第2話 気まずい相棒
「は、ぁ………っ、ま、待て……!」
地面にひれ伏すように倒れた女が、重い頭を必死に上げる。派手に切った額から血がダラリと垂れて、視界を邪魔した。
女は前をキッと睨みつける。傷の痛みを押し殺して、力一杯叫んだ。
「止まれ!!」
声の先。背を向けて逃げる一人の男。その腕にはブレスレットがある。
「止まれと言うのが聞こえないのか! 反逆と見なすぞ!」
しかし男は振り返りもしない。悪い足場にもつれそうになりながらも、必死に走っている。
「……っ」
女は血だらけの手を懐に入れる。小型のケースを開けるとスイッチが一つ。
「最後の警告だ! 止まれ!」
だけど足を止める気配の無い男に、女は親指に力を入れた__……。
◇◆◇
「はーーああぁぁぁぁぁぁぁぁ……」
昼過ぎの喫茶店。
ランチを楽しむ客でそこそこの賑わいを見せる店の中、盛大な溜め息が木霊する勢いだった。
「幸せが逃げるよ、大志くん」
カウンター席に突っ伏す大志の頭に気遣わしげに声を掛けるのは、この店のオーナーである押耳だ。まだ若い男性だが人の良さそうな笑顔が親しみやすく、店の雰囲気もそれに応じているように居心地が良いと評判である。
数年前に地方から上京してきて、自分の地元の名産であるコーヒー豆を広めたいと店を開いた。大通りから一本外れた、隠れた名店。料理の味も申し分無いが、なんと言っても卵料理が美味い。
大志は入隊前、お小遣い稼ぎに何度か店を手伝わせてもらった。押耳とはだいぶ気心が知れた仲だ。
「軍のお仕事、順調な滑り出しって感じにはならなかったみたいだね」
「詳しいことは軍規上言えないんだけど……俺、なにしてるんだろうって凄い自己嫌悪中……」
ハルカの遺族に遺体を渡し、すぐに葬儀を終えて墓地へと運ばれていった。
それが昨日の話だ。地獄のような初任務から三日が経った。
大志は葬儀には参加しなかった。ハルカの親には気に入られていなかったのもあるが、どんな顔で彼女の両親の前に立てばいいのかもわからなかったので、これでいいのだろうと思っている。
両親には謝りに行くことも考えたが、それは自己満足に過ぎないのではないかと冷静な自分が判断してやめた。
「新人のうちは失敗することもあるさ」
「いや、あれは本当に無い……失敗とかそんな範疇じゃない。その人の所為じゃないのに、思わず責めちゃったんだ。その時はなにも考えられなくて、どうにかしないと気が狂いそうで怒鳴り散らした。この数日、冷静になってみると自分のアホさ加減に嫌になる……」
「謝りに行けばいいじゃないか」
「軍の施設は広いから、同じ班でもない限り会えることはほぼ無いんだ。その人の住居も知らないし、よく居る場所も知らないし……上に掛け合えば教えてくれるかもと思って行ったんだけど、先日の任務の件でゴタゴタしててあしらわれて終わった」
「八方塞がりって感じかぁ」
ふと、すごく近い位置でコーヒーの良い香りが漂った。
何事かと大志が顔を上げると、押耳が湯気を立てるコーヒーを一つ、大志の前に置いたらしい。
「私からの奢り。これで元気出して、ってのはさすがに烏滸がましいけど、ちょっとは心が落ち着くよ」
「押耳さん……なんでそんな良い人なの……」
「君にはよく手伝ってもらったからね、まぁこれくらいは」
大志はさっそくカップを持ち、一口。
豊かな香りが口に広がり、濃いのに後味は爽やかな独特の風味。店自慢の一品にするだけはある。
「あぁ〜、やっぱこの味だなぁ」
「美味しいかい?」
「うん。俺、押耳さんのおかげでコーヒー飲めるようになったんだ。それまでは苦い泥水だと思ってた」
「それは光栄だね。大志くんのお友達もじゃんじゃん連れて来てよ。あ、宣伝用のチラシ持ってく? ていうか持って行って欲しいな。持って行こう」
「そういう商魂たくましい感じ、押耳さんだなぁって思う」
優男に見せかけて強かな性格が、この店が繁盛している要因かもしれない。
「今日はランチは食べて行くかい?」
「あ、これから仕事なんだ。また今度、時間がある時に食べに来るよ」
「そっか、残念。大志くんの好きなオムライス、いつでも提供できるようにしておくよ」
「ありがと、押耳さん」
そう言うと、大志は椅子に掛けてあったスーツのジャケットを羽織る。
扉を潜る直前に振り返ると、押耳が手を振っていた。大志も軽く手を挙げて返して、店を後にする。
一人になると、途端にいろんなことが頭を駆け巡る。
本部へ向かう道中、考えるのは幼馴染のハルカのことばかりだった。
幼い頃から一緒で、軍の訓練施設に入って、同期として入隊して。
なんやかんやこれからも、ずっと一緒に居るものだと思っていた。
口うるさいしワガママで我が強い女ではあったが、不思議と憎めない人間性を持っていて。
大志は振り回されっぱなしだったが、それでもやはり、ずっと隣に居るものだと思っていた。
これはきっと、甘い考えなのだろう。軍に入隊を決めた時点で__いや、この世に生きている時点で覚悟しなければならないことだった。
今、隣にいる人間は、いつまでも隣にいるとは限らないと。
(それでも世界は、回っていくんだな)
誰が死んだって、世界は円滑に回る。
現にハルカが死んでも、世界は何も変わらない。深い関わりがあった大志ですら、根本の部分は変わっていない。ただ、『気持ちという一過性のものが揺れている』だけである。
そして目下の悩みは、銀臣のことだ。
このまま顔も合わせず時間が解決してくれる手もある。だが謝らないのは気が引けるし、謝れば謝ったで自己満足のようにも思える。
もしかしたら銀臣は呆れているかもしれないし、怒っているか、はたまた悲しんでいるのかもしれない。会って話すことが手っ取り早いのだろうが、あいにくと会う手段が今のところ無い。
そこで大志は、気を持ち直す。
(とりあえず、会ってから考えよう)
もしかしたら、もう二度と会わないかもしれない。
それならそれで仕方ないよなと、大志は思う。
◇◆◇
「じゃ、今日から二人で組んでもらうから、ヨロシクねーん」
目の前に座る気の抜けた上官の声に、しかし大志はそれどころではない。
班長クラスが主に待機している詰め所。その中で大志は下げ気味の視線をチラリと横に向ける。
陽の光にチカチカと反射する銀髪。すらりとした手足。整った顔。
「みやもっちゃんは新人だから、いろいろヨロシクね、シバちゃん」
「はい、堤さん」
なんだそのアホっぽいアダ名と言ってやりたい気分だが、しかし大志はやはりそれどころではない。
「じゃ、お互いご挨拶しよー」
「またよろしく、宮本くん」
「よ、よろしくお願い、します」
件の美青年、柴尾銀臣はニコリと笑う。
(どんな展開だ、漫画かよ!)
会えればいいとは思っていたにはいたが、こうも急だとむしろ反応に困る。
大志はなんとか笑顔を絞り出すのに精一杯であった。
そんな大志の気まずさを余所に上官である男性、堤凪沙の話は続く。
「これから暫くは君達の直属の上司になる、堤班長統括でーす。みやもっちゃん、この前の戦闘のことが評価されて、無事に専用の工作員が付きました。おめでとね。じゃ、次の任務も頼んだよ」
見た目も態度も軟派。色の付いたゴーグルを首に掛ける、軍人というよりホストのような風体。
堤は回転椅子を高く鳴らして机に向かい、次の任務の詳細が乗った資料を大志に渡す。
「次の任務内容は、音信不通になっている軍人一名、工作員一名の捜索」
大志が持つ資料に二人で目を落とすと、そこには二名の顔写真と簡単な情報が載っていた。
「急に連絡が取れなくなっちゃったんだよね。事件に巻き込まれているのか、なんらかの理由で連絡が取れない状況なのか、または、まぁもうこの世にはいないって線もある。つまり、なにもわかってない状態なんだけどね。その初動捜査をキミたちに任せたい。事件なら解決してくれればありがたいし、遺体を見つけたらサクッと回収して欲しい。二人で解決できない、または慎重にやるべきだと判断したらすぐに連絡すること。つまり、現場の判断に任せるって感じ」
じゃ、ヨロシクねん。
そう言ってから、堤は即座に机に向き直った。積み上がった書類の山を見るに、忙しいのだろう。
大志は邪魔をしないように失礼しますと声を掛けてから、銀臣と部屋を出る。
それなりに人の居る昼間の廊下で、二人の間にだけ気まずい沈黙が流れる。いや、それを感じているのは大志だけかもしれない。
また横目で銀臣を見ると、彼は特に変わりが無いように思える。何から言うべきかと大志が思考に入ろうとすると、銀臣の方から口を開いた。
これで銀臣の方から以前のことの苦言を申してくれれば、会話の切り口が見えると思ったがそんなに甘くはない。
「とりあえず、車を借りに行こうぜ」
「そ、そうですね」
やはり自分から言うべきだよなと、さっさと歩いて行ってしまった銀臣の背中を追いながら彼は反省する。
そうやって始まった相棒生活。またも順調な滑り出しとは行かず、大志は頭を抱える。
「許可できないわね。たかが初動捜査任務に四駆の軍事車両を割り当てるなんて。二駆がせいぜいでしょう」
帝国軍機動第三部隊の隊長補佐、三島美馬は眉をこれでもかと寄せる。
「あの、堤班長統括の許可は得ていますが……」
大志が遠慮がちに声を上げると、三島は眼光を鋭くした。
「あの人は適当過ぎるのよ。今は、ただでさえ反乱軍との交戦で車両が足りてない状態なのに。四駆の車両は緊急時の為に待機させるべきだわ。あなた達は二駆の小型車を使いなさい」
まさに取り付く島も無い。三島はさっさと小型車のキーを大志に押し付けた。
納得しない部分もあるが、上司がそう言うなら仕方がないと大志が諦めかけた時、銀臣が「お言葉ですが」と切り出す。
「捜索範囲である岩流地帯は、道が整備されきっていない荒れた土地です。二駆では危険かと思われます」
「猟犬ごときが軍人の判断に口を挟まないで」
これまでで一番の棘のある声に、銀臣ではなく大志の方が萎縮してしまった。
しかし銀臣は表情一つ動かさず、いつもの穏やかそうな表情で黙り込んだ。
それでも三島は続ける。
「あなた達は軍人をサポートすることが仕事のはずよ。それ以外は余計なことしないで。黙って従っていればいいの」
さすがに止めようか、でもどうやってと大志が考えていると、銀臣がまた薄く笑う。
「はい、申し訳ありませんでした」
(納得すんのかよ……いや、諦めか)
むしろ初任務で出会った近藤のような人間の方が、この国には少ない。
猟犬へ好意的な態度を取る軍人は稀だ。とくに近藤や三島の代では。酷い表現にはなるが、下僕のように思っている者だっている。
かつての戦犯子孫、危険因子、国に身を捧げて当たり前。それがこの世界の常識だ。
銀臣は慣れている、危険視されていることに。蔑まれることも、差別されることにも。
だけどそれに反発をしない。反発をしたら更に攻撃をされる。その差別に身を任せ、相手の意識が逸れるのを待つ、一種の防衛。
(ここで俺が反発したら、柴尾さんの立場が悪くなるだけだよな……)
これは決して言い訳ではないと、大志は自分に言い聞かせる。
ここで上官に意見したところで、それは自分が気持ちいいだけの正義だと考える。その正義はきっと、銀臣の為ではない。
「二駆の小型車で出動します」
「それでよろしい」
ここで大志が出来ることは、せめて上官の意識を逸らすこと。
意見せず、反発せず、相手の流れに任せる。そうすればすぐに終わる。
「三島チャーン、俺が許可出したことに口を挟むのもどうかと思うよ〜」
大志が車庫に向かおうと踵を返したタイミングで、声が上から降ってきた。
三人で見上げると、軍本部であるコンクリートの建物が真っ先に目に入る。更に視線を上げると、三階の窓から堤が顔を覗かせていた。
「堤さん……」
三島が苦々しく顔を歪めた。
明らかに歓迎されていない雰囲気でも、堤は笑顔で返す。
「シバちゃんの言う通り、あそこは危ないから。四駆の中型車を使わせて」
「待ってください。四駆も納得できないのに中型車ですか!? 捜索任務に必要な装備とは思えません!」
「じゃ、車両が空いているにも関わらず使わせてあげない理由を、俺が納得できるようにプレゼンしてよ。それで納得したらみやもっちゃん達には小型車使わせるから」
へらりと軽薄そうに笑うが、その口調に少しの『命令』の雰囲気が混ざった。それに三島は姿勢を正し、声を張り上げた。
「現在、各地で反乱軍の突発的なテロ行為が頻発しています。より危険度の高い任務がいつ入ってもいいように、四駆車両はできるだけ待機させておくべきです」
「ハイ、却下〜」
「な、なぜですか!」
言い切ってやったと言いたげな表情で堤に意見したが、一瞬で破棄されて途端に顔を真っ赤にした。
堤は「可愛い顔にシワができちゃうよ」とよくわからないフォローを入れて、火に油を注いでいる。
「では堤さんのお考えをお聞かせください!」
「んーとね、まぁ前提として、三島チャンの考えも賛成できる部分はある」
「では__……!」
「でもね、『いざって時』に備えすぎて目の前の任務に十分な備えで向かわないのは、それはそれで違うと思うのね」
「……」
「危険度の高い任務は与えられた状況の中で最善の策を、比較的安全な任務はより安全な策を、それが鉄則だと思うわけよ。じゃないと、助かる命も助からないからね」
言い終わると、堤はニッコリ笑った。
軽薄で胡散臭いものではなく、まるで幼子に言い聞かせる聖職者のような雰囲気で。
三島は顔を真っ赤にして睨みつけている。しかしそれは怒りからというより、なぜかどこか可愛らしい表情だった。大志は首を傾げる。
「……わかりました、四駆中型車の準備を急ぎます」
「良い子だね、三島チャン」
「子供扱いしないでください!」
「新人のキミの教育係は俺だったのよ〜? 俺からしたら子供みたいなもんじゃん?」
「意味不明です!」
つっけんどんに返して、三島は乱暴な足取りで車庫に歩き出す。
それを笑って見送る堤は、思い出したかのように大志を呼んだ。
「みやもっちゃん、さっき渡し忘れた資料があるから、悪いけどロビーまで来てくれる?」
「はい」
「シバちゃんは先に車に乗って待機しててねん」
「わかりました」
大志は小走りでエントランスからロビーに入って、堤を待つ。
少し遅れて堤が悠々と歩いて来た。大志は敬礼で迎える。
「ゴメンね、二度手間になって」
「いいえ、そんな」
「これ、渡し忘れちゃってさ。みやもっちゃんが持ってて」
そう言って堤が差し出したのは、超小型のケースだ。
「……これは」
「工作員のブレスレットに内蔵された、毒の起動装置」
毒という言葉に、大志は一瞬心臓が跳ねた。
「起動先は、もちろんシバちゃん。キミ専用の工作員だから。シバちゃんがもし、国に反旗をひるがえすような行動を起こした場合、キミは迅速に彼を始末する必要がある」
ケースを開けると、簡素なスイッチが一つ付いているだけだった。こんな小さなもの一つで命を奪えるのかと思うと、大志はなんとなくすぐにケースを閉じる。
「キミの右手親指の指紋に反応して起動する。キミ以外の人間が起動することはできないし、仮に戦闘中にケースが破損してスイッチが押されても、誤作動することはない。このスイッチは正しく、キミの指紋以外には反応しない」
「……つまり柴尾さんが毒死した場合、仮に俺がどんなに言い逃れしようと、俺以外に犯人は有り得ないということですか」
「そーいうこと。失くさないようにスーツの内ポケットにでも入れておいて。まぁ、誰かが拾ってスイッチを押したとしても、スイッチは起動しないけどさ」
言われた通り、大志はスーツのジャケットを少し持ち上げて、内ポケットにスイッチを仕舞う。堤はそれを見届けてから、徐に口を開いた。
「キミは彼の生殺与奪を握っている。だけどだからこそ、約束してほしいことがある」
いきなり真剣味を帯びた堤の声に、大志は無意識に背が伸びた。
「決して私情で押すなよ。例え任務の方針で対立しても、反りが合わなくても、あと女を取られても。『社会的危険性を理由にしていないものは全て私情』だ」
軽薄さが鳴りを潜め、堤は威圧するように大志を見た。
その雰囲気は、まるで人をも殺せそうなものだった。大志はその時、予感した。
もし私情でスイッチを押せば、堤は一生自分を軽蔑する。あらゆる手段を使って制裁を下されるだろうと。
大志は唇をきゅっと結んでから、背筋を更に伸ばした。
「はい、心得ます」
「うんうん。ま、みやもっちゃんみたいなタイプは大丈夫だと思ってるけどね」
(俺、どんなタイプに見えてるんだろう……)
頭に浮かんだ疑問を飲み込んで、大志はその場を後にした。
後ろではひらひらと手を振る堤が見送っている。
◇◆◇
走行時間が五時間を越えたあたりで、車窓の景色からすっかり民家が消えた。
回りはゴツゴツとした岩肌ばかりだ。かろうじて道は存在するが、時々転がっている石を踏むとガタンと跳ねる。帝都の道と違って、旅人や商人が踏んで均した道は振動が絶えない。
そして絶賛、車内には沈黙が満ちていた。
大志は今日何回、横目で彼を見ただろう。
車を運転する銀臣は、先程から他愛ない話しか振ってこない。と言うか、事務的である。道は合っているかとか、酔っていないかとか。
大志はその度に簡潔に答え、そしてまた沈黙が流れるのを繰り返している。
謝罪するにもそれができる雰囲気ってあるよなと、大志は言い訳にも似た……いや、言い訳した。
(いやいやわかってる。このまま先延ばしにすればするほど謝りにくくなるよな……)
だけどいざ口に出そうとすると、『何かが』邪魔をする。
己に完全に否があるからこそ、謝れない。「ごめんな〜」と軽いノリで友人とやりとりするような案件ではない。人間は完全に自分が悪いとわかっていると、改めて謝罪できない場合がある。自尊心の問題だろうが、大志もそれに当てはまる。
(ハルカの言う通り、臆病なんだよな……俺)
自分の言動が相手に与える影響が怖い。
相手に対してどんな態度が、どんな言葉が正解なのかわからない。下手なことはしたくないし言いたくない。それが例え謝罪だとしても、どんな謝罪が相手の求めるものかがわからない。
いざ口を開いても、肝心の言葉が出てこない。
「そういえばさ」
「は、はい」
いきなりの銀臣の声にわずかに肩を揺らして、大志は運転席を見る。
銀臣は前を見たまま、世間話のようなトーンで語り始めた。
「鬣犬と巨牙王のことなんだけど、なにか聞いてる?」
心臓が跳ねる。次には質問の意味を考えた。
「なにか、とは……」
「アイツらが虹霓の森にいるなんて、今まではあり得なかった。観測史上初の出来事だ。研究部の見解だと、環境の変化なんじゃねぇかって」
「環境?」
「人間の居住区域が広がって、住処を追われたり食べ物が無くなったりで南方地方から流れてきたんじゃないかって説が有力らしいぜ。あの森は再調査の為、軍が再び介入するらしい。近々また行くことになるかもしれねぇな」
「そうですか……」
「……」
「……」
「………」
「………」
そしてまた、沈黙が訪れる。
会話を広げる能力が無さすぎる己に絶望しながら、大志は気づいた。これはチャンスなのでは無いかと。
銀臣がせっかく『あの森』のことを話題に出してくれたのだから、それに乗っかって「その時のことだけど」と切り出してしまおう。そう思って、意を決して大志は顔を上げる。
「あの」
「なぁ」
「……」
「……」
全く同じタイミングで声が上がった。
大志は予想外のことに固まり、銀臣も同じ理由で閉口する。そうすると車内にはまたも沈黙が落ちた。
「あ、柴尾さんからどうぞ」
「いやいや、宮本くんがどうぞ。俺より目上なんだし」
「現場の上では柴尾さんが先輩ですので」
「軍は縦社会だ。宮本くんの発言権の方が優先されるべきじゃねぇ? あれ、その図式だと俺って敬語じゃないとダメか?」
「敬語はやめてください、さすがにいたたまれません」
慌てて拒否してから、お互いの出方を伺う雰囲気が流れる。
気まずい沈黙に耐えられなくなったあたりで、銀臣の方から口を開いた。
「あー……じゃぁ俺から」
銀臣は前を向いたまま、ハンドルを切る。大志も前を見たまま続きを待った。
「あ」
ガタンと、車体が大きく跳ねる。
反射的に口を閉じた。舌を噛みそうになって暫く黙る。ガタガタと車体が揺れ、道の悪さを物語った。
この岩流地帯は、第四次世界大戦の影響で環境が変化した際に出来たものだとされている。
大洪水が岩をも押し流し、現在は水が干上がっていて流された岩だけが転がっている。土が悪いのか植物も根付かない。
「……道、悪いですね」
「目的地に着く頃にはタイヤがすり減ってるなこりゃ」
「疲れてますよね。運転、代わります」
「あー、じゃあお願い」
一旦車を止めて、シートベルトを外す。席を交代してすぐに再発進した。
助手席に移った銀臣は、グローブボックスに収納してあった捜査資料を取り出すと読み始めた。
「酔いますよ」
「だいじょぶ、三半規管強いから」
なおざりに答える銀臣の意識は、手元に集中している。
「消息不明なのは一等軍士の平野涼子、工作員の小島啓介。バディ歴六ヶ月。失踪事件が続いている中洲村に調査に赴き、連絡が途絶えた。なんだよ、マジでなんにも詳細が載ってねぇな」
「はい、ほぼ手探りでの捜査になりそうですね」
「ま、初動捜査だから、解決に向けての取っ掛かりを見つければ十分だと思うぜ」
「それが難しいんじゃ……」
「ははっ、そりゃそうだ」
役に立つ情報がなにも載っていない資料を乱雑にグローブボックスに突っ込み、銀臣は背もたれに寄りかかった。
道はだいぶ安定してきて、タイヤが踏み均した跡が見える。銀臣が地図を広げ、コンパスを頼りに位置を測る。どうやら道なりに走り続ければ目的地である中洲村に着くようだ。
「着く頃には夜中だな」
「今日のところは宿探しですね。捜査は明日にしましょう」
「さんせー」
「あ、そういえばさっきは__……」
ガタンとまたも車体が跳ねて、いきなりハンドルを取られた。
大志は慌ててハンドルを強く握る。車はまっすぐ進まず、慎重にブレーキを踏んで停車させた。
確信に満ちた予想に、大志は冷や汗をかく。
「……これはまさか」
「まさかだな」
二人で車を降りて、タイヤを確認する。左の後輪がパンクしていた。
「あぁ……やっちまった、すみません」
「いや、ここはよくパンクすんだよ。尖った岩とか普通に転がってるから。世間じゃバミューダトライアングルって言われてんだぜ」
「そのネーミングはさすがにおもしろいですね」
「あ、やっぱそう思う?」
とりあえず予備のタイヤと交換しようと大志が荷台の扉を開けた時、後ろからクラクションが鳴った。他にも通行人がいるらしい。
「すみません、パンクしちゃって」
避けて通る道幅は十分あるのにと思いつつ、大志は振り返る。
「だろうと思った。おにーさん達、人手がいるなら貸すよ?」
若い人懐っこそうな女が、運転席から顔を出している。
ぱっと見は大志と同じか少し上くらいの年齢だ。高い位置で結ったポニーテールがよく似合っている。
「大丈夫です。替えのタイヤは持っていますし」
「もうすぐ暗くなるよ。ここらへんは夜行性の危険種がいっぱいなんだから」
「だったら尚更、俺たちに構ってないでお嬢さんは道を急いだ方がいいんじゃないですか?」
「わ、良い男。いっそう放っておけなくなった。乗って行く? 牽引してあげるよ、この先の中洲村までだけど。タイヤは明日の朝にでもゆっくり替えなよ」
銀臣を見た瞬間、わかりやすく声が上がった。だけど決して嫌なものではなく、彼女の素朴な印象からか微笑ましさすら大志は感じてしまった。
彼女は見るからに『田舎の子』という雰囲気で、帝都を歩いている同じ年頃の子とは全く違う。
「あ、それは助かる。俺らも中州村が目的地なんですよ」
ラッキーと銀臣が上機嫌に呟いてから、ハッと思い出したように大志に振り返る。
「って、決定権は宮本くんにあるよな。宮本くんの判断に任せる」
「え、俺? あ、でも一般の方に迷惑をかけるわけには……」
「そんなこと気にしなくていいよ。家に帰るついでなんだから」
ハキハキとした口調通り、人当たりが良い彼女は「乗って乗って」と誘う。
大志と銀臣は顔を見合わせた。
◇◆◇
車窓からは岩肌が見えなくなり、木々が増え始めた。
三人乗り用の横に広いトラックは、少し重そうに軍用車を牽引して走る。
彼女は新渡戸ミカと名乗った。生まれも育ちも中洲村で、父の農業を手伝っている。
今日も街まで収穫した野菜を納品しに行った帰り、大志たちを拾ったというわけだ。
「本当に助かりました。お礼は軍を通して必ずします」
「え〜、そういうのいいよ。なんだか恥ずかしいし」
眉を八の字に垂らして困るミカに、隣に座った大志が首を振る。
「そういうわけにはいきません。一般の方からご協力頂いたことは上に報告するのが義務ですので」
「あのさぁ、これっていわゆる『親切』じゃん? 人と人が対面している親切に組織とかそういう野暮なものを入れるのやめようよ」
「お、良いこと言うじゃねぇか」
「ちょっと柴尾さん」
「真面目すぎる飼い主ってのも犬ッコロは息が詰まるぜ」
言葉のわりには口調が穏やかな銀臣は、退屈そうに窓の外に視線を移す。
木々の間に民家が見え始め、更に進むと暗闇の中に明かりが集まっているところに出た。
「ようこそ、アタシの自慢の村、中洲へ!」
ミカが誇らしそうに声を上げる。
二階建てが並ぶ木造りの家々。家と家の間には畑が広がり、家畜がひっそりと休んでいる。
多くの人が『田舎』と聞いたら思い浮かべるような、のどかそうな村だった。
「おにーさん達、宿はもう決めてるの?」
「いえ、まだ」
「じゃ、アタシが知ってるところでいいなら紹介するよ。安宿だけどそこそこキレイ」
「なにからなにまですみません。お願いします」
大志に「りょうかーい」と軽い調子で返して、ミカはハンドルを目的地へ向かって切った。
◇◆◇
「へぇ、帝都の軍人さん。そりゃ上客だねぇ」
「一番良い部屋使わせてあげてよ、オッチャン」
「おう、ミカちゃんに頼まれちゃイヤとは言えねぇな」
「あの、どうぞお気遣いなく……」
一応任務なので予算は抑えるべきですしと、大志は小さく付け足す。
余計な物や華美な装飾も無い、旅人が素泊まりする為だけの本当に簡素な造りの宿。
そのフロントで、ここの主人である壮年の男性は豪快に笑って迎え入れてくれた。
「帝都からここまでなんてさぞ疲れただろう。個室を二つでいいだろ、にーちゃん達」
「はい、ありがとうございます」
主人から鍵を二つ受け取って、大志は宿泊に必要なものが最低限入ったカバンを肩に掛け直す。
「すみません、近くに食事ができる店はありますか?」
「にーちゃん達、夕飯まだなのかい?」
「はい」
「あー……そりゃ困ったな。もう店は閉まってるぜ」
「え、まだ九時前ですよ?」
「田舎はこの時間には閉まっちゃうところが多いよ」
驚いて少しだけ声のトーンを上げた大志に、ミカは「都会から来る人ってみんな同じようなこと言うね」と笑った。
帝都から大きく出たことのない大志は、カルチャーショックと言っても過言ではない衝撃を受ける。帝都ではまだこの時間、飲み屋が一番盛っている時間だ。買い物帰りの若い女だって歩いている。
「ウチは素泊まり宿で食堂はねぇし……俺の料理はとてもお客様に出せるもんじゃねぇしなぁ……」
「あ、じゃあウチに来る? 残りものでいいならあると思うよ」
ミカが心配そうに提案してくるが、大志も銀臣も首を横に降る。銀臣がにっこり笑ってやんわりと断った。
「人の家にお邪魔するには遅い時間だしな」
「でもご飯どうするの?」
「非常用の携帯食を持参しているので大丈夫です。新渡戸さん、いろいろとありがとうございました」
それで頭を下げてしまえば、ミカはそれ以上なにも言わなかった。
人懐っこそうに笑って、くるりと背を向ける。
「おにーさん達の車は宿の駐車スペースに置いておくから。私の家は丘の上のオンボロ屋敷。なにか困ったらいつでも来てね」
バイバーイと手を振って去っていくミカを見送ってから、銀臣は部屋に向かおうとする。その肩をすかさず掴んで、大志はにっこりと笑った。
ギクッと震えた銀臣が、苦笑いで振り返る。
「非常事態に備えて、パンクしたタイヤを交換しないといけませんよね?」
「……おっしゃるとおりです」
銀臣は素直に従う。
疲れた体に鞭打ってタイヤの交換をして、ようやく体を休ませる。
明日の行動開始時間を打ち合わせてから、隣り合った部屋の扉を開ける。大志は扉を閉じてさっそく背伸びをした。
長距離をずっと座っていたからか、なんとなく背中の筋肉が縮んでしまっているような感覚がする。首回りをストレッチすると軽くコキッと鳴った。それから部屋を見渡す。
こじんまりとしていて、簡素な机と椅子にベッド。クローゼット。バストイレが付いている。大志はスーツのジャケットを脱いでから、ベッドに座る。
帝都からずっと離れた小さな村。失踪事件が頻発しているとは思えないほどにのどかそうな村だ。
とりあえず、今日は休もう。そう思ってシャワーを浴びようと立ち上がった時、ふと思い出した。
「そういえば柴尾さん、なんて言おうとしたんだろう」
それも明日、折を見て聞こう。そう思ってから、大志は疲れた体をシャワー室へと向けた。




