第7話
亜矢のアパートを出て、わたしはとぼとぼ暗くなった道を歩いていた。
アパートの近くには公園があって、そこを通り過ぎようとしたら、ベンチに座っている真人を見つけた。
わたしは近づいてそっと隣に座った。
彼は目を伏せてじっとしている。
「どうして亜矢に言っちゃったの」
「…………」
やっぱり何も言わない。
何となくイライラしてきた。
そうか、そうなんだね。
ハッキリとしない態度って、こんなにイライラするんだ。
なんか今までわたしに対して、亜矢がどんな気持ちだったかわかった気がするよ。
「わたしは別に誠意なんか示してもらわなくてよかったのに」
「僕は君が思うほどいい人間じゃないよ」
彼が顔を上げてこちらを向いた。
意気消沈した表情をしている。
反則だよ、そんな顔見せるなんて。
思わず抱きしめたくなる。
「昔、僕は親友を裏切ってしまったんだ」
彼は静かに話し始めた。
それは彼の暗い過去。
きっと今まで誰にも話したことなかったのだろう。そんな気がした。
「大切な親友だった。だが、もう一緒に歩いていけないと思い、彼の元から去ったんだ。しかも、そのときに彼と付き合っていた彼女まで一緒に連れて。彼女は彼ではなく僕を選んだんだ」
「………」
「でも彼の元から去っても、彼のことは好きでね。結局連れ出した彼女ともうまくいかず、すぐ別れた。後悔したよ。あまりにも後悔したんで、一度死にかけたことがある」
「自殺しようとしたの?」
「自殺というか、自殺としか思えない行動だったよ。車をめちゃくちゃに運転して事故を起こしたんだ」
「…………」
わたしは、それを聞いて、心に何かひっかかるものを感じた。
けれど、それが何なのか思い出せなくて落ち着かなかった。
真人は続ける。
「僕は絶望したんだよ。大事な親友を裏切り、離れたはずなのに、そのことにばかり心を残して何も考えられなくなっていた。彼は許してくれないだろうし、心がすさんでいた」
真人は顔を両手で覆った。
その姿が痛々しい。
「誰かに依存するということは恐ろしいよ。自分さえしっかりしていれば、どんなことが二人の間に起こったとしても立っていられるものだ。どんなに考えが違ってても、相手のことを受け入れることができる。僕は彼の考えがどうしても受け入れることができず、一緒にはもういられないと思ったんだ。けれど、離れてみてわかった。どうしようもなく彼が好きなんだと。けれど、また一緒になるということは、彼に依存してしまうということ。それだとまた同じことの繰り返しだ。彼の元に戻りたい。けれど、それはできない。そんな葛藤のさなかに彼女に出会った」
「亜矢に?」
夜の公園はそよそよと風が流れていて、気持ちがいい。
傍に立つ木々が揺れている。
もう冬は終わり、春がきているのだなあと思わせる、そんな風だった。
「合コンで逢ったのが初めてではないんだよ。彼女のことは以前から知っていた。かわいい子だなあとは思っていた。ただ、僕は彼女のような明るすぎる子は苦手だったんだ。僕の親友だったらおそらく彼女のような子は好きなんじゃないかと思うよ。僕が奪ってしまった彼女もあんな感じの子だったから」
彼は自嘲気味に笑った。
「でもなぜかな。いつも僕はそういう明るい子に好かれる。だから、君が僕を好きだと知った時は少し驚いたよ。それもあって君を抱いてしまったのじゃないかと思う」
「…………」
なんかそれって喜んでいいのか怒ったほうがいいのか複雑───
つまり、言い方を変えれば、ただたんに興味が出たってだけで、好奇心から抱いたってことじゃないの?
しかも、次の言葉が最低。
「でも君を抱いて後悔した。僕はやはり亜矢が好きなんだなと気づいたから」
「それって…とおっても傷付くんですけど、わたしとしては」
わたしがむっとしてそう言ったら、「しまった」という表情を見せた真人。
なんでかな。なんか、それ見たら急に彼に対して怒る気も失せてきた。
「そうなんだよ。僕は自分の気持ちを正直に言うべきじゃないんだ。僕はどうも思いやりに欠けているらしくて、いつも誰かを傷つけてばかりいる」
ああ、そうか。だから彼は無口で何にも話さない印象があったんだ。
でも、だからってそれはなんか違うような気がするんだけど。
「だから、言わないようにしてるの? 自分の気持ちを?」
「そうだね。僕は臆病だって言っただろう。僕の発した言葉で誰かが傷付くのは怖い。僕の気持ちをぶつけることで壊れる関係が怖い。彼は、それで壊れる関係は本物じゃないと言っていたが、それでも僕は失うことが怖かったんだ。亜矢のことも…」
彼の表情が苦悶にゆがむ。
知らずズキンと心が痛む。
「彼女が前の彼氏に振られたことも知っていたよ。実はその彼は僕と知り合いだったんだ。だから君の言う通りだ。彼女がどういう心理状態か、僕はよく知っていた。彼女に何を言えばいいのかも」
「…………」
やっぱり、そうだったんだ。
でもわからない。どうしてそうまでして彼女をほしがったの?
彼女のような人間は苦手だと言っていたのに。
わたしは思わず言った。
「どうして?」
「わからないんだ。僕にも」
真人はそう言うと、星ひとつ出ていない空を見上げた。
まるで何かを探すように。とても優しい眼差しだった。
傍に立っている街灯に照らされた彼の目がキラリと光る。
「亜矢のことは知っていた。君も知っての通り、僕の勤めてる会社も彼女の会社の近くなのだが、彼女たちがよくランチに訪れる喫茶店に、僕もごくたまにだが行くことがあってね。彼女はとにかく目立つ女の子だったから」
「うん、それわかる」
「よく笑って表情がくるくる変わる……見てて飽きないなあと思ったよ。確かに僕は明るすぎる子は苦手だし、実際そういう子と何度か付き合っていつも疲れていたのは事実なんだ。けれど、さっきも言ったように、僕はなぜかそういう女の子に好かれる。でもね、亜矢に声をかけようと思ったとき気づいたんだが、どうやら相手が僕を好いてくれたのは、僕自身がそういう人を無意識のうちに求めていたからなんじゃないかとね」