第89話 とある平日の休日
「そうだ、遊びに行こう。」
朝と呼ぶには遅い時間のブランチをみんなで摂っていたとき、いつものように蘭さんが唐突に呟いた。
「…。いってらっしゃい。」
「…。気を付けろよ。」
「…。」
「みんな反応薄いよぉ!」
僕たちは食事をしながら応対したのだが蘭さんはお気に召さなかったようでテーブルを叩いて叫んだ。
牛乳に浸かったシリアルの入った皿が揺れる。
「みんなで遊びに行こうって言ったの。」
「馬鹿。俺たち、特に陸が見つかるのはまずいのくらい分かってるだろ?」
「そうだね。だから3人で遊んでくるといいよ。」
この家に誰もいなくなるのは不安もあるがたまには1人でゆっくりしたいのもあって僕は快く見送ることにした。
「むー。」
蘭さんは大層不満そうだったが3対1で押しきられる形で渋々諦めてくれた。
「りっくん、お小遣いちょうだい。」
「…。」
だけどちゃっかりしているところは相変わらずだった。
こうして女3人かしまし娘が平日の昼間から遊びに出掛けたため僕はここで過ごすようになって初めての1人の時間を手に入れた。
あんなことやこんなこと…というほどすることはないが羽を伸ばすとしよう。
「さて、とりあえず、ネットでも見るかな。」
平日の昼間からネットサーフィン、若干終わってるような気がしながら最近導入された蘭さんのパソコンを使ってネットの海にダイブするのだった。
明夜、由良、蘭の3人は渋谷に出向いていた。
さすがに制服だと警察官に声をかけられてしまうので私服姿で、声をかけられたら大学生だと答えることにしていた。
ザワザワ
「…なんか目立ってるな。」
「由良ちゃんのせいじゃない?」
由良はTシャツにジージャン、タイトなスカートにストッキングと大学生っぽい服装を意識した訳だが切れ長の目とスタイルのよさは服装と相まってかっこいい女性を演出していた。
男なら振り返らずにはいられないだろう。
だが周囲のざわめきはそういった類いのものではない。
「蘭のせいだろ?」
「えー、そんなことないよ。」
蘭は本人の趣味なのかネタなのか判断しかねるフリフリがふんだんにあしらわれた純白のロリータファッションだった。
秋葉原ならコスプレ扱いされそうな格好は小柄な蘭には良く似合っていた。
尤も、年齢的に一番大学生に近いはずなのに最年少に見えてしまうのは仕方がない。
だが周囲からの目は奇異の視線というよりは避けるべきものとして扱われているようだった。
2人は顔を見合わせて恐る恐る気にしないようにしていた明夜を見た。
「何?」
首をかしげた明夜の顔の上半分は目深に被った帽子で隠れている。
服装もシャツにジーパンまではよかったが防寒対策にやたらポケットがたくさんついている上着を羽織り、その上にリュックサックを背負っていた。
なぜかリュックの端に何かのポスターらしき筒が突き立っていた。
その姿を見た大半の人間は声を揃えてこう答えるだろう。
「オタクだ。」
と。
明夜はなぜかテンプレートなオタクファッションをしていた。
由良と蘭は顔をひきつらせながら意を決して尋ねることにした。
戦闘時よりも緊張した様子で由良が口を開く。
「明夜、その格好はなんだ?」
「バレるといけないから、変装。」
まさかの変装だった。
改めて周囲を見回す。
由良に目を惹かれ、蘭に驚き、明夜で目をそらす光景があちこちで見られた。
由良は頭をポリポリと掻いて
「まあ、変な男どもは寄ってこないみたいだからよしとするか。」
わりとあっさりとこの状況を受け入れた。
「そだね。」
「うん。」
蘭も明夜もあっさりと納得して3人は渋谷の町の散策を始めた。
彼女らを見送った人々は、いったいどこに向かうのだろうかと思うのであった。
パソコンに向かうのは久しぶりだった僕はとりあえず世間のニュースを見る。
最近は裏側でジェムやヴァルキリーの戦いはあるものの行方不明者や死亡者は出ておらず、表面上は平和だった。
僕が以前活用していて神峰に僕の正体がバレて以来利用しなくなっていた掲示板はなぜか閉鎖していた。
信憑性の薄い噂ばかりだったがなかなか面白い内容が多かっただけに残念だ。
「あの掲示板で時間を潰そうと思ってたんだけどな。他には…」
まさか18禁サイトに行くわけにもいかない。
蘭さんのことだから履歴を別のサーバーに自動コピーして、僕が履歴を消してもどこを見たか探り出してしまいそうで怖いから。
それ以前に僕は16歳だ。
「暇だからInnocent Visionてタイトルで小説でも書こうかな?」
冗談で呟きながらお気に入りボタンを押すと
『ヴァルキリー』
の項目が出てきた。
「!?」
肝が冷えた。
一瞬、蘭さんが内通しているんじゃないかと疑ってしまった。
だけどよく考えてみれば蘭さんは一時期ヴァルキリーに所属していたのだから登録していても不思議はない。
「蘭さんのことだから僕を驚かすために入れといたのかもしれないし。」
十分にあり得ると思いながらヴァルキリーのサイトに飛んだ。
トップページは以前と変わらなかったが項目に純乙女会が増えていた。
クリックしてみると100名以上の女子の名前が五十音順に並んでいた。
クラスメイトの名前はいくつか見つかったが幸い久住さんや中山さんの名前はなかった。
もう一度探してみたが芦屋さんの名前もない。
「まだ純乙女会ができる前だったからか。」
戻るボタンでトップページに戻り、メンバーをクリックすると8人の名前があった。
花鳳撫子、ヘレナ・ディオン、海原葵衣、海原緑里、等々力良子、神峰美保、下沢悠莉、そして…東條八重花。
「八重花…。」
八重花の名前を見たり聞いたりするだけで胸が痛む。
僕のせいで八重花はこちら側に踏み込んできてしまったのだから。
「八重花、元気にしてるかな?」
会うわけにはいかない。
僕たちは敵同士だから。
僕が八重花を避け続けていたのだから。
「…。」
左腕の袖を捲ると筋を引いたような傷がある。
八重花がお揃いだと言っていたガラスでついた傷だ。
「八重花の傷はもう消えたかな?」
僕にはもうあの時の約束を守ることは出来ないから。
だからできるならすべての繋がりを断ち切ってしまいたい。
「…。」
思いを断ち切るようにブラウザを閉じた。
ウインドウが消え
そこに、あるはずのない砂嵐が見えた。
「ん。」
「どうした、明夜。」
奇妙な3人組は渋谷の町をいろいろと回っていた。
ファッション、アクセサリー類から始まり骨董品店、どこかの民族工芸店と多種に渡り歩き回っていたがふと明夜が足を止めた。
何事かと振り返った2人の前で明夜はスッと手を水平に挙げた。
そして
「あれ食べたい。」
指の示す先には移動式メロンパン屋があった。
「モフモフ。」
「意外といけるな。」
「おいしー。」
3人は駅に向かいながらメロンパンを頬張る。
だが今日の遊びはこのくらいじゃ終わらない。
「次は秋葉原に行ってアニソンメドレーだよ!」
「アニソンはともかくここよりは違和感なさそうだな。」
「モフモフ。」
"Innocent Vision"の戦士たちは戦いの場を秋葉原に移そうとしていた。
僕はパソコンではあり得ない砂嵐を睨み付けていた。
こんなことを出来る相手はとりあえず1人しかいない。
「何をしているんですか?」
「つれないね。」
その声はパソコンのスピーカーから聞こえてきた。
ついで砂嵐が収まり夢で何度も見た一面の砂漠に白髪赤目の少女が立っていた。
「せっかく寂しいと思って夢で逢えたら、じゃなくて現実で逢えたらにしてあげたのに。」
確かに今まで僕はInnocent Visionの夢の中でしか魔女と会ったことがなかった。
これが現実かと言われると微妙な所だが少なくとも夢の中ではない。
「次はロボットにでも乗り移って大暴れですか?」
「あ、それ採用。」
「止めてください。」
ノリで面倒事を増やさないでもらいたい。
特に魔女は何をしでかすかわからないから怖い。
「たまにはそっちからお茶を振る舞ったらどうなの?」
「蘭さんのパソコンを壊した責任を取ってくれるなら持ってきますが?」
魔女と他愛ないやり取りを交わしてふと空白が訪れた。
画面越しに僕と魔女は見ているが特に話すことはなく、僕は魔女の言葉を待った。
「東條八重花。」
「!?」
唐突に八重花の名前を出されて声も出せずに驚くと魔女はそれはもうしてやったりないやらしい笑みを浮かべていた。
「彼女は一般人だったが半場陸を探すために戦いの世界に身を投じ、何の因果か今は敵同士。」
魔女は物語でも読むようにつらつらと僕たちの現状を述べていく。
その通りだが他人から言われると不愉快だ。
「だから自分のことは忘れて幸せに暮らしてほしい?」
「!なんで、それを?」
思考を読まれたと思ったがすでに遅い。
魔女は嘲るように鼻で笑った。
「悲劇のヒロインのつもり?馬鹿馬鹿しくて笑えてくるわ。」
言葉とは裏腹に魔女の目は睨み殺さんばかりの怒りを宿している。
「馬鹿馬鹿しいって、僕は八重花のためを思って…」
「いないわ。」
魔女は僕の言葉を遮り断言した。
何かが僕の胸の奥に突き刺さったように声が出ない。
「彼女は自分の意思でこちら側に来た。君を追い求める騎士よ。君はただ私のことはもういいから危ないことはしないでと魔王の城で祈るだけのお姫様。」
逆じゃないですかとか軽口を叩くべきなのに息が詰まったように声が出ない。
魔女の糾弾は止まらない。
「諦められると思っているの?ソルシエールを扱えるほどの激情を捨てろと言えるのかしら?」
「やめ…」
「君はただ怖いだけ。また大切な人を守れず失うのが…」
「やめろぉ!」
必死になって叫んだ声に返事はなく、まるで夢だったようにディスプレイは蘭さんがお気に入りのマスコットキャラクターの壁紙を映し出すだけだった。
ズキズキと痛む胸を押さえつけながら最後まで反論できなかった自分の無力さを痛いほどに思い知らされた。
閉ざした瞳の向こうで、似ていないはずの海と八重花が重なって見えた。
「ただいまー…うわっ!真っ暗。」
「陸、帰ったぞ。」
「帰ったぞ。」
上機嫌な3人の声が聞こえたが動くのも億劫で僕はベッドの上に横になったままだった。
「寝てたのか。悪い。」
「…そろそろ起きようと思ってたから。」
気が沈んだせいか体まで重く感じながらのそりと起き上がると由良さんは心配そうに近づいてきて僕の額に自分の額をぶつけた。
(近い。)
鼻先が触れ合うほどの距離に由良さんがいて心臓がバクバク高鳴る。
「熱はないみたいだが、調子悪いのか?顔が赤いぞ?」
自分の行為に自覚がないらしく由良さんは本気で心配そうな顔をしていた。
僕はちょっとだけ泣きたくなってふらついた振りをして由良さんに抱きつく。
「大丈夫だよ。大丈夫。」
「…そうか。なにかあったら言え。」
由良さんは全部わかってるみたいにポンポンと優しく背中を叩いてくれた。
本当に由良さんには情けない姿ばかり晒している気がする。
「もう、平気だよ。」
由良さんから離れるのとほぼ同時に
「由良ちゃん、りっくんは?」
蘭さんと明夜が入ってきた。間一髪だった。
「一応今起きたところだ。」
「今日は楽しかった?」
話題をそらすために尋ねると蘭さんは戦利品を掲げて大きく頷いた。
「うん。でも…」
少しだけ表情を曇らせた蘭さんはバッと手に持っていた荷物を放り出して僕に飛びかかってきた。
さらに左からも明夜が同じように迫ってきて
「どーん。」
「どーん…。」
「おぶふ!」
タックルするように抱きついてきた。
「でもりっくんと一緒の方がよかった。今度は行こうね。」
「そう、だね。」
1人で部屋に塞ぎ込んでいるからあんなことになるんだ。
「そのためにはヴァルキリーと魔女を倒さないとな。」
由良さんの言葉に皆が頷く。
僕たちが自由に出歩けるようになるためには敵を排除しなければならない。
(魔女。僕は祈っているだけのお姫様じゃないよ。)
すべてに決着をつけて皆で笑い合える未来を勝ち取る。
それが僕の目標だ。
(八重花と戦うことになったとしても僕は八重花を救ってみせる。)
僕は改めてそう心に戦う決意と誓いを立てるのだった。