第93話 明かされた"本当"
美保と悠莉は壱葉駅前のファーストフードでおやつがてらにテスト対策をしていた。
もともとヴァルキリーのメンバーは成績優秀者ばかり(良子を除く)なのでテスト前に慌てることもない。
本当におやつのついでに出題範囲の確認をするくらいだ。
「テストが終われば冬休みであっという間に年明けか。そう考えると1年なんてあっという間よね。」
美保はドリンクに注文したオレンジジュースを飲み干した。
悠莉もこの寒い中ミルクセーキなんぞを頼んでチューチュー吸っている。
なかなか出てこないらしく必死になっている様が女である美保から見ても可愛らしく思えた。
「2学期はなかなか濃厚でしたけど。思い返してみればあっという間でしたね。」
悠莉は暗に陸や"Innocent Vision"との戦いを述べていた。
それも年明けには変革期を迎える。
来年になればヴァルキリーの兵力は増大していくだろう。
百倍、千倍と増えていく戦力をもってすれば"Innocent Vision"だろうと魔女だろうとひとたまりもないはずだ。
「例の計画、軌道に乗ったらうちら転校させられたりするのかね?」
ジュエルにはヴァルキリーへの利益になる場合のみ力を発現できるという枷を設けているため造反の可能性は限りなく低いが統率者や教育者がいなければ戦力にならない。
その統率者とはすなわちヴァルキリーやジュエルでも特に能力を認められたものに限られてくるだろう。
「花鳳様のことですから何かお考えでしょう。ただ、私たちの負担が増えるのは避けられませんが。」
美保はうへぇと乙女らしからぬ呻き声を漏らしてテーブルに顎を乗せた。
「中間管理職ってやつね。ヘレナ先輩がどうするか聞いてる?」
「いいえ。花鳳様の下ではないことは確かですから起業でもされるのではないですか?」
撫子と争うためだけに事業を立てあげる、そんな冗談をヘレナは実現させてしまいそうだと2人は笑う。
窓の外は曇天で今にも雨が降りだしそうな天気だった。
それでも2人の表情は明るい。
「年を明ければ変わりますよ。世界が。」
「そうね。」
叶は空の厚い雲を見上げながら歩いていた。
「雨、降らないといいな。」
今朝の天気予報は降水確率40%で朝は晴れていたため傘を持っていなかった。
冬の雨に晒されて帰った日には風邪を引いてしまう。
叶は雨が降らないことを願いつつ急ぎ足で病院に向かった。
病院内は外の灰色の光に照らされているせいか暗かった。
ナースステーションで軽く挨拶を交わして真奈美の病室へと向かう。
スライド式のドアを開くと真奈美はベッドの上に上半身を起こして外を眺めていた。
その横顔は真剣で叶は一瞬声をかけるのを躊躇った。
「いらっしゃい、叶。」
振り向いた真奈美はいつも通りだったから
(なんだったんだろ?)
叶は疑問を口にしないまま病室に足を踏み入れた。
今日も学校や日常であったことを話していると
「雨、降ってきたね。」
真奈美が窓の外を見て呟いた。
「えー!?」
叶が非難の声をあげるが無情にも雨足は強まっていく一方だった。
「傘持ってないのに。」
「病院で借りるかコンビニで買いなよ。」
「うん。そうするね。」
楽しかった会話が雨で水を差されて途切れた。
窓を打つ雨音だけがやけに大きく聞こえて叶は真奈美の顔を横目で盗み見た。
窓の外を見る真奈美の顔は入ってきた時と同じような表情をしていた。
「真奈美、ちゃん?」
それは叶の知る真奈美ではなかった。
こんなに大人びた真奈美の顔を叶は知らない。
その姿は別人のように思えた。
「あの日、あたしは半場と戦ったんだ。」
それはあまりにも突然で、あまりにも突飛な話だった。
「あたしは半場を殺すつもりで攻撃を仕掛けたのに、半場にはまともに一撃を入れることもできなかった。」
「何、真奈美ちゃん?なんの話?」
叶は困惑を隠すこともできずに尋ねた。
真奈美が戦った、その相手が陸だった。
そんなファンタジー的な話を信じられるほど叶は夢見がちな少女ではない。
「夢の話だよね?やだな、真奈美ちゃん。そんなに半場君と会いたいの?」
「確かに、夢みたいな話だね。足を無くしたあたしが歩ける夢を半場は壊した。壊してくれたから。」
真奈美は自嘲するように笑って左目に手を添えた。
ははっと乾いた笑いが真奈美の口から漏れる。
「半場は本物だよ。まさかここに埋め込まれたことを知っていたなんてね。」
(知って、いた?)
その単語に叶は琴の言葉を思い出した。
(未来を見る?)
叶が言葉に翻弄されて呆けている隙に真奈美は叶の携帯電話のストラップを手に取っていた。
それは以前にクラスメイトと買った願い石。
真奈美はそれを見てまた笑った。
「叶にはこんなもの必要ない。」
真奈美はストラップを携帯から外すと石を取り外してグッと拳に握り締めた。
「真奈美ちゃん、何をするの?」
「今からとっておきの手品を見せてあげる。できるかわからないけどね。」
石を握った拳を額に付けた真奈美は瞳を閉じ
「もう一度答えて、アルミナ。あたしに足をちょうだい。」
願いを口にした。
手の隙間から朱色の光が溢れだし、やがて手の中に収束して消えてしまった。
「真奈美、ちゃ…」
確かに手品みたいだった、そんな感想が出てこない。
叶にはもっと禍々しいもののように見えた。
「叶、これが…」
真奈美が振り向いた時、存在しないはずの左目、その眼帯の奥から朱色の輝きが溢れて
「きゃっ!」
叶は思わず目を覆った。
不思議なことで頭がパンクしそうになりながら叶は
ガシャン
鎧が歩くような音を聞いた。
「叶、目を開けて。」
真奈美の声は優しかったが叶は目を開けるのが怖かった。
本能的とも言える拒絶反応が真奈美を見るなと言っているように目を開くことを拒んでいた。
「叶に、知ってほしいんだ。本当のあたしを、本当のことを。」
「真奈美ちゃん…」
だけど真奈美の真摯な声が固く閉ざされた叶の瞳を開く。
うっすらと開いた瞳のぼやけた視界で真奈美はベッドから降りているのが見えた。
(どうやって?)
真奈美の病室には松葉杖はない。
リハビリは専用の部屋で行うし移動は車椅子だ。
だから真奈美が立ち上がれるはずがない。
叶は意を決して瞳を開いた。
そこには
「叶。」
優しい笑みを禍々しい朱色に照らし
ガシャン
金属製の剣の義足でしっかりと床に立つ真奈美の姿があった。
「…。」
叶は呆然と真奈美を見たまま動かない。
焦点がどこに合っているのかもよくわからない目をしていた。
「叶?」
その体がグラリと横に傾き
「ッ!?」
咄嗟に抱き止めた真奈美が見たのは
「きゅ~。」
驚きのあまり目を回す叶だった。
「あはははは!」
「もう、笑いすぎだよ、真奈美ちゃん。」
「だって、叶が、可愛くて。くくく。」
倒れた叶が目を覚ますとベッドの上で真奈美は椅子に腰かけているという逆の位置になっていた。
目覚めてみても眼帯の奥はうっすらと朱に光っているし左足の代わりに剣の義足も付いている。
夢じゃなかったことを整理しきれていない頭で理解しつつ位置を入れ換える。
ソルシエールをしまうとすぐに真奈美は大口を開けて笑い出した。
叶はなんとなく恥ずかしくてベッドに顔を伏せていた。
今はやっぱり左足はない。
雨はまだ止まず一定のノイズを世界に満たしている。
「真奈美ちゃん。あれは何?」
「手品だよ。あたしに足をくれるはずだった魔法の手品。半場に一度壊されたけどね。あー、半場に知られたらさすがに怒られるかな?」
突拍子もないことを言っている自覚がないのか真奈美は普段通りの口調で話す。
その普通ではない話に陸の名前が出てきたことが叶には理解できなかった。
「さっきから半場君て言ってるけど、…あの夜真奈美ちゃんの左目を潰したのはやっぱり半場君なの?」
叶はとうとう訊いた。
ずっと現実だったのか幻覚だったのかもわからないまま様々な感情に胸を焦がしていた疑問を被害者本人に尋ねた。
「そうだよ。」
真奈美は、にこやかに頷いて肯定した。
「なんで!?」
いきなり詰め寄られて肩を掴まれて真奈美は目を丸くして驚いた。
叶は今にも泣きそうなほど顔を歪ませながら怒っていた。
「どうして半場君は真奈美ちゃんにそんな酷いことを!?」
真奈美は悲しげに目を伏せて弱々しく首を横に振った。
「酷いのはあたしだよ。半場にあんなことをやらせるなんて、やっぱりどうかしてたんだ。」
「真奈美、ちゃん?」
真奈美の後悔が滲む言葉に気勢を削がれて叶は肩を掴む力を緩めた。
今度は真奈美が叶の肩に手を回して抱き寄せた。
「叶の男を見る目は本物だよ。半場はいい男だ。あんなどうしようもないあたしを救ってくれたんだから。」
「怒ってないの?恨んでないの?だって左目…」
叶は涙に濡れた目で真奈美を見上げて眼帯に手を伸ばす。
真奈美はいとおしげな笑みを浮かべたままだった。
「左目1つでもっと大切なものを守ってくれたんだ。恨むわけがない。」
「それはなに?」
真奈美は優しい笑みを叶に向けた。
「親友。叶と久美と裕子と八重花、みんなに嫌われずに済んだ。」
「そんなこと…」
嫌うなんて絶対にないと、その言葉が先程見た剣の義足を思い出して詰まった。
真奈美はポンポンと背中を叩いて頷く。
「叶には話すよ。あの夜何があったのか、半場があたしを助けてくれたことを。」
雨が強まるがすでに叶には雨音は聞こえていなかった。
「ソルシエール、それが真奈美ちゃんの足で乙女会がその集まり。」
「純乙女会っていうのはあたしみたいなのの集まりだね。眠ってる間に随分と増えたもんだ。」
「それに半場君の予知が本物だったなんて。…Innocent Vision。」
真奈美が説明し、叶の知る現状を補足しながら真実が語られた。
叶は信じがたい非日常の世界を必死に受け止めようとしていた。
それは真奈美が真剣な顔で話していたこともあるし"太宮様"という非日常の存在に接したこと、琴から陸が未来視を持っていると聞かされていたことが大きかった。
「それじゃあ、半場君は真奈美ちゃんをそのソルシエールから助けるためにあんなことを?」
「そうだね。」
「…でも、また使ったよね。大丈夫?」
非難と心配半々の視線に真奈美はベッドに潜り込んで身を隠してしまう。
それはまんま悪いことをした子供が隠れているみたいだった。
布団から目だけを出した真奈美は怯える小動物みたいに弱々しかった。
「叶に信じてもらうためとはいえ、うう、半場に会わす顔がない。」
真奈美はまた布団を被ってしまう。
叶は話が途切れたことで情報を整理する時間を得た。
確かにヴァルキリーや魔女、ジェム、そして"Innocent Vision"に関するたくさんの単語が出てきて混乱したが大切なことは少しだけだった。
「半場君は優しい半場君のままで、たくさんの人に狙われてるんだ。」
世界の裏側を知って叶がたどり着いた答えはそれだった。
「プッ。」
布団の中で真奈美が噴き出して笑っていた。
「な、何で笑うの?」
「本当に叶はいい子だなってね。あんまり教える必要はなかったかな?」
真奈美はベッドの上の定位置に座り直して窓の外を見た。
さっきまで強まっていた雨は小降りになっていてもうすぐ止みそうに見えた。
「話はこれでおしまい。悪いけどあたしの力を含めて誰にも言わないでね。」
「うん、わかった。でも何で私に話してくれたの?半場君を探してる八重花ちゃんでも良かったんじゃないの?」
真奈美は一瞬何かを言いかけて頭を振った。
「八重花にはちょっとね。あの子は自分で今の話にたどり着けそうだし。叶に話した方がフェアかなって。」
「そうなんだ。ありがとう、話してくれて。それじゃあ雨が止んでるみたいだし今のうちに帰るね。」
叶は手早く帰りの支度を済ませるとドアに手をかけて
「絶対に半場君を見つけて連れてくるから。」
決意のこもった声でしっかりと告げた。
真奈美は苦笑で答える。
「それで怒られるの?」
「半場君は優しいから怒らないよ、きっと。」
叶は笑いながら病室を出ていった。
ドアが絞まるのを見届けた真奈美はボスンと枕に頭を沈めて天井を見上げた。
左目を手で触れる。
その奥にジュエルの力を感じた。
「…予定外だったけど、これでよかったんでしょ、巫女さん。」
叶の友人を名乗る巫女の助言に従った真奈美は
「どうか、叶が危険な目に会いませんように。守ってあげて、半場。」
神ではなく陸に祈った。