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Innocent Vision  作者: MCFL
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第72話 それぞれの一日

朝、すっかり遅くなってきた日の出よりも早く目覚める。

隣のベッドで眠る片割れはまだすやすやと幼子のように可愛らしい寝顔で眠っている。

それを微笑ましく思い、そっとその頬を撫でると静かにクローゼットを開けた。

そこには常時10着の執事服が納められている。

それ以外の服はない。

慣れた様子で手早く着替えて全身の映る姿見で身嗜みを確認、問題ない。

もう一度ベッドを見るが起き出す気配はない。

はぁと小さくため息をついてドアを開けた。

海原葵衣の一日の始まりである。



「ふっ、ふっ、ふっ。」

日の出始めた朝、刺すような肌寒さを感じる冬の朝に等々力良子は日課の早朝ランニングをしていた。

一定のリズムで地面を蹴って走る。

走り始めは寒いと感じたがそれもある程度走っていると体が温まってきて気にならなくなった。

バレー部員として、ヴァルキリーのソーサリスとして、どちらにしても体力は資本だから、良子は軽快に朝の道路を駆け抜けていった。



登校時間、別段早くも遅刻するほど遅くもない時間を下沢悠莉は1人歩く。

美保が合流することも多いが今日はやって来る様子はない。

眩しい日の光に手を庇にして見上げていると自分を見る女子生徒に気付いた。

ニコリと笑いかけると顔を真っ赤にして走り去ってしまった。

同学年の少女の後ろ姿を見つめて悠莉は思う。

(あの羞恥に染まった顔をもっと引き出してあげたいです。)

お年頃のせいかはたまた別の要因か怪しい嗜好を抱いた悠莉は恍惚とした表情を浮かべた。

それを見た男子生徒が顔を真っ赤にしていたが悠莉は気付かず学校に向かっていった。



1時限目、登校した東條八重花はやはり授業を聞いてはいない。

(『エクセス』の調査ではやっぱり限界がある。)

本来授業の内容を書き写すためのノートには『エクセス』と『こちら側』に分けられた表がありそこに利点と不利点が書かれている。

シャーペンの先がコツンと等々力先輩の文字を叩いた。

(聞くのが一番早いけど、聞いたら戻れなくなりそうで怖い。)

保身と真実の狭間で揺れる八重花はやはり授業を聞いてはいなかった。



10時、羽佐間由良はベッドから起き上がった。

最近はすっかり一緒に眠るのが定番になった明夜と蘭の姿はない。

どうやら今日は一番遅いらしい。

起き出して見たがリビングには誰もいなかった。

「出掛けたか?」

条約解消によりヴァルキリーが狙ってくると予測した陸は外出を自由にした。

普通に考えれば外出を控えるべきだと思うが陸は

「ヴァルキリーは今まで"Innocent Vision"を重要視していなかったから住処がどこでもよかった。でも本気で探されたらここもすぐに見つかるよ。だから外で遭遇してもらってここを突き止める気を起こさせないようにするんだ。」

と言ってみんなを納得させた。

水をコップに汲んでソファーに腰を下ろした由良は陸の言動を思い出して笑ってしまう。

「何が戦う力がなくて足手まといだよ、バカ。」

陸はよく自分のことを足手まといと評価する。

だが由良をはじめ"Innocent Vision"、そして恐らくはヴァルキリーでさえそんな評価はしていないだろう。

Innocent Visionで未来を見て、精神攻撃に屈しない強い心を持ち、冷静でありながら突拍子のない作戦を実行できる行動力を持ち、そして不完全だったとはいえジュエルを1人で撃破した。

敵ならば誰でも思うだろう。

最大の脅威はInnocent Vision、半場陸である、と。

そうなれば当然一番初めに狙われるのは陸になる。

彼はそれすら予想…いや、そうなるようにしている節がある。

「だから俺は陸を守る。約束だからな。陸は俺の…」

決意を呟こうとしたところで寝室のドアが開いた。

由良は微笑みながら立ち上がり、自分以上に寝坊助なリーダーのために水を用意してあげるのであった。



4時限目、作倉叶は授業を聞いていなかった。

(太宮神社の巫女さん、太宮院琴さんの言ってたことは本当なのかな?)

未来が見えるということ、そして陸も同じ力を持っているということ。

それは俄には信じがたい話だった。

だが叶は悩んでしまうだけの事象に遭遇している。

それは昨日の琴のもてなし。

あれはあらかじめ準備しておかなければ出来なかった。

そして、入学式の乱闘騒ぎ。

未来を見る力の存在を示す者たち。

(わからないよ。誰か教えて…半場君…)

少女の苦悩は続き、授業はやはり耳には届かない。



昼休み、江戸川蘭は壱葉高校の食堂にいた。

正確に言えば朝から普通に登校していた。

由良が怒りそうだがその時は

「だって学校に行っちゃダメって言われなかったもん。」

と答えるつもりだ。

それに陸は許してくれるだろう。

(りっくん、懐おっきいからね。)

蘭が陸に一緒にいる理由の1つにどんなことをしても陸が受け入れてくれると信頼できる点がある。

そこはすごく居心地がよかった。

(それにしても撫子ちゃん、驚いてたな。ニヒヒ。)

教室で蘭を見たときの撫子はお化けでも見たような顔をしていた。

教室にいる間も皆の知る花鳳撫子と蘭への警戒の板挟みにあっていて見ている方はなかなか楽しかった。

蘭はニコニコと学食のオムライスを食べながら、その一方でひどく冷たい目で周囲を見ていた。

(いる。ここにいる女子の4分の1はジュエルだね。)

周囲から向けられる敵意に蘭の口の端がつり上がる。

この場所をおもしろくする想像に体が疼き左腕に力が籠った。

「ダメダメ!さすがにりっくんに怒られちゃう。」

その衝動を押し止めたのは陸の顔だった。

思いの外陸に依存していることに苦笑を漏らして蘭は周りなんか気にしないでオムライスを頬張った。

(りっくんには責任とって貰わなくちゃ。)

物騒なことを考えながら蘭は笑っていた。



五時限目、食後の眠気が襲ってくる時間に海原緑里は精力的にノートを書いていた。

(半場陸は撫子様の敵、目の上のたんこぶ。)

緑里は苛立つと怨み言をぶつけたい相手を考えながらその思いを書き綴る癖があった。

当然授業は聞いていない。

(条約がなくなったってことは"Innocent Vision"を攻撃してもいいんだ。今度こそ撫子様の邪魔をするやつらを…)

『殺スッ!』

殴り書きで締めた緑里は満足そうに顔を上げ

「内職は終わりましたか?」

「は、はひ。」

青筋を浮かべた数学教師に睨まれた。

緑里は見る間に縮こまり、再び怨み言を連ねるのであった。

今度は数学教師に対して。



放課後、神峰美保は面倒くさそうに顔をしかめながらジュエルの教導みたいなことをやらされていた。

総司令官であるヘレナが所用で出掛けてしまったためヴァルハラに到着した直後に副司令官に任命されてしまったのだ。

「あー、どうしようかしら?」

妙に期待に満ちた瞳で見つめてくるジュエルの少女たちに面倒だから止めようとは言いづらい。

こんな日に限って悠莉は用事があると言って真っ直ぐに帰ってしまったし良子は部活だ。

危機察知能力が足りていないのかもしれない。

「それならエスメラルダで…」

「美保様、真面目にお願いします。」

しかも査察官として葵衣が宛がわれているためサボることもできない。

(葵衣先輩が指導した方がいい気がするけど。)

文句を言ったところで決定は覆らないし、先日の戦いでジュエルの強化が重要だと思ったのも事実だ。

美保は気持ちを切り替えた。

("Innocent Vision"にもジェムにも負けない戦士に鍛え上げてあげるわ!)

「やるわよ、みんな!」

「「はい、よろしくお願いします!」」

学校裏の広場に少女たちの元気な声が響き渡った。



ヘレナ・ディオンは家族とともに知人のパーティーに出席するための準備をしていた。

真っ赤なドレスに着飾ったヘレナを両親は褒め称える。

「似合っているよ。ヘレナ。」

「ありがとうございますわ、お父様。」

ヘレナもいつもよりも幼い笑顔を振り撒いている。

「聞いているわよ。学校でも優秀な成績を残しているって。あなたは私たちの誇りよ。」

母の賛美でヘレナの顔に翳りが差す。

「まだワタクシはナデシコの下ですわ。」

両親は困ったように顔を見合わせる。

まだ学生の身でありながら卓越した手腕で花鳳グループのファッション部門を急成長させた才女、花鳳撫子の名は海外にも知られている。

そんな人物に挑むことこそ無謀なのだがプライドが高く負けず嫌いなヘレナだけは撫子に突っ掛かっていく。

両親は娘の意見を尊重し、思うままにさせようと思っていた。

「いつかナデシコよりも上だと証明してみせますわ。」

「応援しているよ。」

「頑張りなさい、ヘレナ。」

「はい!お父様、お母様。」

(ワタシのソルシエールでナデシコよりも優秀だと示してみせますわ。)

わずかな隠し事を胸に秘めてヘレナは出かけて行った。



夜、ソーサリスやジュエルは帰り、残っているのは当直の先生と花鳳撫子、その付き人である海原葵衣くらいのものである。

「葵衣、ジェムと"Innocent Vision"の活動の状況は?」

「現時点で両勢力に主だった動きは見られません。ジュエルの有志による警邏とお嬢様直属の部隊が広範囲での監視網を敷いておりますので早急に対処が可能です。」

撫子は

「そう。」

と呟くように答えるとまた黙り込んでしまった。

先日、陸により解消された共闘条約。

ヴァルキリーは魔女と"Innocent Vision"を相手にすると宣言した。

だが、それが本当に正しい選択だったのだろうかと不安に駆られている。

(徐々に数を増しているジェム、しかもさらに強力な個体が存在するとなればそのさらに上も懸念しなければなりません。)

魔女の軍勢はまだ全容が見えないため何が出てくるか予測ができない。

("Innocent Vision"。絶大な空間攻撃能力を有する羽佐間由良さん、精神攻撃や幻覚を得意とする江戸川蘭さん、いまだにグラマリーが不明な柚木明夜さん、そして彼女らを束ねたった4人で悉くわたくしたちに辛酸を舐めさせてきたInnocent Vision、半場陸さん。彼らの活動の真意が読めません。彼らは何のために戦っているのでしょうか?)

それを理解し、もう一度魔女を打ち倒すまで手を取り合うのが…そもそも条約を解消するべきではなかったのではないかと撫子は後悔していた。

「…お嬢様はお疲れのご様子です。本日はお帰りになられた方がよろしいかと。」

冷静な口調に心配そうな気配を滲ませた葵衣の言葉に救われた。

「そうね。」

撫子は自分が完璧だとは思っていない。

だからこそ葵衣や緑里、ヴァルキリー、ジュエルの力が必要なのだ。

(今は皆さんの力を信じさせていただきます。)

立ち上がった撫子は少しだけ和らいだ表情を浮かべていた。



明夜は今日も夜の街にいた。

陸のInnocent Visionにはジェムの出現はないようだったが暇になるとつい出歩いてしまっている。

「…」

それは陸を信じていないわけでは決してない。

むしろ全幅の信頼を寄せていると言っても過言ではない。

だが、それとこれとは話が別なのだ。

「…」

明夜は世界を朱に染まった左目で眺める。

世界の歪み、この世ならざるものが引き起こす嘆きを生み出さないために明夜は戦うことを選んだ。

「…」

開いた両腕には左右一振りずつの刃。

明夜はその刃を胸の前に抱くように合わせる。

「…守る。」

小さく強い決意を胸に明夜は今日も見えない敵と戦い続けている。



深夜、日付が変わろうとしている。

町は眠りにつき、眠ることに抗う若者たちはその叫びを騒音と変えて街道を走り抜けていく。

半場陸はベランダに立ってボンヤリと外を眺めていた。

今日はジェムも休みだったらしく何事もなく一日が終わりを迎えようとしている。

"Innocent Vision"の誇るソーサリスの少女たちはベッドで身を寄せあって眠っていることだろう。

帰ってきた蘭が学校に行ってきたと知り由良がぶちキレて喧嘩をしていたが風呂から上がってきた時には仲直りしていた。

そんな"友達"のような関係に少しの寂しさと羨ましさを感じている。

それはもう陸には手に入らないものだから。

みんなは"仲間"であって"友達"とは違う。

それでも陸が選んだのは"仲間"であり、戦う苦難の道だった。

自分の選んだ道を思って陸は苦笑を漏らす。

「海は、僕の選んだ道を笑うかな?」

喜んではくれないだろう。

だけど、きっと分かってくれる。

僕が今、十分に幸せだってきっと伝わるから。

"化け物"の力の使い道が見つかり、志に賛同してついてきてくれる仲間がいる。

それはとても幸せなことで

「だから僕は欲張りなんだろうな。」

陸は手すりにのせた手に寄り掛かる。

氷のように冷たい金属製の手すりが手から体温を奪っていく。

陸はそれを戒めのように感じた。

「僕は"人"を捨てたのに、戦うって決めたのに。みんなを守りたいんだ。」

それが"Innocent Vision"の理念。

人ならざる業をもって人の世を陰から守る。

そのためならば悪にもなる。

そんな茨の道。

「うう、すっかり寒くなってきたな。」

身を震わせて陸はベランダを出ていく。

窓のところで振り返り

「いつか海のところ…には行けないかもしれないけど待ってて。」

陸は戻っていった。



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