第82話 護法童子
僕は壱葉の住宅街を外灯の光だけを頼りに適当に歩いていた。
厳密に言えば適当ではないがやっていることは大して変わらない。
突き刺さる冷気についポケットに手を入れたくなってしまうがそうすると咄嗟の反応ができなくなるため出しているせいで悴んできた。
本末転倒なのでポケットに手を突っ込みつつ手袋を持ってこなかったことを後悔した。
(魔女は僕たちがこの辺りに住んでることを知っている。なら壱葉を歩いてればいいよね。)
9時過ぎの住宅街は犬の遠吠えすらも聞こえないほど静かだった。
一瞬魔女が作った世界ではないかと不安になったが遠くを走る車の音が現実だと教えてくれてほっと胸を撫で下ろした。
「ここが現実なら気を付けないと。」
周囲の家にはちゃんと人がいるということはふらりと出歩く人がいたり外で物音がしたから顔を出す可能性も十分にある。
いつも以上に気を付けないとこの歳でブタ箱行きになりかねない。
そうなった自分の姿を想像して身を震わせた。
少年法だとかその辺は気休めでしかない。
名に傷を負った者の未来は険しい。
「それもまずは生き残れたらだ。」
僕は腕時計に目を落とす21時43分、学校と住宅街を繋ぐ一本の通りに差し掛かる場所で足を止めた。
近くの家の中から笑い声が聞こえてきた。
それがすごく遠い世界のように感じて苦笑しながら顔を上げた。
通学時間には学生が多く通る道も今は何もない。
時計の針が一巡りする頃には日常的な光景となる場所が今は恐怖を掻き立てる闇の広がる異界のようであった。
トッ、トッ
その世界に足音がした。
路地の左からまっすぐ学校に向かうようにゆっくりと近づいてくる。
僕の心臓の鼓動が徐々に早まって外気の冷たさを忘れさせていく。
外灯に照らされて伸びた影が誰かいることを視覚によって補完した。
足音は近く、光源から離れるごとに影は伸びて薄くなり、そして
「ん?」
路地に海原緑里が姿を現した。
最初、彼女はまさか誰かいるとは思っていなかったのだろう。
不思議そうに首をこちらに巡らせ
「あ!」
僕だと気付いて驚きの声をあげ
「なんでお前が!?…ふーん、ボクを呼び出したのはインヴィだったんだ。」
わけの分からないことを言いながらニヤリと獰猛な笑みを浮かべて完全にこちらに体を向けた。
予想通り、僕は心の中でそう呟いて帽子を取った。
「こんばんは、海原緑里先輩。」
挨拶を終えて帽子を被り直した僕はさっそく疑問に思ったことを聞いてみることにした。
「どうして1人でここにいるんですか?こんな夜に女の子の一人歩きは危険ですよ?」
ソーサリスが普通の女の子と違うのは重々承知しているがそれを抜きにすれば彼女らは十分に魅力的な女の子たちだ。
腐っても鯛では表現が悪いがそういうわけだから心配くらいはする。
だけど海原にはそれが理解できなかったのか
「はぁ?」
ものすごく変な顔をされた。
…まあ、確かにこれから戦う相手の心配をするというのもおかしな話か。
海原はふんと鼻を鳴らすとポケットから折り畳まれた紙を取り出して開いた。
「何しらばっくれてるの。これをボクの下駄箱に入れたのはお前でしょ?」
遠目ではよくわからないが少なくとも僕は一月以上学校に足を踏み入れてはいない。
今さら戻っても出席日数が足らないから留年は確定なわけだが。
僕ではないとすると差出人は魔女か。
(どうやって持ってったのかな?まさか制服に化けて…)
魔女の少女のような体格に壱葉高校の制服を着せた姿を想像する。
(…ないな。)
いろいろとない。
「昨日、明日の夜に出歩けば会いたくない相手に会えるって手紙を入れたのは分かってるよ。確かに殺したいくらい会いたくない相手だったね。」
僕が魔女について考えているうちに海原は勝手に納得して勝手に盛り上がっていた。
左目が朱に輝き左下に突き出された手にソルシエールが顕現する。
それは一振りの大剣を真っ二つに割ってグリップだけ付け替えたような深い海のような色をした片刃の剣だった。
「ソルシエール・ベリル。覚えなくてもいいよ。次はもうないからね。」
ソルシエールを見る度に思う。
ソルシエールはジュエルのような量産的で武骨な作りとは違い、各々の魂が籠められたような深い魅力がある。
目の前にあるベリルも闇に溶けるようでいてしっかりとその存在感を持つ深い青は印象的で忘れようにも忘れられそうになかった。
「本当にやるんですか?」
僕はため息と共に尋ねてみた。
海原にとっては呼び出しがあったとはいえ突発的な事態に違いはなくちゃんとした準備をしていないだろう。
対して僕はいろいろと準備してきた。
やはり道具にしろ心構えにしろ事前の準備の有無で結果は大きく変わる。
「当たり前だよ。撫子様の邪魔者を消すチャンスを無駄にするわけない!」
だけど海原は僕の考えを一蹴した。
ソルシエールの絶対的な力と花鳳撫子への思慕で迷う余地などないといった感じだ。
これで見逃してくれれば帰って魔女とのゲームは終了だったのだが仕方がない。
もとから逃がしてくれるとは思っていなかった。
「本当に、やるんですね?」
僕は帽子の下の目付きを鋭く、口調を強めてもう一度確認した。
今度は海原も即答せずウッと声を詰まらせた。
僕なりに迫力を見せようとしたのだから成功だろう。
「お、お前なんか怖くないよ!」
海原は気合いを入れるように叫ぶとベリルを右手に持ち替えながら突進してきた。
体を捻る遠心力を上乗せした斬撃を後ろに大きく飛んでかわした僕はそのまま背を向けて駆け出す。
「でも僕はやる気ないんで失礼します。」
海原は唖然として立ち尽くしているようだ。
やる気満々で出向いたら休業日だったみたいなものだ。
肩透かしを受けて呆然としている間に僕は一つ目の路地を曲がった。
「あ、こら、待て!」
ようやく復活したらしい海原の叫びを背中で聞きながら
(さて、どこまで逃げていられるかな?)
僕は険しい表情で足を速めた。
僕は大きな通りを避けて家と家の合間を縫うように張り巡らされた細い道を中心に逃げていた。
ソーサリスの身体能力なら後追いよりも上から探すだろうと思っての選択だったが
(来た!)
正解だったようで僕は近くの家の塀に挟まれるように身を隠した。
その上を屋根伝いにベリルを引っ提げた海原が通過していく。
さすがに大声は出さないもののあんな姿を見掛けた一般人がいたらどうするつもりなんだろうかと考え、そのまま殺してしまいそうで嫌な感じがした。
(だけど今僕が出ていくわけにはいかない。)
一般人と天秤にかけるわけではないが僕は直接狙われているため危険度で言えば僕の方が圧倒的に上だ。
住民の皆さんには変なもの音がしても外に出てこないことを願うしかない。
(行ったか。)
しばらく屋根の上で周囲を探っていた海原はこの辺りにいないと判断して離れていった。
まさか足元の壁の間に挟まっているとは思わなかったようだ。
(今のうちに。)
僕は路地から抜け出し足音を立てないように注意しながら駆ける。
出会いの場面はInnocent Visionで見た。
次の段階への移行は分からないがその先の状況を考えると向かうべき場所は絞られてくる。
("Innocent Vision"のアジトはバレたらまずい。駅前も危険。人がいなくて広い場所だ。)
本当はそこに遮蔽物が多いを加えたいところだが贅沢は言っていられない。
(行くか。)
僕は迂回に迂回を続けて目的地へと向かった。
「やっと、見つけた。」
「お疲れさまです。」
僕が到着して十数分後、息を切らした海原が僕の前に現れた。
僕の態度が気に障ったのか肩を震わせて怒っている。
「なんで…」
「はい?」
「なんで学校に来てるのさー!?」
海原は叫んだ。
「これなら探し回ったのがバカみたいじゃない!」
本来まっすぐに向かっていたこの場所に大きく遠回りをしてきたことになったから。
「ははは。」
「否定しろ!」
出し続けているのが面倒だったらしく納めていたベリルを取り出して海原は構えを取った。
大上段の構え、防御ではなく攻撃に重きを置いたスタイル。
一足の踏み切りで間合いを詰めてきた。
(速い!?)
「せぇいっ!」
神峰や等々力よりも洗礼された動きは無駄なく僕の体を断ち切る刃を振り下ろす。
跳んで避ける暇などなく咄嗟に僕は上体を後ろへ倒して一撃をかわし、後ろについた手を起点に体を半回転させた。
「くっ、この!」
僕の胴体があった場所をベリルが貫いた。
それに安心する間もなく腕の反動で体を転がして3度目の追撃を回避して僕は膝立ちで起き上がった。
「まさか、三ノ太刀までかわされるなんて。」
海原は振り抜いた体勢のまま呆然としていたがギッと歯を強く噛んで僕を睨み付けてきた。
「お前なんか、嫌いだ!」
プライドを傷つけたのか海原の殺気が膨れ上がる。
朱色が闇に怪しく光り輝いた。
海原が胸ポケットから取り出した紙にベリルの青黒い光が灯る。
人形に切られた紙片が6枚、青黒い光を纏ったまま海原の周囲を回り始めた。
「それ、陰陽師の式神みたいですね。」
「へー、知ってるんだ。これは陰陽道の式神のアレンジだよ。」
おもちゃを自慢するように海原は誇らしげに笑って左手を真横に払った。
回っていた式神が瞬く間に海原の前に整列、
「目覚めろ、式!」
海原の掛け声と共にカッと光を放った。
夜の闇に溢れた光に咄嗟に目を覆う。
うっすらと目を開けると光は消えていて、
「あ、あれは!?」
代わりに海原の前には鉾を携えた6体の大男が立っていた。
鬼や仁王を連想させる筋肉質で上半身が裸の男たちの向こうから勝ち誇ったような海原の声が上がった。
「これがボクの力、護法童子。」
「でも、護法童子って仏教の鬼神じゃなかったですか?なんで陰陽道の式神に…」
「う、うるさいな!」
どうやら深い意味は無いようだ。
そうなると陰陽師の家系というわけではなく技の特性で選んだのだろう。
(遠隔操作型の使い魔が6体と海原で7人か。)
護法童子の戦力は未知数だが単純に1対7は圧倒的に不利な状況だ。
「さあ、行くよ!」
海原が天に掲げたベリルを僕に向けると6体の護法童子が浮かび上がり不規則な軌道で襲ってきた。
変則的な軌道による体当たりをランダムに繰り出してくる護法童子の攻撃を最初の3発は対応できたが4発目で腹に入り、後は全身をくまなく打たれて僕は地面に倒れた。
護法童子は高く飛び上がるとシュバババと海原の前にまた整列した。
「どう、ボクの護法童子は?今のは全然本気じゃないよ。」
それはそうだろう。
本気だったら手に持っている鉾を使わないわけがない。
僕は痛む体を起こして7体を睨み付ける。
当て身程度なので大した傷じゃない。
「確かに厄介な相手ですね。」
敵である僕にその力を認められて海原はフフンと鼻を鳴らす。
「だけど1つだけ言わせてもらいますよ。」
「何?命乞いなら聞かないよ?」
この状況で命乞いをするわけがないがそれは置いておき、僕はビシッと護法童子を指差して叫んだ。
「動きがキモい!」
「キモいって言うな!」
「ごふぅ!」
ツッコミで護法童子が飛んできてクリーンヒット、ゴロゴロと弾き飛ばされた。
そうは言ってもUFOにみたいにカクカクと人形である必要性をまるで感じない動きで襲ってくる大男の群れはいろんな意味で怖すぎる。
今飛んできた護法童子もまっすぐではなく一度飛び上がってから空中で向きを変えて地面に向かって頭から飛び、地面スレスレで方向転換して突撃してきたのだ。
これだけ無駄な動きをしていても避けられないのだからかなり速い。
「どこがキモいの?こんなに逞しいのに。」
てっきり完全な男嫌いかと思っていたがどうやら海原はマッチョ好きらしい。
生きて帰れたらボディービル専門誌を送ってあげるとしよう。
「ボクの護法童子をバカにする奴は許さない。撫子様の敵は絶対に殺す。」
海原に道を開けるように3体ずつ分かれてその険しい視線を向けてくる護法童子と本物の鬼神のごとき怒りを宿す海原。
そんな絶体絶命の状況で僕は立ち上がりながら、笑った。
「はは。」
「何がおかしいのさ?」
僕は答えず口許を押さえながら喉の奥で笑う。
「なんでもないですよ。さあ、続けましょうか。」
僕はポケットに手を突っ込んだままそう告げた。