第78話 魔女のゲーム
羽佐間由良は昼間のうちから新宿に出向いていた。
もちろん魔女を探すためである。
ビルの屋上から眼下の町並みを睨み付けている。
新宿は"Innocent Vision"に参加する前の1人の時から怪しいと睨んでいた。
事実、統計的には壱葉と並んで新宿でのジェムの出現頻度は高い。
「まあ、無駄だとは分かってるんだけどな。」
薄々気付いていたことだが先日の八重花の件を聞いて確信した。
(東條がソルシエールを手に入れたとき明夜はすぐ近くにいたのに気付かなかったらしい。それに、俺だって一度も魔女に会ったことはない。)
気配はするけれど誰1人として会ったことのない存在。
人の心に付け入り、掻き乱す魔女は実体を持たない幽霊のような存在ではないかと由良は考えていた。
「そうなるとこの探索も本格的に無意味だな。」
盲目的に魔女を探し回っていた頃の自分を全否定したというのに由良は困ったように笑うだけ、周囲を震え上がらせる怒気は鳴りを潜めていた。
「こんな腐った世界でも、それを守ろうとしているやつがいるんだ。最後まで手伝ってやるさ。」
由良はこの世界が嫌いだった。
その何もかもをぶち壊したくて、すべてのものが敵に思えていた。
だけど何もなかった自分の手の中にはいつの間にか大切なものが増えていた。
失ったものは還らない。
でも、新たに手に入れたものを失いたくないと思った。
由良が守るために出来ることは戦って相手を倒すことしかない。
だけどそれでいい。
大切な彼らがそれで救われるなら喜んで敵の命を絶つ刃となろう。
由良はとても穏やかな気持ちのまま左手を前に突き出した。
「来い、玻璃。」
手元から成長するように伸びた一削りの水晶を思わせる槍とも剣とも言えるソルシエール・玻璃は陽光を浴びて美しく輝いていた。
由良は玻璃を逆手に握ると屋上の床に突き立てた。
数歩下がって由良は玻璃に向かって語りかける。
「お前と契約したときに思ったすべてに対する怒りと憎しみはもうない。だから俺にはもうお前を扱う資格はない。」
決別を意味する言葉に、しかし当然のように玻璃は突き立てられたまま動きはしない。
「俺は陸や明夜、蘭、俺が守りたいやつを守るために戦う。敵となるものだけを憎み、殺すことを厭わない。」
由良はまっすぐに手を前に出して微笑む。
「それでもついてきてくれるか、玻璃?」
由良は手を出したまま瞳を閉ざした。
世界の喧騒が響く。
人の話し声、車の騒音、空を行く飛行機の音。
そんな世界を感じる閉じた瞳の闇の中でキィンと甲高い音が響いた。
キィン、ギィン、ギギギ
音は徐々に大きくなっていく。
そして闇の中でしっかりと手に馴染む感触を得て由良は笑い、腕を振り上げた。
「ハッハ!さすが俺の相棒だ!」
応えるように、喜ぶように玻璃はリンと鈴のような音色を響かせるのだった。
昼でありながらまるで夜のように暗くそこにあるものの姿を覆い隠す影の中で蘭は戦っていた。
影の闇に蠢くジェムはすでに人としての形をしていない。
スライム状の、より正確に言えば肉をグチュグチュとかき混ぜたような不気味な容貌のジェムはぎょろりと目玉だけを動かして蘭を見ている。
「さすが、りっくんが気持ち悪いってべそかいてただけあってキモい。」
蘭はげんなりと呟く。
本当は蘭も来たくなかったのだがジェムを放っておくわけにも行かないしじゃんけんで負けてしまった以上拒否権はなかった。
まあ、小さい子みたいに瞳を潤ませて不安げだった陸がムチャクチャ可愛くて、蘭が出ると知ったときにとても心配してくれたので役得とも言えたが。
「魔女の趣味もよく分からないし。さっさとミンチにしちゃうよ。」
掲げた左腕にオブシディアンを展開。
反応してくれるギャラリーはいないので見せる演出は省略した。
オブシディアンに反射した光が影を照らし出し
「うげぇ。」
蘭は呻き声を上げた。
それは想像以上だった。
人間の頭髪と皮膚をすべて排除し、残った骨と肉と臓器を適当にかき混ぜて無理やり四足の動物に作り替えたようなひどく不格好な化け物だ。
生々しいピンク色の体からは骨で形作られた角が生えていていかにもモンスターぽい姿にしようとした努力が見られた。
「キモい、キモすぎるよ!」
蘭は素早くオブシディアンを背後に回して光を遮った。
気色の悪いジェムの姿が闇に隠れ、細められていた目がぎょろりと蠢く。
「近づきたくないし精神攻撃は効きそうにないし。それなら…」
蘭は再び左手を掲げる。
「ゲシュタルト!」
叫ぶはグラマリーの名。
周囲の空間が歪み、何処からかジェムを囲むように何枚もの鏡が出現した。
それはまるで鏡の檻。
ジェムの姿が蘭から見えなくなる。
蘭は一仕事終えたように額を拭い清々しい顔になった。
「臭いものには蓋だよね。」
根本的には間違っているだろうが誰も蘭を責めるものはいない。
自己の否定は無理でも自らの幻覚と戦い続けていずれは死に絶える、それがゲシュタルトだ。
「さーて、帰ってりっくんに慰めてもらおー。」
蘭は仕事は終わったとばかりにその場を離れた。
鏡の世界で、ジェムがうっとりと自分の姿に見とれているなどとは夢にも思わずに。
Innocent Visionが発動して夢に飲まれた僕は何故かピラミッドの上にいた。
実体のある、それ以外が空虚な世界は僕の知るものだった。
もはや驚くのもバカらしくて適当に声をかける。
「魔女。魔女さーん。魔女っ娘ー。」
「はいはい、呼んだかしら?」
声が聞こえて振り向くとまるで椅子に座っているような体勢で不敵な笑みを浮かべている魔女がいた。
「ちなみにどれに反応したんですか?」
「もちろん。一番若い呼び方よ。」
どんな女性も若く思われたいということのようだ。
魔女はひょいと座っていた体勢から飛び降りで僕の前に降り立った。
2メートル四方の足場に立っているのですぐ近くに魔女がいる。
この距離なら僕に何かするにも容易いはずだ。
自然と体が警戒してしまう。
「だから警戒しないでも平気よ。それにやるなら初めから殺ってるわ。」
魔女は肩を竦めた。
確かにここは魔女の世界のようなものなのだから僕をどうにかするなんて容易いことなのだろう。
「ってことは、僕はまた話し相手?」
「ご名答。」
魔女が指を鳴らすと狭い足場の中央に前と同じテーブルと椅子が現れた。
促される前に座ると魔女はもう一度指を鳴らした。
ポットがカップに紅茶を注ぎ入れてテーブルの上に降りた。
もはやこの程度の不思議現象は夢の中だからと片付けることにしたが、一つだけ根本的な質問をしなければならない。
「なぜにピラミッド?」
「一面の砂漠では殺風景だったからよ。」
改めて周囲を見回す。
このピラミッドと隣に申し訳程度に置いてあるスフィンクス以外は地平線の彼方まで続く砂の広野。
その頂上に登ったところで殺風景なのに変わりはない。
「この間みたいにどこかの風景を持ってくればいいんじゃないですか?」
あそこまで精巧な東京タワーが作れるならどんな場所でも思いのままだろう。
だけど魔女は面倒くさそうに手を払った。
「そんなの疲れるし面白くないわ。動かない模型をいつまでも眺めている趣味はないもの。」
魔女が紅茶を煽って飲み干した。
面食らった僕に魔女はニヤリと笑みを向けてきた。
「ゲームをしましょう、Innocent Vision。」
Innocent Visionと呼ばれた瞬間、言い知れぬ悪寒のようなものが背筋を駆け抜けた。
それでなくても魔女の誘うゲームは十分に危険な匂いがした。
「どんなゲームです?」
だけどここで拒否することはできなかった。
魔女の瞳には僕が肯定する以外の選択肢を用意していなかった。
それ以外を選んだとき僕は消されていただろう。
「最近引きこもりの駄目人間のInnocent Vision更正計画。」
「ほっといてください。」
なんとも傍迷惑なゲームだった。
僕が拒否するとさすがに魔女も冗談だったようで笑うだけだった。
「でもつまらないのも本当よ。Innocent Visionは姿を現さず、仲間を使ってばかり。それでは面白くないでしょう?だからゲーム。」
魔女は口が避けるのではないかというほどにんまりと嫌らしい笑みを浮かべ
「敵である誰かと出会うまで歩き続けるの。遭遇した後は逃げ帰っていいわ。ただし、逃げ切れればね。」
犬追物、そんなイメージが浮かんだ。
逃げ惑う囲いの中の犬を馬に乗った男たちが弓矢で狙う古い遊び、考えようによっては動物虐待だ。
魔女はその犬に僕を指名したようだ。
そして追う物はヴァルキリーとジェム。
圧倒的に危険な状態なのは予想するまでもない。
「今夜から、とは言わないでしょ?」
「そうね。ゲームであるからにはあなたにも準備をする時間が必要だもの。2日後の夜にしましょう。当然"Innocent Vision"を動かすのは禁止よ。」
ニヤニヤと笑う魔女が手を振ると砂嵐が視界を白く染めていく。
外に出なければ魔女は僕たちの家にジェムを送り込んでくるだろう。
魔女ならば僕たちがどこに潜伏しているかなどお見通しだろうから。
そして騒ぎになればヴァルキリーにも気付かれる。
僕はこのゲームに参加するしかないのだ。
「…負けませんよ、僕は。」
出るからには勝つ。
その意思を込めて宣言する僕を魔女は嘲るように見下した目で笑った。
「やってみせなさい。楽しませてもらうわ。」
その言葉を最後に僕の意識は砂漠の世界から消え去った。
目覚めればいつものベッドの上だった。
魔女の言う通り最近引きこもりすぎてベッドと同化するんじゃないかと思えてきた。
外は黄昏時、世界が赤く染まっている。
その色が、最後に見た魔女の左目と重なって僕は身震いをした。
「悪い夢だったってオチは…ないよね。」
夢オチなんてベタだがこの際そんなものでもいいくらいすがり付きたい気分だった。
「強制エンカウントってところか。」
これまで「逃げる」を選択し続けて仲間の経験値で成長してきた僕に対する天罰のようなものかもしれない。
そう考えないと結構やるせない。
「スタンIV使って対策を練らなきゃ。」
スタンIVの使用回数は1日2回。
厳密に言えば睡眠による体力回復なしで2回だからうまく立ち回れば1日に3回以上使えるが非常に体力を消耗する。
当日は戦いに備えて体力を温存しなければならないから今日と明日、使用回数は4回だ。
「スタンIVもわりと気まぐれだからうまく活用しないと。」
基本的には考えていた事柄に関する夢を見ることができるスタンIVだがそれでもInnocent Visionと同じように時間の指定ができない。
例えば八重花のことを考えたとして、スタンIVで見えるのは八重花が関わる未来の光景だ。
極論を言えば数分後から死ぬ直前までの範囲だ。
さすがにそこまで極端ではないものの時期のブレはどうしても出てきてしまう。
明後日の情報をピンポイントで得るのはなかなか難しいことだった。
「イメージが強ければ強いほど目的の光景が見られるみたいだけど、明後日ね。」
未来予定を覗き込んでみたがあいにくその日ジェムの出現する夢は見なかったらしい。
それが本当にないのか抜け落ちただけなのかはわからないがここ一月の間に結構な頻度でInnocent VisionとスタンIVを使ったのに見ないということはジェムは出現しないのだろう。
「そうなると、出会うのはヴァルキリーか。」
魔女が未来を歪める力があるとなればと話は別だが現状ジェムよりもヴァルキリーの方が厄介な敵だ。
誰と出会うか、どう立ち回るべきかを知らなければ生き残ることはできないだろう。
「久々に命の危険を感じるな。」
呟きとは裏腹に僕の口は笑んでいた。
困難への挑戦、踏破したときの達成感への期待、そして…命を削る戦いへの高揚。
歪んだと自分でも思う。
だが、これこそが"化け物"、Innocent Visionの姿だ。
その道を歩むと決めた以上負い目はない。
僕はベッドから立ち上がって伸びをした。
「さてと。」
スタンIVをするための準備をしなければならない。
腕時計に目を落とすと7時になろうとしていてちょうどタイミングよくお腹がなった。
「しっかり体力をつけないと。」
決戦までの準備期間、それをどこか楽しく思いながら僕はリビングへと向かうのであった。