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ダブルスタンダード  作者: 佐藤あきら
1/12

プロローグ 世界の産声

「赤ん坊が生まれる時、なぜ泣くかのを知っているかい?」


 一瞬、子守唄(こもりうた)かと思った。

 風に乗って飛んで行ってしまうのではないかと思うほど、青年の静かな声が鼓膜こまくを揺らした。

 その隣に立つ男は、質問の意図いとを探る為に青年を見る。

 青年は笑っている。おだやかで優しげで、なのにどこか空虚くうきょな印象を受ける笑顔だ。この青年はいつもそうやって、まるで見守るように人間を見る。


「……泣くように遺伝子いでんしにでも組み込まれてんだろ。泣くために泣くんじゃねぇか?」


 答えのようで全く答えになってない、あまり深く考えてもいない答えに青年は声を出して笑う。

 男も真面目に答えたわけでもないので、その笑いを甘んじて受けることにした。自分でも頭の良くない返答をした自覚はある。

「お前は本当に、おもしろいね」

「うるっせぇな」

 吐き捨て、男は青年から視線を移して遠くを見る。

 


 海の見える町だ。



 しばらく滞在したここは、新鮮な海のさちが堪能できる活気のある港町。

 早朝のまだ弱い日差しは、それでも海面に反射してチクリチクリと目を焼く。

 青いキャンパスに所々浮かぶ黒い点は、屈強な男どもを乗せた漁船だろう。眼下に広がる町は今日もにぎわっているに違いない。

 主婦の井戸端会議いどばたかいぎ、子供の高い声、商売人の呼び込みが聞こえそうで聞こえない。そんな距離にある丘の上で、二人は暫しの談笑を楽しんでいた。

「テメェはその答え、知ってるのかよ」

「知らない」

「って、なんだそりゃ」

 あまりにも当たり前のように青年が言うので、男は素っ頓狂な声をあげる。

 青年は特に気にした様子も無く、海を眺める。潮風を堪能するように目を閉じた。

 気が向いたように黙り、気が向いたように話し始める。青年の性格をそこそこに知っている男は、気が向くのを待つ。

 そうすれば予想通り、青年は語り出す。御伽噺おとぎばなしの最初を語り出すように、ゆっくりと丁重に。



「赤ん坊が泣くのはね、生まれた時からこの世に絶望しているからさ」



 本当に穏やかな声の持ち主だ。そんな声で静かに語るものだから、子守唄と勘違いしてしまうのだ。

 そんなことを考えながら、男は黙って続きを聴く。

「望んでもいないのに否応いやおう無しにこの世に引きずり出されて、絶望だらけのこの世界で生きていかねばならない。その不安に押し潰されて耐えきれず泣き叫ぶんだよ」

「……どっかの小説?」

「さぁ? もしかしたら誰かも同じようなことを言ったのかもしれないね」

「テメェ、さっき答えは知らないとか言ってたじゃねぇか」

「事実なんてものはこの世に存在しないよ。存在するのは解釈のみだ」

 何が楽しいのか、青年は愉快そうに笑っている。

 これからとんでもないハッピーエンドを語るよ、とでも言うような声でこんな話を振るものだから、たまに本当にハッピーな話をされると困惑してしまう時すらある。

「人間はみんな泣きながらこの世に生まれて、死ぬ時はそれぞれだ。さて、お前はどんな風に死ぬのかな?」

「これから喧嘩を始めようって奴にデリカシーのねぇことを言うなよな。テメェは死ぬ時も笑ってそうだけどよ」

「まさか、きっと泣いて喜んでるさ」


 __だって僕が死ぬ時は、世界が生まれ変わった後だから。


 青年は夢見る子供のように、まっすぐな目で海を見る。

「生まれ変わった世界でも、海は青いままかな?」

 そして本当に、子供のような突拍子とっぴょうしの無い質問をするのだ。

「知らね。生きて確かめに来ればいいだろ」

「それもそうだ」

 素っ気なく男が答えても、青年に気にする様子は無い。

 男の簡潔で一見冷たそうな態度には青年もとうに慣れている。クールを装っているが、誰よりも仲間思いで情に厚い性格であるのを、青年は知っていた。


「じゃぁ、テメェが変えた世界じゃ、もう赤ん坊の産声うぶごえは聞けねぇってわけか」

「まさか、赤ん坊はちゃんと泣くよ」

「……世界を変えるんだろ」

「うん。でも変わった世界にだって、きっと新しい絶望が生まれる。絶望はきっと、どんな世界にだって原動力として存在する。それを受け止めてどう行動するかは、その赤ん坊の好きにすればいい」

「テメェが壊したいのは『今の絶望』ってわけね」

「そう。それ以外もそれ以上もそれ以下も、後はどうでもいいかな」


 とても熱く、冷めたことを言う。

 こんな虫一匹殺せなさそうな穏やかな青年が、これから大きなはたを掲げて派手な喧嘩をしようと考えているなんて誰も思わないだろう。

 でもこの青年は元来がんらい、争い事は嫌いなのだろうなと男は予想している。

 あくまで予想であるし、確証に至る根拠も無い。

 だけどきっと、季節の移ろいや子供の遊ぶ声、美味しいパン屋を見つけたとか、気まぐれな野良猫がなついてくれたとか。

 そんなどうでもよくて取るに足らない、当たり前のことが好きな普通の人だというのが、男の青年へ対する印象だった。

「……難儀なんぎなやつだな、テメェも」

「ん? ごめん、聞き取れなかった。もう一度言ってくれるかい?」

 小さく呟けば、それは潮風に乗って飛んで行く。

 青年は申し訳なさそうに聞き返した。少しでも音を拾う為に耳に手を当てるのは、彼のくせだ。

「なにも言ってねぇよ」

「おや、そうか」

 しらばっくれる男に、青年はあっさりと引いた。

 なにも言ってないなんて簡単な嘘、青年はわかっているが、それでもしつこくすることは無い。

 青年は気が向いたように黙り、気が向いたように話すからだ。今は黙る方に気が向いたというだけの話。


 背後で、車が止まる。


 これからの旅の為にあつらえた、水陸両用の装甲車そうこうしゃ。仮に検問で中身を調べられれば、一発で過剰武装として逮捕されかねない程に中身はまっている。

「時間だ」

「うん」

 青年は最後に、海辺の町を目に焼き付けるように見渡してからきびすを返した。

 さっさと車へ向かう男に追いつき、楽しそうに言う。



「じゃぁ、がんばってみようか」



 これから自分たちがする事に対してなんと軽い言い方だと、男は呆れのため息を一つオマケしてやった。

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