三百二十七夜、ばあばの洋裁学園生活 97 友人Oさんとの日常 3
今日は、ばあばの番です。
眠れないのかい、それは困ったねえ。じゃあ、少しお話をしてあげようかね。どんなことがいいかな。何がいい?
「・・・・・・」
そうだねえ、じゃあ、ばあばが子供の頃のお話をしようかねえ。
まだ、洋裁学園の頃のことだけれど・・・
Oさんと街を歩き回っていたことまで話したっけね。Oさんとばあばは子供服を見るのが好きってところまでかな。
Oさんとばあばは二人とも子供が好きなのも同じだったけれど、それ以上に洋裁を進めていくうえで子供服っていうのが参考になるって思っていたんだよ。それに、同じ服って言っても自由度が広くて色使いやデザインも面白可笑しくすることが出来るってことが気に入っていたしね。
その頃にはまだ経済的にそんなに余裕がなかったこともあってか、子供服や子供用品専門のお店が知られていなかった。よく探せばどこかにあったのかもしれないのだけれど、ばあばもOさんも知らなかった。
子供服っていえば確かに面白いもの、興味があるものが多かったのだけれど、まだまだ決まったように地味目なデザインのものが多かったよ。今のようにキャラクターがテーマのさまざまのものなんかは見かけなかったし、キャラクター関係が扱われていたものには、ディ〇ニーのキャラが小さく刺繍されているとかワッペンが縫い付けてあるくらいだったさ。
もちろん、大人が身に着けるものにしたってデザイン的に変わったもの、凝ったものなんかはほんの一部の人たちが楽しんでいるだけだったよ。
大体が、洋服生地が大きく常識から外れることがなかったってことがあったよ。今から比べれば本当にやぼったくて(化学繊維の種類が少なくて、きれいに染料の発色が実現していなかったからかな。)街の中を見渡しても、大きく挑戦しているって感じる人たち(主に女性だけれど)にとっても、洋服っていうよりも帽子やアクセサリーに力を入れるしか自由がなかったように思うよ。
それらと比べれば、まだ多少は子供服のほうが「カワイイ」って感じるところが多かったよ。
服飾デザイナーにとってはどうやって外国のファッションを体型的に残念な日本人に合わせられるかに力を入れることになっていたしね。まだまだ日本独自のファッションなんかが生まれてくるようにはなっていなかったさ。残念なことだけれど、戦争に負けてしまったことですっかり自信が無くなってしまったように見えるよ。
おや、眠たくなってきたかい、それじゃあ、おやすみ、いい夢を見てね。
まだまだですか。




