第73話 狙われた八重花
ジェムの大量発生から数日、ヴァルキリーは最大限の警戒網を敷いていたが結局ジェムは見つからなかった。
「なぜジェムは出てきませんの!?」
「うちらが警戒してるのを知ってるから出てこないんじゃないですか?」
ヘレナと美保はジェムの動向を話し合っていた。
ここのところ深夜の警邏にジュエルが名乗りを上げて頑張ってくれていたのだが気を張る仕事であり、遅い時間というのもあって彼女らに疲労が見られるようになっていた。
そこで問題なければ週末にジュエルに暇を与えることを検討していたのである。
「それはジェムがヴァルキリーを恐れているからですの?」
基本的に自分に都合よく物事を解釈するヘレナは勝手に機嫌を良くしたが美保は顔をそらして率直な意見を述べた。
「…全力で警戒してるあたしたちを嘲笑ってる気がします。」
「なんですってー!」
ヘレナは美保の肩を掴んで激しく揺する。
「あたしじゃなくてジェムがですよぉ!」
揺すられた美保は必死に弁解するが焦れたヘレナは聞く耳を持っていない。
「美保の意見に賛成かな?」
「ミドリまで。」
緑里は行儀悪くテーブルに顎を乗せて物凄く嫌な顔をした。
「きっとインヴィみたいにこっちの動きを見て嘲笑ってるんだよ。」
2人の意見にようやくヘレナも馬鹿にされている可能性を考慮に入れ
「何なのですかぁ!」
「やーめーてー!」
そのまま美保に八つ当たりをして揺すり続けるのであった。
結局いつでも連絡を取れるようにしておいてすぐに駆けつけられるようにするという条件でジュエルだけでなくヴァルキリーにも休暇が出た。
「わたくしはヴァルハラでやることがありますので。」
「お嬢様、お手伝い致します。」
「休み…ううん、撫子様に付いていきます!」
ということで花鳳家組は残ることになった。
ヘレナは熱心に志願してきたジュエルの教導をすることになり、美保・悠莉は非番となった。
そして良子は
「ちょっと用があるからパスさせてもらうよ。」
と言って笑う。
「彼女でも出来てデートですか、良子先輩?」
美保のひがみを含んだ問いに良子は苦笑いを返した。
「彼女って…目ざといね。」
フッと不敵に笑い合い、周囲への説明もないまま良子はヴァルハラを後にした。
その足が出口ではなく教室に向かう。
(さて、吉と出るか凶と出るか。)
ゆっくりとした足取りで1年の教室へと歩いていった。
放課後の教室には人気がなかった。
夕日に染まりつつある校舎を良子は目的地に向かっていく。
そこは1年6組、閉ざされた扉にゆっくりと手をかけ、開く。
そこには
「待っててくれたんだ。」
「…はい。」
東條八重花が緊張した面持ちで待っていた。
誰もいない教室、2人きり、緊張した少女。
良子はゆっくりと八重花に近づいていく。
きゅっと自分の手を握る仕草が可愛らしい。
俯いた顔を顎に手を添えて自分の方に向けさせると潤んだ瞳が良子の姿を映していた。
その吸い込まれそうな瞳から目を離せないまま良子は顔を…
「いい加減にしてください。」
…張り倒された。
「冗談なのに。」
「先輩の普段の言動を考えると冗談とは思えません。」
頬に紅葉を浮かべて床に倒れ伏した良子を八重花はものすごく警戒した目で見下ろしていた。
一応礼儀として良子が立ち上がるのを助けた八重花は良子を睨み付ける。
さっきの冗談で緊張はほぐれたらしく良子を真正面から遠慮もなく鋭い視線を向けていた。
「教えてください。真実を、りくの事を。」
口調は冷静ながら今にも噛みつきかねないほどの情熱を宿す八重花の態度に良子は嬉しそうに笑った。
「まあ、座りなよ。」
着席を促すと八重花は素直に従った。良子は教卓の前に立つ。
「それで、君が知りたいのは真実かそれとも…」
「りく。」
即答だった。
八重花にこれほどまでに思われている陸に対して良子は嫉妬心を抱いた。
「実はそのことを一般人に教えることはできないんだ。」
それは陸を思う八重花へのささやかな嫌がらせであると同時にヴァルキリーの一員として、そしてソルシエールを担うソーサリスとして最低限の配慮だった。
神秘の力は秘匿すべきもの、その理はヴァルキリーも"Innocent Vision"も変わらない。
だが、一般人である八重花がそれで納得できるわけもない。
「話が違います。真実を知りたければ教室で待っているようにと手紙を机に入れたのは先輩じゃないですか。」
立ち上がって反論する八重花を宥めるように手を上下させつつ良子は真面目な顔になる。
「だけど君はその一般人ではない素質を持っているかもしれない。これを持っていないかな?」
良子がポケットから取り出したのはジュエリア、ジュエルの力を与える無色透明な八面体の結晶がついたキーホルダーだった。
八重花は首をかしげる。
「何ですか、それ?」
「え、知らない?最近流行ってる願い石。」
「はい。全然。」
ここ一月の八重花は陸探索に全力を注いできたため流行なんてまったく気にもしていなかった。
久住裕子たちとの交流があればまた違っていたのだろうがそれも断っていたため八重花は本当に知らないのであった。
(花鳳先輩、ジュエルの集め方を失敗してますよ。)
女の子は流行り物やおまじないが好きだという統計に基づいて展開したジュエルだが中には強い意思を持ちながらも、むしろ強い意思を持つからこそ願い石のようなものにすがらない者がいるのだろうと良子は思った。
良子もまた願いとは自分の力で叶えるものだと思っているから。
良子は気を取り直して話を続ける。
「選ばれた者は乙女会の下に作られた純乙女会に入れる。そうなれば真実を…」
「そんなものに入る気はありません。」
またもやきっぱりと即答で断られて良子はちょっと泣きそうになった。
だが良子は挫けなかった。
良子の予感が正しければ八重花にはソーサリスの素質がある。
その彼女にジュエルで力を与えればヴァルキリーにとって強力な戦力になるだろう。
挫けるわけにはいかなかった。
「だ、だったら、日曜日に1日かけてあたしが君の資質を見てあげる。それがあったら君に…」
「そうやって強引にデートまがいの事をさせるんですか?」
今度こそ良子は撃沈した。
教卓に突っ伏してるるると涙を流している。
基本的に八重花は好意を持たない相手にはかなりのツンなのである。
「…ですけど、…」
気落ちした良子の耳に角が取れた口調の八重花の声が聞こえて顔を上げる。
「りくの情報が得られるなら、1日くらい先輩に付き合うくらいの代償は仕方がありませんね。」
それは事実上の承諾で、それを理解した良子の顔がみるみる明るくなっていく。
「本当に?やった!」
その姿はまさにデートのオッケーを貰って喜ぶ少年のようであった。
八重花は無邪気に喜ぶ良子を苦笑して見つめ
「…でも、変なことをしようとしたら許しませんからね。」
としっかり釘を刺すのを忘れない。
それでも良子は何度も頷いて本当に嬉しそうだった。
僕の存在しない僕の夢を見ている。
どこかのショッピングモールで爆発でも起こったのか天井や壁が砕けている。
その瓦礫の向こうから明らかに人とは呼べない巨大な化け物が姿を現した。
モールの奥まった通路を塞ぐような巨体を揺らしながら歩く。
丸太のように巨大な腕が無造作に振るわれる度に壁が積み上げた積み木を崩すように壊れていく。
モール内に警報が鳴り響き、人々の悲鳴が響く。
化け物の周辺にはもう人気はない。
ただ一点、化け物と対峙している者と彼女に守られる者だけがそこにいる人間だった。
護る者の手には真紅の鉾槍が握られていて、守られる者の瞳は普段の冷静さを欠いた恐怖がありありと浮かんでいた。
化け物の咆哮と共に"化け物"同士の戦いが始まった。
「はあ、はぁ、…ふぅ。」
スタンIVから目覚めた僕は汗を拭ってベッドに腰かけた。
夢の内容を反芻して片手で頭を押さえる。
「ジェムオーガよりも巨大なジェムの化け物がいて、等々力が戦っていて、彼女が守っていたのは八重花?」
見間違えるわけもなく守られていたのは東條八重花だった。
出来るだけ最近に起こるヴァルキリーの行動を見ようとスタンIVを使った結果、見えたのが今の夢である。
「昼間からジェムが暴れて明らかな被害を出していた。それになんで等々力と八重花が一緒なんだ?あと等々力、一般人の前でソルシエールを使わないでよ。」
ヴァルキリーも"Innocent Vision"もソルシエールの力を一般人には見せないという点では共通のはずだ。
それをよりにもよって八重花に教えるなんて。
「何を考えているんだ?」
ここで文句を言ったところでどうにもならない。
僕はシャツを変えてリビングに向かった。
「陸。おやつ食べる?」
そこにはスナック菓子を広げてテレビを見ている明夜だけがいた。
とりあえず明夜の前に腰かけてお菓子を貰いつつテレビに目を向ける。
明夜のイメージにそぐわない昼ドロ…ではなく昼ドラだった。
高校時代二股をかけていた男と片方の女性がくっついたがもう片方が社会人になってから様々な手を使って男を奪おうとするというドロドロな内容だった。
訳もなく謝りたくなる衝動にかられたが心を強く持って明夜に向き直る。
「明夜、話があるんだ。」
真面目な顔で話を持ち掛けると明夜も察してくれてテレビを消してくれた。
「何?」
僕は簡潔に話題を切り出すことにした。
「八重花が危ないんだ。」
僕の見た夢の内容を説明し終わったとき、明夜は無言だった。
明夜は"Innocent Vision"のソーサリスの中で一番知り合いではあるが仲があまり良くない。
もしかしたら八重花を助けることに難色を示すかもしれないと考えていた。
「…いつ?」
「今度の日曜日。」
「わかった。」
明夜は短いながらもしっかりと答えて頷いてくれた。
僕はホッと胸を撫で下ろす。
「頼んだよ。出来るなら八重花にはソルシエールの存在を知られたくはない。最悪の場合…」
「八重花を倒す。」
「いやいやいやいや!違うからね!」
物騒なことを呟くので僕は必死になって食い止めた。
明夜がニヤリと怖い笑みを浮かべている。
さっきまで見ていた昼ドラのようで背筋が震えた。
「…冗談。」
「ぜひともそうして。」
どっと疲れを感じて項垂れる。
明夜の冗談は分かりづらい。
「八重花は友達だから、守ってあげる。」
明夜の口から友達という言葉を聞いてすごく安心した。
(僕が行っても助けにならないし八重花や等々力に見つかるのもまずい。)
そうなると八重花に関しては明夜に任せるしかない。
「八重花をお願い。だけど明夜も無理しないようにね。」
「うん。」
ちょっと嬉しそうに頷く明夜を微笑ましく思いながら僕は別の案件を懸念していた。
(魔女はなんで日曜日の昼間なんて人の多い時間にショッピングモールなんて場所にジェムを送り込んだんだ?)
魔女の考えはなんとなく予想はつくが今回のやり方は無茶苦茶すぎる。
ジェムの大量発生といい今回の事件といい、魔女は表側の世界に裏側の存在を知らしめようとしているように感じた。
その秘密の発露による混乱も魔女の望む所なのだろう、是が非でも止めなければならないと思った。
(やっぱり警戒しなきゃいけないのはヴァルキリーよりも魔女だな。
ヴァルキリーは手段はともかく恒久平和の実現っていう一貫した理想に向かっている分活動が読みやすい。
その点魔女は目的が分からないから行動の関係性が分からないしどれくらいの戦力があるのかも謎。
せめて魔女が何をやろうとしているか分かれば動きようがあるけど今は警戒を強めておくしかないか。)
方針をとりあえず定めて一息つこうとお菓子に手を伸ばしたが
サッ
僕が取ろうとした瞬間、お菓子の袋が逃げた。
「…」
手を引っ込めると袋も元の位置にもどり、また手を出すと引っ込んでしまう。
超常現象な訳もなく犯人は正面に座っていた。
「…明夜?」
「…食べる?」
とても名残惜しそうな明夜から一つだけ貰って口に放り込む。
なぜかたったこれだけのやり取りで明夜に任せて大丈夫だろうかと思えてしまった僕だった。