第74話 難儀なデート
"Innocent Vision"やヴァルキリーが動いていることなど知らない世界は表面上平和で、土曜日、午前中で学校が終わった後、叶は友達に誘われて建川に出向いていた。
そこに久住裕子と中山久美の姿はない。
友人たちが喧嘩しているように見える状態を察して気を利かせたからだ。
「あの服かわいい。」
「あれ見て、あれ。」
叶は友人たちがウィンドウショッピングをしている後ろについて歩き、時折話に入る。
それでも叶は別のことで頭が一杯だった。
(太宮院先輩の力が本物なら半場君の居場所を探せそうなのに。私も聞きたいことがあるし。)
いまだに叶は先日の琴との出会いとそこでされた"裏側"の一端に心を捕らわれていた。
「…さん。作倉さん?」
「は、はい!?」
呼ばれていることに気付いて顔をあげると友人たちが心配そうな目で見ていた。
「調子悪い?それともやっぱり私たちとじゃつまらない?」
自分の態度で彼女たちを悲しませてしまったことに胸を痛め、慌てて手と首を横に振る。
「ごめんなさい。そんな、楽しいですよ。」
友人たちは誤魔化しだと知りつつも表情を和らげて振り返った。
目の前にアクセサリーショップWVeがあり、今日も繁盛している。
「そう言えば作倉さん、ジュエリアって持ってる?」
「ここでしか売っていないアクセサリーでしたよね?消えてなくなると願いが叶うっていう。」
「そうそう。作倉さん最近悩みがあるみたいだし願い石にお願いしてみるといいよ。」
友人たちは最初からそれが目的だったようで叶の手を引いて店内に足を踏み入れていく。
「…ありがとう、ございます。」
叶は小さく礼を述べて後に続いた。
(真奈美ちゃんが早く良くなりますように。それと、半場君と…)
叶はいずれ願うだろう。
それが悪魔との契約と知らぬままに。
太宮神社の奥の間、一般人にはその存在が知られていないその暗い部屋の中央に2人の人物がいる。
1人は高そうな一張羅のスーツを着た中年男性で出されたお茶に手をつけることもなく緊張した様子で時折ハンカチで汗を拭っている。
その向かいに座っているのは全身を白で統一した和服を着、すっぽりと白い頭巾を頭から被った女性とおぼしき人物だった。
彼女こそが神子、未来を読むことができる巫女であった。
「それでどうでしょう?私の会社の事業は成功するのでしょうか?」
普段強気なとある会社の社長は不安げに尋ねた。
白き巫女は目元が封じられているはずなのに迷うことなく紙と筆を取り、まるで手が勝手に動いているように筆を走らせた。
何度見ても神秘的な光景に目を奪われていた社長の前にたった今認められた(したためられた)書が差し出される。
「安定の時、新しきに波乱あり、己を見つめ直すれば磐石。つまり今の事業に専念しろと言うことですな!」
白巫女は答えることなくしずしずと立ち上がると部屋を出ていってしまった。
いつものことなので社長は気にせず書状を宝物のように眺めていると
「お疲れさまでした。」
代わりのお茶を盆に乗せて琴が部屋に入ってきた。
「これはご丁寧に、どうも。」
社長はお茶を受け取ってズズズと啜り、安堵の吐息を漏らした。
「良い結果は得られましたか?」
「とりあえず展開を予定していた新規事業を見合わせることにしました。危うく社運を掛けたプロジェクトを始めてしまうところでしたよ。"太宮様"様様ですな、はっはっは。」
神社の白巫女は知る人ぞ知る占い師で"太宮様"と呼ばれて崇められていた。
実に嬉しそうに語る社長に琴は諌めるように固い声をかける。
「何度もご説明しておりますが"太宮様"の占いは定まった未来ではありません。未来は不確かであるということを重々承知してください。」
琴の脅しのような言葉に社長も笑みを消し、表情を引き締めて深々と頭を下げた。
「肝に命じています。"太宮様"には大変感謝していますとお伝えください。」
去り際もペコペコと何度も頭を下げながら社長は奥の間を後にした。
現在成功している企業の多くが"太宮様"の助言を受けていることをほとんどの者が知らない。
神の御技と呼ばれる未来予知は悪用されれば取り返しのつかない事件を引き起こしかねないため太宮神社の存在は最重要機密とされてきた。
"太宮様"はもうかなり昔から白巫女としてあの姿をとっており、素顔を見たものは居ないとされている。
琴だけがその例外で先見の儀の手伝いをするのが知られていた。
「どうか、幸ある未来がありますように。」
琴は去っていった社長の背中にそう願うのだった。
そして日曜日がやってきた。
良子はどうにか拝み倒して教えてもらった携帯のアドレスに送った集合場所に向かった。
そこは壱葉と建川の中間にある倉谷に今月オープンしたばかりの総合ショッピングモールだった。
何の特別な見所がない地区の苦肉の策だがとりあえずオープンして間もない現在、客は多い。
開店時間よりも少し早い9時半にショッピングモール入り口に到着した。
半ば予想通りだが八重花が先に来ているようなことはない。
「…いや、わかってるんだけどさ。」
もし陸が相手なら1時間前に来てるだろうという事実と一致する予測を思い苛立ちを募らせる。
そして妙に遅く感じる時計の針を何度も確認し、増えていく客の中に八重花がいないか必死に探す無駄な努力の末
「もう、来ないのかな?」
集合時間1分前、ちょっとフライングで開店したため流れ出した客を見ながら良子はすっかり萎れていた。
「帰っていいのなら帰りますよ。」
そして10時、驚いて顔を上げた良子の前には八重花が立っていた。
本気で集合時間ピッタリに来る辺りに八重花の真面目さと悪戯心が見え隠れしている。
良子は流れそうになった涙をグイと拭って勢いよく立ち上がり
「行こうか!」
取ろうとした手が空を切ってまたしょぼんとなるのだった。
良子に見えない位置で八重花は小さく微笑んでいた。
開店直後のため店先でいらっしゃいませの応酬を聞きながら中を歩いていく。
「それで、今日は何をするんですか?」
「モールの奥にスポーツできる所があるからそこで…」
「この格好でですか?」
良子はウッと呻いて八重花の姿を見る。
悠莉辺りは違和感無くて良子が着ると仮装扱いされそうなフリフリのついた足元まであるスカートの服でいつもより目線の位置が高いのでパンプスだろう。
…究極的に運動に向かない格好だった。
「わあ、言い忘れてた!」
実は良子のプランにスポーツがあることを予想して運動できない格好をしてきた鋭すぎる八重花である。
そうとは知らない良子は頭を抱えて苦悩した。
「あたしの頼れる先輩のイメージが崩れていってしまう。」
「最初から危ない先輩という印象しかありませんけど。それで、頼れる先輩はどこに連れていってくれるんですか?」
意地悪な顔を無表情の裏に隠した八重花の問いに良子は必死になって考える。
(スポーツで汗を流して親睦を深めるつもりだったのに。そうなると…スポーツ用品店?)
基本的に部活一直線の良子はあまりファッションに拘らない。
凛々しい顔立ちをしているのでカジュアルな格好をすれば似合ってしまうのも気を使わない要因だが主に本人が無頓着なせいだ。
よく行く店といればバレー部で使う道具の購入や整備を任せているナガトスポーツだったり怪我したときに行く折本医院、湿布や包帯を買う沖薬局くらい。
あとはたまに安いチェーン店で服をまとめ買いするくらいである。
(よく考えたらあたし、ここにどんな店が入ってるのかよく知らない!)
デートが決まって舞い上がり、たまたまテレビで特集していたクラガヤモールに行こうと思い立っただけでどの店が入っているのか全く知らなかった。
良子の額から嫌な汗が流れていく。
八重花の答えを待つ冷たい視線が秒単位で良子の精神を削り落としていく。
(こうなったら最後の手段!)
「東條さんが行きたいところに…」
「帰りたいです。」
(ノォー!)
身も蓋もない八重花の返答に良子は頭を抱え込んで蹲ってしまった。
(うう、悠莉や江戸川先輩の精神攻撃ってこんななのか?インヴィ、恐るべし。)
八重花の毒舌にノックダウン気味の良子は恋敵(?)である陸を褒めてしまうほど気落ちしていた。
蹲る良子の耳元で八重花という名の悪魔が囁く。
「りくの情報を話せば楽になれますよ。」
「!…なるほど。」
本気で追い詰められているためそんな都合の良い結論に飛び付きそうになった。
優しく差し出された手を取ろうとし、
「ハッ!」
と正気に戻って慌てて首を横に振った。
気のせいでなければ八重花がチッと舌打ちしたように聞こえた。
「…惜しい。」
「恐ろしい子だな、君は。」
「ふふ、ありがとうございます。」
「褒めてないよ!」
「先輩も素敵なリアクションですよ。これは狙えます。」
「全然嬉しくないし、狙うって何!?」
八重花は遠くの空を見つめる。
良子もそっちに何かあるのかと顔を向けて
「何か見えるんですか?」
「…なんだか涙でぼやけた屋根が見える。」
滅茶苦茶いじられている事実にちょっぴり涙する良子。
当然、八重花は良子の見えないところで実に楽しそうに笑っていた。
それでも良子は諦めない。
査定なんて言っているが八重花の資質は良子が認めている以上間違いないので良子の今日の目的はいかに仲良くなって願い石を受け取ってもらえるか、その一点であった。
尤も開店して1時間経ってもまだどこの店にも入れずにいる時点で目的を達しているとは言えないが。
「よし、服を見よう。」
若干ヤケバチ気味な良子の提案に八重花は素直に頷いた。
「どこかいいお店を知ってるんですか?」
八重花とて女の子、可愛い服に興味がないわけがない。
それを見せたい相手が陸だという事実を頭の角に追いやって良子はヴァルキリーのメンバーが話していた内容を思い返した。
「カスタスって店がいいらしいよ?」
「何で疑問系なんですか?まあ、いいです、行きましょう。」
ようやく一歩踏み出したことに安堵して良子は八重花の隣に並んで店を目指す。
看板を頼りに目的地を探すのは探検のようで良子の心は踊った。
そしてショッピングモールの中央、最も目立つ場所に目的の店があった。
そして…
「…」
「…」
入店数分で店を後にした。
2人とも乾いた笑いしか出てこない。
「…確かにいいお店でしたけど…」
「あれは、無理だね。」
店の入り口近くにあった大人っぽい服の値札を見て2人は同時に凍りついた。
財布の中の予算よりもゼロが1つ多い。
それが入り口に置かれているということは一押しなのだろうが一番高い商品を置きはしないだろう。
それに気付いた時、2人は顔を見合わせて頷き合い、ちょっと同情するような視線を送ってきていた店員さんに会釈をして店を出たのであった。
「誰にこの店の事聞いたんです?」
「…撫子先輩とヘレナ先輩と悠莉。」
「みんなお嬢様ですね。」
「…そうだね。」
庶民とお嬢様の違いを思い知らされて黄昏る2人であった。
「よし、食事にしよう。」
結局カスタスでのショックから立ち直った時には昼食時になっていた。
「また花鳳先輩たちのオススメですか?」
八重花がちょっと疑った感じの目で見る。
だが良子は力なく首を横に振るだけだった。
「なんとかの何々風とかよくわからない名前のが食べたいなら行ってみる?高いだろうけど。」
八重花も疲れたように首を横に振った。
もはやお嬢様に傾倒した店はお腹一杯だった。
「そこの牛丼屋とあっちのレストラン、どっちがいい?」
「先輩はどちらがいいと思います?」
いい加減良子も慣れてきた。
八重花は決める気がないのではなくて良子を試しているのだ。
良子1人なら牛丼屋に入っているが女性連れ立って入るには抵抗がある。
レストランは手頃な値段だし無難な選択だと思えた。
(これじゃあどっちが査定されてるのかわからないね。)
良子は苦笑して
「レストランで。」
「わかりました。」
八重花はフッと笑い特に反論もなく従った。
ようやく八重花との付き合い方が見えてきて良子は足取りも軽く隣に並ぶ。
「楽しそうですね?」
八重花は不思議そうな顔をしていた。
「楽しいよ。こうやって君と仲良くなっている実感が持てるからね。」
臆面もなく言う良子に八重花は呆れたようにため息をつく。
「そういう言動は誤解を招きますよ。」
「君くらいにしか言わないよ。」
無意識の殺し文句に八重花はわずかに頬を染めた。
それを隠すように顔を背ける。良子は気付かずに問いかける。
「君は楽しい?」
良子にとってデートは勧誘のためで来てくれただけで十分な収穫だった。
だが八重花にとっては情報を聞き出すために嫌々付き合っている形となる。
だから良子はどんなにひどい返答が返ってきても泣かないと誓っていた。
だから
「…わりと。」
答えは予想外で、
「ははっ!」
良子は嬉しそうに笑うのであった。