第71話 太宮の巫女
(どうか真奈美ちゃんが早く元気になりますように。)
熱心に祈った叶は神社に入ってからずっと3歩ほど後ろをついてきていた巫女に振り返った。
「あの、お待たせしました。」
「用事はもうお済みですか。何でしたら御守りなどいかがですか?」
にこやかに社務所の方を促す巫女を見て
(そんなにお客さんいないのかな?)
と妙な勘繰りをした叶はいつまでも笑顔と手を上げたままの巫女に目をやり
「お、お守りください。」
あっさりと折れた。
「お買い上げありがとうございます。」
巫女はとても輝かしい笑みを浮かべていた。
案内された社務所では初詣で見掛けるような絵馬や破魔矢、うちわなども並んでいて御守りも数種類並んでいた。
(ええと、家内安全はちょっと違うかな?交通安全でも安産祈願でもないし…)
真奈美が良くなるための御守りがどれに当てはまるか迷っていた叶の前にスッと巫女が1つの御守りを差し出した。
そこには無病息災と書かれていた。
「お友達の快気を願うのでしたらこちらがよろしいかと。」
「あ、ありがとうございます。」
「こちらこそありがとうございます。500円になります。」
いまいち営業スマイルにしか見えない巫女に500円玉を渡した叶はギュッと御守りを両手で包み込んだ。
「これで真奈美ちゃんも…良くなる…かな?」
そこでふと疑問が浮かんだ。
(あれ?私、巫女さんに真奈美ちゃんのこと話したっけ?)
そんなはずはない。
鳥居で迎えられたときは軽く挨拶をして通りすぎただけだしお参りした後もほとんど話はしなかった。
叶は急に目の前で笑顔を浮かべながら500円玉を見ている巫女が怖くなった。
巫女は後退るように徐々に離れていこうとする叶を見てクスリと笑う。
「そんなに怯えないでください。中でお茶でもいかがですか、作倉叶さん?」
「!?な、なんで…」
今度こそはっきりと恐怖を感じたが足がすくんでしまって動けない。
ゆっくりとした動作で近づいてくる巫女は包み込むように叶の肩に両手を添えた。
見ようによっては逃げられないようにするためであり、そう感じた叶がヒッと小さく悲鳴をあげた。
「大丈夫ですよ。これでもお茶を淹れるのは得意ですので。」
どこかズレた巫女に連れられて叶は社務所の勝手口から中に連れ込まれた。
通されたのは畳張りに障子の純和風な部屋だった。
六畳程度の広さで中央に置かれた卓袱台と30センチくらいの背の低いタンスがあり、その上に置かれた電話だけがわずかに現代であることを認識させるだけの古き日本の家屋の姿があった。
襖の向こうは御守りを買った売店に続いている。
初めはガチガチに緊張していた叶だったが目の前に差し出された緑茶と和菓子を食べた途端
「あ、本当に美味しいです。」
あっさりとその美味しさの虜になった。
巫女はお茶を啜ると居住まいを正して甘味を堪能している叶を見据えた。
「改めて自己紹介をさせていただきますね。わたくしは太宮院琴。作倉さんと同じ壱葉高校に通う2年生でこの太宮神社の神主の娘です。」
叶はそれを聞いて納得し、安堵した。
同じ学校の生徒なら真奈美のことは噂で聞いたことがあるだろうしちょっと調べれば真奈美の友人である叶のことも知ることができる。
「わ、私は作倉叶です。」
叶は慌てて自己紹介をした。
琴は叶のことを知っているみたいだったがそこで挨拶をしないのもおかしいと思ったからだ。
琴はまたお茶を啜る。
「先程は驚かれましたか?」
「は、はい。太宮院先輩は私を待っているみたいに鳥居のところに立っていましたし言ってもいない真奈美ちゃんのこととか私の名前とかを知っていたからビックリしました。」
調べたからと言って鳥居のところで待っていた理由にはならないがそれはたまたま立っていて見掛けたのだと納得する。
それ以外の可能性を叶には導くことが出来ないから。
「真奈美ちゃん?…ああ、現在入院されている作倉さんのお友達の方でしたか。」
「は、はい。」
叶は琴の言動に疑問を抱いた。
今の反応はまるで叶のことを知っていてそこから真奈美に行き着いたように聞こえたから。
普通噂を聞いて知ったのなら真奈美の方が知られているはずだから。
そもそもよく考えれば怪我をした下級生の噂を聞いたとしてその友達を調べるというのもおかしな話である。
再び鎌首をもたげてきた恐怖にさっきまで美味しかったはずのお茶まで味が分からなくなってしまい無理やり飲み込んだ。
「どうですか、美味しいお菓子でしょう?作倉さんが来てくださると知って特別なものを用意しました。」
「!?」
叶は一瞬呼吸が止まるほど驚いた。
叶が病院の帰りに神社に寄ろうと思ったのはたまたまで時間にしてまだ1時間も経っていない。
たとえ独り言を呟いていたとしても美味しい和菓子を見繕い鳥居の下で待っているなど不自然以前に不可能だ。
叶はパクパクと口を明け閉めするだけで言葉にならない。
琴はクスリと微笑み
「見えるんですよ。未来が。」
そんな非現実的な言葉を呟いた。
「み、みみ、未来が…見える、ですか?」
「はい。巫女の神託というものの類いでしょうか。太宮の巫女は未来を見ることが出来るのです。作倉さんがいらっしゃることはあらかじめ知っていましたよ。」
叶は信じられなかったが琴が真顔で嘘をついているようには見えなかった。
よく知らないが東北の方のイタコという巫女が死んだ人の霊を宿らせて話をすると聞いたことがあったので巫女には不思議な力があるのだと無理やり納得することにした。
「あれ?でもそれって最初から私のことを知らないと来てもわからないですよね?」
客が来る度に張り付いておみくじや御守りを薦める位はするかもしれないが誰も彼も社務所に引き込んでお茶を振る舞ったりはしないだろう。
これまでの琴の話からすると叶に用があって待っていたことになる。
「はい。作倉さんのことは存じていますよ。厳密に言えば調べているうちに知ったという程度ですが。」
琴は特に隠すこともなく頷いた。
「それで、私に何かご用ですか?」
「はい。」
琴は頷くと座布団から降りて畳の上に移動するとしっかりとした所作でお辞儀をした。
「作倉さんには半場陸さんを紹介して戴きたいのです。よろしくお願いします。」
瞬間、叶の中で何かが凍りついた。
琴に対する恐怖も感じず、胸の奥から沸き上がってくる何かを奥歯を噛んで堪える。
「…どうして、半場君を?」
自分達以外にもいろんな女に手を出していたのかと幻滅しかけた叶は
「彼の未来視が本物かどうかを尋ねたいからです。」
その言葉で呆気に取られてしまった。
「ははっ。半場君にそんな力があるわけないじゃないですか?」
叶にとって半場陸は入学式で助けてくれて妙に落ち着いていて優しい雰囲気の少年のままだ。
その陸がそんな力を持っていたなんて聞いたことが…
(あれ?入学式?)
「本当にそうですか?作倉さんたちの入学式に起こった乱闘を予期した学生がいたと一時期噂になりましたよね。」
「あ…」
そう。
もともと陸はそれが原因で校長の怒りを買い停学処分になっていたのだ。
その後すぐに誤解が解けて停学処分も解除されたのに登校してこなかったのは謎だったがとにかく未来予知の噂はあった。
叶は一月ほどの生活の中ですっかり忘れていたが。
「噂は4月に聞いていましたがお会いすることが出来ず、最近は登校もされていないのでしょう?半場さんのご友人である作倉さんなら連絡を取れるのではないかと思いまして。」
「…どうして私なんですか?」
「聞いたお話では作倉さんが一番近しい間柄だということでしたので。」
叶は乱暴に立ち上がった。
足が痺れていたが無理やりに無視する。
「作倉さん?」
「私は半場君なんて知りません。連絡なんてつきません。」
叶は琴の返事も待たず社務所を飛び出していった。
開いたままの障子の向こうに走り去っていく叶の後ろ姿を見送って琴は温くなったお茶を啜った。
「作倉さんと彼の間に何かあったようですね。そしてそれは半場さんが登校していないことにも繋がっている。」
琴は目を瞑る。
「とりあえず、痺れた足でよく頑張りますね。」
琴はクスクスと笑うと立ち上がって仕事に戻っていった。
「~~!!」
ちなみに、後になって痺れが襲ってきた叶は鳥居の陰で悶絶するのであった。
(あれはいったいなんなの?)
八重花はカーテンを閉めきって暗い部屋で一晩中パソコンの画面の明かりに照らされていた。
手は一切動いておらず画面すら見ていない。
画面には動画再生ソフトが起動していて画面下にあるバーが右端に移動している。
八重花は思い出したようにマウスをクリックした。
再生ボタンが押されて動画が再生された。
流れた映像は非常に不鮮明なものでどこかの建物の間を撮影しているようだった。
『エクセス』で見つけた建川の裏路地の監視カメラの映像だった。
そこに映っているのは壱葉高校の制服を来た10人くらいの女子だった。
解像度が不鮮明なため顔までは分からない。
画面の奥の方に中年男性らしい姿が現れ、その姿が化け物のように変化した。
(やっぱり、変よこれ。)
八重花は昨晩この映像を見た直後に家を飛び出していた。
画像が悪いせいで何が起こっているかはわからなかったが何かとんでもないことが起こっていることだけはわかっていた。
駅まで走り、電車に飛び乗ってカメラの設置された路地に向かった八重花は
「な、なに!?雨?」
突然水に降られ、突風に煽られ、そして
「等々力、先輩…?」
暗い路地の奥に真紅の輝きを放ち、左目を朱に光らせて巨大な武器を振り下ろした等々力良子の姿があった。
良子は八重花の存在に気付くと驚愕の表情を浮かべたが突然笑みを浮かべると恐怖に立ち竦む八重花の元に歩み寄って言ったのだ。
「…ようこそ、こちら側へ。」
いつの間にか動画は終わっていてバーは右端に移動していた。
昨晩どうやって帰ってきたのかも定かではなく気が付けばずっとこうしていた。
(あれはなに?等々力先輩は何をやっていたの?こちら側ってどういう意味?)
八重花の中には決して無く、『エクセス』でもようやく引っ掛かった程度の難解な答えを八重花は求め続けている。
その問いに答えてくれる者の名を八重花は知っている。
「等々力先輩に頼るのは、ちょっと。」
八重花が良子の言うこちら側を知る前からちょっかいを出してきたのだ。
質問したら変な関係を迫られてしまうかもしれないという思いが八重花を踏み止まらせていた。
「あの化け物のことやあの綺麗な武器のことは、知りたいけど…」
良子の持っていた真紅の鉾槍を思い出して八重花は胸を打たれたようにギュッと押さえてうっとりとした表情になった。
学校の課外活動で展覧会などに出向いて価値ある調度品を見てきたがあの武器はそんなもの比べ物にならないくらい惹かれるものがあった。
過去の栄華の象徴として飾られた死んだ宝とは真逆の生き生きと役割を果たす美しき武器、そしてそれを振るう良子もまた現代を生きる騎士のようで凛々しかった。
「!!」
八重花は慌てて頭を振って良子を受け入れそうになった意識を追い払う。
真顔に戻って画面を見つめる。
「それに等々力先輩が最後に言った言葉…」
『あたしのところにくれば、君の一番知りたがっていることを教えてあげるよ。』
良子はそう言って八重花に何もすること無く去っていった。
「私の一番知りたいこと…りくのこと?」
半信半疑、ほとんど疑念の段階だったがどれほど追いかけても影すらまともに掴めない陸の情報がある。
その事実が八重花の心を激しく揺らしていた。
「…お風呂入ってこよ。」
煮詰まった頭をリフレッシュするために約1日ぶりに八重花は部屋を出た心配する両親に応対し、大きめの浴槽に身を浮かべる。
「等々力先輩…化け物…こちら側…」
頭に浮かぶのはやはりその事ばかり。
「りく…」
そして、一番会いたい人の名を呟いて八重花は静かに目を閉じた。
まぶたの裏に焼き付いて離れない陸の笑顔を見るために。