第90話 久しぶりの再開
「裕子ちゃん、真奈美ちゃんのお見舞いには何を持っていったらいいと思う?」
叶は真奈美が目覚めた日からそわそわしっぱなしだった。
そろそろ検査も終わって面会できるようになるだろうという予想を聞いてからはさらに挙動不審になっていた。
で
「久美、聞いた!?叶が普通に話しかけてくれたよ!」
「にゃはは、頑張った甲斐があった。」
2人はようやく戻りつつあるかつての日常を前に涙を流して喜んでいた。
そんな3人の下に八重花まで近づいてきて
「お見舞いなら一緒に行くわ。」
「八重花ぁ!」
裕子はおいおい泣きながら八重花に抱きついた。
八重花も苦笑は浮かべているものの振り払うこともなく、クラスメイトも久々に和やかな4人の姿に嬉しそうだった。
そして昼休み、かなり久しぶりに4人で昼食を摂っていると叶の携帯が鳴り出した。
「真奈美ちゃんのご家族だ!」
「か、叶。落ち着いて。」
「うん。」
表示を見て途端に慌て出す叶と裕子。
「待たせたら失礼よ。」
「にゃはは、ガンバ。」
八重花の正論ツッコミと久美の声援を受けて叶は携帯を握り締めて通話ボタンを押した。
「はい、作倉です。こんにちは。」
ぺこりと電話越しでも頭を下げる叶。
「いえ、大丈夫です。はい、はい。わかりました。ありがとうございます。」
叶の声色がだんだん喜色を帯びていく。
通話が終わったとき、叶は涙ぐんでいた。
「今日にでも真奈美ちゃんのお見舞いに行っていいって!」
「よし、今行こう!すぐ行こう!」
「はしゃぎすぎよ。」
「にゃはは、何持っていこうか?」
朗報も入りテンションは止まるところを知らなかった。
そんな楽しげな4人を見守る暗い影。
「八重花があんなに楽しそうに。あたしの前だと鼻でしか笑ってくれないのに。」
鼻で笑うのをカウントしている辺りかなりアウトな等々力良子。
「八重花さん、本気で私たちを無視してる。」
「今日も教室の前で待ってたのに。」
「愛情弁当も作ったのに。」
良子と同じ柱の影から見つめているのは八重花親衛隊…ではなく八重花のジュエル部隊である。
名前を名乗ろうとしたら
「勝ったら教えてくれるんでしょ?」
と聞いてくれないので名乗れずにいる。
そのせいではないはずだがすでに影が薄い。
そして
「俺は見守ってるぞ、久住。」
裕子の彼氏的な立場のはずなのにストーカーみたいな行動を取っている芳賀。
無茶苦茶怪しい集団に生徒の誰かが用務員を呼びに行った事実を知らず良子たちはさめざめと涙を流しながら温かな彼女らを眺めていた。
「と、いうわけで八重花は今日は欠席です!」
良子は自棄になって宣言すると拗ねてそっぽを向いてしまった。
昼食の終わりに八重花とすれ違う時に伝えておいてほしいと頼まれたのだ。
つまり八重花は良子たちが見ていたのを知っていて無視していたわけで
「八重花が冷たいよぉ!」
その事実に気付いてしまった良子は不機嫌だったり泣いたりと忙しい。
ヘレナは疲弊した様子でため息をついた。
「鬱陶しいですわね。それでナデシコ、アシヤマナミをどうするつもりですの?」
良子のことはいつも通りとしても真奈美の件は重要だった。
真奈美は元ジュエル。
ヴァルキリーや"Innocent Vision"についての知識を与えられた一般人である。
無関係となった真奈美から情報が漏れることはヴァルキリーの活動の障害となる可能性があった。
ヘレナは左目の奥を輝かせて
「殺します?」
と尋ねた。
それが一番安心確実な方法だと誰もが思ったが撫子は首を横に振った。
「足は事故にしても左目は事件性が高いとして警察やマスコミに警戒されています。彼女を亡き者にしたところでソルシエールが発見されることはないでしょうが変に嗅ぎ回られると少々面倒なことになりかねません。ここはしばらく様子を見るべきでしょう。」
撫子は表情を曇らせて
「それに、彼女に手を出せばインヴィや東條さんがどのような行動に出るか…。」
「そう、ですわね。」
今の真奈美がどんなにソルシエールのことを説明しても彼女がすでに力を失っている以上妄想か頭をやられた衝撃の影響とされる可能性の方が高かった。
そして一般人である真奈美をヴァルキリーが殺したとなれば八重花の謀反や"Innocent Vision"の襲撃による未曾有の戦争になるかもしれない。
リスクを考えると真奈美に手を出すのは様々な面から危険だという判断に至ったのである。
「よって芦屋真奈美さんに関しては干渉を控えてください。葵衣、後日快気祝いの品を送っておいて。」
「すでに手配してあります。」
葵衣の手際に満足そうに頷いた撫子はパンと手を叩いて気持ちを切り替える。
「それではお茶に致しましょう。」
放課後見舞いの品を勝った叶たちは皆それなりに緊張した面持ちで真奈美の病室に向かっていた。
「八重花、本当にそれが土産でよかったの?」
「問題ないわ。」
「だ、大丈夫。ちゃんと普通のも買ったから。」
「叶。それは私のが普通じゃないってことね?」
「ええと、その…」
「にゃはは、やえちんのセンスは変。」
病院の廊下に明るい声がしていた。そして真奈美の病室の前。
さっきまでの明るさはどこへやら、ガチガチに緊張した叶はいつまで経ってもドアを開けられない。
しかしそれも仕方がない。
目を覚ましたとは聞いたが後遺症や現在の容態を聞いていないからもしかしたらベッドから起き上がれないくらい弱っているかもしれないし目から菌が感染して余命幾ばくもない状態なのかもしれない。
「はわわわ、真奈美ちゃん。」
その想像を広げてしまった結果として叶はドアを開けずにいた。
「案ずるより生むが易し。南無三。」
八重花は叶の手を取ると強引にスライドさせた。
「きゃー、心の準備が…」
「ほら、あんまり騒ぐと周りに迷惑だよ、叶。」
その声に騒いでいた叶も宥めようとしていた裕子と久美も、八重花でさえ身動きが取れなくなった。
呆然と立ち尽くす面々に向けて上半身を起こした格好で真奈美は片方だけの瞳を細めて笑顔で出迎えた。
「いらっしゃい、みんな。」
「ふ、ふぇ、真奈美ちゃーん。」
叶はじんわりと瞳を潤ませると真奈美に駆け寄って抱きついた。
「おっと。前にもこんなことがあったね。」
「本当に真奈美ちゃんだ。」
叶はスリスリと真奈美に頬擦りをして全身で喜びを表していた。
裕子たちは普段通りでありつつも喜びを隠しきれない様子であった。
「調子はどう、真奈美?」
「足と目以外は快調だよ。ちょっと寝過ぎなのと運動不足だけどね。」
触れていいのか微妙だった話題を真奈美自身が冗談っぽく出したお陰で空気が暗くならずに済んだ。
こんな気遣いも真奈美らしかった。
看護師が気を利かせて多目に椅子を運び入れてくれたので5人で輪を作り以前のように話に花を咲かせた。
学校の話、最近話題なこと、勉強のこと、遊びのこと、友達のこと。
恋話では
「にゃはは、ゆうちんと芳賀くんがね。」
「久美、それだけは勘弁してぇ!」
裕子が真っ赤になって大慌てし、結局自分でばらしてしまってしばらくの間オーバーヒートしていた。
そうして久しぶりの楽しい時間はあっという間に過ぎて夕方になっていた。
「真奈美を無理させると悪いしそろそろ帰ろうか?」
「別に平気だけど。まあ、またいつでも話せるね。」
「そうだね。でもよかった。真奈美ちゃんがなんともなくて。目が潰れた後遺症があるかもって聞いて心配したんだよ。」
叶の何気無い言葉に橙色に染まった病室が静まり返った。
「…みんな遠慮して聞かないみたいだから私が訊くわ。」
そして、真剣な表情の八重花が制止を振り切って尋ねた。
「真奈美の目を潰したのは誰?」
「…。」
世界が凍りついたようだった。
誰も何も言えない。
答えを持つ真奈美は夕日の世界を背に俯いている。
左手がかつて目のあった部分をなぞり、かつて足のあった腿を撫でる。
「犯人は?」
「八重花ちゃん、やめよう。」
居たたまれない空気を八重花が揺らし、叶が止めに入る。
「私は真奈美を傷つけた相手が許せない。だから真実を知りたいの。あの夜何が…」
「覚えてないんだ。」
ボソリと呟かれた抑揚のない声に八重花が止まり、皆が目を見開く。
顔を上げた真奈美は困ったように笑っていた。
「刑事さんにも何度も聞かれたんだけどね。あの夜に何があったって。でもあたしは、あの夜がいつなのかを思い出せない。なんで左目がなくなっていたのか、分からないんだ。」
それを聞いた皆の脳裏に後遺症の言葉がちらついた。
再び沈黙が降りる。
八重花はバツが悪そうに顔をそらしていてこれ以上追求する気は無いようだったため
「そ、それじゃあ今日は帰るね。」
裕子が話を切り上げた。
部屋を去ろうとドアに向かった叶たちの後ろで
ギッ、ギッ
とエキスパンダーの軋む音がして皆足を止めてしまった。
「最初は冗談かと思ったけど暇なときに筋トレできるのはリハビリになって本当にいいね。さすが半場だよ。」
真奈美の口から陸の名前が出たことで本格的に動けなくなった。
真奈美を襲った犯人だと言われている陸について本人に聞いても大丈夫なのか、記憶が戻っておかしくなったりしないのかと不安ばかりが出てきて何も出来なくさせる。
「半場はどうしてる?あたしの見舞いなんか来てくれないか。」
「そんなことないよ。」
陸が行方不明になっていることをどう説明しようかと返答に困っていた中で叶がしっかりとした声で反論した。
「半場君、今は忙しくて学校に来れてないけどきっと真奈美ちゃんのこと心配してるから。だからまた私たちの所に帰ってきてくれるよ。」
真奈美が何か答える前に看護師が面会時間の終わりを告げにやって来たのを合図に皆は病室を後にした。
病院からの帰り道、誰も話をしないで紺色に染まろうとする空の下を歩く。
「…半場くんはやっぱり犯人じゃないのかな?」
ポツリと裕子が呟いた言葉に3人の視線が集まる。
「だってさ、本当に半場くんが犯人なら忘れてたとしても怖かったりするんじゃない?」
動物は強いものを本能的に恐れる。
自分に深い傷を負わせた相手ならば同様に恐れるものだというのが裕子の意見だった。
「裕子はりくが犯人だと思ってるの?」
八重花の鋭い視線に裕子は目をそらす。
「私だって半場くんを信じたいけど、真奈美があんなことになった日から失踪じゃ何かあったように思うじゃない。」
それは誰もが思うことで八重花も否定できない。
被害者の真奈美が何も覚えていなくても、犯人を知る叶が何も言わなくてもそれ以外の状況が陸を犯人たらしめていた。
「もしも半場くんが犯人だとしたら、八重花はどうする?」
八重花は真奈美の前で犯人を許せないと言った。
それは犯人が陸でも同じなのかと裕子たちが固唾を飲んで答えを待つと八重花は1人先に歩いた。
皆から表情の見えない位置で
「それなりの責任はとってもらうわ。たとえそれがりくだとしてもね。」
八重花は笑った。
なんの責任を負わせる気なのかは明言していない辺り八重花は策士である。
実際裕子は流血沙汰を想像して顔を青くしていた。
「それじゃあ私はここで帰らせてもらうわ。」
分岐路に差し掛かり八重花は足の向きを変えた。
「八重花、またみんなで遊べる、よね?」
裕子と久美が不安げな顔で尋ねると八重花は優しげに微笑んだ。
「そうね。でも私も忙しいから。」
「そっか。乙女会だもんね。」
「にゃはは、やえちん頑張って。」
八重花は頷いて、押し黙ったまま俯いている叶を見た。
「さっき真奈美に言ったこと、本当にできると思ってるの?」
また帰ってきてくれる、そう思って一月以上。
八重花はその間ずっと陸を探し続けてようやく尻尾を掴んだ。
だから八重花には待っているだけで陸を取り戻そうとする叶が気にくわなかった。
だが、八重花が知らないだけで叶も琴の協力を得て別の手段で探している。
そして一度、一目だけだが陸と再会できた。
「うん。半場君は帰ってくるよ。」
(私たちが見つけて、きっと連れ帰るから。)
琴の力は他言無用のため本心を隠して思いを告げた。
「…そう。」
八重花は冷たい目で叶を一瞥して去っていった。
秘密を持った少女たちのすれ違い、見えない壁に遮られるように道を別つ。