第77話 もう一人の決心
町はクリスマスムード、学校もクリスマスの話題で賑わい出した週始め。
1年6組の教室で東條八重花は机に倒れ伏していた。
八重花が寝る間を惜しんで追っていた真実にはたどり着けたわけだが結局"日常"に陸がいないのは変わらないため色々とやる気ゼロだった。
それを少し離れた席で見ている芳賀雅人、久住裕子、中山久美の3人は
「八重花、相変わらず元気ないね。昨日は等々力先輩とデートだったって噂だけどつまらなかったのかな?」
「確かそのデートって倉谷のショッピングモールだったんだろ?あの爆発事故があった。」
「にゃはぁ、それじゃあ楽しくないよ。」
今朝のニュースは倉谷ショッピングモール謎の爆発事故で一時封鎖というニュースで賑わっていた。
久しく大きな事件が報道されていなかった壱葉近辺での大きな事件に廃ビル倒壊との関連性を示唆する者もいた。
実はその話題が聞こえる度に八重花はピクリと反応していたのだが幸い誰も気にしている様子はなかった。
(りくもこんな風に変な緊張を味わったのかしら?)
たったそれだけの共通点だけで八重花は頬を赤らめてギュッと腕の傷を抱き締めた。
「八重花もそうだけどあっちもどうにかならないかね?」
視線を移せば机に向かって難しい顔をしている作倉叶の姿がある。
先週の後半くらいからボーッとしていることが多くなり、他の女子とも一緒にいることが少なくなっていた。
「かなっち、どうしたんだろうね?」
「半場くんとか真奈美のことを引きずってるんじゃなければいいけど。」
一時期陸の話題に対して異常なまでに嫌悪していた叶も最近は落ち着いていた。
折り合いがついてきたように思えて裕子たちは胸を撫で下ろしていた。
尤も、当の叶は
(やっぱり太宮院先輩にもう一度話をしよう。もしも、仮に、万が一半場君が太宮院先輩の言うように不思議な力を持っていて、そのせいで私たちの前からいなくなったなら、真奈美ちゃんのことも含めてちゃんと話したい。)
しっかりと気持ちに折り合いをつけていて先に進もうとしていた。
これまで悩んでいたのは太宮院琴の語った話を自分なりに納得するのに時間がかかったからだった。
八重花と叶は方向性は違えど確実に陸へと近づく道を歩んでいた。
一度は途切れた道を、もう一度自らの意思で繋ぎ直しながら。
長い時間をかけてようやく決心がついた叶は昼休み、琴を探すために2年生のクラスに来ていた。
元々人見知り気味の叶は上級生ばかりの階を歩いているだけでとても不安げだった。
たった1年学年が違うだけで皆が大きく見える。
「ねえ、そこの君?」
「ひゃ、ひゃい!?」
突然声をかけられて振り返ると妙にニコニコ笑う上級生の男子が2人立っていた。
「君1年生?名前は?」
「あの、えと…」
「怖がんなくていいよ。俺たち悪い人じゃないからさ。」
そういう当人たちはお世辞にも真面目には見えない。
分類的にはちゃらちゃらしているになるだろう。
周囲は呆れ顔で
「あんたたち、また成功しないナンパ?」
「うっせ!」
と軽口を叩いていたが叶を助けてくれる人はいない。
「それで、君はなんで2年のクラスに?もしかして俺たちに会いに来てくれた?」
叶は必死に首を横に振った。
もちろん冗談だったが目一杯否定されて男子その1は壁に手をついて凹んでしまった。
「あ、あの…」
「ん、なに?」
叶は勇気と声を目一杯絞り出して
「太宮院先輩のクラスは、どこですか?」
なんとか言い切った。
その瞬間、男子その2の顔が笑みのまま凍りついた。
「…もしかして、太宮院の知り合い?」
「は、はい。一応。」
小さく頷くと男子はダラダラと汗を流して凹んでいた男子の方を振り返った。
だがそこに姿はない。
太宮院の名を聞いた瞬間に彼方へと消えていったのだ。
薄情者の友に恨み言を呟きつつ向き直ると叶は今にも泣き出しそうなほど不安げだった。
周囲から男子に冷たい視線が突き刺さる。
本能と感情が太宮院に近づくことを避けていたが結局
「お、おお、俺が案内してあげるよ。」
見栄を貫いた。
周囲から慎ましい賛辞の声がかかる。
「そ、そんな…悪いです。クラスを教えていただければ大丈夫です。」
しかし叶にとって決死の覚悟をした上級生もただのナンパ野郎と同じで怖かった。
遠慮しようとした叶の前で
「どうか案内させてくださいぃ!」
と男子は涙を流して土下座までした。
周囲から尊敬の念を受けている。
「それなら…お願いします。」
あまりの迫力に押しきられた叶は怯えながら頷いた。
これが普通の状況ならフラグを立てたとして持て囃されたり嫉妬されるところだが用件が違うだけで死刑台に向かう囚人のようになっていた。
道を開けてくれるギャラリーが棺を送り出すみたいなしめやかな顔をしていて男子は泣きそうになった。
「あ、あの。やっぱり1人で…」
「僕のためを思うならやらせてください!」
一人称が僕になったりどこかのスポーツ漫画なら山場のかっこいい台詞を叫んだり壊れ気味の男子はやけくそ気味に2年8組に向かった。
2年8組はざわめいていた。
最近姿を見せない羽佐間由良とは別の意味で有名な"あの"太宮院琴に下級生の客が来たという。
クラスの内外を問わず興味を引かれた学生が群れをなしていた。
エスコート役を仰せつかった男子は叶を無事送り届けると同時に倒れて保健室に運ばれていった。
そのとき周囲からは惜しみ無い拍手が沸き起こっていたのを叶は首をかしげて見送っていた。
そして今、叶の前に会いたがっていた太宮院琴がいる。
だけど変だ。
周囲が引いているのもよくわかる。
「た、太宮院先輩。」
「はい、何でしょう?」
(どうして巫女装束なんですか!?)
そう叫ぶことができるほど叶は勇者ではない。
そう、壱葉高校2年8組の太宮院琴は学生であるにも拘わらず巫女服姿だった。
「お待ちしていました。いずれ訪ねてきていただけると思っていました。」
琴がそう言って微笑むだけで彼女のクラスメイトは小さく悲鳴を上げた。
なぜ琴に対して過剰なほど皆が怯えているのかが叶には理解できない。
「太宮院先輩…」
「その姓は呼びづらいでしょう。私のことは琴で構いませんよ。」
「それじゃあ、ええと、琴先輩はどうして皆さんから怖がられているんですか?」
叶の率直な質問に琴はクスクスと笑い、クラスメイトは戦々恐々としていた。
「そうですね。未来予知をするというお話はしましたね?」
「はい。」
「つまりわたくしの言葉は『予言』になるわけです。明日雨が降りそうですねと言えば高確率で雨が降るように…」
すでに今の一言でクラスメイトは傘傘と言いながらメモを取っていた。
「わたくしの言動は皆さんに非常に大きな影響を与えるのです。わたくしが不用意なことを喋ることで誰かが何かの被害を被るかもしれません。そんな状況では皆さんが怖がられるのも無理からぬことでしょう。」
そうして笑った琴の顔には慈愛と諦念が混じりあっていた。
叶はどうすることもできないことが悲しくて俯く。
琴は叶の肩に手を添えて優しく微笑んだ。
「ここで込み入ったお話をするのは気にされるでしょう。場所を移しましょうか。」
上級生に囲まれた上にこれから話そうとしていたのは未来を見る力に関わる"非日常"、昼休みの教室で話すような内容ではなかったと叶は今更ながら思い至った。
「は、はい。」
叶は琴に手を引かれながら2年8組の教室を後にした。
2人が去った教室からは安堵のため息が聞こえてきた気がした。
到着したのは茶道室だった。
袴の袖口から鍵を取り出した琴が
「どうぞお入り下さい。」
と自分の部屋に招き入れるように言った。
六畳の和室で襖が取り払われて隣室と繋がっていて計十二畳の割りと広い部屋だった。
おそらく壱葉高校の選択授業に茶道があるので授業で大人数が入れるようにするためだろう。
尤も茶道の選択授業を取る学生は学年に2人いれば多い方らしいが。
「そちらに座って少し待っていてくださいますか?」
叶に座布団を用意した琴は一度入り口の脇に入っていき、数分してお茶をお盆に乗せて戻ってきた。
何となく正座で待っていた叶は差し出されたお茶の湯飲みを手に取った。
「あ、いい香りですね。」
緑茶と畳の香りで叶が落ち着いた声を出した。
「あまり良い茶葉ではありませんので申し訳ないです。近いうちに神社の方でお茶をご馳走しますね。」
「そんな、すごく美味しいです。」
叶の人生でも最高に美味しいと感じたお茶だっただけに叶は慌てて否定した。
差し向かいでお茶を一口、ほうと息をついて落ち着いたところで琴が居住まいを正した。
「作倉さんが…」
「あ、琴先輩。私のことも叶でいいですよ。敬語もいりません。」
「そうですね。口調は地ですので、それでは叶さんと呼ばせていただきます。わたくしを訪ねてきたということは整理がつきましたか?」
「わかりません。でも琴先輩を信じてみようと思いました。」
叶にしては顔を上げてしっかりとした口調だった。
叶の意思を確認して琴は頷いた。
「ありがとうございます。つきましては、わたくしに半場陸さんを紹介していただけるのでしょうか?」
琴にとって半場陸の存在、その力は必ず確認しなければならない重要事項である。
同じ世界に2人の預言者はいらないと殺し合うわけではないがどちらが正しい未来を見ているのか、その事実を知らなければならない。
"太宮様"のために。
「あの、そのことなんですが…」
叶は申し訳なさそうに小さくなりながらポケットから携帯を取り出した。
叶の態度を見れば察しはつくが琴は最後まで耳を傾ける。
「何度連絡しても半場君、出てくれないんです。一応着信拒否ではないみたいですけど。」
「そう、ですか。」
叶も琴も残念な結果に項垂れる。
しかし前に進むと決めた叶はこのままでは終わらなかった。
顔を上げて少しだけ琴との距離を詰める。
「琴先輩の力で半場君の居場所がわかったりしませんか?」
叶は瞳を輝かせて尋ねる。
そこに未来視という異能を持つ"化け物"としての怯えはない。
言うなればちょっと不思議な特技がある友達にお願いをしているようなものだった。
これまで友好的に接してくれた人が皆無だったということも含めて突然の叶の行動と言動に落ち着いた琴も動揺を見せた。
「突然そのように言われましても。そもそもわたくしにわかるのは物事に至る過程です。」
「過程、ですか?」
突然力の説明をされても訳がわからず、叶はオウム返しに尋ねる。
「はい。物事には始点と過程と結果があります。予知はその過程を見ることで結果を予測することしかできません。未来とは人の行動がわずかにずれただけで変化してしまうものですし、そこから半場陸さんを探し出すのは難しいでしょう。」
「そうですか…。」
名案だと思っていただけに叶はショックを隠しきれない。
しょんぼりと項垂れて冷めても美味しいお茶を飲んだ。
琴は頬に指を添えて難しい顔をしていた。
「しかし、先見の力を上手く利用すればあるいは可能かもしれませんね。半場陸さんの写真をお持ちではありませんか?本人を知らなければわたくしにも判別がつきませんので。」
叶は携帯を操作してピクチャーデータから陸の写っているものを選んで画面に映した。
「これしかありませんけど、大丈夫ですか?」
「大丈夫です。拝見させていただきますね。」
琴は大切なものを扱うように叶から携帯を受け取り、画面を見て
「あら?」
と小さく驚きの声を漏らした。
「半場君をご存知でしたか?」
しかし画面を見つめる琴の表情は固く、友好的とも言いづらいものがあった。
「夏祭りの時、大勢の女性を侍らせていた男性によく似ていたもので。複数の女性と親しいなど、不潔です。」
琴が男性に抱く理想像を垣間見て、それと現実を比べて叶は苦笑した。
「多分お祭りで見たのは半場君です。その時私たちも一緒にいましたから。」
「まさか、そんな!?」
琴の中の半場陸像が崩れる音がした気がする。
ガックリと畳に手をついて落ち込んでいた琴はしばらくすると姿勢を正してにこやかに
「死ねばいいのに。」
そう笑った。
「わーん、琴先輩黒いです!」
フフフと壊れたように笑う琴を揺さぶる叶。
ようやく決心した叶の道のりは想像以上に厳しそうだった。