五百八夜、じいじの高校生生活 183 お母さんの家へ 50 義父 20
今日は、じいじの番です。
眠れないのかい、それは困ったねえ。じゃあ、少しお話をしてあげようかね。どんなことがいいかな。何がいい?
「・・・・・・」
そうだねえ、じゃあ、じいじが子供の頃のお話をしようかねえ。
まだ、高校生の頃のことだけれど・・・
少しまたお話がずれてしまったから、もとに戻さなければならないかな。じいじのお父さんとお母さんが離婚してから、じいじとお母さんが二人で遊んで暮らしていける余裕なんかはどこにもなかったようだよ。それ以前から、お父さんは体が悪くて、実質働けない状態が続いていた。だから、子供が生まれて、すぐに生活に行き詰ってしまったわけだよ。
お父さんも、このままずっとお母さんに働いてもらって自分の病気を治していければ一番よかったのかもしれない。しかし、この頃に胸の病気は、ひどくなってしまえばもうほとんど回復が期待できないような怖い病気だったんだよね。
今では笑い話になってしまったのだけれど、アメ○カ政府ではこの頃、日本人の生まれた時の平均余命を四十歳だと見積もっていたらしいよ。
確かに、生活水準に恵まれない人たちが多くて、それに、危険な職業での事故率なども影響してなのか四十数歳が出生時平均余命だったようだよ。もちろん、これは、誰もが四十数歳で死んでしまうってことではなくて、生まれた赤ちゃんの生存率が低かったことが、平均余命が伸びない主な原因だったのだけれどね。
ところが、そのアメ○カ政府では、青年が紡績工場でたくさんの埃の中で働かされて、安い賃金の上に肺の病気になって次々に亡くなってしまうって宣伝をしていたんだよ。まあ一面の真実はあるのだろうけれど、その頃アメ○カは、日本から輸出されている繊維製品の安くて丈夫な品質に悩まされていたから、そちらの方が大きな動機になっていたのだろうね。
人権のことを尊重しない国から、安い製品が大量に入ってきて、自国の繊維産業に大きなダメージを与えているって言いたかったのだろうね。
笑えて来るのは、今では逆に日本の方が他の国、例えば東南○ジア諸国に対して同じようなことを言っていることだね。繊維産業に関しては、日本国内では工場がほとんど壊滅したし、他にもいろんな産業の国内工場に影響しているよ。むしろ積極的にそれらの国に工場を進出させて、安くて、丈夫で、品質がいい製品を作って輸入しているくらいだから、損ばかりしているわけではないんだけれどね。
おや、眠たくなってきたかい、それじゃあ、おやすみ、いい夢を見てね。




