第79話 八重花の変わった"日常"
「八重花。」
朝の登校時間。
相変わらず『エクセス』で違法スレスレの探査活動をしているせいで寝不足のため目付きの悪い東條八重花に声をかける勇者がいた。
あん?とがらの悪い不良みたいな返事が出てきそうなほど睨み付けるように振り返った先にはとても清々しい笑顔の等々力良子が手を上げていた。
「…。」
八重花はまるで気付かなかったように振り返って学校へと向かっていく。
ガン無視された良子は頭を抱えて涙を流した。
「うわーん。せっかくヴァ…乙女会に入ったから呼び方を八重花に変えたのにつれないな!そんなだと友達できないよ!」
めげずに追いかけて説教する先輩を
「大丈夫です。友達にはちゃんとそれなりの対応をしますから。」
後輩は一蹴。
「それってあたしが友達じゃないってことか!?」
さらにその奥に秘められた考えを悟らせることで追加攻撃をする。
良子は八重花の肩にすがり付いて泣きながら会話を懇願するという情けない姿を朝っぱらから晒している。
その光景にたまたま出くわして一部始終を見ていた神峰美保は悲しげに俯いた。
「不憫だわ。良子先輩、惚れた弱味を抜きにしても完全に東條に手玉に取られてるわね。」
「東條さんは頭の回転が早そうですからね。趣味が合えばお友達になりたいです。」
隣の下沢悠莉はニコニコしている。
良子が泣きわめく姿をとても楽しそうに見ていた。
悠莉の趣味に関してはツッコまないと心に決めた美保は冷たい目で親友を見るだけだった。
「八重花ぁ。」
「鬱陶しいです。」
前の二人は相変わらず口論とも言えないやり取りをしながらゆっくりと学校に向かっている。
「お二人とも、仲が良いですね。」
「…あんたなら眼鏡が似合うと思うから今すぐ眼科に行きなさい。」
美保は目頭を指で押さえつけ、眉間に皺の寄った顔のまま向き直った。
失礼な物言いにも悠莉は動じた様子もなくうふふと笑う。
中身はともかく女である美保でも見惚れてしまいそうな微笑みだった。
「私がお見受けしたところ、東條さんは本当に嫌いな方とは話さないと思います。あれは等々力先輩の反応を面白がっているだけですよ。ええ、そのお気持ち、よくわかりますわ。」
しきりに頷く悠莉の隣では美保が疲れたように項垂れていた。
「拳を握って力説しない。しっかし…」
美保は八重花の背中を睨み付けた。
「東條八重花、信用しても平気かしら?あいつの目的はインヴィでしょ?寝返る可能性もあるんじゃない?」
八重花はヴァルキリーの理念に賛同したわけではなく自分の目的のために利用するスタンスで参加の意思を示した。
それはつまりヴァルキリーの利用価値が無くなった時、あるいは八重花自身の考えが変わったときに簡単に裏切るのではないか、美保はそう懸念していた。
悠莉も頬に手を当てて眉をハの字にして考える。
「当然、花鳳先輩も分かっているはずです。それに初めから警戒していては友情は芽生えませんよ。」
「それは、そうなんだけどね。」
悠莉の言葉は正論だが八重花は力を持つソーサリス、気を許して背中からバッサリでは目も当てられない。
納得がいかない顔をしている美保を見て悠莉はクスクスと笑った。
「それに…裏切るようでしたら、殺してしまえばいいです。」
まるで日常会話のように、そこには気負いも憂いもなく、悠莉は笑いながら殺すと告げた。
美保はギョッとした後、獰猛な笑みを浮かべた。
「それもそうね。」
ククク、フフフと爽やかな朝には若干不気味な笑い声を漏らしている2人を
「…。」
八重花は顔だけを横に向けて横目で見ていた。
凍てつくような冷めた視線で。
「わーん。睨まないで。」
…視線の意味を誤解して喚く良子を無視して。
半ば無理矢理良子に連れてこられた八重花を含めたヴァルキリーの面々がヴァルハラに出向くと
「おはようございます。」
「おはよー。」
「はよっす。」
「…。」
「…おはよ。」
そこには珍しく海原緑里1人しかいなかった。
美保が首をかしげながら緑里に尋ねる。
「花鳳先輩とか葵衣先輩とかヘレナ先輩はどうしたんです?」
「撫子様と葵衣は家の用事で休み。ヘレナ先輩も今日は休みだよ。3年生だから来なくても平気なんじゃない?」
緑里は素っ気なく答えて不機嫌そうに頬杖をついた。
皆が自然と自分の席につき、今日は葵衣がいないので悠莉がお茶を淹れに行く。
「八重花、ヴァルキリーには慣れたかい?」
「まだ数日ですからわかりませんよ。」
何をバカな、とは言わないが雰囲気はそんな感じで良子はしょんぼりしている。
美保はぼんやりと二人の姿を眺めながら
(同じようなやり取りで飽きないのかしら?)
と思ったがとりあえずは口を出さず静観するつもりでいた。
トレーにティーセットを乗せて運んできた悠莉が着席するタイミングを見計らったように八重花は緑里に顔を向けた。
「…それで、何を隠したんですか?」
「!?」
緑里は一瞬目を見開いたがすぐに元に戻りそっぽを向いた。
誰だって突然そんなことを言われたら驚くだろう、3人は八重花の言動にこそ首をかしげたが緑里の反応には気にしていなかった。
しばらく緑里を見つめていた八重花だったが
「どうぞ。」
目の前に紅茶が置かれると視線を戻し、グイッと紅茶を煽り一口で飲み干してしまった。
唖然としている面々を残して八重花は立ち上がる。
「特に用がないみたいなので教室に戻ります。」
さっさと出ていってしまった八重花を見送った後、全員が紅茶に口をつけてすぐに離した。
やはり淹れたてで熱湯のように熱かった。
八重花の奇行について議論を始めた"RGB"に同席しながら緑里は握っていた手紙をこっそりポケットにしまうのだった。
教室にやって来た八重花を待ち受けていたのは絡み付くような憎悪の視線だった。
それも仕方がない。
あの等々力良子に気に入られているのにその好意を蔑ろにし、純乙女会を経ることなく乙女会に入会したのだから一般女子、ジュエルを問わず憎らしいに決まっている。
(ジュエルの発動条件も強い感情らしいからこれでまた何人かジュエルが生まれるかもしれないのね。これを狙ってやってるのだとしたら、花鳳撫子、相当の策士ね。)
「ちょっと、東條さん?」
高圧的な語尾上がりの声に八重花は面倒くささを無表情で隠して振り向いた。
癖のある茶色の長髪を手で鋤き流し肘を支えるように腕を組んで八重花を見下ろしていたのはクラスメイトの笹川明恵。
久住派、武田派と並ぶ笹川派のトップ、1年6組女子の派閥の中でも一番騒がしい集団のリーダー的存在だった。
ちなみに武田派はちょっと腐女子気味の大人しい娘たちでこの間まで叶と仲良くしていたのも武田派である。
そして笹川明恵と久住裕子は無駄に自己主張が強いもの同士のためかとても仲が悪かった。
「…おはよう。」
「おはようございます。」
ただの挨拶なのに妙に気合いが隠っている。
その理由は正八面体の淡い青色の宝石を象ったキーホルダーを見れば明らかだった。
(下沢悠莉のところのジュエルね。)
純乙女会の会員となったジュエルには指揮官としてヴァルキリーのソーサリスがつく。
その部隊を示すのがこのキーホルダーである。
市販のものが無色透明なのに対しこれらは指揮官のイメージカラーを反映している。
下沢悠莉なら青、神峰美保なら緑、等々力良子なら赤である。
「…。」
「…。」
笹川は八重花に何かを言わせたいらしいが八重花は用件を言われるまで待つだけなので結果としてにらみ合いのような膠着状態になった。
教室が微妙な雰囲気に怯えた様子に変わっていく。
「…何か言うことがあるんじゃないかしら?」
笹川はどこまでも高圧的に八重花に接するが八重花は微塵も揺らがない。
ただ首をかしげるだけだ。
その反応が気にくわなかったらしく笹川はキーッとヒステリックに叫んだ。
「ちょっと乙女会の皆さんにお目を掛けられたからって調子に乗らないことね。私もすぐに乙女会入りして追い抜いてあげるわ。」
笹川は地団駄踏みながら自分の席に戻っていった。
(いるのね。ああいう人。)
よく言えば向上心が高い、一般的には自尊心が高いと言われ他人を下に見ようとする人間。
(なんて、小さい。)
八重花は歯牙にもかけないで何事もなかったように前を向いた。
ちょうどチャイムがなり、声をかけようとしていた裕子ががっくりと肩を落としながら席に戻っていったことに八重花は気付かなかった。
(八重花ちゃん、本当に乙女会に入ったんだ。)
さっきの騒動を見て叶は感嘆していた。
壱葉高校に入って、同じ高校生なのに何もかもが華々しく思えた乙女会の人たちの中に友達の八重花が加わったのだ。
驚かないわけがない。
(すごいな、八重花ちゃん。でもそうだよね。頭もいいし可愛いし。)
それでも叶が抱いたのは八重花への賛辞だけ、他の皆が胸の内に煮えたぎらせる暗い感情はなかった。
(…半場君も八重花ちゃんが乙女会に入ったって知ったら喜ぶのかな?やっぱり、すごい女の子の方がいいよね?)
ただ別の意味で暗く沈んでいたが。
(それに八重花が積極的になったのは半場君のためだもんね。だから、うん、八重花ちゃんのためにも半場君を見つけよう。)
そして自らを鼓舞して微笑む。
作倉叶はとても良い子だった。
…そして、驚いたり落ち込んだり微笑んだり、百面相する叶を久美は心配するのだった。
緑里は1人だった。
それは別に葵衣が撫子と用事で学校に来ていないから話し相手がいない、もっと核心的に言ってしまって友達がいない、というわけではない。
これでも乙女会の一員であり葵衣ほどではないが優秀な成績を維持しているから慕ってくれる友人はいる。
むしろ男嫌いもあって下心で近付いてくる男子を容赦なく撃沈させるため良子同様女子にこそ人気がある。
だからこそ緑里は1人になっていた。
これは人に見られていいものなのか判断がつかなかったからだ。
ここは1階の女子トイレの個室。
普通は学生がほとんど利用しない場所だ。
便座の上に腰掛けた緑里はポケットから今朝下駄箱に入っていた封筒を取り出した。
中身はまだ見ていない。
ヴァルハラで開いてみようと思ったが八重花に勘繰られ、その後も人目があって見る機会が無かったのだ。
「またラブレターかな?」
緑里はよくラブレターをもらう。
当然女の子からだ。
中身は普通に「お友達になって」から始まり「私のお姉様になって」「私の妹になって」と若干歪み、果ては「肉体関係を持ちましょう」的な内容が生々しく書き連ねられたものもあった。
手元にある封筒もその類いの可愛らしいものだった。
緑里は破かないように封を開けながら
(これが撫子様なら即オッケーなんだけど。)
それはそれで問題なことを考えている。
封筒の中には真っ白な便箋が入っていた。
「?紙がなかったのかな?」
これまでもらったラブレターは封筒よりも手紙にこそ全力を注いで可愛いものを使っていた。
だからどうみてもコピー用紙だと違和感しかない。
首をかしげながら四つ折りにされていた手紙を開く。
そこには
『明日の夜、1人で外に出よ。さすればあなたの一番会いたくない相手に出会えるであろう。』
血のような赤黒い液体でそう書かれていた。
「っ!?な、なにこれ!?」
悪戯にしても酷すぎる。
見れば見るほど血にしか見えない。
緑里は慌てて手紙を畳み封筒に入れてポケットに押し込んだ。
不意打ちの恐怖に心臓がバクバク鳴っていた。
「なんなのよ?予言のつもり?」
目蓋の裏にはしっかりとさっきの文面が焼き付いてしまった。
緑里はブンブンと頭を振って立ち上がる。
「これは悪戯。うん、気にしない。」
緑里は何度も頷いて自分にそう言い聞かせるように言った。
個室を出て教室へと向かう。
声をかけてくれる相手に会釈を返す。
「…会いたくない相手に出会えるって、会いたくないんじゃない。」
鮮烈なイメージは忘れようとするほど緑里の脳裏に焼き付いた。
「あーもう、モヤモヤする!」
内容はおろか差出人すら不明の手紙。
しかし緑里はそれを捨てようとは考えなかった。