第83話 かごめ
僕の不敵な様子に海原は警戒を強めて護法童子を前面に展開させた。
「余裕ぶっていられるのも今のうちだけだよ。全員、抜刀!」
海原の掛け声で護法童子は一糸乱れぬ動きで鉾を前に突き出して構えた。
僕は動かずに海原の動きを観察していた。
武器を構えた護法童子を前にしても動じない僕を海原が恐れているのが見て取れた。
(さて、どうするかな?)
策はあるが一歩間違えれば鉾に貫かれてお陀仏だ。
しかもタイミングがシビアで運も関わってくるから成功確率は良くて数割と言ったところ。
現実的ではない。
「行けっ、護法童子!インヴィを切り裂け!」
護法童子が浮かび上がりランダムな軌道で殺到してきた。
僕は上空から直立したまま両断しようと降下してくる1体目を回避したがその隙をついて弾丸のような頭突きを放った2体目を避けられず弾き飛ばされた。
「うっ、く!」
ゴロゴロと地面を転がり仰向けに倒れる。
その僕の上空を6体の護法童子がくるくると回っている。
「これで終わりだよ!」
護法童子は刃を僕に向けて急降下してくる。
肉のとげ付き釣天井の恐怖に僕は顔の前を手で隠した。
そして護法童子の刃が僕を刺し貫く寸前
護法童子は一斉に炎に包まれた。
「…え?」
勝利の喜びの声をあげようとしていた海原が理解できずに呆然と燃えていく護法童子を見つめている。
僕はギリギリで刃を避けた体を起こして汚れを払う。
「お前…何をした!?」
すでに護法童子としての形を保てなくなった人形の紙が燃え上がるのを背中に感じながら僕はポケットに突っ込んでいた手を引き抜いた。
そこに握られていたものを見て海原の顔が強ばった。
「ライター!なんでそんなものを?」
「備えあれば憂いなしですよ。」
実際に何か使えるかと思って持ってきただけだ。
護法童子は確かに強そうだったがあの人の形をしているにしては変則的すぎる動きと鉾の構え方が寸分違わず、武器として振るわなかったことから僕はある仮説を立てた。
「どうやら護法童子の見た目は幻覚で最初に見た紙の人形が本体だったみたいですね。」
「くっ!」
ただ紙と言っても実際に切断する能力はあったはずだ。
だから僕はいくつかの賭けに出た。
一つは護法童子の攻撃が鉾による攻撃だけではなく体当たりが含まれていること。
弾き飛ばされることで自然に上からの攻撃に絞ることができる。
これが鉾主体の攻撃ばかりだと倒れる前に刻まれるところだった。
もう一つはライター程度の火で式神を燃やせるか。
海原の力で紙の防御が強化されていたら危なかったが遠隔操作に回すので手一杯だったのか普通の紙と同じように燃えた。
後は一斉に襲ってきた護法童子の攻撃を転がってかわし、集まった切っ先に火を点せば勝手に燃え上がったというわけだ。
「よくも、ボクの護法童子を。」
僕に護法童子を破られたのが悔しいらしくべそをかきながら恨み言を呟くとポケットに手を突っ込んで新しい式神を取り出した。
(紙だから代えはいくらでも利くか。そうなると海原が同時に使える式神は6体か。)
だけど油断するわけには行かない。
海原が取り出したのはさっき使っていた白の人形ではなくソーサリスの左目のような朱色だったからだ。
「ボクをバカにするな、インヴィ!この酒呑童子で、お前を倒す!」
バッと空に投げ上げられた朱い式神がソルシエールの発現のような朱色の光を放った。
その禍々しくも美しい光の後には6体の赤鬼のような大男が鉾を構えて立っていた。
だがその威圧感は護法童子の比ではなかった。
(ジュエルよりも強そうか。それに…)
あれも元は紙のはずだが今度の酒呑童子とやらは肩を支点に回しているだけとはいえ鉾を振っていた。
動きが人形のようだとはいえ振るう剣速は僕がどうこうできるレベルではない。
(ジュエルよりも数段統率の取れた少数精鋭部隊。)
それがさっきみたいに一斉に攻撃してきたら捌ける自信はない。
「ふふふ。」
海原の余裕の笑みが怖い。
だが不安を見せるわけにはいかない。
冷や汗を背中に隠して対応できるように注意する。
「さあ、行け、酒呑童子!」
海原の指示を忠実に認識した酒呑童子が護法童子と同じようにカクカクと不規則な動きで飛び上がり
「!!」
ヒュバババ
僕の回りを囲むように降りてきた。
あまりの速さに対応できなかったがこのまま鉾を振られたらまずい。
体勢を低くして致命傷を避けようと身構えた。
が
「…?」
酒呑童子は攻撃を仕掛けてこない。
不審に思いつつ頭を巡らせるとわずかに開いていた隙間から海原の姿が見えた。
酒呑童子の向こうからベリルを向けてくる海原の姿は何かがあることを告げていた。
「かーごめ、かごーめー…」
突然歌い出した海原に驚いてしまった。
6体の酒呑童子はゆっくりと僕の回りを回り出し、その速度が徐々に上がっていく。
「これは!?」
「かーごのなーかのとーりーはー…」
海原の歌は続き、酒呑童子は赤い壁となる。
触れれば弾かれる凶器に対処出来ず戸惑っているうちに海原の歌は終わりに近づいていた。
「つーるとかーめがすーべったー…」
突然酒呑童子が急停止し、手に握る鉾を振り上げた。
そして突然視界が闇に塞がれる。
「うしろのしょうめん、だーあーれ?」
「しゅ、酒呑童子。」
「はは、外れ!」
壮絶に笑う海原の声と同時に6つの空を切る音が聞こえた。
咄嗟に地面に伏せようとした僕の全身を斬撃が襲った。
「ぐあっ!」
しゃがんだのが功を奏して直撃は免れたものの全身に傷を負い、倒れ伏した先の地面でようやく視界に映った。
「僕のかごめはどう?」
酒呑童子はまた海原の前に飛んでいく。
僕は痛む体を奮い立たせて考える。
(かごめ。拘束とブラインドで視界を奪い、全方位からの攻撃をする技か。)
酒呑童子がランダムに襲ってくるのも恐ろしかったが包囲攻撃も脅威だ。
視界を塞がれた状態で敵に囲まれるのは危険すぎる。
護法童子の時のようにライターで火をつけようにも回転で吹き消されるし暗闇に囚われればどれを燃やせるかも分からなくなる。
「インヴィにボクのかごめは防げないよ。無駄な抵抗は止めて死んじゃいなよ。」
「でも海原先輩。僕はその酒呑童子の名前を知らないんですから後ろの正面が誰か答えられませんよ?そんな卑怯なことで良いんですか?」
さっき酒呑童子と言ったら外れだったのだから海原の定めた名前がある。
それを教えずに答えさせるのは明らかに卑怯だ。
そう、思い込ませる。
「じゃあ、教えてあげる。一、ニ、三、四、五、六。」
海原は左から順番に指差して点呼するように名前を言った。
だが、恐らくは本名ではない。
(技の逃げ道を教えるわけないか。)
「次で最後だよ。かごめ!」
酒呑童子が僕の回りに飛んでくる。
先に輪から飛び出そうとしたが軌道修正されて囲まれてしまった。
海原のかごめ歌が進むにつれて酒呑童子の回転が早くなる。
「かーごのなーかのとーりーは…」
試しに足元に転がっていた石を投げてみたが酒呑童子には弾かれた。
もう一つを海原に投げたがこちらはあっさりとかわされてしまった。
「もう何もできないみたいだね。つーるとかーめがすーっべったー…」
視界が黒く染まり酒呑童子の動きが止まる。
勝ち誇った海原の声が最後の呪を歌った。
「うしろのしょうめんだーあーれ?」
暗闇の中、たった一言を告げれば僕の、半場陸の終わりだ。
ならばこちらから半場陸を終わらせよう。
ここからはInnocent Visionの時間だ。
勝利を信じて疑わない海原は僕が黙っているのを見て機嫌の良さを隠しきれない様子だった。
「どうしたの?名前を言えば助かるかも知れないんだよ?」
「…」
それは嘘であり本当だろう。
僕がなおも黙っていると海原は言った。
「もし正解したら見逃してあげる。」
それはトリガー、この絶体絶命の状況を打破する一撃を繰り出すためのスイッチだった。
「ほら、早く答え…」
「政宗。」
僕の一言で海原の笑みが凍りついたのが塞がれた視線の向こう側でも手に取るようにわかった。
僕は見えない目のまま体を振り向かせて「政宗」を指差すとそのまま1体ずつ指差していく。
いる場所は知っている。
「頼朝。信長。秀吉。家康。信玄。」
そして僕はビシリと指を突きつけて告げる。
「海原緑里。」
後ろの正面だけじゃない。
すべての式神の位置と名前を告げた。
それはすべて夢で見た海原緑里が教えてくれたことだった。
「もし正解したら見逃してあげる。」
答えを知らない僕が
「一。」
と答えると視界が晴れ、周囲には鉾を振り上げた酒呑童子が取り囲んでいた。
海原は輪の外側で嗜虐的な笑みを浮かべている。
「残念だけど正解は政宗だよ。その右が頼朝で信長、秀吉、家康、信玄。」
「名前が違うじゃないですか!」
苦し紛れの正論を海原は鼻で笑い
「敵との約束を守るわけないでしょ?」
そう言ってベリルを振り上げた。
「約束は守ってくれますよね、海原先輩?」
闇が晴れた視界の向こうで海原が呆然と立ち尽くしていた。
「それとも、敵との約束は守りませんか?」
海原の目が驚愕に見開かれる。
絶対の自信を持っていたかごめをかわされただけでなく式神の名を知られ、自分の考えまで見透かされてしまっては怯えるなというのが無理な話だ。
僕は振り返って酒呑童子に手を触れた。
「政宗、退いて。」
僕が頼むと政宗は抵抗することもなく道を開けてくれた。
背後で海原が絶望的な声を漏らしていた。
僕は校門へと向かいながら少し離れた所で振り返り
「それじゃあ、見逃してもらいますね。海原先輩。」
慇懃無礼を自覚しながら笑った。
「インヴィ!」
去ろうとした僕の視界の端で海原がベリルを後ろに引いて突っ込んでくるのが見えた。
本当に約束を守らない人だと呆れてしまい、僕はポケットに入れていたものを海原に投げつけた。
「カプセル?こんなもの!」
それはガチャガチャで出てくるカプセル。
海原はそれをベリルで切り裂いた。
瞬間、中に入っていた水が海原の顔面にかかる。
「わっ!何!?」
その一瞬の隙を狙って僕は全力で海原に接近した。
「来るな!」
水が目に入った海原は足音に気付いてベリルを突き出してきたが僕は斜め前に跳んでかわしながら最後の距離を詰め、
「嘘つきにはきついお仕置きです。」
「ッ!?」
水に濡れた海原の地肌に最後まで隠していたスタンガンを押し付けてスイッチを押した。
「あ…」
海原は一瞬ビクリと体を震わせると虚空を見つめたまま膝から崩れて地面に倒れた。
海原が倒れるのと同時に彼女の使役していた式神も元の紙に戻り風に乗ってどこかに飛ばされてしまった。
「芦屋さんの時には効かなかったけど、水場では有効だな。」
今度から外出することがあったら水風船を忍ばせておくとしよう。
ヴァルキリーとは遭遇したしこれで帰れば魔女との勝負は僕の勝ちだ。
僕は帰路につこう…として倒れた海原を見た。
たいした量ではないとはいえこの寒空の下で水に濡れて気を失っていては風邪を引いてしまうかもしれない。
僕は着ていた上着を海原にかけた。
寒さが肌に突き刺さる。
「これで勘弁してください。あー、寒っ!急ごう。」
こちらが風邪を引きそうなくらい寒いので僕は走って帰るのだった。
体も大分温まった僕は急ぎ足で家路についていた。
さすがに遅い時間だから人通りはほとんどなく、今も向こうから自転車に乗った人が走ってくるくらいだ。
僕は体を擦りながら歩を進める。
自転車は脇を通り抜けるように迫ってきて、僕の前に止まった。
不自然な行動に顔をあげて帽子のつばの下から見た僕は
「半場君?」
自転車に乗っていたのが作倉さんだと気づいて、こんな偶然あり得ないと呆然としてしまった。
作倉さんは驚いているような喜んでいるような顔で自転車から降りようとしている。
僕は咄嗟にズボンのポケットに入れていた最後の脱出アイテムを取り出して地面に投げつけた。
「ごめん!」
「え?きゃ!?」
破裂したのは煙玉、すぐさま視界を煙が覆い僕の姿を隠す。
その間に脇道を駆けて僕は作倉さんから逃げ出した。
(なんで作倉さんがこんな時間にここに?)
拭えぬ疑問を残したままで。
そして
「半場君。忍者の修行でもしてるんですか?」
叶は幻のように消えた陸を見てそんなことを呟くのだった。