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教皇は、王子が生活をはじめて7日目に、祈りの塔を訪れた。ある程度の生活の様子は聖女につけてある側仕えに報告させていたが、自身の目と耳で確認する必要もあり、7日に1度、様子を見に行くことが決まっていた。
教皇が祈りの塔にある応接室で待っていると、いつもは閑静な塔に似つかわしくない大きな足音が、部屋まで響いてきた。
「やっと来たのか!待ちすぎて、石になるかと思ったぞ!!」
王子が大きな音と共に応接室に走り込んで来ると、それから少し遅れて側仕えが1人、慌てた様子で入ってきた。
側仕えが恭しく教皇に跪くのに反して、王子は腰に手を当てると、怒り心頭に発するといった様子で、教皇に対してけたたましく喋りだした。
「なんなのだ、あの娘は!朝は無理やり起こし、嫌いなピーマンは無理やり口に放り込む。することがないから暇だと言えば、この俺に塔の掃除をさせたのだ!教皇、そのソファーは俺がきれいに拭いたのだ。決して汚すでないぞ!」
「お元気そうで何よりです。」
王子が教皇の座るソファーを指差すと、教皇は孫を見る様な優しい笑顔で見つめる。すると逆に王子は頬を膨らませた。
「何をのんきに『お元気そうで』などと言っておるのだ。掃除が終われば俺を書庫に連れていき、小難しい歴史書なんぞ読ませたのだぞ。まぁ、俺にかかれば、そんなものすぐに読破してみせたがな!」
頬を膨らませたかと思えば、どや顔で胸を張る様子に、教皇はクスクスと笑った。最初こそ、城とは違う塔での生活に慣れるか心配はしていたが、それは杞憂だったと悟った。
「聖女のことは少しは知れましたか?」
教皇が質問すると、王子はふんと鼻をならした。
「何が聖女だ。塔で祈りを捧げているだけの、ただの娘ではないか。」
「そうですか。」
王子の答えに、教皇はただそう返事すると腰をあげた。
てっきり、聖女は国を守っているのでそんなことは言ってはいけないとか、そういう物言いでも返ってくるかと思っていたので、王子は拍子抜けした。塔に来る前、城では教育係に、聖女は素晴らしい存在なので貴ぶようにと、耳にタコができるほどしつこく言われていたので、教皇もそう言うかと思っていたのだ。
「教皇にとって、聖女とは何だ。」
王子が逆に教皇に問えば、教皇はさらりと返した。
「国のために祈りを捧げて、魔物より民を守ってくださる存在です。」
教皇の返事は、まるで辞書に載っている言葉をそのまま読んでいるような、なんの思いもこもっていない感じがした。
王子は教皇がまた7日後にといって帰っていくのを、そのまま見送った。
毎日、日が昇ると共に起床し、塔の掃除をしたり、モリーナと共に祈りを捧げたり、書庫で本を読んだり。王子は次第に、塔での生活にあきあきしていくのを感じていた。
毎日同じことをすることの繰り返しで、外に出ることも許されない。それはまるで、永遠に続く牢獄のようだった。
モリーナと過ごして1ヶ月ほどたった時、いい加減嫌気がさして、王子はモリーナに問いかけた。
「モリーナ、祈りの塔を出る気はないか?」
「王子様、私はこの塔から出ることは許されません。」
ちょっとくらい塔をでてもいいのではないかと思ったのだが、モリーナにすぐに拒否されて、王子はムッとした。だが、他に興味を惹くものがあればその気になるのではないかと気を取り直し、更に続けた。
「ここはつまらぬであろう。世界は広い。広い世界を、共に見たくはないか?綺麗なものがたくさんあるぞ。」
「塔の窓から見える朝日や夕日は、何事にも変えがたい宝石のように美しいと思っております。私は、それが見れるだけで十分です。」
けんもほろろに断られ、王子はやっきになった。
「ならば、王宮の宝物庫にある金銀財宝を、そなたに見せてやろう。美しいぞ?」
「王子様、私はこの塔から出ることは許されません。お気持ちだけで十分です。」
「強情だな、お前は。なら、いつならばお前は塔から出られるのだ。」
いい加減焦れて、溜まりにたまった不満をぶつけるようにモリーナに言えば、モリーナはただ困ったような笑みを浮かべて答えた。
「私が死んだときです。」
そう答えるモリーナの言葉には、決意と共に諦めの声色も混じっているように聞こえた。