第96話 わかりません
元気がないように見える八重花を見送った叶は太宮神社に向かった。
途中で裕子に打ち上げに誘われたが
「にゃはは、今日はちょっとダメなの。」
と久美が珍しく辞退したのでそれに便乗する形で断った。
その後裕子は芳賀に声をかけていたが叶はその真意に気付いていない。
叶は意外と鈍い子である。
叶は先日琴から告げられた"太宮様"の予言がずっと気になっていた。
(半場君が危ない目に会うならその前に探し出さないと。)
結局琴頼みなのを申し訳なく思うものの叶には自力で探し出す能力は皆無と言えるので仕方がなかった。
今日も琴と茶飲み話でもしながら陸探索の計画でも立てようと考えていた叶は
「このインチキ占い師が!二度と来てやるものか!」
高そうなスーツを着て頭がだいぶ寂しくなった恰幅の良い中年男性が顔を茹で蛸のように真っ赤にしながら鳥居の向こうに大声で怒鳴り声をあげていた。
秘書か運転手か微妙な男性が宥めながら車に誘導していたが中年男性は車のドアが閉まるまで罵詈雑言を吐き続けていた。
黒塗りの車は叶の脇をすり抜けて去っていった。
叶は胸に手を当ててホッと安堵のため息を漏らした。
「ビックリした。今の人、どこかで見たことがある気がするんだけど?」
いまいち思い出せないまま神社に入ると本殿の前に琴が立っているのが見えた。
相変わらずいつの間に帰ってきているのか謎の人だ。
叶はゆっくりと近づいていくが琴は気付いていないらしく俯いていた。
さらに近づいていくと
「……いいのに。」
「?」
琴が地面を凝視しながらブツブツと何かを呟いていた。
いつもとは違う雰囲気に叶は少し離れたところで足を止めて耳を傾けた。
琴は体の奥底から絞りだしたような声で呟いた。
「信じないなら天罰を受けて死ねばいいのに。」
「こ、琴先輩?」
口調や言動が普段の琴とかけ離れすぎていて叶が恐る恐る声をかけると琴は顔を上げ
「叶、さん?」
ようやく叶がいることに気付いた。
キョトンとしたまま見つめ合うこと数秒
「あ、あの…聞いて…」
琴の顔がみるみる青ざめていった。
小刻みに震える体を抱き締めながら怯えたように後退る姿はやはり普段の琴とは違い、叶は心配になった。
「琴先輩、大丈夫ですか?顔色悪いですよ?」
「叶さん、さっきの、きき、聞いてしまいました、か?」
冷静沈着な琴には似つかわしくない狼狽で
「はい。」
「あぁー!」
叶が素直に答えると琴は突然泣き崩れた。
驚いたのは叶である。
事態はまったく飲み込めていなかったが地面に蹲ってすすり泣く琴を放っておけるわけもなく
「琴先輩。とりあえずお家に入りましょう?肩に掴まってください。」
「うう、叶さん。」
弱々しく顔を上げた琴に微笑みかけて社務所に向かった。
見よう見まねでお茶汲みをして部屋に戻ると琴はちゃぶ台の前で正座したままどんよりとした雰囲気を纏っていた。
叶の淹れたお茶を一口啜ると
「はあぁ。」
重いため息を漏らした。
「…お見苦しいところを見せてしまってすみません。」
落ちた頭もそのままに琴は深々と頭を下げた。
「や、そんな、全然気にしてないですから!」
むしろ琴の態度に叶は気を使いっぱなしだ。
落ち込んだ琴を慰めたいのだがいったい何に落ち込んでいるのかわからず困っているのである。
「あの…何があったか話してもらえますか?」
仕事のトラブルのように見えたので聞くべきか迷ったが"友達"としての心配が勝った。
琴は湯飲みを両手で包み込んでお茶に映る自分の姿を見てまたため息をついた。
「今日も"太宮様"の先見を行っていたのですが、『貴方は春を迎える前に不祥事により失脚する』と正直にお伝えしたら怒りだしまして。」
「あ、あの人!総理大臣の人!」
叶は驚きの声を上げた。
"太宮様"はそんな大物まで頼りにしているのに一介の女子高生が占ってもらってしまったことが申し訳なく思えた。
「はい。"太宮様"の先見はあくまで占い。未来の幸運を呼び込み、未来の不幸を遠ざける標となるもので決して確定した未来というわけではないのに。…それをあのじじいは怒鳴って…」
後半また暗いオーラを立ち上らせて口汚い口調になったが叶は気にしなかった。
身を寄せて俯いた琴の肩を抱く。
「よく当たる"太宮様"に悪い占いを言われたら誰だって信じたくありません。総理さんもそうなってしまうのが怖かったから怒鳴って否定したかったんですよ、きっと。」
琴はフルフルと力なく首を横に振る。
そこまで思い詰めているのかと心配になる叶だったが
「そんなことはどうでもいいのです。ただ、わたくしは穢い言葉を使ってしまいました。叶さんはそんなわたくしを嫌いになりませんか?」
それはある意味とても琴らしい言動で、叶は小さく笑みを溢した。
「嫌いになんて、なりませんよ。」
その思いを証明するように肩を抱き寄せて頭を胸に抱え頭を撫でる。
琴は驚いてされるがままになっていた。
「さっきの総理さんと同じです。不安なこと、嫌なことを言葉で否定したいときもあります。別に私はちょっと琴先輩が悪い言葉を使ったくらいで嫌いになったりしませんよ。」
「うわぁん、叶さーん!」
琴はとうとう本格的に泣き出して叶の胸に飛び込んだ。
しゃくり上げながら何度もありがとうというので叶も今度は慌てず、優しく受け入れた。
場違いながらその姿は慈愛の聖母のようであった。
「…またお見苦しいところを。」
嬉し泣きで号泣した琴は立ち直るとまた落ち込んでしまった。
普段冷静な分怒ったり落ち込んだりするとなかなか立ち直れない質のようだった。
叶は手を横に振って否定する。
「琴先輩には頼ってばかりですから、私も力になれたなら嬉しいです。」
「叶さん、あなたは聖母様ですか?」
琴はもう崇拝かと思うくらいに叶を眩しそうに見ていた。
「えと、神社で聖母様はいいんでしょうか?」
神社に仕える巫女が神仏混同というかそういうのはどうなのだろうと叶は苦笑した。
そんな叶を見つめていた琴は真面目な顔になっていた。
「叶さんは…」
「何ですか?」
琴は何か言いかけたところでやめてお茶と一緒に飲み込んでしまった。
「あぁ、お茶が美味しい。さすが我が家のお茶です。」
「あはは。」
また少し親しくなれたような気がして叶は無邪気に笑うのだった。
「それで、半場君が危ない目に会う予言を避ける方法はないんですか?」
本来の用件にようやくたどり着いたが琴の反応はいまいちだった。
「半場陸さんが先見の力を持っているのでしたらご自身も気付いているはずです。それでも争いの中にいるということは当人に抜け出す意思がないのかもしれません。」
少なからず真実を捉えた琴の言葉だったが叶には納得できるものではない。
「でも、半場君に危ない目にあってほしくないです。」
「大切なのですね、半場陸さんのこと?」
ボンと音が鳴りそうなほど叶の顔が真っ赤になった。
ブンブンと忙しなく手を振り回して慌てる。
「な、なな、何を言ってるんですか!?わた、私は…」
「良いのですよ。恋い焦がれる乙女ですもの。ほほほ。」
琴は完全に悪戯っ娘の顔をして袖で口元を隠しながら笑っていた。
だがテンパった叶にそれを気にするだけの余裕はない。
「恋い、焦がれ!?確かに会いたいですけど、でも、そういうことじゃなくて!」
「白状してしまいましょう。叶さんは半場陸さんに戦ってほしくないですよね?」
「そう、ですけど。何なんですか、琴先輩、少し変ですよ?」
叶の指摘に琴は微笑むだけだったがフッと琴の顔に影が落ちた。
その表情の変化に戸惑ってしまう。
「…本人が戦いを望んでいるのだとすれば、それを止めることは叶さんの偽善となりますよ?」
「あ…」
そして悲痛な様子で告げられた言葉に叶はサッと血の気が引いた。
「叶さん。貴女に半場陸さんの意思をねじ曲げてでも戦いを回避させるだけの覚悟はありますか?」
さっきまで騒いでいたのが嘘のように社務所は静まり返っていた。
コチコチと時を刻み続ける古時計の音が妙に大きく聞こえる。
ゴクリと唾を飲み込むのですら苦しいほどに喉が詰まる。
琴はお茶に手をつけず、ただ静かに叶の返答を待っているだけだった。
だが叶にとってそれは無言の重圧に他ならない。
(半場君の意思をねじ曲げる?半場君は戦いたいの?でも私は、危ないことをしてほしくないよ。)
思いは決まっているのに陸の意思がわからないから答えにたどり着けない。
長い長い沈黙が空間全体を暗く重くしているようだった。
逡巡の果て、叶はゆっくりと顔を上げた。
その表情は決意のこもった力強いもので琴は微笑む。
「決まりましたか、答えは?」
「わかりません。」
叶ははっきりと迷うことなくそう答えた。
面食らった琴は目をしばたかせ
「それが答え、ですか?」
再度問い直したが
「はい。どうしたいかなんて私には決められません。」
叶はきっぱりと言いきった。
(叶さんは強く成長したように思えましたがまだでしたか。)
琴には叶の返答はどうするべきか自分では決められないと弱音を吐いているように見えた。
妙に自信満々な様子は不可解だったが自分の弱さを隠すための虚勢だと納得し、落胆した。
「だから、半場君とどうしたら会えるか教えてください。」
「え?」
「半場君と話をして、それでも戦うというなら私は止められません。でも、半場君の意思をねじ曲げないためには話さないといけないから、だから今はまだわかりません。」
琴はしばらくの間、驚きのあまり瞬きすら忘れてしまった。
(まさかこれほどまでに叶が成長していたとは。自分の意見を押し付けるわけでも、相手の意見に迎合するでもなく、相手を理解しようとする意志。しかと見せていただきました。)
琴は娘の成長を温かく見守るように叶の姿をじっくりと見つめた。
かつては陸に声をかけるのにも躊躇っていた気弱な少女はもういない。
作倉叶は優しさを持ったまま強く成長していた。
「叶さんの意志と覚悟、しかと見させていただきました。それならばわたくしも覚悟を決めて全力で助力させていただきましょう。これより"太宮様"の先見を行います。」
スッと立ち上がり社務所を出ていく琴を叶が慌てて追いかける。
向かった先は本殿奥の間、以前"太宮様"に占ってもらった部屋だった。
叶を部屋へと通した琴は筆と硯、紙をお盆に乗せて戻ってきた。
「通常、"太宮様"の先見は分岐点を見つけ出し、より良い未来へと向かう道筋を示すものです。ですが今回は半場陸さんに出会うまでの道筋を可能な限り追ってみましょう。」
ただし陸に訪れる災厄より前に出会える保証はない、その事実を琴は叶に伝えなかった。
(数多ある未来から災厄よりも前に叶さんが出会える過程を見つけ出せばいいのです。)
「それでは"太宮様"がいらっしゃるまで少々お待ちください。」
言うが早いか琴は部屋を出ていってしまった。
今日はお茶を出されなかったので畳の匂いを感じながら待っていると全身が白で統一された巫女"太宮様"が部屋に入ってきた。
以前言われた注意を思い出して口をつぐむ。
(そう言えば"太宮様"の格好って白無垢みたい。)
2回目でなれたこともあり叶は観察する余裕を持っていた。
硯で墨を擦り、筆を用いて紙へと未来を書き連ねていく。
以前は数行で終わった先見だったが今回は長く、新たに墨を擦る必要があるほどだった。
(すごい。今未来を見てるんだ。)
相変わらず何が書いてあるかは達筆すぎてわからないが紙の上に叶の未来が記されていく。
(でもこれって他の人に見られたら私が何をするのか知られちゃうってことだよね?)
叶が心の中で慌てているうちに"太宮様"の筆は止まり一礼して出ていった。
と
「如何でしたか?」
「わっ!」
数秒後駆け込んできた琴に叶は驚きつつ巻物にしたためられた未来を見せた。
琴はそれを見て
「…5時20分太宮神社を出る。…」
つらつらと読み解いていく。
叶は嫌な予感がして恐る恐る尋ねた。
「琴先輩。それってもしかして…」
返ってきたのはとても清々しい、怖いくらいの笑顔だった。
「叶さんには未来予定の通りに生活していただきます。これで半場陸さんに会えますよ。」
(なんだか凄く嫌ー!)
こうして叶の「予定表生活」が幕を開けたのであった。