第80話 "太宮様"
いつかはこうなると思っていた。
淡い外灯の光しか届かない場所で朱色の瞳が闇に妖しく輝いている。
ゴウと青い炎が蛇のようにうねりこちらに向けて鎌首をもたげてきた。
「りく、絶対に逃がさない。」
八重花はソルシエールの切っ先を突きつけてきた。
紅蓮の炎が八重花の本気を照らし出す。
「八重花…」
対する僕は丸腰。
本気のソーサリスとやり合って勝ち目などあるわけがない。
それでも僕は逃げようとは思わなかった。
だって八重花は僕を探していて、僕も八重花に会わなければならなかったから。
「りくは誰にも渡さない。」
「はっ、…はぁ、はぁ。」
未来の夢が終わりを迎えて僕は目を開いた。
大の字にベッドの上に倒れていて荒い息を繰り返す。
妙に早い心臓の鼓動を感じながらそのままの体勢でいるとやがて鼓動や呼吸は落ち着いてきた。
代わりにやって来た倦怠感でやっぱりベッドから起き上がれない僕は差し込んでくる日差しを腕で防ぎつつ夢について考える。
「さっきのは当たりか?」
明日の夜に遭遇するであろうヴァルキリーのソーサリスを探すためにスタンIVを使っているのだが、一番思い入れがあるせいか本命なのか八重花が夢に出てきた。
「でも、あの時の僕は逃げようとしなかった。」
今回の戦いではむしろどう逃げるかが重要になる。
立ち向かうのは無謀の極みだ。
そうなるとさっきの夢は明日ではないかもしれない。
「用心しつつ保留、と。」
今回は未来予定表に書き込まない。
「ふぅ、みんなにどう説明すればいいのかな?」
なぜなら今回のミッションは1人でこなさなければならないから。
(正直に明夜たちに話したら絶対反対されるよね。かと言って黙って出ていったらそれはそれで大変な騒動になりそうだ。)
"Innocent Vision"のみんながそれくらい僕を大切にしてくれているのはよくわかるので嬉しいのだが今回ばかりはそれが枷になっている。
「どうすればうまく抜け出せるかな?」
「ん、りっくん抜け出したいの?」
「!?」
突然の声に驚きすぎて声も出ず、ゆっくりと首だけを巡らせると蘭さんが入ってきたところだった。
最近はこの家に1人待機して他の2人は自由に出歩くようにしているみたいなので今日は蘭さんが居残りのようだ。
「暇だったからりっくん起きてるかなと思ったら、ムフフ…」
蘭さんはとても悪戯な目をしてベッドに腰かけてきた。
「それで?りっくんは抜け出してどこに行くのかな?」
「気のせいだよ。冬だからベッドから抜け出せないなって思っただけ。」
うむ、我ながらなかなかいい感じの言い訳だ。
だけどそれで蘭さんが納得するわけもなく
「そうだね~。」
超がつくほど適当な相づちを返された。
そもそもこの家は環境管理が行き届いているから年中快適で暑くも寒くもない。
つまり寝起きの布団の件は使えないのだ。
(これくらいで騙されてくれると簡単なんだけど。)
残念ながら相手は蘭さんだ。
誤魔化したところで見透かされて驚かされるのがオチだ。
「それで、どこに行きたいの?やっぱり遊びに?それともホームシックになっちゃった?」
幸い蘭さんは僕と魔女のやり取りを知らないから僕が自主的に外に出たがっていると勘違いしてくれている。
心苦しいが利用させてもらおう。
「そんなところだよ。さすがにずっとここにいるからね。」
「引きこもりのりっくんらしくない発言だね。」
「…。」
多分に失礼な言動だがここは我慢だ。
魔女との約束を破ると精神をとり殺されかねないのだから。
「…それでいいよ。でも明夜と由良さんに言っても素直に出してくれないでしょ?」
「んー、そうかも。明夜ちゃんも由良ちゃんもりっくんラブだからね。」
りっくんラブかどうかは知らないが言いたいことはよくわかる。
2人とも結構過保護なのだ。
「でも一緒に行けばいいんじゃない?」
「…でも、その…」
魔女との勝負に手助け禁止されているしヴァルキリーの誰と当たるかもわからないので危険だ、とは言えないわけで僕はどもってしまう。
すると蘭さんは訳知り顔で何度も頷いて
「わかった。女の子と一緒だと気まずいところに行くんだね。」
なんだかとんでもない誤解をしていた。
「ちょっ、蘭さん!?」
「こんなに可愛い女の子たちと同棲してるのにそれっぽいことしてないみたいだったから心配してたの。りっくんが男の子で安心したよ。場所はお家?それともどこか当てがあるの?それとも…お姉さんが手伝ってあげようか?」
自称お姉さんはベッドの上に四つん這いの体勢になって近付いてくる。
冗談だと分かっていても赤らんだ頬と不安げに揺れる瞳に否応なしに胸が高鳴ってしまう。
「蘭さん、ちょっと、タイム!」
本来の目的を忘れてしまいそうになるので慌てて制止をかけた。
蘭さんは楽しそうに笑いながらベッドの上に女の子座りする。
「あはは!でも他の女の子と逢い引きだと明夜ちゃんたち拗ねちゃうよ?」
「蘭さんは拗ねてくれないんですか?」
僕の切り返しに蘭さんはきょとんとした後さっきまでの笑顔とは違う妙に照れた様子で笑った。
その可愛らしさにまた胸がざわついた。
「えへへ。」
「と、とにかく、そういうんじゃないんだけど、その、どうしても1人でしないといけないことだから。」
僕も照れてしまってしどろもどろになりながら弁解した。
たとえ嘘でも3人にそういう誤解を抱かせるのは嫌だったから。
「…わかった。りっくん、ランが手伝ってあげる。」
結局蘭さんは何も聞かないで手伝いを引き受けてくれた。
「あ、ありがとう。」
「ううん、大丈夫だよ。」
僕も蘭さんも顔を見合わせるのが照れ臭くて結局蘭さんはすぐに出ていってしまった。
「ふぅー。」
どっと疲れが押し寄せてきて僕は改めて布団に倒れ込む。
スタンIVから目覚めた後シャツを代えていなかったので気持ちが悪い。
「どうにかなったけど、どうするつもりなんだろう?」
手伝ってくれると言ってくれたが具体的に何をしてくれるのかわからない。
まさか力づくでとは言わないだろうが一抹の不安を感じずにはいられない僕であった。
放課後、声をかけてくれた友人の誘いを丁重に断った叶は太宮神社に向かっていた。
先日言っていた未来予知の力を使って陸の行方を探すためである。
期待と不安が入り交じった表情で叶は神社への道のりを歩く。
(半場君を見つけたら何を言おう?…やっぱり真奈美ちゃんのことを聞きたい。どうしてあんなことをしたのか、今度はちゃんと半場君の理由を聞かせてほしい。)
叶の気持ちはすっかり落ち着きを取り戻していた。
一時は憎しみまで抱いていたはずの陸に対しても今は対話をして理解してあげようとまで改善していた。
これが叶の人柄なのか相手が陸だからなのかは本人にも分かっていなかったが叶の心にはあの時のような激情はもうなかった。
考え事をしているうちに神社に到着した。
別に走ってきたわけではないがホームルームが終わってすぐに出てきたのに太宮院琴は鳥居の下に立って叶を待っていた。
「叶さん、お待ちしておりました。」
「こんにちは、琴先輩。お早いんですね?」
「そうでしょう?本日は自主的に休講としましたから。」
「…。」
琴の真顔での嘘とも本当ともわからない発言に叶は目をぱちくりさせた。
琴はコホンと咳払いをして叶に背を向ける。
「…冗談ですよ。今日の"太宮様"の占いのための準備を進めていましたので、家の方で用事があると学校には連絡してあります。」
「えっと、さっきのは冗談だったんですか?」
「緊張している叶さんを和ませようと思いましたが、やはり難しいものですね。人の心とは。」
肩を落として本殿へと向かう琴の後ろに続きながら
(慰めた方がいいのかな?)
密かに悩むのであった。
叶は太宮神社の奥の間に通されていた。
学校の茶道室で振る舞われたものよりもさらに香りも風味も高いお茶をご馳走になりながら部屋を見回した。
四畳半の狭い部屋だった。
全面が襖で窓はなく通路側の襖以外は閉まっている。
部屋の角にある古めかしい明かり差しが唯一の光源でゆらゆらと蝋燭の火の動きで影が揺れていた。
「待っていてくださいって言われたけど、何か準備かな?」
確かに未来を見るなんて大それた事をするのだから相応の儀式が必要だというのは納得できる事だった。
手持ち無沙汰にキョロキョロしていると筆と紙を持って琴がやって来た。
「お待たせ致しました。程なく"太宮様"がいらっしゃいます。」
「それって琴先輩がやるんじゃないんですか?」
これまでの口ぶりだとまるで琴が未来を見ているようだったので叶は尋ねてみた。
琴は頷く。
「先見の力は太宮神社の"太宮様"のみ使役できるものですので。叶さん、あなたの見たい未来はどのようなものですか?」
叶は一度深呼吸をして気持ちを落ち着ける。
今の気持ちを素直に言葉に乗せて告げた。
「友達を見つけたいです。」
様々な想いを簡潔に集約した叶の言葉に琴は笑みを湛えて頷いた。
「良い言霊です。ですが"太宮様"の先見はあくまで数多ある過程の中で起こりやすい事象を観測する技法です。助言であると承知しておいてください。」
琴はその他細々と注意事項を告げて部屋を出ていった。
その数分後、音もなく開いた襖の向こうに全身白い装束で身を包んだ人物が立っていた。
「!」
驚きに声を上げそうになった叶は慌てて口を塞ぐ。
琴の注意の一つに先見が終わるまで決して言葉を発してはいけないとあったからだ。
叶は姿勢を正してしっかりと見据える。
袴も羽織も頭巾もすべてが純白で足袋や手袋も白い。
目や鼻に当たる部分ですら白い布に覆われているのに"太宮様"はまるで見えているかのように叶の前に折り目正しく座り一礼した。
叶も頭を下げる。
よろしくお願いしますと言いそうになったのを必死に堪えたので変な顔をしていただろう。
"太宮様"は首を微かに前後させてまるで笑ったように振る舞った後、硯でゆっくりと墨を擦り始めた。
シュ、シュッ
墨を擦る音だけが室内に響く。
やがて墨の量が増えたところで"太宮様"は筆を右手、紙を左手に持つとまるで書くことが決まっているかのようにスラスラと筆を走らせ始めた。
叶は驚きの声を飲み込む。
綺麗にひだ状に折られた紙に一定の速度で文字が書き込まれていく。
それが突然止まった。
"太宮様"は筆を置き、紙を床の上に広げるとまた礼をして淀みのない足取りで奥の間を出ていった。
すべての動作が真っ白な衣装のように曇りなく終わってしまったことに叶は目をしばたかせて呆然としていた。
"太宮様"の去っていった襖をぼーっと眺めているとそこから琴が新しいお茶を淹れてやって来た。
畳の上に正座して叶にお茶を差し出しながら
「良い未来は得られましたか?」
通例のように尋ねた。
「え、ええとですね。…」
叶は神妙な顔つきでじっと手紙を睨んでいた。
「どうかされましたか?」
琴が不安げに聞くと叶はあははと苦笑して手紙を琴に見えるようにひっくり返した。
「難しくてちゃんと読めません。」
琴は書き連ねられた文字に目を落とし、神妙な顔つきになった。
「琴先輩?なんて書いてあるんですか?」
「…夜の道を歩き続けなさい。彼の者は闇に生きる者。しかし出会いは幻のごとく霞のように消え失せる。要約するとこのような内容になります。」
"太宮様"の予言を聞いて叶も琴も難しい顔をする。
「ええと、半場君に会うには夜に探すんですよね?」
「そのようですね。夜、彼は色町にでも出向いているのでしょうか?」
いまだに半場陸は女たらしというイメージを持つ琴はそんなことを言う。
すると珍しく叶が声を荒らげた。
「半場君はそんな人じゃありません!」
さすがの琴もこれには驚いてしまい
「失礼しました。」
すぐに謝罪した。
2人は最後の一文を見る。
「出会いは幻のごとく…」
「霞のように消え失せる、ですか。半場陸さんの幽霊でも見るのかもしれないですね。」
「あわわ、脅かさないで下さいよ!」
幽霊と聞いて露骨に狼狽する叶を見て琴は最後に確認をする。
「それでは夜に探すのですね?」
叶はしっかりと頷いた。
「はい、今夜から探してみます。ありがとうございました。」
その表情はやはりどこか嬉しそうだった。