四百七夜、ばあばの洋裁学園生活 137 お母さんの入院 25
今日は、ばあばの番です。
眠れないのかい、それは困ったねえ。じゃあ、少しお話をしてあげようかね。どんなことがいいかな。何がいい?
「・・・・・・」
そうだねえ、じゃあ、ばあばが子供の頃のお話をしようかねえ。
まだ、洋裁学園の頃のことだけれど・・・
お母さんが入院した病院は大きくはないけれど、小さくもない、ごくごく普通の病院だった。外科専門だったけれど、入院設備は一応そろっていたようだ。
お母さんが寝ていたのは二階のフロアーで、いつもなら手術の後にその傷がいえるまでの間休むところなのだろうか。床は畳敷きで一人部屋だった。
この頃、今のような近代的な病室は大きな病院しかなかったと思う。一般的に、畳敷きの普通の部屋に簡易なベッドを置いて、そこで療養することになっていたところが多かったのではないだろうか。
逆に、見舞いにやってくる人たちにとっては、かえって板敷きの冷たい所よりも畳敷きのほうが、自分たちの日頃の生活で慣れている分、好評だったかもしれない。
子供づれで訪れてもそこいらで遊ばせることも出来るわけだから、むしろ、そのほうが便利だと思っていたのかもしれない。でも、本当の理由は一般の住居を改築した結果、二階にまでは気が回らなかったのか、それとも、あえてそれで間に合わせていたのかもしれないのだけれどね。
今でも、畳敷きで、一部にベッドが置いてある(二段ベッドの場合もあるけれど)付き添いの人が休むための部屋を用意している大きな病院もあるようだけれどね。まあ、この場合は狭いスペースでも割とたくさんの人が休めるからこうしているっていう実態があるんだけれどね。
ばあばたちが様子を見に来た時にも畳が敷いてある部屋は居心地が良かった。椅子をどこかから見つけてきて座ったり、忙しく働いている看護婦(この頃はこう呼ばれていた)さんの手を煩わせたり、しなくてもいいから便利だと言えるしね。
実態はどうなのかは知らないけれど、板敷きの床は、なんだか砂っぽくて不潔な気がしたこともあるしね。畳の部屋だとそのまま寝転んでも大丈夫な気がしたのも事実だよね。もちろん、科学的な裏付けがあるわけじゃないから、気持ちの問題なのだろうけれど。
もちろんお父さんは畳に直接、胡坐をかいて座っていたし、ばあばも横座りしてお母さんと話をしていたよ。そのことについてはもちろん、畳に直接っていう意識すらなかったように思うよ、本当に何も気にしていなかったさ。
おや、眠たくなってきたかい、それじゃあ、おやすみ、いい夢を見てね。




