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Innocent Vision  作者: MCFL
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第95話 戦乙女の決意

テストが終わった。

毎度の事ながら"終わった"生徒が燃え尽きていたりするがとにかく年末最大の試練は終わり、後は数日の授業を残して冬休みに入る。

クラスメイトの大半はクリスマスや年末の予定について話していた。

叶も例に漏れずその1人である。

「お疲れさま、裕子ちゃん。久美ちゃん、できた?」

「叶ぇ。」

「にゃはは、ダメダメだ。」

裕子は勝負の体裁を装う力もなく机にもたれていて、久美はすでに諦めたように笑うだけだ。

尤も裕子の勝負相手の芳賀も席についたまま魂抜けているので似たようなものだが。

「だ、大丈夫だよ。」

どうフォローすべきか困った叶はとりあえず宥め励ますことにしたが

「叶、現実を知らしめることも優しさよ。」

後ろからやって来た八重花に諭された。

八重花は裕子と久美の前に立って指を突き付けた。

「今まで自分達がどれだけ私や叶に依存していたかよく分かったはずよ。」

コクコクと怯えた様子で頷く2人。

ここで反抗しようものなら今後助けてくれなくなるかもしれないからだ。

だが

「だから今後は自分の力で頑張りなさい。」

「八重花ぁー!」

「やえちーん!」

八重花の事実上の協力拒絶宣言に2人は涙声を上げてすがり付いた。

叶がおろおろしているのはどちらの心情も理解できるから。

八重花は泣きついてくる2人を冷たくあしらいながら

「…いつまでも私が面倒を見てあげられるとは限らないんだから。」

誰にも聞こえないような声で呟いた。

その表情はどこか悲壮に満ちていた。


それは1日目のテストが終わった放課後。

学内に残っていてはいけないということでヴァルキリーのメンバーは以前撫子たちが陸と対談した喫茶店に出向いていた。

八重花は辞退したかったが重要なお知らせがあると連れて来られていた。

深い木の茶色にコーヒーの匂いが染み付いた喫茶店は本来ならコーヒーがメインなのだろうが皆の前に出されたのは紅茶だった。

しかも葵衣がカウンターで淹れていた。

撫子の紅茶好きには呆れるとばかりに肩を竦めるメンバーである。

葵衣が席についたところでさてと撫子が言った。

皆の視線が集まる中で撫子は機嫌が良さそうにしていた。

「"Innocent Vision"との決戦の日取りが決まりました。12月24日、その日に"Innocent Vision"を打ち倒します。」

撫子の宣言に一同唖然とする。

葵衣ですら固まってしまったのだからよほどのことだ。

「な、撫子様。それはいつ決まったのですか?」

緑里が疑問の一つを口にした。

皆が真剣に耳をそばだてる。

「本日登校していた江戸川さんと話し合いました。」

江戸川蘭の名前に八重花と葵衣以外のメンバーが眉を潜めた。

一度はヴァルキリーに身を寄せながらあっさりと"Innocent Vision"に寝返った人物なのだから当然である。

「あの人との話となると、信用して平気かな?」

良子の意見に頷き再び皆が撫子を見る。

だが撫子はあくまで微笑んでいた。

「問題ありません。あの時の江戸川さんは、ふふ、乙女でしたから。」

思い出し笑いまで見せた撫子に皆は首を捻るばかり。

「何にせよ、花鳳様が24日に日取りを決めたというわけですね。なぜわざわざ24日、クリスマスイブに?」

残念ながらヴァルキリーのメンバーに彼氏持ちはおらず、特に予定がないのが実状だったがジュエルの中には当然予定が入っている者もいるだろう。

そして戦いがあると知れば競争意識の高いジュエルは予定を振り切ってでも戦いに参加する。

"日常"を壊してでも"非日常"の先にある栄光を求めるのだ。

そして100を越えるジュエルの軍勢の中でも数人、もしかしたらジュエルからは1人も栄光を掴める者は出ないのかもしれない。

あるのかもわからない椅子を巡って醜い本性をさらけ出す乙女たちに撫子はなんの感慨も見せない。

「戦う気迫は先に待つ幸福があれば高まります。

今年最後の登校を終え、クリスマスと冬休みを迎える状況への高揚感。

先に待つ楽しみのために皆必死になって戦ってくださるでしょう。

そして生き残らなければ楽しいイベントのすべてが失われる恐怖や怒りがソルシエールの糧となる。

これほど好条件は他にありませんよ。」

人の感情すらも利用する撫子の考えに畏れを感じつつも、それほどまでに割りきらなければ"Innocent Vision"には、インヴィには勝てないのだと思い改める。

「戦場もこちらで用意できることになりました。ヴァルキリーとジュエルを最も効率よく運用できる場を選び、磐石の体制で迎えましょう。」

日時、人員、場所とそのすべてを自由に選べる権利を得て絶対的優位に立っているにも関わらず撫子を除くメンバーに喜びの色は薄い。

「ヴァルキリーは常に圧倒的に有利な条件でこれまでも"Innocent Vision"と戦ってきました。それでもインヴィを倒せていませんわ。今回こそは勝てますのね?」

ヘレナの疑問は全員共通の意見だ。

もしも今回の戦い、4対100の戦いで"Innocent Vision"に敗北したりすればヴァルキリーのソーサリスとしての自信は失われる。

自分たちは選ばれた人間だと胸を張って言えなくなる。

(冗談ではありませんわ。)

自分たちよりも、自分よりも上の存在を認めることはヘレナにとって苦痛だった。

ただでさえ撫子すら追い越せていないのにさらにその上が現れては雲を掴むような話だ。

ヘレナは苛立たしげに金色の縦ロールの髪を弄る。

撫子もその思いを知るからこそ、彼女は自信に満ちた笑みを絶やさない。

「勝つのです。ヴァルキリーの理想を貫く茨の道を進むために、"Innocent Vision"という壁は絶対に越えなければならないのですから。」

撫子の言葉に込められた熱い想いにメンバーの動揺も収まり一つの目的に集束していく。

美保が眼鏡の奥の瞳を細めて口の端を釣り上げた。

「それなら誰がインヴィを倒せるか勝負しましょうか?何か景品でも付けて。」

それは皆を鼓舞するためとも、狩りを楽しむためとも取れる。

美保の表情は壮絶な笑みに変わっていた。

美保の"殺る気"に当てられてヴァルキリーのメンバーもまた不敵な笑みを溢した。

皆の左目が淡く朱に輝きそれぞれの顔を照らしあげる。

「インヴィを倒せば富と名声が手に入ると伝えればジュエルももっと働いてくれるかもしれないね。」

「それはいいですね。尤も、インヴィを譲るつもりはありませんけど。」

悠莉の挑発的な発言はその実1人に向けられていた。

半場陸を追うためにソーサリスになった東條八重花。

皆はここで戦闘が始まるのではないかと危惧しつつ視線を八重花へと注いだ。

だが、八重花は穏やかなままだった。

何処とも知れない窓の外を眺めて表情を無くしている。

「東條さん?」

肩透かしを食らった悠莉だったがそのあまりの反応のなさに逆に心配になって声をかけた。

「…"Innocent Vision"との決戦ね。」

ようやく視線を戻した八重花の呟きにはどこか嘲りが含まれているようだった。

その不穏な様子を敏感に感じ取った緑里が不機嫌さを露にして尋ねる。

「何か言いたそうだね?」

八重花は目を閉じて首を横に振る。

「いえ、何も。ただ、盲目的にりくを相手にしていて平気なのかと思っただけです。」

「つまり、ジェムの襲撃があるというのですか?」

八重花の提示した懸念材料にメンバーがまた揺らぎを見せる。

"Innocent Vision"が相手ならば4対100だがそこにジェムが参入してくればその構図は一変する。

ジェムが"Innocent Vision"を重点的に狙うならば問題ないがただ近くにいる相手に襲いかかってくる場合、襲撃される大多数はヴァルキリーやジュエルとなってしまう。

さらに少人数の"Innocent Vision"はその隙をついて身を隠してしまえばヴァルキリー対ジェムの全面戦争へと発展する。

襲われれば戦う外なく、消耗したところを"Innocent Vision"に攻撃されてヴァルキリーが壊滅するという最悪のシナリオを八重花はどこか楽しげに語ってみせた。

「りくを巡る戦いには当然参加させてもらうわ。でも、それだけに構って足元を掬われるのはね。」

盛り上がっていた空気が一気に重苦しくなり皆の朱色の左目も元に戻ってしまったが誰1人として文句や反論を出す者はいなかった。

八重花の発言は至極正論だったのだから。

八重花は静まり返った面々を見て今度こそ嬉しそうな笑みを浮かべた。

「尤も、私はジェムが来ようが来るまいがりくに群がるソーサリスの相手をさせて貰いますけどね。」

今度は悔しそうに顔を歪ませるヘレナや緑里、美保だったがやはり誰からも異論は発せられなかった。

八重花がヴァルキリーに在籍している理由は"Innocent Vision"にいるソーサリスをすべて排除し、半場陸を自分のものにするためなのだから。

八重花は楽しそうにフフフと笑いながら席を立ち上がった。

「ごちそうさまでした。それでは失礼させていただきます。」

口調は丁寧に、表情には隠しきれない笑みを湛えつつ八重花は喫茶店を出ていった。

美保が舌打ちをして八重花が出ていったドアを睨み付けた。

「何なのよ、あれ?人がせっかくいい気分だったってのに。」

「ですが、東條さんの言い分も真実です。蔑ろには出来ませんよ。」

美保の怒りも、悠莉のフォローも皆が重々承知していた。

視線を向けられた撫子の表情からはいつからか笑みが消えていた。

「…ジェムの襲撃に警戒しつつ"Innocent Vision"を撃滅する布陣を検討しましょう。」

ジェムを軽視していたわけではないが最近は出現も散発的で人ならざるものから生み出された存在であったため目に見える"Innocent Vision"を脅威としていた。

だがもしジェムが数を増やすための充足期間で、今回のような大規模戦闘を待って一網打尽にしようと考えていたとしたら。

必勝を期した戦いは、いつしかヴァルキリーの存亡を掛けた戦いへと様変わりしていた。

「襲ってくるかもわからないジェムを警戒しながらインヴィと底が知れない"Innocent Vision"のソーサリスを倒す、ね。今年の最後にとんでもないイベントが待ってたね。」

良子は呆れたように頭の後ろに手を組んで天井を見上げるように仰け反った。

おどけた口調に場の空気が少し和らいだ。

「ジェムが攻めてくるにしてもしなくてもインヴィを倒すことには変わりないんですから勝負しましょうよ。何を賭けます?」

美保も悪のりしすぎなくらい明るい声で再度勝負を提案した。

これで完全にヴァルキリーはいつもの調子を取り戻した。

感謝の言葉は胸にしまっていつも通りに振る舞う。

「ミホ、はしたなくてよ。」

ヘレナはちょっと偉そうにたしなめた。

「でもボクは賛成。楽しそうだし。」

緑里が横から口を挟んでヘレナとにらみ合いを始めた。

それもすでにヴァルハラの日常。

「インヴィ打倒はヴァルキリーの悲願。その功績は非常に大きなものです。褒賞はわたくしが用意致しましょう。」

撫子の太っ腹な宣言に美保や悠莉、良子が目を輝かせた。

「ブランドのバッグとかありですか?」

「その程度でしたらいくらでも。」

「高校生では手を出せない商品も大丈夫でしょうか?」

「…あまりよろしくはありませんが、インヴィを倒した暁には構いませんよ。」

「バレー部の専用体育館はどうです?」

「校内には難しいでしょうが近場で可能か検討してみましょう。」

パーッと顔を華やかに輝かせ、背に欲望という名の黒い陽炎を立ち上らせる3人を呆れた目で見たヘレナはその視線を撫子に向ける。

撫子は何も言わず頷くだけ。

ヘレナはため息を漏らして視線を戻した。

紅茶のおかわりを淹れて回る葵衣はいつも通りの冷静ぶり。

緑里とヘレナも戦意を充足させていく。

一度は追い詰められたように見えたメンバーが立ち直ったことを素直に喜びつつ、撫子は心の奥にしこりとして残る不安を威厳ある笑みで無理矢理押し潰す。

(インヴィはジェムの動向を知っているのでしょうね。戦闘前の情報に関しては"Innocent Vision"の方が数歩先にあると考えるべきですか。)

「お嬢様、お茶が入りました。」

「ありがとう、葵衣。」

不安を悟ったようにお気に入りの紅茶を出してくれる葵衣に感謝をしてお茶を飲む。

インヴィのことを考えるとにじり寄ってくる底冷えするような恐怖心が和らいだように感じた。

(今度こそ、勝たせていただきますよ。"Innocent Vision"、インヴィ。)


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