそんなに厳しいわけでもないし、かといって自分で自分を甘やかしすぎるってこともないと思っている。
好きになった人のことも、ちょっとしたことで興味なくしてしまったりするし。
それも浮気とか相性が合わないとか、そういったものじゃなく、ほんのささいなことで興味なくしてしまったりする。
人から見れば「そんなことで?」といったようなくだらないことだったり。
それと同じで、好きになるのも、自分でも「えーどうして?」と不思議に思いつつも「あ、なんかいいかも」と思っていつのまにか好きになってたとかそういう感じ。
けど、それは人間に対してだけじゃなく、物とかそういうものでもそんな傾向がある。
たとえば───
仮に真人がわたしの恋人だったとして、誰かと浮気したと考える───そりゃ嫉妬心は感じるだろうけど、もう顔も見たくないなんて叫ぶほどの気持ちにはならないと思う。
「……………」
わたしってもしかして何かに熱くなるってことなかったかも?
わたしってもしかして───冷たい人間なのかも?
「そっか、そんな冷めた人間だったんだ、わたしって」
だからか───だから亜矢に惹かれたのかな。
わたし、なんだかんだ亜矢のこと言ったけれど、今だってやっぱり好きだし。
うん、もし、もしもよ、もしわたしが男だったとしたら、やっぱ好きだと思うんじゃないかなって思う。
そうだとしたら───なんだか真人の気持ちもわかる気がする。