第91話 100万の軍勢
そこは魔境と呼ぶに相応しい世界だった。
広大なフィールドを見渡す高台の上からはジュエルが編隊を組んで攻め上がってこようとしていた。
それはさながら軍隊のようで、かつての有象無象の集団ではない。
由良さんは玻璃を肩に担いで不敵に笑う。
「こっちは少人数だってのに、あいつら全力だな。」
「それだけ僕たちがヴァルキリーにとって脅威なんだよ。」
そうでなければ守るべき人たちを投げ出してまでこんな場所に全勢力を終結させるわけがない。
今日、ヴァルキリーは"Innocent Vision"を潰す気でいる。
「りっくん、何か言うことある?」
蘭さんはオブシディアンを手に体を解しながら尋ねてきた。
言うべきことは一つだけ、それ以外はみんなちゃんと分かっているから。
「死なないで。」
「りょーかい!」
蘭さんは嬉しそうに拳を振り上げた。
「陸。」
「明夜も無理しないでね。」
僕はポンポンと明夜の頭を撫でるように叩く。
不安げに瞳を揺らしていた明夜が少し微笑んでくれた。
「陸も、死なないで。」
「うん。努力するよ。」
「絶対、死なないで。」
圧倒的に不利な戦いで絶対なんて約束は出来ないけれど
「絶対に、勝つよ。」
僕はその言葉を口にした。
地鳴りはすぐそこまで迫っていたが僕に不安はなかった。
「…なんだ、あの漫画みたいな展開。」
強大な組織を相手に戦いを挑む精鋭たち。
幾多の試練を乗り越えてついにアジトへとたどり着き最後の決戦へと今、赴く。
映像化すればいけるんじゃないかと思えるほどかっこいい構図だがあれは現実だし実際に100の軍隊に4人で挑むのは無謀すぎる。
僕がなんであんなに自信に満ちているのか是非とも聞いてみたいものだ。
「未来の僕に聞けるわけないけどね。」
僕はベッドから起き出した。
外はまだ日の出前だが時間的には6時過ぎ。
冬になって日の出の時間が遅くなっているのだ。
刺激的な夢のせいで眠気が吹き飛んでしまったので僕はキッチンに向かい冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出した。
由良さんはすぐに直接口を付けて飲もうとするので困りものだ。
(間接キスがどうとか言うわけじゃないけど、蘭さんと明夜がな。)
明夜は真似するようになるし蘭さんに至っては直接迫ってくる。
明夜たちの情操教育のためにも由良さんにはきちんとしてもらおう。
コップに水を開けて煽ると喉を冷たい水が流れていく。
「うう、冷た。」
常春のここで寒気がするのだから今外でこの水を飲んだら凍ってしまいそうだ。
「もうすぐクリスマスか。」
飾ってあったカレンダーの25日に赤ペンで書いてある。
蘭さんが何かイベントでも企画しているのだろう。
(案外由良さんが楽しみにしてたりして。)
由良さんが朝起きた枕元にあるプレゼントを見て
「わー、嬉しいな。」
…ないな。
明夜ならサンタクロースを信じていそうだが由良さんはない。
「夢がないってわけじゃないけど理性的というか現実的なんだよね。」
クリスマスにプレゼントでも置いておいてみようか。
そんなことを思いながらソファーに腰を下ろしてテレビをつけた。
民放の朝のニュースは時事ネタだけでなく最近の流行りなどの紹介もあってなかなか面白い。
冬に温か鍋特集を朝からやるのはどうなのかと思うがすごく美味しそうだった。
『次はアクセサリー業界で急成長を遂げてきたWVe、その建川店で限定販売だった願い石の愛称で大人気の「ジュエリア」がいよいよ全国展開を開始するとの事です。』
「ええー!?」
それは全くの寝耳に水。
「んー、りっくん、どうしたのー?」
「…うるさい。」
「なんだ、大声を出して?」
「ジ、ジュ…」
「じじゅ?侍従?」
起き出してきた3人が首をかしげる中
「ジュエルが、大繁殖する!」
僕はその一大事を叫んだ。
「なるほどな。確かに大事件だ。」
「全然知らなかったよ。」
「敵が増える。」
3人はわりと冷静だった。
僕が一番焦ってるのは戦う力がないせいだと思いたい。
深呼吸して気持ちを落ち着けて整理する。
「ジュエリアって呼ばれる八面体の宝石は人造のソルシエールのコアで、それが所有者の欲望に反応して力を与えるみたいだね。」
「人造だから量産できるわけで、これまでは建川だけで売っていたから関東圏、むしろ東京だけに止まっていたな。」
「それが全国区になると万単位のジュエルが生まれそうだね。」
甘かった。
僕はどこかでヴァルキリーが中心にいるこの壱葉や建川でしかジュエルは生まれないと思い込んでいた。
だがヴァルキリーの最終目標は世界の恒久平和、こんな小さな範囲で終わるわけがなかったのだ。
だけどその展開の速度は僕の予想よりもかなり早かった。
「花鳳は在学中に日本統一を成し遂げるつもりなのかもしれない。」
4対100ですら厳しい戦いだがそれが100万にでもなられたらいくらなんでも勝ち目はなくなる。
ヴァルキリーの掲げる殺戮を容認する世界が訪れてしまう。
「だが、発売は年明けだ。それにすぐに全員がジュエルになるわけじゃない。」
それがせめてもの救いだが根本的な解決にはならない。
時間を置けばそれだけ敵の数が増えていくのだから。
「陸、どうすればいい?」
明夜は嘆くことも諦めることもせず進もうとしている。
僕が立ち止まるわけにはいかない。
思考を巡らせて打開策を考える。
「ジュエルを増やさないためにはジュエリアを流通させなければいい。工場を襲撃して生産ラインを止めるか。」
「わぁ、りっくん過激。」
蘭さんの言う通り、これをやると本気で悪の道だ。
出来ればやりたくはないが放っておくこともできない。
「他には?」
「あとは…」
僕は一瞬浮かんだ案を告げるべきか迷った。
だがこれはあの夢への布石だろう。
未来が定まっているなら行くしかない。
「あとは?」
「頭を潰す。ジュエルが広まる前にヴァルキリーを壊滅させれば統率は取れなくなるしジュエルの力を無力化させることもできるかもしれない。」
僕の無謀な案に明夜も由良さんも蘭さんも、フッと頼もしい笑みを見せてくれた。
「そっちの方が簡単そうだな。」
「それに楽しそうだしね。」
「ヴァルキリーをやっつける。」
本気が強がりかはわからないけど、僕の不安が和らいだのは間違いない。
この3人とならヴァルキリーと戦えるという自信が沸いてきた。
「よし、ヴァルキリーを倒すぞ!」
僕は拳を振り上げて…
「いや、勝てないな。」
由良さんの真逆の意見に手が半端な高さで止まってしまった。
「由良さぁん。」
腰砕けになって非難の声をあげると由良さんは呆れたようにため息をついた。
「陸らしくもない精神論で特攻をかける気だったのか?こっちは陸を入れても4人しかいないんだから何か必勝の策を練ってくれ。俺たちは陸に従う。」
そうだ。
"Innocent Vision"は戦力にならない僕を入れて4人。
由良さんたちにかかる負担は相当なものになるはずだ。
だから僕に出来ることはこちらに被害を出さず、敵に大打撃を与える作戦を立ててみんなの負担を減らすこと。
「大変な戦いになるよ?」
どんな作戦を立てたとしてもみんなに複数のソーサリスの相手をしてもらうことになるのは間違いない。
何度か戦ったことがあるとはいえヴァルキリーのソーサリスはまだ底が知れない。
油断なんて出来るわけがなかった。
「どのみち魔女を倒すにしてもヴァルキリーとは戦わなきゃならないんだ。これ以上戦力が増える前に倒した方がいい。」
由良さんはあくまでも前に突き進んですべての敵を倒す気でいる。
「ランは大変なのは嫌だけど、りっくんがどうしてもっていうなら手伝ってあげるよ?」
「どうしても。頼りにしてるよ、蘭さん。」
蘭さんはきょとんとした後照れたように笑った。
「あはは。そう言われちゃうと断れないよ。りっくん、女の扱いが上手いね。」
「蘭さんだからだよ。」
蘭さんはブンブン手を振り回して照れていた。
気分屋だが能力の応用の幅が広い蘭さんはどうやってやる気を出させるかに掛かってくる。
「人を斬りたくないけど、陸が望むなら戦う。」
「無理に殺すことはないよ。僕たちはヴァルキリーとは違う。明夜なら殺さなくても無力化出来るよね。期待してるから。」
「うん。」
総合的に高い戦闘力を持つ明夜は人を殺すことに抵抗があるらしい。
人が変じたジェムは殺していたみたいだが、とにかくその点を考慮して作戦を組み立てよう。
「あ、日が出てきたんだ。」
今まで気付いていなかったが窓の外は朝日に照らされて輝いていた。
それは少し前まで暗闇に閉ざされていた未来に光が差したように思えて
「よし、やるぞ!」
僕は立ち上がって気合いを入れた。
「「おお!」」
3人も今度は一緒に気合いを入れてくれた。
僕たちは"Innocent Vision"というチームなのだと改めて認識した朝だった。
決戦を決意したとはいえ今日明日に戦いを仕掛けるわけではない。
「りっくん、お姉さんといいことしよ?」
「いいことって何?」
さすがに世間一般的にお姉さんが誘うとされる「いいこと」ではないだろう。
蘭さんだと若干犯罪チックだし、とは怖いので言わない。
蘭さんは後ろ手に隠していた袋を喜色満面で突き出した。
「何をするかはランにもわからない、くじ引きデスマッチだよ。」
「デスマッチは勘弁だけど。くじの内容は?」
蘭さんは楽しそうに袋をシェイクする。
よほど楽しい企画なのかと思いきや
「家事の役割分担だよ。お風呂掃除、部屋の掃除、買い出しとお休み。りっくんが買い出しの場合は引き直しね。」
ずずいと押し出された袋に手を突っ込む。
適当に引き抜くとそこには風呂掃除と書いてあった。
蘭さんはなぜか不満げに
「あーあ、残念。りっくん、お風呂掃除お願いね。」
それだけ言って部屋を出ていってしまった。
「なんだったんだ?」
首を捻りつつ風呂場に向かいドアを開こうとすると
ガチャ
先にドアが開いて
「ん、陸、どうかしたのか?」
シャワー上がりの由良さんと鉢合わせになった。
しっとりと濡れた髪とか上気した肌とか薄いシャツとか色々と目のやり場に困る。
「その、お風呂掃除に…」
「そうか。悪いな。」
僕は由良さんの方を見ないように脇を通り抜けた。
クックッと由良さんが意地悪く笑いながら
「洗うの手伝ってやろうか?」
と言ってきたので
「大丈夫!」
と答えて扉を閉めた。
由良さんも時々蘭さんみたいにいたずらしようとするから困ったものだ。
本人たちに言わせれば僕だかららしいので喜ぶべきなのか悩みどころだ。
さっきまで由良さんが入っていたことを極力意識の端に追いやって僕は速攻で風呂掃除を終わらせた。
風呂場から出ると
「りっくん、くじだよ。」
「まだ早い時間だよ。」
ギャグに走ってみたが蘭さんは適当に流して袋を差し出してきた。
「今度は何?」
「いいこと。さっきもあったでしょ?」
僕はかき混ぜていた手を止めた。
一応紙は掴んでいたがこれを引き抜いてはいけない気がする。
「そんなに怖がらなくても大丈夫だよ。」
「…蘭さんを信じていいのだろうか?」
「てい!」
蘭さんは袋の方を強引に引っ張った。
それはつまり引き抜いたのと同じこと。
僕は恐る恐る目を手に掴んだ紙に向けた。
そこには
「ハズレ?」
そう記されていた。
「あー、りっくん酷い!せっかく添い寝してもらおうと思ったのに。プンプン。」
蘭さんは1人で喚くと勝手に怒り出して去っていってしまった。
その日はずっと蘭さんは不機嫌だったのでちょっと悪いことをしたかなと思った。
(でも添い寝はちょっとな。)
しかも添い寝してあげるだといいことしてもらうと違う気がする。
でも蘭さんが不機嫌だと居心地が悪くて
(明日は少し優しくしてあげようかな。)
そう思いながら眠りについた。
そして
「りっくん、お姉さんといいことしよ?はい、くじ引き。」
蘭さんは昨日と同じように袋を突き出してきた。
昨晩の不機嫌さが嘘だったような態度に呆れるしかない。
「懲りてないね?」
「寝てる間に忘れちゃった。それより早く。」
楽しそうに笑う蘭さんを見ているとこれでいいかと思えてくるから不思議だ。
「はいはい。」
「何が出るかな?」
今日も蘭さんに付き合わされることになりそうな予感をしながら僕はくじの1つを引き抜くのだった。