二千二百三夜、ばあばの洋裁学園生活 1035 友達の家へ 13
今日は、ばあばの番です。
眠れないのかい、それは困ったねえ。じゃあ、少しお話をしてあげようかね。どんなことがいいかな。何がいい?
「…………。」
そうだねえ、じゃあ、ばあばが子供の頃のお話をしようかねえ。
まだ、洋裁学園の頃のことだけれど……。
──どうしても自分の力で実現をしたいと求めている、そんな夢を持つことは、その人にとっては素晴らしいことなのだろうと、ばあばは考えている。
何度も挫折をしながらも、その夢に向かってひたすら努力を重ねていくような人のことを、ばあばは尊敬をしたいと考えている。
でもそれは、あくまでもその人個人のことであって、ばあばを含めてのことではないだろうと思う。
ばあばは、ただ普通に生きていて、ごく普通に生活ができていればそれでいいと考えている……。
世の中には、できることとできないことがあるのではないだろうかなあって、ばあばは感じている。
人生は、飽くなき挑戦なのだと考えて、日々努力を続け、その夢の実現や成功を目指している人たちもたくさんいることなのだろうと、ばあばは考える。
そんな努力をし続ける人のことを、ばあばは尊敬をするし、尊重もしたいと思っている。
ただ、それは、その人個人の想いのはずなのだ。その考えを、ばあばにまで拡げてくれなくてもいいと考える。
ばあばは、世の中のいろいろなことで心を搔き乱されないように、穏やかに、心静かに暮らしていきたいと望んでいる。
ただ、その考えを他の人たちまでに拡げていきたいとは望んではいない。この考えや生き方も、ばあば個人の考えであり生き方なのだから……。
ばあばが小学校や中学校で教育を受けてきた時には、クラスのみならずに学校全体で競い合い、高め合い、伸ばし合うということが、その学校の教育方針だったような気がする。
ばあばは、その学校全体が包みこまれているような、そんな周囲の状況には慣れることも馴染むこともできなかった。
そして、ばあば自身の自由な心の在り方が、どこか虐げられていたり、無視がされているような気が常にしていたような気がする。そこでのばあばは、悲しい思いが湧き出てくるような気持を常に感じていたようにも思う。
学校でのたくさんある教科の内容について、あるレベルまで理解が至っていないと、落ちこぼれだと判断がされてしまう……。
学校自体がそのように判断をするのだから、生徒間でもそれに習うように、その価値観が蔓延するのはごく普通のことなのだろうとも思う。
学校教育というものは、たくさんの生徒の能力を、同時に一定水準まで高めていかなくてはいけないのだろうと思う。
たくさんの生徒が一つの教室に集まっているのだから、そこで同時にできることということは、限られてしまうということについては、ばあばでも理解ができる。
おや、眠たくなってきたかい、それじゃあ、おやすみ、いい夢を見てね。
良い夢に恵まれますように、おやすみなさい。また次の夜に……。