第70話 2つの決意
激動の一夜が開けた翌朝
「え?」
「あ?」
「は?」
「うそ?」
「…(頬をつねっている。)」
など様々は反応を見せたが意味するところは一つだった。
『今朝のニュースです。以前猟奇殺人などで話題となった建川で市長選が行われました。開票の結果…』
全国区でも地方テレビでも建川に関したニュースはこれだけ、東京の裏で起こったジェムになった人の失踪や壁や家屋の損傷は到底隠せるようなものではなかった。
それを考えればそもそもジェムを本格的に狩り出した11月からジェムに変じた男たちが行方不明になっていたはずなのに大々的に報じられたことはなかった。
この不可解な状況は両勢力、特にヴァルキリーの面々に驚愕をもたらした。
そしてそれぞれが集まる。
昨晩の戦闘の興奮からか幾分か早起きした"Innocent Vision"の面々はトーストをかじりながら代わり映えのしない朝のニュースを見ていた。
「ランの活躍、やってないね。もぐもぐ。」
「それどころかあれだけ血が流れたっていうのに騒ぎになってないな。パクパク。」
「みんな、わりと冷静だね。もふもふ。」
「陸、おかわり。」
大事件のはずだが"Innocent Vision"は慌てた様子はなかった。
肝が据わっていると言うか危機感が足りないと言うか…下手に慌てるよりはマシだが。
「あの鬼みたいなジェム、ジェムオーガは人じゃなくて魔女が作り出したと考えるべきだね。」
「だろうな。あの力は人間の潜在能力じゃ説明できない。」
「何だろうね?」
「陸、おかわりまだ?」
いまいち締まらない。
僕は明夜のトーストを焼きにキッチンに向かいながらそう言えばと口にする。
「昨日ヴァルキリーとの共闘条約を解消してきたよ。だから鉢合わせたら気を付けてね。」
「えー!?」
「はぁ!?」
今度はとても驚かれた。
明夜のパンをオーブンに入れようとしたところを連れ戻されて座らされる。
みんな妙に怖い視線を送ってきていた。
「…パン。」
明夜は食事の分も上増しされているようで結構怖い。
「陸、ちゃんと説明しろ。昨日遅れて出たのはジュエルの戦力を削るためだった。それが契約違反だと見なされて解消したってことか?」
「由良ちゃん。それだと解消してきた、にならないよ。」
3人がジト目で睨んでくる。
それが僕の身を案じてのことだと分かるから不謹慎だと思いつつも嬉しかった。
「昨日言ったようにヴァルキリーも解消したがっていたから花鳳撫子に直接会いに行ってきたんだよ。」
僕がそう言うと由良さんは深いため息をついて僕を睨み付け、蘭さんは
「りっくんは無謀なのか勇者なのかわからないね。」
と笑い、明夜はペタペタと僕の体を触ってきた。
「どこも怪我してないよ。大丈夫。」
皆納得し切れていない様子ではあったが理解はしてくれたらしく頷いた。
「とにかく、そう言うことなら気を引き締めないとな。今後どうするか、考えてるんだろ?」
由良さんはもう気持ちを切り替えて先を見据えている。
「ほんとーにりっくんといると退屈しないよね。」
蘭さんは楽しそうに笑う。
明夜はそのまま擦り寄って見上げてきた。
僕はみんなの顔を見回して頷いて見せた。
「"Innocent Vision"は戦うよ。魔女ともヴァルキリーとも。」
僕の意思にみんながしっかりと頷いてくれる。
それを心強く思いながら
「陸、パン。」
「はいはい。」
とりあえずはしっかりと腹ごなしをしよう。
一方、
「いったいどうなっていますの!?」
急遽設置された大型テレビモニターに向かってヘレナは叫んだ。
ニュースは動物園で虎の赤ん坊が生まれたと実に平和な内容を映している。
ヘレナは葵衣が差し出したリモコンを乱暴に操作してチャンネルを変えるがどのニュースでも東京の大惨劇に関係した報道はされていなかった。
「ワタクシの活躍がまったく出ていませんわ!」
「いや、そこが大々的に報道されるのもまずいですよ、ヘレナ先輩。」
美保の正論も機嫌を損ねたヘレナには逆効果でふんとそっぽを向いてしまった。
そんなやり取りを聞いていた撫子が葵衣に目配せすると彼女は手帳を取り出した。
「戦闘を目撃した方への対処や若干の情報統制はされていますが基本的には大事にはなっていない模様です。建川で水道管が破裂した件に関しても老朽化で話が通っています。」
「そうなのか。助かるよ。」
真犯人である良子は苦笑いをして頭を下げた。
葵衣は続ける。
「2ヶ月ほど前から続いていた柚木明夜のジェム討伐による猟奇殺人と行方不明は彼女が"Innocent Vision"に参加してから減少、11月にはヴァルキリーも活動を開始したためほぼゼロに抑えられています。それは昨晩も同様だったようです。」
「つまり昨日現れたジェムは人ではなかったということですか?」
悠莉の質問に葵衣は首を縦に振った。
「現在の調査ではそのようになっております。尤も、魔術的な手法で認識を改変されていた場合その限りではありません。」
「江戸川蘭みたいに魔女が幻覚を見せてるってこと?」
「その可能性もあるということよ、姉さん。」
葵衣の報告を聞いて皆が神妙な様子で黙り込んだ。
葵衣が空になったカップに紅茶を注いで回る。
紅茶を一口飲んだ撫子がゆっくりと口を開いた。
「昨日確認された新種のジェムはこれまでのものよりも強力であったと聞きます。ジュエルの戦力増強、戦術の強化を重点的に行い、わたくしたちヴァルキリーのソーサリスが無くとも戦えるようにならなければなりません。」
「しかしジュエルはまだ個々の戦力で言えば弱いですわ。それよりもワタクシたちが動いた方が良いのではなくて?」
ヘレナの意見は昨日ジェムオーガと対峙したソーサリス全員が感じていたことだった。
ジュエルはまだ意識においても戦力においてもレベルが足らない。
これから徐々に鍛え上げつつ現状ではヴァルキリーが動けば問題ないと考えていた。
撫子は沈痛な面持ちで首を横に振った。
「皆さんにもうひとつお伝えしなければならないことがあります。朗報か凶報かは各自の判断にお任せします。」
物騒な前置きに一同が息を飲む中
「"Innocent Vision"との共闘条約が解消されました。次に出会ったとき、彼らは敵です。」
撫子は微かな恐怖を滲ませて皆に告げた。
それを聞いたヴァルキリーのメンバーは
「そんなことですか。よし、次に見掛けたら叩きのめしてやりますよ。」
「ミホの言う通りですわ。そもそもワタクシたちに"Innocent Vision"の協力など必要なかったのですわ。ヴァルキリーこそが最強ですもの。」
「昨日も羽佐間由良においしいところ持っていかれたけど次会ったらただじゃおかないんだから。」
美保、ヘレナ、緑里はそれを朗報と受け取りやる気をみなぎらせた。
一方撫子や悠莉、良子の表情は優れない。
(うう、蘭様怖いです。)
(もうしばらくインヴィとは敵対したくなかったんだけど。)
ただ1人動じない葵衣は主のわずかな変化を敏感に感じ取っていた。
「お嬢様。条約の解消はお嬢様が持ちかけたのですか?」
「!それは…」
先日こちらから解消を言い出すのは不義理だと話したばかりだ。
撫子が小さく首を横に振ると皆はすぐに納得した。
「インヴィが言い出してきたんですか。いよいよあたしたちとやる気になったってことね。」
「自分からヴァルキリーと手を切るなんてやっぱりあの男はバカだね。」
納得して"Innocent Vision"を敵と認識するような空気の中で葵衣はまだ撫子を見詰めていた。
「その解消のお話、いつなさったのですか?」
「!!」
撫子はビクリと体を震わせた。
「インヴィがノコノコ出てくるわけないから手紙か電話じゃないんですか?」
「電話も手紙も私か側近を一度通した後お嬢様にお繋ぎします。ですから、私がその事実を知らないのはおかしいのです。」
いつになく真剣な葵衣の様子にようやく事の異常さを認識して皆の視線が撫子に向けられた。
撫子はギュッと自分の体を抱き締めながら絞り出すように答えた。
「昨日の夜…インヴィがわたくしを待っていて、そこで…」
その姿は普段の撫子からは考えられないほど弱々しく、動揺が広がった。
「待ってください。花鳳先輩が出掛けられるのは昨日急遽決まったことでしたね?」
「ええ。」
「それを事前に知ることなんて…」
「しかもその様子ですと、インヴィは昨晩の襲撃を知っていたということですね。花鳳様が1人の時を狙って話を持ちかけてきたと。」
ここに来て半場陸の持つInnocent Visionの恐ろしさに気付いたメンバーは一様に肝を冷やした。
撫子はまだ怯えの抜けきらない声で告げた。
「これまでわたくしたちはジェムを率いる魔女こそが最大の障害と考えてきました。しかし、たった4人とはいえ強力な力を有し、未来を知るインヴィが束ねる"Innocent Vision"こそが真に恐ろしい相手ではないでしょうか?」
"Innocent Vision"に対する脅威を再認識して皆は気持ちを新たに戦うことを決意した。
撫子もリーダーたる威厳を持って宣言する。
「ヴァルキリーは魔女と"Innocent Vision"という障害を排し、世界に平和をもたらすために戦います。」
社会の裏側で壮絶な戦いがあったことなど知る良しもなく、学生たちは学舎での生活のために登校してきた。
「おはよう。いやー、危ない危ない。遅刻するところだった。」
予鈴ギリギリに駆け込んできた裕子は芳賀の席に駆け寄った。
叶と八重花が輪に入らなくなってからは自然と芳賀の所に集まるようになっていた。
「ゆうちん、遅いよ。」
「サボりかと思ったぞ。久住が体調不良なわけないもんな。」
「なんだとー!」
両手に花状態の芳賀だったが陸の時のように妬まれたりはしていない。
それは皆が知っているから。
この関係が仮初めで、3人が本当の意味で笑っていないことを。
芳賀とじゃれ合っていた裕子は視線を前に向けて動きを止めた。
「八重花、いないの?」
「やえちんはまだみたいだね。遅刻かな?」
「東條は病気するのもわかるけどな。」
「私をバカって言うなー!」
ポカポカと叩く裕子と笑いながら殴られる芳賀、それを見て笑う久美。
これが最近の姿だった。
チャイムがなり皆が席に戻っていく。
その中で空席が2つ。
その日、八重花は学校に来なかった。
作倉叶は放課後まっすぐに芦屋真奈美の病院に向かっていた。
(裕子ちゃんと久美ちゃん、芳賀君とあんなに楽しそうにしてた。私、いらない子なのかな?)
彼女らの本心を知らぬまま叶は誤解で落ち込んでいく。
こんな時は真奈美に励ましてもらいたかったが今日も真奈美は安らかな寝息を立てたまま眠っているだけだった。
「真奈美ちゃん、早く元気になってね。」
ここにいてもすることはなく、真奈美が目を覚ますまで泣かないと決めた叶はエールを送って病室を後にした。
1人で帰り道を歩きながら
「今年は皆で初詣、行けるかな?」
ふと去年みんな振り袖で着飾って太宮神社に初詣に行ったことを思い出した。
「またみんなで行きたいな。」
そう思った叶は願掛けに太宮神社に向かうことにした。
病院から太宮神社は家までの道から離れているので横道に入った。
(この間はみんなでお祭りに行ったんだよね。…半場君も一緒に。)
陸のことを考えると胸がチクリと痛んだ。
どうしていいのか自分の感情をもてあましてしまう。
怒っているはずなのに寂しいと思い、恨んでいるのに会いたいと思ってしまう。
そんな不思議な自分を叶は笑ってしまった。
「私は、どうしたいんだろう?」
その答えはまだ見えない。
それでも真奈美が目覚めたらわかるかもしれないと思った。
だから神様にお願いするのだ。
(早く真奈美ちゃんが元気になりますようにって。)
鳥居が見えてきた。
初詣とお祭りくらいしか来ることがないせいで人がたくさんいる印象が強かったが今は誰もいないようで閑散としている。
ふと鳥居の下に誰かいるのが見えた。
襦袢に緋袴を着た叶と同じくらいの年の頃の女性が立っていた。
(巫女さんだ。)
まるで客を待っているように手を前に揃えて微動だにせずにいる。
(神社のお客さんてどんな人なんだろう?)
そんなことを考えながらさらに近づいていくと巫女と目があった。
「あ…」
巫女は小さく声を漏らし叶に向けて微笑みかけた。
神社にたどり着いた。
見上げるほど大きな鳥居の向こうに本殿が見える。
そして
「お待ちしていました。わたくし、太宮院琴と申します。」
琴と名乗った巫女は呆然と立ち尽くす叶に向かって深く礼をするのであった。