第76話 担い手の選択
クラガヤモールの騒動が一段落した頃、非番だったソーサリスも含めてヴァルキリーのメンバーが急遽召集されてヴァルハラに集まっていた。
メンバーはいつものテーブルには座らずテーブルの方を睨むように立っている。
「ようこそ、ヴァルキリーへ。」
にこやかに笑う撫子が目配せすると葵衣は頷いて紅茶の準備を始めた。
八重花はジッとしたまま動かない。
美保は小声で隣に立つ良子に声をかけた。
「本当にうまくいったんですね。よっ、色女。」
「そうでもないよ。…東條八重花に力を与えたのはジュエルじゃなくて本物のソルシエールだし、それに…」
良子が言い澱んだのは八重花が陸への思いしか持っていないことへの不満を皆に悟られるのが癪だったからである。
「そういうことですか。ジュエルを植え付けて良子先輩に従順な子猫ちゃんに仕立て上げる計画が失敗に終わったと。」
人をどんな目で見てるんだと突っ込みたかったが撫子が目線でたしなめてきたのでため息に止めた。
今の反応で絶対に八重花は誤解しただろう。
「その紅茶を契約の証としてあなたはヴァルキリーのソーサリスとなります。共に世界の恒久平和の実現を目指しましょう。」
「あの、話が見えないんですけど。恒久平和?」
八重花が戸惑った様子で首をかしげると撫子も困った顔をし、最終的に全員の視線が良子に注がれた。
よくない意味で注目されて良子は焦る。
「嬉しくて早く連れてこなきゃいけないと思ったから、その、全然説明していません。」
頭を下げた良子を見て皆が一斉にため息をついた。
撫子はコホンと咳払いをして仕切り直す。
「仕方がありません。お教えしましょう、この世界の裏側にある真実を。」
「それはりくにも関わることですか?」
「ええ、そうですね。わたくしたちヴァルキリーの活動を語る上で半場陸さんの率いる"Innocent Vision"は避けては通れません。」
八重花は薄く微笑んで姿勢を正し
「お願いします。」
座したまま頭を下げた。
撫子は頷いてテーブルの上で指を組んだ。
「まずはあなたに宿った力、ソルシエールについてお話ししておきましょう。ソルシエールを得たということは白髪の少女と出会いましたか?」
「はい。ショッピングモールで。」
「彼女は魔女です。魔女は選ばれたわたくしたちに力を与えてくださった方であり、同時にヴァルキリーの敵でもあります。」
撫子は八重花がしっかりと聞いていることを観察しつつ紅茶で唇を潤して続ける。
「ソルシエールは強い感情を糧に発現する神秘の力です。」
「それは、戦ってみてわかっています。」
「そうですか。
わたくしたちや"Innocent Vision"のソルシエールも含め、ソルシエールを担う者をソーサリスと呼んでいます。
わたくしの人脈を使ってソーサリスを全世界的に探させてはいるのですが魔女が出没する壱葉を中心に確認されているだけです。
おそらくはヴァルキリーと"Innocent Vision"のソーサリスで全てでしょう。」
「ヴァルキリーと"Innocent Vision"がソーサリスの組織で、りくがいるのが"Innocent Vision"。」
与えられた知識を自分の中で確認する八重花に撫子は頷く。
指を組み替えて表情を引き締めた。
「"Innocent Vision"は半場陸さんを筆頭に江戸川蘭さん、羽佐間由良さん、柚木明夜さんで構成される組織というよりはチームと呼ぶべき少人数の集団です。」
一転、誇らしげに周囲を見回し手を広げる。
「一方、わたくしたちヴァルキリーは壱葉高校の皆さんが乙女会としてご存じのメンバー、花鳳撫子、ヘレナ・ディオン、海原葵衣、海原緑里、等々力良子、神峰美保、下沢悠莉の7人で構成されており、最近は純乙女会を設立しましたがあれはヴァルキリーに賛同する人造ソルシエールを有する戦乙女ジュエルのメンバーです。」
(ヴァルキリーの下にジュエルがあって純乙女会が全校女子の半分以上だと100人近く。対して"Innocent Vision"はたったの4人。)
頭の中で情報を瞬時に整理しつつそこから質問を投げ掛ける。
「そんな大人数を誇るヴァルキリーがどうしてたった4人しかいない"Innocent Vision"を重要視しているんです?」
100対4、ソーサリスだけでも7対3なら負ける要素は見当たらないと。
だがヴァルキリーのメンバー一様に重い雰囲気がのし掛かり、なんだか部屋全体が暗くなったようにすら感じた。
「あの…?」
理由がわからない八重花は周囲を見回しながら困惑の表情を浮かべた。
「良い質問です。確かに多大な戦力を有するヴァルキリーは"Innocent Vision"に幾度も辛酸を舐めさせられてきました。」
頷くソーサリス諸君。
特に"RGB"の面々は何度も首を縦に振っていた。
「それは組織の名前にも使われているInnocent Vision、未来を見る力を持つ半場陸さん、わたくしたちがインヴィと呼ぶ存在によるものです。」
一際深刻な口調で告げた撫子は絶句した。
これまでほとんど無表情に近かった八重花が嬉しそうに笑っていたのだ。
他のメンバーもその異常な反応に怪訝な顔をし、良子だけが深くため息をついた。
「ふふふ、やっぱりりくはすごかったのね。」
戦力差というものは容易に覆るものではない。
多少個人の力に影響はされるが基本として人数が多いほど有利になる事実は揺るがない。
それを覆すのが戦略である。
地形効果、戦闘様式、如何にして自分たちの戦果を最大限に、敵の戦禍を最大限にするか思考を巡らせる。
陸が命のやり取りでその手腕を発揮していたという事実に八重花はゾクゾクと震えるような興奮を覚えた。
まさに心底惚れ込んでいるのである。
ニコニコしている八重花に戸惑った様子を見せながら撫子は締めにかかる。
「わたくしたちヴァルキリーはソルシエールの力を広めることで人の貴賤を廃し、世界を恒久的な平和に導くことを理念としています。
その妨げとなるのが"Innocent Vision"と魔女の率いるジェムと呼ぶ怪物、東條さんも遭遇したあの化け物です。
魔女の軍勢に関しては詳しい戦力は分かりませんがジュエルを含めたヴァルキリーと同等であると考えています。」
これでソルシエールの力、勢力図、ヴァルキリーの理想を一頻り伝えたことになる。
八重花は真剣な表情で1つの問いを投げ掛けた。
「"Innocent Vision"を、りくをどうするつもりですか?」
八重花にとってただ1つの懸案事項。
八重花が陸に異常な執着を見せることに皆が眉を潜めた。
「Innocent Visionの力はわたくしたちにとっても喉から手が出るほど欲しています。
しかしインヴィは再三に渡るヴァルキリーの誘いを断り"Innocent Vision"を結成しました。
敵対する意志を見せる以上わたくしたちはインヴィを…」
ヒュンと熱風が走った。
「りくを、何?」
左目を朱色にした八重花が高速でジオードを振り抜いて撫子の首筋にあてがっていた。
あり得ない行動に反応が遅れ、驚愕したヴァルキリーのメンバー。
その手に次々とソルシエールが現れていく。
「東條、撫子様になんてことを!」
「あなたはインヴィの手先ですの!?」
激昂し今にも襲い掛かりかねないメンバーを止めたのは他ならぬ撫子だった。
「落ち着いてください。わたくしは大丈夫です。」
確かに撫子には髪の毛一本ですら被害はない。
渋々ながらソルシエールを納めていくのを見た撫子は八重花に目を向けた。
「あなたの望みをお聞かせください。」
「私は…」
グッとジオードを握り決意の隠った瞳で宣言した。
「私はりくを誰にも殺させない。誰にも渡さない。ヴァルキリーにも、"Innocent Vision"のソーサリスにも。りくは私だけのものよ。」
八重花の至極個人的な戦う理由に誰もが唖然としてしまいヘレナや緑里は嘲笑を漏らした。
普段から表情の変わらない葵衣と撫子、八重花の本質を知る良子だけは真面目な顔をしていた。
「…なるほど。"Innocent Vision"のソーサリスまで排除するなら仲間にいたのでは不都合がありますものね。東條さん、あなたは聡明な方です。」
目配せをするまでもなく葵衣が新しい紅茶を差し出した。
ジオードを納めて席に着いた八重花に撫子は改めて告げた。
「ならばインヴィの身柄についてはあなたにお任せしましょう。その点を除いてヴァルキリーと袂を別つ理由がないのでしたら、わたくしたちはあなたをヴァルキリーにお迎えしたいと思います。」
現状を知った八重花に再び選択の時が訪れた。
ヴァルキリーのメンバーが固唾を飲んで見守っている。
八重花の返答次第では敵に回ることもあるのだから。
八重花は紅茶のカップに手を伸ばし、熱い紅茶をグッと飲み干した。
別の意味で驚愕したメンバーは
「よろしくお願いします。」
何事もなかったかのように挨拶する八重花に苦笑を漏らすのだった。
ガンと壁に明夜が押し付けられて胸ぐらを掴み上げられている。
「気持ちは分からないでもないけどやめなよ、由良ちゃん。」
止めに入る気はないみたいだが一応蘭さんが声をかけた。
だが由良さんは止めない。
「どうして東條を連れてこなかった!ヴァルキリーの戦力が増えるのがまずいのはわかってるだろ!?」
明夜は何も答えない。
それがまた由良さんの怒りを買った。
「陸もなんとか言ったらどうだ?東條はお前の友達だろ?」
由良さんは首だけ振り向いて僕を見た。
なんと言ったらいいのかわからないがまず言わなければならないことがある。
「とりあえず離してあげなよ。そろそろ明夜が苦しそうだよ?」
「なんで冷静なんだよ!くそっ!」
明夜を離して由良さんは乱暴にソファーに飛び込んだ。
「わわっ!」
反対端に座っていた蘭さんが反動で数センチ飛び上がる。
明夜は襟元を直しながら僕の正面に座った。
「八重花は陸を手に入れるために私たちを排除するって。」
「…そっか。」
愛されているなと苦笑する。
それを見て由良さんが僕を睨み付けてきた。
「これもInnocent Visionで知ってたのか?」
「いや、結末までは。だけど等々力が八重花の前でソルシエールを抜いたのを見た時点で予想はしてたよ。」
「だからって、陸の側にいたいならこっちに来ればよかっただろ?」
「明夜を敵視してたってこと、選ばれなかったって言ってたってことは嫉妬だよね?だったら僕の周りに明夜とか由良さん、蘭さんがいることに耐えられなかったんじゃないかな?」
明夜が同意するように首肯するのを見て由良さんが不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「だとすると俺たちも標的ってわけか。」
「怖いねぇ。」
口とは真逆ににやりと笑みを浮かべている2人を見て
(2人の方が怖いよ。)
とは言えない僕である。
まだ怖い顔をしているとはいえ由良さんは真剣な様子で身を乗り出してきた。
「それで、敵に回った東條を俺たちはどうすればいいんだ?」
それは暗に戦った場合殺してもいいのかという問い。
もちろん僕としては八重花と戦いたくはないが、一緒に戦ってくれる仲間を見殺しにするような真似もさせられない。
最初から答えは決まっていた。
「…敵として現れたなら倒す。ただ、出来れば殺さないでほしいけどね。」
"Innocent Vision"の方針と僕個人の願いに反論する人は誰もいなかった。
「でも戦うって決まってから敵が増えるなんて…」
「まったく迷惑だよな…」
「ワクワクするね!」
「そっちか!」
蘭さんと由良さんが漫才染みたやり取りをしている。
一応僕を気遣ってくれているのだろう。
(八重花、ごめん。結局僕は八重花を巻き込んでしまった。)
僕に関わったことで八重花はこちら側に来ることになってしまった。
(だから、僕が止める。どんな結末になっても日常に戻してみせるから。)
僕は決意を胸に誓うのであった。
ちなみに
「それで、りっくんと八重花ちゃんはどういう関係なのかな?」
蘭さんがとても楽しそうに爆弾を投下した。
「え?」
「確かに、前に腕組んで歩いてたことがあったしな。」
由良さんも女の子だからなのか妙に乗り気だ。
「えっと…」
「…」
そして無言かつ捨てられた子犬みたいな目で見つめてくる明夜に訳もなく罪悪感が沸いてきた。
「ねえねえ、どうなの?」
「どうなんだ?」
「陸。」
「うわーん、勘弁してー!」
今日も"Innocent Vision"の乙女たちは仲間割れの様子もなくいろんな意味で団結していた。