エピローグ 天使の涙
場は嵐の後のようであった。
青年たちが町に着いたのは明け方だった。もうすでに、全てが終わっていた。
帝都へ続く線路の爆破も、武器輸送列車の奪還も、なにも成し遂げられていなかった。
燃え尽きて崩れ落ちそうな家々からは、独特の焦げ臭さが漂ってくる。乾いた空気が肌をピリッと引きつらせた。
大通りには帝国軍の車が何台も止まって、交通整備をしている。
爆発現場の検証や思わぬ火事の後始末に奔走していた。町の住人は軍人へ説明や今後の対応を求めて群がっている。
「ダメだ、リーダー格はみんな殺られてるか捕まっちまってる。怪我はしちゃいるが、生きてた奴は何人か車に運んだ。さっさとズラかった方がいい」
男が、青年のいる路地裏に入って早口に結果を告げる。
もうすぐ軍の検問が張り巡らされる。そうなる前に町を離れたい。道中で出来るだけの生き残った仲間を拾って行くくらいしか、男たちに出来ることは無かった。
「………おい、聞こえてるか?」
返事の無いのを訝しく思って、男は青年に近づく。
青年は朝日が真っ直ぐに差す路地裏で、屈んでいた。そこに何かあるのかという男の疑問に真っ先に答えたのは、鼻を嫌に刺激する鉄臭さだ。
青年の肩越しに見る。頭に穴の空いた遺体が一つ、打ち捨てられたように横たわっていた。
二人がよく知る男だった。田舎に妻と娘がいる。妻が病気で、金が欲しいと常々言っていた。右の胸ポケットにはいつも最愛の妻子の写真を入れている。
「……ッチ、帝国の奴らめ……」
男は忌々しげに舌打ちをした。
仲間の死体を見るのは気分が悪い。何度見ても慣れるものではないし、生前の姿を思い出すと遣る瀬無い気持ちになる。その家族まで知っていると尚更だ。
「俺らの手で墓を作ってやりてぇところだが、死体は積めねぇ。生きてる奴を優先するべきだ。もう行くぞ」
男が車に戻ろうと半身を引きながら青年に声を掛ける。
青年が動いた。亡骸に向かって手を伸ばす。
血で汚れるのも気にせず、両手で優しく亡骸の手を包み込む。
熱を伝えるように力を込めて握りしめてから、そっと丁寧に地面に置いた。それからゆっくりと立ち上がり振り返る。
「……ハンカチなんて気の利いたもん、持ってねぇぞ」
「要らないよ。汚してしまう」
「アホか。ハンカチは汚す為にあるんだろうが」
「というか僕、ハンカチはいつも持ち歩いているよ」
「そりゃ紳士様に失礼しました」
青年は、瞳から一筋だけそれを流していた。喚くことなく、しゃくり上げることなく、ただ静かに。
朝日を浴びる青年の髪は、天使の羽のように輝いている。
どこもかしこも白い、陽の中に溶けてしまいそうな風貌の青年。唯一色を持つ青の瞳から水滴が落ちる。青年のこういうところが、やっぱり普通の人間なのだと男に再認識させる。
青年は落ちていくものを拭うことなく、足元の亡骸を想って泣いた。
それから優しく、だけど強く、祈るような声で言うのだ。
「きっとこれは、いつか誰かのロウソクの火になる。または虐げられた者たちが焚べる薪になる。そうして燃え上がった炎が、この人の送り火になればいい」
民衆が燃やす聖火が、今までの犠牲者たちの黄泉路を照らす光になるように。
青年はそんなことを、心から祈るほどには人間味に溢れている。
朝日の中で、どこかの女が『天使』と見間違えた人間の涙は、耽美の香りが漂うようにその場を濡らした。