第84話 隠された真実、導き出すもの
苛烈な戦いと小さな再会のあった夜を越えた翌日
僕は縛り上げられて床に転がされていた。
正面のソファーには席に座らされて大人しくしている蘭さん。
僕の視線に気づいて困ったように笑っている。
口の動きから「バレちゃった。」と可愛らしく言っているようだったが媚びた所でもうどうしようもない。
「動かないで。動くと刺さる。」
僕の脇には明夜がソルシエールを突きつけて立っている。
制服姿なのでスラリとした足の付け根が見えそうだ。
だが今はそれどころでない。
チクチクと刃の先で僕が逃げないように牽制を…
「いや、刺さってる!刺さってるよ!」
「…」
お怒りのご様子で僕の叫びは聞いてもらえないので諦めた。
最後に首を巡らせる。
真横に位置するソファーに足を組んで僕を見下ろしているのは底冷えするような恐怖を振り撒く由良さんだ。
最近若干改善されてTシャツとホットパンツになった寝間着だが今は女王様スタイルの方が似合いそうだ、とは口が裂けても言えない。
「陸、どういうことか説明してもらおうか?」
「だから、たまには外に出たくなって蘭さんに手伝ってもらったら海原緑里に見つかってなんとか逃げてきたんだよ。」
昨晩帰りついた僕を待っていたのは怒った明夜と由良さんだった。
蘭さんがばれた上に隠しようもなく傷だらけの姿を見られては弁解のしようもない。
その後延々と説明しているのだが全く納得してくれる様子がない。
「どこかおかしい?」
2人に内緒で外に出たことを怒っている単純な理由のはずなのにいつまでも難しい顔をしているのがわからない。
「陸は引きこもり。外に出たがるわけがない。」
明夜の僕に対する評価が酷いことがよくわかった。
明夜は意外と頑固なので反論しても簡単には認識を覆してはくれないだろう。
僕は諦めて由良さんの方に体を向けた。
由良さんもずっと難しい顔をして何度も質問してきたから納得していない部分があるのだろう。
僕の視線に気付いた由良さんは小さくため息をついた。
「陸が外に出たがって俺たちが止めるだろうから蘭に協力を仰いだ、それはいい。」
明夜が物理的にチクチク言っているがとりあえず無視。
「だが、出たかった理由はなんだ?散歩なら俺たちを連れていっても問題なかったはずだ。」
"Innocent Vision"が集団で散歩しているところをヴァルキリーに見つかるとそれはそれで問題な気もするが今は言わないでおく。
「…」
僕はどう答えるべきか一晩中悩んでいた。
魔女とInnocent Visionで話せることを打ち明けるのは時期尚早だと思う。
魔女が機嫌を損ね、何らかの方法でヴァルキリーのメンバーにこの場所の情報を打ち明けてしまったら全面戦争になってしまうから。
海原緑里を倒しに、というのも皆を連れていかない理由にならない。
むしろ察知していたなら全員で挑んで倒してしまうべきだったとなる。
「…みんなの様子を少し知りたくなったんだ。だから町を少し歩いてきた。」
だから僕は一番"らしい"回答をする。
あの時一瞬だけ見た作倉さんの顔は驚いてはいたものの怒ったり憎んだりしている様子はなかった。
すべてを捨てたはずなのに、作倉さんはまだ"半場陸"を忘れてくれないのか。
「…ふぅ。まあ、そういうことにしてやる。ただし次はないからな。」
「さすが由良さん。心が広い。」
おだてると由良さんはソファーの背もたれに肘をかけてふんぞり返った。
「ああ、俺は心が広いんだ。だから…」
姿勢を戻した由良さんが浮かべていた笑みに僕は戦慄した。
「風呂でのご奉仕で勘弁してやる。」
「わーっ!」
3対の瞳が妖しく光った気がした。
芋虫のように必死に逃げようにも3人がかりであっさりと捕えられてしまう。
由良さんは快活に笑う。
「男なら素直に喜べ。」
「それは、…嬉しくないわけないけど…」
男として喜びすぎてしまいそうなのがいろいろと問題なわけで。
明夜はせっつくようにぐいぐいと僕の体を風呂場に押しやろうとする。
さらに蘭さんが僕の脇の下に手を入れて引っ張るから徐々に風呂場に近づいていく。
「蘭さん!なんでそっち側にいるの!?」
「ムフフ。抵抗するとりっくんも裸にしちゃうよ?」
わりと本気っぽい目に背筋が震えた。
「助けてー!」
「良いではないかぁ。」
「まあ、諦めろ。」
「陸とお風呂。」
「わ、わ、わー!」
こうして僕は自らの理性との極限の戦いを繰り広げ、辛くも勝利したものの
「うー、柔らか。…女の子、怖い。」
若干トラウマを植え付けられた僕であった。
ここはヴァルハラ。
戦乙女たちの居城では海原緑里が部屋の真ん中に座らされていた。
一応隣に椅子があるにも拘わらず自ら進んで床に正座している。
その表情は不安げで手も震えていた。
「緑里。」
「は、はい!」
正面に座る撫子に声をかけられただけで泣きそうな顔になった。
裁判ではないが左側にはヘレナ、葵衣、八重花。右側には"RGB"が並んでいて検察と弁護人のように座っていた。
「あなたは手紙に書いてあった通りに1人で出掛け、インヴィと交戦した。そういうことね?」
「はい!」
撫子の確認に緑里は何度も頷いた。
そこにヘレナの鋭い声が突き刺さる。
「交戦して敗れたの間違いではなくて?」
緑里は奥歯を噛み締めて屈辱に耐える。
今の緑里は罪人同様なのだから反論できない。
葵衣が手を挙げて発言する。
「姉さんが無傷であったことを考慮しますと逃したというのが適切ではないでしょうか?」
緑里を庇うような発言にヘレナは葵衣を窺うがそこにはいつもの表情に乏しい顔があるだけだった。
険悪なムードを壊すように悠莉が手を挙げた。
「その手紙はインヴィが書いたものなんですか?」
「それは、よくわからない。」
緑里はポケットから手紙を取り出して悠莉に渡した。
「明日の夜に1人で。会いたくない人に出会える、ですか。確かにインヴィらしくないですね。」
「そもそもインヴィが1人でうちらとやり合うのも変だし。緑里先輩、インヴィの他は誰もいなかったんですか?」
美保が手紙を引ったくり、良子も覗き込む。
「確かに罠として自分が出ることはあっても1人で来たのはあり得ないね。偶然だったんじゃない?」
"RGB"の擁護に緑里の遭遇は偶然という流れが出来つつあった。
だが緑里自身が挙手してその流れを断ち切る。
「撫子様に嘘はつけませんから報告します。インヴィは僕が来ることを知っていました。そうじゃなければライターとかカプセルとかを都合よく準備できるわけがありません。」
緑里の証言はますます謎を深めた。
「インヴィが準備をできたのがInnocent Visionの力によるものだとして、どうしてわざわざ戦う備えをしたのでしょう?インヴィ自身戦う力がないことを自覚しているのなら遭遇しないことに尽力すべきではないですか?」
撫子の意見に誰も何も言えない。
Innocent Visionという得体の知れない存在の行動と思考を前に常識は通用せず、否定も肯定もできなかったからだ。
「インヴィは化け物だったよ。」
緑里の心からの言葉に室内がグッと冷えたように感じた。
「しかし、ミドリも大したことはありませんのね。インヴィに後れを取るなんて。」
ヘレナは大仰に首を横に振って小バカにしたように告げる。
さすがに大人しくしていた緑里もこればかりは看過できずに立ち上がった。
「そんなことはないです!次にインヴィがボクの前に出てきたらやっつけてやりますから!」
「あなたにできるかしら?ホホホホ。」
喧嘩を始めた2人を皆が優しく、苦笑気味に見守る。
それが落ち込んだ緑里を元気付けるためのヘレナなりの気遣いだと気付いているから。
2人は一通りじゃれ合ってから席に戻った。
ちょっと髪とか衣服が乱れたくらいのじゃれ合いである。
最後に全員の視線が今まで一言も話さなかった八重花に向けられた。
「…東條さんは今回の件をどのように考えていますか?」
誰よりも陸に執着を燃やしているはずの八重花が黙っていることが逆に内に凝る熱の大きさを感じさせて皆気を引き締めた。
八重花は一度瞳を閉じた。
皆が固唾を飲んで見守る中、八重花はゆっくりと顔を上げた。
「ゲームですね。」
「「ゲーム?」」
真剣な様子にそぐわないお遊び(ゲーム)という言葉に皆が怪訝な顔をするが八重花はむしろ言葉に出したことで納得できたようだった。
「りくは海原先輩との交戦を知っていたのに仲間を連れず1人でやって来た。あのりくがソーサリスを倒す千載一遇のチャンスを棒に振るわけがありません。そしてその手紙にしてもりくならもっとうまく誘き出します。」
八重花の陸に対する絶対の信頼に戸惑いを隠せない一同。
「その結論がゲームですか?」
「りくは1人で外に出なければ行けなかった。出先で海原先輩と会うことが分かっていたから準備をした。戦闘して帰還した。それはゲームみたいだと思いませんか?」
与えられた条件の中で準備をして戦闘というイベントを過ごしクリアする。
それはまるでRPGのイベント攻略のようだと八重花は考えたのだ。
この辺りの思考展開もゲームと言えばカードやチェスを思い浮かべるような上流階級には出てこない発想かもしれない。
「これが私の意見です。」
八重花は最後にお辞儀をして席に座り直した。
良子は感動した様子で、他の皆は困惑した様子で八重花の解を受け入れた。
「結局のところインヴィの行動を知るには本人に聞くしかありませんね。不測の事態ではありましたが次はインヴィを討てるよう皆さんも気を引き締めてください。」
これにて朝の緊急会議は終了した。
予鈴も近いとあってヴァルハラを去っていく面々。
八重花が認められて喜ぶ良子を華麗に無視した八重花は美保と悠莉の後に続いて教室に向かいながらさらに深い考察をしていた。
(あとは、りくは誰とゲームをしていたのか。"Innocent Vision"のメンバーがりくを危険な目に合わせるとは考えづらいわね。ヴァルキリーによほど巧妙な嘘つきがいなければあの中に犯人はいない。)
「それでは東條さん、また放課後に。」
「ええ。」
悠莉と軽く挨拶を交わした八重花は1人6組へと向かって歩く。
チャイム直前で学生たちが教室に入っていく。
八重花は人気の少なくなった廊下で自分の思考が導き出した結論に、笑った。
(りくは"Innocent Vision"のトップ。そのりくと対等以上の存在で花鳳撫子でなければ、1人しかいないじゃない。りくは魔女とゲームをした。)
誰も到達できなかった真実に八重花は至り、ククと喉の奥で笑い声を上げた。
(りくは魔女との接点があるのね。魔女に力を与えられただけの私たちとは違って。)
自らの存在さえも卑下してなお八重花は可笑しそうに、嬉しそうに笑う。
廊下にいた生徒が気味悪がって避けるのも気にしない。
八重花にとって気にかけるべきはりくだけだから。
だけど
「あ、八重花ちゃん。おはよう。」
教室に入ろうとして鉢合わせになった叶は笑顔で挨拶をしてきた。
「…おはよう。」
八重花も呟くように挨拶すると脇をすり抜けるようにして席に向かった。
八重花は叶の前に立っていられなかった。
席に着いて机に腕枕をして突っ伏しても左目の疼きが消えない。
(叶は今でもりくを忘れていない。りくを奪う者は、敵…!)
八重花はソルシエールが発動するギリギリの所で踏み止まった。
それは周囲にバレると厄介だとか叶が友達だからとか、そんな理由ではない。
八重花が止まった理由、それは
(叶を殺せば、りくは私を嫌いになる。)
最後の瞬間によぎった陸の悲しげな顔だった。
八重花は叶への複雑な感情に焦れながら日々を過ごしていく。
それはいつ爆発するともわからないギリギリの爆弾のように危ういものだった。